直木賞とは……「とれば周囲の目が変わる」。と思われていることそのものが、ユーモアのネタになる。――奥田英朗「妻と玄米御飯」その他
奥田英朗「妻と玄米御飯」(平成19年/2007年4月・集英社刊『家日和』所収)その他
精神科医・伊良部一郎のもとに訪れたのは、すでに著作数200冊を超える人気大衆作家、彼はここ最近悩んでいて、数年前からN木賞の選考委員を務めているのですが、かつては自分の物差しで「推す」小説と「推さない」小説をきっぱり決断できていたのに、急にどの小説を読んでも良し悪しが判断できなくなってしまって、選考会に出ては胸をはって発言することができず、冷や汗のかきどおし……。
とかいう伊良部シリーズがあってもよさそうなんですけど、そんな小説ありません。残念。
奥田英朗さんに、文学賞(とくに直木賞ふうのもの)が出てくる小説が、まったくないわけじゃありません。ただし、それぞれがズバリ直木賞、って書かれ方はしていないし、文学賞をネタにしているっていうより、登場人物である作家を肉付けするような小道具程度のものですけど。
ってことで、今日のお題は、「妻と玄米御飯」その他。たぶん「その他」のほうに多くの文量を割くことになりそうです。
「その他」その1。『ララピポ』(平成17年/2005年9月・幻冬舎刊)から行きますか。
『ララピポ』第5話の「I SHALL BE RELEASED」の主人公は、作家の西郷寺敬次郎です。いや、官能作家の、と言い換えておきましょう。桃園書院の書き下ろしシリーズとか、月刊誌『小説エロス』『桃色ノベル』、週刊誌『実話パンチ』、夕刊紙『夕刊トップ』の締め切りを控える、人気者です。
でも西郷寺先生、むかしは純文学を志していました。文壇デビューは20年前、日本を代表する老舗出版社の「世界文藝社」(わざわざ「藝」と書いてあるところがミソ)が主催する世界文藝新人賞を受賞したことにあります。しかし、文学に賭ける志は途中でどっかに行ってしまい、今じゃ官能小説専門。そんな西郷寺先生ですが、もう一度、純文学をどこかに発表できないかと、短篇を何本か書き溜めています。
それで、西郷寺先生と、三流出版社(利益の大半は官能小説で上げている)の桃園書院編集者、石井との会話。
「「ところで、近頃はどんな小説が売れてるわけ?」(引用者中略)
「文芸ですか。うちの本ではあまり……」
「別に桃園書院のことを聞いてるわけじゃないの。世間一般のことだよ」
「さあ。宮部あけみ先生とか、浅田一郎先生とか、そういった方なんじゃないでしょうか」
「この前、賞を獲った翠川輝夫はぼくの同人誌時代の後輩だけどね」(引用者中略)「小説のイロハを教えてやったのはぼくだよ。あいつも長かったね、地味な私小説ばかり書いてて。食えるようになったのは最近だろう」」(『ララピポ』「I SHALL BE RELEASED」より)
へえ、翠川輝夫が獲った賞って、どんな賞なんだろ。同人誌出身というから純文学系の可能性もあるけれど、長い作家歴、それから小説で食えるようになった、ってぐらいですからねえ。直木賞・山周賞・吉川新人賞、その辺の系列ですかね。
もう一場面、引用します。西郷寺先生が、銀座で艶聞社ってところの接待を受けている最中に、たまたま同じ文壇バーに高橋なるミステリー作家が、編集者を引き連れてやってきたところです。
「「高橋先生」ママが華やいだ声をあげ、駆け寄った。ほかのホステスたちも一斉に立ち上がる。
テレビや雑誌でよく見かけるミステリー作家だった。大半の作品がドラマや映画になっていて、賞の選考委員もいくつか兼任している文壇の大御所だ。」
その高橋を接待しているのが、先にご紹介した世界文藝社なんでした。
「向こうのテーブルは端から賑やかだった。ミステリー作家は両脇にホステスを抱え、大物ぶっている。
ふん。たかが三文推理小説だろう。何を大きな顔をしているのか。こっちは純文学作品を書いていたことだってあるのだ。」(同「I SHALL BE RELEASED」より)
ふふふ。小物感・俗物感たっぷりの中年作家の、ドロドロした心理をあぶり出すために、文学賞が使われているんですね。
