直木賞とは……噂をするなら匿名で。だって悪口いってるのがバレたら、とれなくなっちゃうもん。――夢枕獏『仰天・文壇和歌集』
夢枕獏『仰天・文壇和歌集』
(平成4年/1992年5月・集英社刊 -> 平成14年/2002年6月・集英社/集英社文庫
)
小説でもエッセイでも、「文学賞をネタにする」っていうのは、飛び道具みたいなところがありますよね。あ、飛び道具というか、低俗、ゴシップ、卑しい、下品、文学の本筋とは関係のない傍流。
それでたいていの良識人は、あえて文学賞について深く語ったりしないものらしいですけど、性格上、ついついネタにしちゃう人もいます。たぶん、夢枕獏さんもそのひとりです。
キマイラ、サイコダイバー、餓狼伝。昭和50年代後半(1980年代)に、一気にノベルス・文庫界隈で売れっ子になり、『上弦の月を喰べる獅子』で無冠の座から脱却(第10回日本SF大賞)。これが平成1年ごろのことで、ちょうど獏さんにとって一回目のお仕事自重期のころなんですが、このあたりから獏さんからは文壇ネタ、文学賞ネタが一気に噴き出していきます。
そのなかの一作である『仰天・文壇和歌集』(初出『小説すばる』平成2年/1990年11月号、平成3年/1991年3月号、8月号、10月号~平成4年/1992年4月号)より。まずは一首。
「勝手に候補にしておきながらこの賞が欲しければもっと勉強しろと言って落選させた審査員がいたようないないような」(『仰天・文壇和歌集』「一、仰天・文壇和歌集の一人百首」より)
終わりかたに、やや腰の引けた感じが残っています。
いかんいかん、これじゃ面白がってもらえんぞ、と切り替えたのかどうなのか、そのあとは賞を欲しがる作家の心情とか生態とかを、次々にネタにしていきます。
なにせ、ちょうど昭和の末から平成のはじめごろっていえや、あれです、「推理小説では直木賞はとれない」(昭和30年代~昭和40年代)、「SF小説では直木賞はとれない」(昭和40年代~昭和50年代)などと、各グループで怨みまじりの気炎が上がったのと同様、夢枕獏さんの周辺の冒険小説グループが、直木賞から迎え入れたり拒否られていたりした時代ですもん。獏さんも、文学賞ネタには事欠かなかったようで。
「あの賞を取ったあいつの作品より取らぬおれの本の方が売れている
と言う君の酒は五杯目である」(同「一、仰天・文壇和歌集の一人百首」より)
ははあ。たくさん本が売れること……人気作家っていう座を何年も持続できること。それも作家の価値のひとつと認めて、直木賞を与える理由として採り入れたっていいじゃないか、とのちに北方謙三さんが提示する土壌が、このあたりに垣間見えたりもします。
それから獏さんは、賞に対して作家たちが裏で悪口を叩き合っている図、なんてのも描きます。
「欲しい賞の悪口けして言わないあなたは世渡り上手」
「もらってしまった賞の悪口しか言わないあんたが大将」
「あの賞の悪口急に言いはじめた同業者(ルビ:きみ)を見て きみがエロスとバイオレンスでやってゆく決心をしたことを知る」(以上三首「三、仰天・文壇和歌集の懲りない逆襲」より)
悪口を言い出すと、それが噂となってどこかの出版社あたりに流れて、もうその賞から声がかからなくなる、っていう原理。くーっ、まったくこの世は生きづらいもんなんですね。たとえば文学賞が「発表された小説のなかで、最高のものを選び出す」っていう理念があったとしても、なかなかその理念どおりに事が運ばんのも、わかります。
「「ぼくは一度あの賞の候補になりました」「おれは三度なった」とらぬどうしで哀しくはないか」(同「三、仰天・文壇和歌集の懲りない逆襲」より)
なあんてことを、あまり「文学賞の候補者」ってかたちで表沙汰になったことのない獏さんがつぶやくから、クククッと黒い想像の広がる一首です。
……と、あまり引用ばかりしていくと、面白くなって止まらなくなりそうなので、ここらでやめときます。もっと出てくる文学賞ネタについては、同書をチェックしてみてください。
