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2009年10月 4日 (日)

直木賞とは……当落はさして意味がない。多くの人に読まれるチャンスなのが重要なのだ。――吉村昭『一家の主』、津村節子『重い歳月』

091004091004_2 吉村昭『一家の主』(昭和49年/1974年3月・毎日新聞社刊)

(←左書影は平成1年/1989年3月・筑摩書房/ちくま文庫

津村節子『重い歳月』(昭和55年/1980年4月・新潮社刊)

(←左書影は平成8年/1996年5月・文藝春秋/文春文庫

 今週はお二人そろってお出でいただきました。昭和30年代、第40回ごろ~第50回台前半の直木賞・芥川賞を、作家の側から語るに最もふさわしい人たちです。

 なにしろ、何度も自分が落選させられっぱなし、の体験だけでも貴重なのに。さらに、ほかの人の落選劇をかなり身近なところで目撃し続けた、とくるんですからねえ。その経験で二人にかなう人はいません。

 妻・津村節子さんの「玩具」での芥川賞受賞は昭和40年/1965年。夫・吉村昭さんの『戦艦武蔵』での遅まきながらの大ブレークは、昭和41年/1966年。それから以後、それぞれが当時の状況を振り返りつつ、またネタにしつつ、小説とか自伝をいくつか書きました。

 たとえば昭さんには、『一家の主(あるじ)』なる小説があります。『毎日新聞』夕刊に昭和48年/1973年6月1日~12月27日まで連載されました。平成1年/1989年3月にちくま文庫に入るにあたって、昭さんが寄せた「あとがき」によりますと、こんな作品です。

「私は、自分の過去についてかなりの数の私小説を書いている。その背景となっている時期は、大別して二つ(引用者注:一つは少年時代~終戦後、病臥していた時期。二つ目は昭和50年代~平成)である、と言っていい。(引用者中略)

 その二つの時期の間には十数年という歳月があり、今でも気持に変りはないが、その期間の私について書くのをためらう気持はきわめて強い。理由は、一言にして言えば照れ臭いからで、書く気になれないのである。

 この「一家の主」は、その空白の時期を敢えて書いた小説で、それだけに書いておいてよかった、と今にして思うのである。」(平成1年/1989年3月・筑摩書房/ちくま文庫『一家の主』「あとがき」より)

 「照れ臭い」っていうのが、ミソです。

 いっぽう、節子さんには、自伝的小説三部作ってのがあります。「茜色の戦記」と「星祭りの町」と、それから直木賞・芥川賞の連続落選のころまでを描いた「瑠璃色の石」。ということで、昭『一家の主』に対するものとして、節子『瑠璃色の石』でもいいんでしょうが、今日は、より虚構味の強い“自伝的”な小説のほうを選んでみました。『重い歳月』です。

 『新潮』昭和53年/1978年3月号に「暗い季節」として掲載。それを加筆・訂正のうえ、改題したものです。

091004_3  こちらについては、『瑠璃色の石』の「あとがき」にある、節子さんの言葉をご紹介しておきます。

「「重い歳月」は、代る代る文学賞の候補に上りながら落選を繰返す夫婦の相剋を書いている」(平成19年/2007年3月・新潮社/新潮文庫『瑠璃色の石』「あとがき」より)

 さあて。それじゃあ、昭『一家の主』と節子『重い歳月』を読み比べてみようぜ。

 と躍起になれば、そりゃあいくらでも切り口はあるでしょう。でも、ここは直木賞専門ブログです。あっちこっちと手を出して怪我するのもみっともないので、あえて一つの事象だけに絞ります。

 ズバリ、作家夫婦のもとに、はじめて直木賞の存在が身近にせまったときのこと。

 第41回(昭和34年/1959年・上半期)に、津村節子さんの「鍵」が、はじめて直木賞候補になった前後のことです。

 付け加えるなら、同じ回の芥川賞では、吉村昭さん「貝殻」が、自身二度目の候補になりました。

 まずは昭『一家の主』。そのころ、圭一(夫)・春子(妻)の夫婦は、マイホームを建築する準備を進めていました。

「棟上げは六月初旬におこなわれたが、その夜アパートにもどると、郵便受に速達の封筒が二通入っていた。封を切ってみると、圭一宛のものには芥川賞候補推薦、妻宛のものには直木賞候補推薦の通知が入っていた。」(『一家の主』「巣作りのこと」より)