自分は、先ごろ賞をとった後輩作家とは、知らぬ仲じゃないってことで、優越をひけらかす。対して、賞の選考委員をしているのみならず、それを「いくつか兼任する」ほどの流行作家には、バーのママやホステスの態度――つまり世間の目の違いを見せつけられ、めらめら怨念を燃やす。
ちなみに、この『ララピポ』第5話が発表されたのは、幻冬舎の『ポンツーン』誌、平成16年/2004年4月号だそうで。とりあえず、奥田さんが直木賞を受賞(平成16年/2004年7月)する前のことです。
○
ごぞんじ、筋金入りの偏屈作家、奥田英朗。……ってことは、人がワーワー騒ぐものとか、作品内容じゃなくて「受賞した」との事実だけが切り取られて世間に流布されるようなものとか、そういうものは、おそらく好みじゃなかろうし、興味もないんだと思います。
「我らが乗船するのは韓国船籍の「星希」号。全長一六二メートル、定員五六二名の堂々たる大型フェリーだ。チェックインして一等客室に入ると、前回同様、二段ベッドが二つ並ぶ“合宿部屋”であった。
またしてもわたしは感動した。この業界はN木賞を獲るといきなり待遇がアップするという通説がある。もしかして受賞後初の今回は個室かも、という予感がわたしの中にかすかにあった。しかし新潮社はN木賞などおかまいなしだ。あくまでもわたしを「仲間」として扱おうというのである。この平等精神をわたしは高く評価したい。ほっほっほ。」(奥田英朗『港町食堂』平成17年/2005年11月・新潮社刊)
文意からして、奥田さん自身が、「ふーん、直木賞なの? それがどうした?」って構えであることはわかるわけです。でもここで、さらに注目したいのはあえて「N木賞」と置き換えている点にあります。
実質的にゃあ、ここで「直木賞」と書こうが「N木賞」と書こうが、違いなんてありません。新潮社の『旅』誌に載る原稿だから、よその会社の賞をそのまま書くのを遠慮した、ってことがあるかもしれませんけど、じゃあ、光文社の『小説宝石』誌に連載した「野球の国」で、講談社文庫出版部だの、文藝春秋オール讀物だのと、堂々と固有名詞を書くのは、どういうことなんだ、とカラむ輩がいそうです。
たぶん読んでいる人のおおかたが、「N木賞」が「直木賞」であることぐらいわかっている。でも、そのまま表現したのじゃ面白くもない。新潮社が(ほんとうにそうかは別として)直木賞をとっても全然待遇を変えなかった、というストーリーを仕立てあげて、それをストレートに書かずに、誰でもわかるようにボカすことで、読者にニヤリとしてもらおう。……って、そんな奥田さんの思いが伝わってきます(うわあ、われながら野暮な解説だなあ)。
ねえ。なんつったって、直木賞の「受賞のことば」で、ボケ(?)をかます奥田さんですからねえ。
「数ある文学賞の中で、なぜ直木賞ばかりがもてはやされるのか――。これはもう言葉の響きが美しいからに決まってるんですね。
ナオキショー。この滑らかな語感。直木賞作家。この言葉の座りのよさ。(引用者中略)元コピーライターとして言うなら、最高の商品名である。奥田賞じゃ話にならないのである。
いや失礼。逸れてますね。こんな場でも馬鹿話をしてしまうのが、わたしという作家です。」(『オール讀物』平成16年/2004年9月号「受賞のことば」より)
権威とか、みんなが羨望するものとか、そういうものを前にして、抑えきれずに笑いに持っていこうとしてしまう、あるいは、ついウケを気にしてしまう。ああ、奥田さん、生まれついてのエンターテイナーだなあ。
ってことを、奥田さん自身、ネタにして書いたのが、そうです。ようやくたどりつきました。今日のメイン作「妻と玄米御飯」です。
○
集英社の『小説すばる』誌に発表した6つの作品からなる連作集『家日和』。その最終話が「妻と玄米御飯」、主人公は42歳のユーモア小説家、大塚康夫です。
若いころから社交が嫌いで、建前を好まず、流行しているものはまず疑ってかかる。そんな男です。
「書いているのは主にユーモア小説だ。つい昨年までは、「日本でユーモアは売れない」「ミステリーに転向したらどうか」と編集者に冷たくされていたが、賞を獲って売れ出した途端、周囲がてのひらを返し、注文が殺到した。世間とはこんなものだ。」(『家日和』「妻と玄米御飯」より)