それにしても、あの賞あの賞、としか言わず、いちいち固有名詞を出さないところが、獏さんも自嘲ぎみに「世渡り上手」と詠っちゃうところなんですけど。ただ、本書のなかではっきりと「欲しい」とネタにされて具体的に賞名の挙がっているものが、二つだけあります。
芥川賞と直木賞です。
○
芥川賞のほうは、有馬頼義さんが芥川賞が欲しいと晩年つねづね公言していたのと同じ話で、そうは言っても実現しそうにない夢の夢。獏さんもその辺をしっかり抑えて、「あどけない話」との題を付しています(「四、仰天・文壇和歌集の詩歌浪漫」の内「あどけない話」)。
ところがです。直木賞といえば、こっちはけっこう現実味のある話です。
「四、仰天・文壇和歌集の詩歌浪漫」におさめられた「北方謙三氏が柴田錬三郎賞を受賞した夜、銀座にて詠める歌」。この詩では、言葉遊びとして何人かの作家名が隠し詠まれています。志水辰夫、大沢在昌、北方謙三、逢坂剛、船戸与一、佐々木譲、西木正明。
当時、大沢さんと船戸さんは直木賞の候補になどなったことがなく、年がたつにつれ、実績から言っても、もう二人が直木賞と関わることなどないだろう、と思われていったのに……。けっきょく、ここに登場するすべての作家が、直木賞を受賞したり候補になったりすることになるんですからねえ。
「おいらも欲しい直木賞」と、同詩のなかで獏さんが詠んだ一行には、よりいっそう、現実感がズッシリ重たくのしかかります。
獏さんがほんとうに直木賞を欲しがったかどうかは、とりあえず措いときましょう。ただ少なくとも、「ははあ獏め、いっとき直木賞の持つ魔力に酔わされた時期があったんだな」と、ワタクシら読者に想像させ楽しませてくれる仕組みが、そこに用意されているのはたしかです。
なので、ついつい深読みであることを承知のうえで、『空気枕ぶく先生太平記』(平成10年/1998年5月・フレーベル館刊 -> 平成14年/2002年2月・集英社/集英社文庫
)で、さんざん作家と編集者と出版界まわりのことをパロって、「芥田川賞」と命名したアッチの賞のことは舞台上にあげているのに、直木賞についてはスルーするとは。それって、「欲しい賞の悪口けして言わない」の実例のひとつですか、と思わされたり。
獏さんの文学賞についての持ちネタのひとつに、「文学賞チャンピオンベルト制」ってのがあって、獏さんのというより、村松友視、椎名誠ご両人の持ちネタなんですけど、椎名さんいわく、こういうものです。
「作家は一度賞をとるとそのあとどんなに力が衰えてもずっと安泰というのは格闘技のチャンピオンと較べてあまりにもナマヌルイ超過保護制度だ。いっそすべての文学賞をランキング制にして新しい才能と常に闘いながらその栄誉を血と汗で保持していくようにしたらどーだどーだ!ドン(机を叩く音)とするどく口角泡をとばしたものだ。」(平成11年/1999年1月・波書房刊『仰天・夢枕獏特別号』
所収「義理原エッセイ5「宿敵 獏へ告ぐ!」」より)
遊びの発想のようでいて、ん? ほんとにそうかも。と思わせてしまうところが、椎名さんの真骨頂ですけど、このエッセイの最後がまたふるっています。
「今日はこれでドローとしてやるが、いいか獏、次は直木賞会場で待っているからな!」(同「宿敵 獏へ告ぐ!」より)
ここでクッと笑いがこみ上げるのは、「芥川賞」じゃなくて「直木賞」ってワードを選択しているからだもんなあ。っていうのも、ありえなさの要素のなかに何割かの現実味が混じっているからだよなあ。案外、裏では獏さん界隈では、直木賞のネタがいろいろと語られ、イジくられていたんじゃなかろうか、と思わされたり。
○
もうちょっと想像の世界で楽しんでみますと。
あくまで一つの推論ですが、獏さんと直木賞とのファースト・コンタクトがちょうどこのころ、平成1年/1989年にあった、と見立ててみます。
ご本人いうところの「半自伝的なエッセイ物語」である『純情漂流』
(平成4年/1992年11月・角川書店刊 -> 平成10年/1998年8月・集英社/集英社文庫