 節子『重い歳月』。こちらは、すでに桂策(夫)がA賞の候補に二度あがったことになっていて、そのときは章子(妻)だけに通知がくることになっています。

「ある日、郵便受の中に、白い長封筒がはいっていた。自分の名が記されている表書のペン字に見覚えがあり、胸をとどろかせて裏を返すと、かつて桂策が二度候補にあげられて落ちた文学賞の運営にあたっている機関の名が印刷されていた。

 章子は息を詰め、封筒を手にしたままその場に佇立していた。開けば、玉手箱のように、中に書かれている文字が消えてしまうような恐れで、容易に開く決心がつかなかった。

 部屋に戻り、机の前に坐って鋏で一気に封を切った。ガリ版の印刷文の中に、そこだけペン字で同人雑誌に発表した章子の作品の題名が記されていて、今年度上半期のN賞の候補作に推されている旨が記されていた。N賞は大衆文芸作品に与えられる賞で、自分の作品にその要素が強かったのか、と章子は一瞬意外の感を抱いたが、それはすぐに単純な興奮に打消された。いずれにしても権威ある新人文学賞には違いないのである。

 章子は詰めていた息を、ちぎるように少しずつ吐いた。何度読み返しても、夢の中の出来事のようで、実感がせまって来なかった。」(『重い歳月』「一章」より)

 いやあ、一通の通知を受け取る場面だけでも、『一家の主』『重い歳月』でそうとうの違いが出ているなあ(って当たり前か)。こりゃあ節子さん、“作家であり妻である”主人公・章子のこころの動きを、こうまで綿々と綴っていくワザなんぞは、A賞じゃなくてN賞寄りだ、と判断されたとしてもおかしかないわけでして。

          ○

 通知を受け取ってから、最終的に落選しちゃうところまでの場面も、もちろん両作品に描かれています。

 せっかくなので、両作品におけるこの場面のポイントを挙げてみますってえと。

 まずは昭『一家の主』のほうから。一言でいうならば、「照れくささ」です。

「また選考日の二日前には、地方の有力紙の文化部記者が、カメラマンを伴って訪れてきた。短い口髭をはやした記者は、にこやかな表情で経歴や文学を志した動機などをきき、

「選考日の夜は、御夫妻とも家にいますね」

 と、きいた。

 圭一は、とっさに自分だけは外に飲みに行っていると答えた。春子と家で顔をつき合わせ、重苦しい時間を過すのがやりきれなかったし、滑稽にも思えたからだった。」(『一家の主』「巣作りのこと」より)

 それで結局、夫・圭一は、当日新宿の小料理屋で酒を飲み、外で二人の落選を知ることになります。バーを転々と飲み歩いたあと、妻・春子の待つアパートに帰ってきまして、圭一の帰宅後の一声が、これです。

「「だめだったな」

 と、ドアを開けて春子に大声で言った。

 春子は、

「静かにしてよ。今、子供を寝かしつけたばかりだから……」

 と、指を口に当てた。

「だめだということはラジオできいたのか」

 圭一が、低い声できくと、

「七時頃テレビ局の車がアパートの前に来て停っていたのよ。でも八時半頃窓から見おろしてみたら、いつの間にか消えていてね、九時のラジオニュースで知ったわ」

 春子は、苦笑した。」(同『一家の主』「巣作りのこと」より)

 二人そろって候補に挙がり、でも二人で家で結果を待つことが照れ臭くて、つい別の場所に出かけた。……なるほど、なるほど。

 でも、じつはここには一部、昭さんの創作がまじっています。

091004_4  昭さんが自伝として書いた『私の文学漂流』(平成4年/1992年11月・新潮社刊->平成21年/2009年2月・筑摩書房/ちくま文庫)によると、じっさいは、こんな感じだったみたいです。