その康夫の妻、里美が、ご近所づき合いのなかから「ロハス」ってなものに凝り出したところから、康夫の悩みが始まります。
康夫は性格上、この近所を席捲する「ロハス」の動きに、くだらないものを感じて、それをネタに一本のユーモア小説を書き上げます。題は「妻と玄米御飯」。締め切りをやや過ぎて、ようやく編集部に原稿を送り、評判は上々、康夫自身も出来に満足していました。
しかし、妻・里美が、その原稿を読んでしまったのかどうか、急によそよそしくなります。康夫は急に不安になります。この作品が発表されたら、近所づき合いはどうなるんだろう。
「迂闊だった。これを読んでいちばん最初に頭に来るのは里美だ。おまけに彼女は、ロハス仲間に対しては加害者の妻という立場になってしまう。
だんだん憂鬱になってきた。まったく小説家なんてろくなものではない。ウケを取るためなら、女房までをもカタにする。」(同「妻と玄米御飯」より)
それで、不安が最高潮に達して、康夫は修英社『小説ズバル』編集部に、原稿はボツにしてくれと電話をかけます。さあ、ようやくここで康夫さんが何ていう賞を受賞したのかが明らかにされるわけです。
「「とにかく、ボツにはできません。イラストも発注しました。明日から校了が始まります。大塚さんの短編は次号の巻頭を飾ります」
「巻頭? せめて目立たないように……」
「弱気だなあ、もう。天下のN木賞作家が何を言ってるんですか。文士たるもの、もう少し腹をくくってくださいよ」」(同「妻と玄米御飯」より)
ユーモア小説を書くにも、腰を引かずに腹を決めなきゃ、そのユーモアは読者に伝わらない。っていうことをユーモア小説のかたちで書くところが、ともかく何でもウケを考えちゃう奥田さんの流儀てんこもりです。
周囲が、あるいは近所が、あるいは世間が、「直木賞」=何だか知らんが凄いもの、と見なしてどんなに騒ごうと(いや、騒げば騒ぐだけ)、奥田さんはほくそえんだかもしれません。うわあ、このくだらなさ、きっとネタになるぞ、と。
で、もっと言えば、その「偏屈」ぶり……いや、偏屈って表現は違うな。自分自身の感覚を信じてそれを書き切るところが、奥田作品の魅力となって、その結果「直木賞」にむすびついたんだろうな。
○
究極の偏屈だったら、たぶん直木賞なんか拒絶していたでしょう。偏屈な部分もありつつ、「直木賞」なる流行物を、ひとつの世間の事象、ひとつのネタとして見つめる目があるからこそ、3度の候補(と、それに伴う周囲のバカ騒ぎ)を経てもなお、『空中ブランコ』で4度めの候補に挙げられることを、受け入れたんでしょうから。
そういえば、奥田さんの処女小説『ウランバーナの森』(平成9年/1997年8月・講談社刊)にも、チョロッとそれに似たエピソードが出てきていましたね。
便秘の患者ジョンと、アネモネ医院のドクターとの会話。
「「かつてこんな患者がいました。患者は小説家でした。彼はあなたと正反対で便が出すぎて困ると訴えてきました。(引用者中略)彼は用を足してトイレを出ると、次の瞬間、もう便意をもよおしてくる。あわててトイレに戻る。再び用を足す。ところがトイレを出るとまたしても便意をもよおしてしまう。彼はそれでは原稿がまったく書けないと悩んでわたしのところへ来たのです」
「で、どうしたんだい?」
「わたしは勧めました。トイレを広くして書斎に改造したらいかがですか?」
ジョンは声をあげて笑っていた。
「その患者は便座に腰掛けて原稿を書いたのかい?」
「さあ、そこまでは知りません。ただ、彼はその後とある文学賞を獲りました。いまでは売れっ子の作家です」」(『ウランバーナの森』「6」より)
このエピソードから、ドクターはこんな教訓を導き出しています。「つまり、人は、まかせることがいちばんなのです」。
偏屈だけじゃ、「受賞作家」なる椅子に唯々諾々とすわるわけないものなあ。
ちなみに、この会話はさらに続いています。
「「……そうかもしれないね」
「なすがままに(let it be)」
一瞬、ジョンのおなかがひきつりかけた。」(同「6」より)
やっぱりウケを狙っちゃうんだな、奥田さんは。んもう。だからワタクシは奥田作品が好きです。
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