)、「三章 玄奘行路」に、「ある賞」と接近したときの話が出てきます。
「ことのおこりは、ある知り合いの編集者からの電話であった。
その編集者は、今年の春にぼくが出したある本を読んだのだが、それが非常におもしろかったとぼくに告げた。
「これは、賞の対象となってもおかしくない内容の本だと思います」
そう言って、ある賞の名をぼくに告げた。」(『純情漂流』「三章 玄奘行路」より)
それで、賞の選考っていうのは極秘でも何でもないらしく、その編集者(賞には関係ない人)はツテを頼って、獏さんのその小説が、その賞の「候補の候補」に選ばれていることを、たちまち調べ上げます。
候補の候補、っていうのはアレです。直木賞でいったら、青森の同人誌『現代人』の山内七郎さんが残った、っていうやつです。
って、そんな人知らんよ、と言いますか。ほら、伊坂幸太郎さんがその段階で辞退の通告をした、っていうアレです。最終候補作にまで絞りこんでいく過程の、まだ何十作かがリストアップされている粗選びのところです。
けっきょく、獏さんの小説は、最終候補に残ることはありませんでした。それまで賞とは無縁の活動をしてきた獏さんは、この一連のプチ事件で、こんな感想を抱くにいたります。
「賞もなにも、作品がなければ話にならない。しかも、あたりまえのことだが、賞のためにその作品を書くわけではないのだ。(引用者中略)とにかく書き、書き続けるということの中から、それが“伝奇バイオレンス”であるにしろ“賞”であるにしろ、結果として生じてくるものだとぼくは思っていた。
しかし――
候補の候補に残っていることを知らされた途端に、急にその賞に色気が出た。ぼくはその賞が欲しくなったのだった。
自分のその心の動きを眺めるのはおもしろかった。その賞をとった気になり、受賞の挨拶の言葉などが、原稿を書いている最中、ふいに、ちらちらと頭の中を動いたりするのである。気がつくと、原稿を書く手が止まり、その賞のことを考えていたりする。その自分をひどく冷静に眺めている自分もまたいるのである。」(同「三章 玄奘行路」より)
その年……平成1年/1989年の春に、獏さんが出した本となると、『鮎師』(平成1年/1989年4月・講談社刊 -> 平成4年/1992年6月・講談社/講談社文庫
-> 平成17年/2005年10月・文藝春秋/文春文庫
)ってことになって、さすがにこの本を読んだ編集者がパッと思い浮かぶ文学賞となると、やや限られるわけですし、しかも何度も候補選出までの過程を踏むだとか、吉川英治文学新人賞の候補にはそれより前に獏さんもなったことがあるみたいだし、だとか、いろいろ考えていくと、ううむ、それって直木賞でしょ? と確かめたくなります。
そのあと、獏さんも「陰陽師」シリーズで『オール讀物』とか文藝春秋とかに大貢献して、それこそ大沢在昌=船戸与一=佐々木譲世代をも、対象にしちゃうほど直木賞は範囲を広げていったわけなので、獏さんが直木賞エリアに呼び込まれる可能性だってあったんですけど。実名を出さないまでも出版業界まわりをバンバンとギャグのネタにしてきた獏さんの正直さが、そこにきてアダとなったのかな。ってこらこら、そりゃ想像が飛躍しすぎだつうの。
○
想像から現実の世界に、戻ってきまして。
現実的に、文学賞を欲しがる作家像だの、よその作家が賞をとって、なにを、あいつよりもおれの小説のほうが売れてるじゃんかと強がる作家像だの、そういう下世話な作家バナシをおもしろがる読者は、たーくさんいるわけでして。ワタクシみたいに。そして、そういうエピソードとかを持ち芸としながら、読者をグイグイひっぱっていって己の新しい世界を開拓していった成功例もあるわけですし。獏さんの「カエルの死」を最初におもしろがってくれたあの大先輩みたいに。
ああ。低俗路線よ。永遠なれ。
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