「翌日が両賞の選考会がおこなわれる日で、夕方、帰宅すると、鮨の折詰を手に弟夫婦が車でやってきた。

 私たちは、弟夫婦と食事をし、テレビをつけてプロ野球の試合に眼をむけていた。

 弟が立つと、書斎に行ったらしく、おどけたような忍び足で居間にもどってきて、

「来ている、来ている」

 と、低い声で言った。テレビ局の旗をつけたハイヤーが、塀の外にひっそりととまっているのが洋室の窓からみえるという。

 テレビ番組は九時からで、八時になっても玄関のチャイムは鳴らない。

 部屋を出て行った弟がもどってくると、

「ハイヤーが消えている」

 と、言った。

 九時のラジオのニュースで、芥川賞に斯波四郎氏の『山塔』が、直木賞に渡辺喜恵子氏の『馬淵川』、平岩弓枝氏の『鑿師』がそれぞれ決定したことが報じられた。」(『私の文学漂流』「第八章 二通の白い封筒」より)

091004_5  節子さんの自伝『ふたり旅―生きてきた証しとして』(平成20年/2008年7月・岩波書店刊)でも、やっぱりこの場面が描かれています。弟夫婦が鮨折を持って訪ねてきていること、テレビ局のハイヤーが停っていたが途中で姿を消したことで、落選を知ったことなどが、ほぼ同様に書かれています。

 のちに昭さんは、作家生活のなかで夫婦そろって同じ雑誌の同じ号に作品を発表することは極力避けた、なぜなら気恥ずかしいからだ、といったエッセイを書きました。そんな昭さんですものねえ。ほんとは二人で(プラス弟夫婦をまじえて)結果を待っていたのに、小説では、そうは書かなかった。……っていうのは、なんだか昭さんの「そんなの、照れ臭いよ」って思いが、こっそり見え隠れするようです。

          ○

 いっぽうの節子『重い歳月』。キーワードは「内面を読者に伝える工夫の数かず」でしょうか。

 妻であり母親であり、そのために自由に執筆の時間を割くことができない同人誌作家。そんな女性が突然、有名な文学賞の候補になっちゃって、落選はしたものの、悔しくもあり、でも嬉しくもあり。……ってな感情の動きを、どうやって読者に伝えていけば理解してもらえるだろうか。という試みが、『重い歳月』からは見えてきます。

 たとえば、この作品には、夫から一通の電報が送られてきて、妻喜ぶ、なんて場面があります。

 章子は自分がN賞候補になったことを知り、一刻もはやく桂策に伝えてあげたいと思います。家に電話がないので、電車に乗って公衆電話のあるところまで行き、彼の勤め先に電話しちゃうぐらいに。夫が外出中だと聞かされると、電話に出た女事務員に、N賞の候補になったと伝えてくれと頼んでおきます。

「受賞したのでもないのに、候補ぐらいでわざわざ電車に乗って二度も電話をかけて来たことを滑稽に思われただろうと恥ずかしかったが、この賞の候補になるだけでも万年同人雑誌作家にとってどれほどの意味があるのか、一般の人々には到底理解出来ぬことなのだった。」(『重い歳月』「一章」より)

 それで帰宅して、子供と二人で夕食をとっていたときに、玄関のブザーが鳴ります。

「桂策にしては早いと思いながら、それでもかすかな期待を抱いて出て行くと、電報だった。

 チクシヨウ ヨカツタナ ケイサク

 章子はひとりでくっくっと笑った。初めて、喜びが実感となった。」(同『重い歳月』より)

 夫から、わざわざ電報で送られてきた短い文面。うわあ、嬉しいわあ、と実感した、って場面を、節子さんは、まだ受賞するかどうかわからない段階、候補に挙がったところに持ってきました。そうですよね、この段階での喜びの感情ならば、到底理解できないはずの一般の読者にも、多少はわかってもらえるかもしれないし、夫婦のあいだの相剋と思いやりも、より鮮明に表現できるかもしれないですもんね。

