直木賞とは……あれだけ注目を浴びて幸せの絶頂にいた人が、小説を書けなくなったら、そりゃ自殺したくなるはずですわ。――松木麗『恋文』
松木麗『恋文』(平成4年/1992年5月・角川書店刊)
(←左書影は平成10年/1998年4月・角川書店/角川文庫)
こういう作品を取り上げ始めたら、際限がなさそうだよなあ。際限がない、というか、「小説に描かれた直木賞」の探索でワタクシの一生が終わってしまいます。
ただね。この『恋文』、「文学賞」が登場する無数のミステリーの中でも、松本清張さんのやつや、森村誠一さんのやつと歴然と違う点があるとすれば……。これが公募の賞のために書かれた、「シロウト」作家の手によるものだ、ってことでしょう。
出版や文壇の側にどっぷり浸かった流行作家じゃなく、まだデビュー前の、小説好きな一読者が描いた「文学賞」、ってことです。
より純真な視点の「文学賞」観が、そこには表れているかもしれぬぞ、と言えるかもしれません。
この作品には、一つの事件が描かれています。48歳の作家・上野兼重が死んだのは、自殺か他殺か。これをめぐって、女性検事の間瀬惇子の視点から、ああでもない、こうでもない、とストーリーが展開していきます。
「四月九日夜、歓迎会から帰宅後、購読し始めた地方紙の夕刊を開くと、大きな見出しが目に飛び込んできた。
作家上野兼重、自殺――。
享年四十八歳。十四年前、小説『最後の恋文』で文壇に名高い賞を受賞、その後も文筆活動を続けていたが、糖尿病や肝臓病で体を悪くし、三年前から入退院を繰り返していたという。」(『恋文』「第一章 桜」より)
「文壇に名高い賞」。これが具体的に何て名前で、どんな作品・作家を対象にしているのかは、あまり説明されません。
ただ、この賞は、単なる小説内のアクセサリーではなく、上野兼重が死ぬまでに至った文脈のなかで、非常に大きな役割を果たしています。
まず『最後の恋文』って小説は、古典的な純愛小説だそうで、その後、映画化もされました。上野兼重は、この一作で賞をとり、有名になっただけでなく、ベストセラー作家の地位についたそうです。そう、これ一作が彼にとって唯一の「ベストセラー」だったのです。
「兼重が十三歳年下の規世子と再婚したのは『最後の恋文』を発表して二年後、三十六歳のときである。美男のベストセラー作家として一時期マスコミに話題になった作家と結婚したのである。当座は幸せの絶頂にあったはずの二十三歳の若妻が夫に失望していく様を想像するのは、悲しいまでに容易である。」(『恋文』「第二章 ファムファタール」より)
兼重は、20代で作家デビュー。「新しい純文学をと様々な試みに挑んだ」らしいですが、芽が出ず、34歳のときに「己の本流だったらしい私小説」に戻り、『最後の恋文』を発表。高い評価を得て、名高い賞を射止めた、って流れです。
しかし、彼のピークはそこまでで、以降はまったく振るわなくなってしまう。何か新しい世界を描こうとはしてみても、『最後の恋文』を越す傑作は生まれることなく、いつしか忘れ去られた作家になっていった……。と。
「若いころは前衛的ともいえる作風を試みていた兼重。だが、『最後の恋人』を境に、まるでそれまでとは別人のように、古典的な私小説の世界に埋没してしまったかの感がある。そこで、作家は、自由に伸び伸びと息をしているように思える。それが、この作家の本領であったことが、その安心感から分かるのだ。だが、同じ所にいつまでも佇んでいたのでは読者にも飽きられてしまうだろう。芸術家は常に新しいものに挑戦していかなければならない、大変な職業である。」(同「第二章 ファムファタール」より)
これは、本作の主人公・惇子の視点です。惇子は検事ではありますが、自分で作家を志していたりもします。なるほど、「芸術家」ですか。えらいハナシを持ち出してきたなあ。
いや、あれです、この「名高い賞」が実在の何かをモデルにしていないことぐらいわかります。まったくの虚構です。でも、「一人の作家が一気に頂点(?)に上りつめ、一気に廃れていく」背景を描くのに、松木麗さんは「名高い文学賞」を持ってきたんですもの、面白いじゃないですか。
現実がどうかは、ともかく忘れましょう。質の高い作品(作家としての才能がある)、かつベストセラー(不安定な物書き稼業としてもある程度の収入が得られる)、かつ多くの人に存在を知られる(有名になる=華やかさ)。こういうふうな世界を演出したいときに、「文学賞」ほど便利な事象はないんですなあ。
だって、こう書けば、読者の多くは「上野兼重が死ぬまでの数年間の苦しみ」を納得してくれるだろう、ときっと作者は考えたんでしょうから。
少なくともワタクシ自身は、デビュー後に何年かの活動期間があって、突如発表された一作だけが飛び抜けて傑作であり(しかも「文壇に名高い文学賞」までとり)、その後まるで低迷、という例を寡聞にして知りません。
そりゃあ、ワタクシの知識なんてちっぽけ極まりないので、何人かはいるのかもしれませんね。失礼しました。
いや、だからワタクシにとって『恋文』は面白いのです。……なんつったって題名が『恋文』ですし。いや、連城三紀彦さん的な要素はまったくないんですけど。
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赤川次郎




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