 でも、ほんとは、昭->節子宛の電報は、これよりもっと後のタイミングで送られたものだったようです。

 落選してから、しばらくたったある日のこと。

「「カギ ベ ツサツブ ンシユンノルゾ チクシヨウ アキ」

 ウナ電が届いた。吉村の勤務先に『文藝春秋』の編集部から連絡があったのだろう。初めて直木賞候補になって受賞するなどとは思っていなかったが、女性二人が受賞したことに気落ちがしていたので、喜びがこみ上げて来た。」(『ふたり旅』「遥かな光」より)

 同人誌『文學者』に載った候補作の「鍵」が、落選したというのに『別冊文藝春秋』に転載されることになったわけです。

 もちろん、候補に挙がるのも嬉しかったでしょう。ただ、節子さんにとっては、この『別冊文春』転載にもまた、かなり力を与えられたそうでして。

「直木賞候補になった妻の中篇小説『鍵』は、「直木賞委員会で大問題となった」作品として、「別冊文藝春秋」に転載された。彼女にとっても、一流の出版社から発行されている文芸雑誌に掲載されたのは初めてであった。」(『私の文学漂流』「第九章 睡眠五時間」より)

 昭『一家の主』では、さらに突っ込んで、妻の嬉しげな姿まで書かれています。

「春子が候補作品にえらばれた作品は、一部の選考委員に支持されたらしく、半年前圭一の作品が転載された総合雑誌の別冊に掲載されていた。春子は、それが嬉しいらしく、送られてきた雑誌を何度も繰返しひるがえしていた。」(『一家の主』「巣作りのこと」より)

 妻である作家が、どの段階で喜びを感じたか、小道具は「夫からの電報」と、事実を使いながらも、こっそりそれを選考前にズラして描いた節子さん。一般の人にゃあ、『別冊文春』に落選作が転載される、ってより、有名文学賞N賞=直木賞の候補に挙がったところのほうが、おそらく「喜び」を想起させやすいですもんね。

 でも、正直なところ、節子さんには、受賞するとか候補になるとか、そんなことよりもやっぱり『別冊文春』転載が心に響いたことでしょう。『重い歳月』の一節にも、こうありますし。

「無論、小説は受賞を目標に書くものではない。しかし、賞を得れば、作品の発表の場を得られることは事実である。それは多くの人々に読んで貰えるチャンスを得ることであり、限られた同人仲間の評価のみを支えに書き続けて来た者にとっては、この上ない魅力であった。」(『重い歳月』「一章」より)

 多くの人に読んでもらえる状況に、なにより魅力を感じる、と。ああ、現代の直木賞候補作家が同じことを言ったとしても、節子さんほど説得力は出ないわなあ。

          ○

 蛇足。ここは直木賞のことを書く場なので、今回は掘り下げませんけど、『一家の主』『重い歳月』といって、両作を読むことで何倍にも際立つエピソードがあります。

 そう、ごぞんじ、吉村昭さん第46回芥川賞候補「透明標本」に対して、日本文学振興会が勇み足でやらかしてしまった、あの事件です。

 昭『私の文学漂流』+節子『ふたり旅』でも、いいです。

 第46回芥川賞選考会の大詰め、最終的に、昭さん「透明標本」と宇能鴻一郎さん「鯨神」の二作に絞られ、ほぼ両作受賞で決まりかけたところで、主催者・日本文学振興会の担当者が吉村宅に電話をしちゃう。ほぼ決まったので今から来てください、と告げる。昭さんは、やったやったと夢見心地で、兄の運転する車で銀座の文春に向かう。しかし、着いてみると、どうも様子がおかしい。「じつは受賞は宇能さん一作ということに決まりました」と、衝撃の事実を告げられる。……っていう、涙なくして読むことのできない、あの事件です。

 それが、当事者・昭さんの視点と、自宅で待機していて、夫が出かけたあと「じつは受賞は宇能さん一人に決まった」と電話を受けた妻・節子さんの視点と、別々のシーンでもって、この事件をたのしめる……おっと失礼、この事件の展開を追うことができるのですから。

 『一家の主』の「小説を書くこと」に描かれたこのシーン。さて、主人公の圭一は、じつは自分は受賞していなかったと言われて、どんな反応をみせ、どんな感想を抱いたのか。それを吉村昭さんがどう表現するのか読むだけでも、きっと得した気分になれます。……ううむ、昭さん、感服です。

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