直木賞とは……みんながよってたかって馬鹿にする標的。――司悠司『ぼくは小説家になった』
司悠司『ぼくは小説家になった』
(平成6年/1994年5月・イースト・プレス/イースト文庫)
ああ、昔の文壇バナシを掘り返すのは、なんて楽しいんだろ。……と、ついつい2週も続けて、戦前やら戦争直後やらに引きこもってしまいました。
古くせえ懐古趣味はもう飽き飽きだぜ、歴史的なことがらにはこれっぽちも興味アリマセン、ってふうなごく常識的感覚を大事にしまして。今回は平成の小説、平成の作家です。
司悠司(つかさ・ゆうじ)さん。彼がはじめて刊行した小説であり、これまで膨大に書かれてきた文壇モジリ小説に、新たな一石を投じてやろうと渾身の力をこめて送り出した作品です。
かなりデフォルメしたかたちながら、当時(まだ15年くらい前)の小説界、出版界、作家周辺のことを描いていて、当然、いろいろな名称が現実のものをモジっています。
主人公は、「小説文中」新人賞受賞者の柘植祐一、受賞作は「相対的には愉快な終末」。これを推した一人が選考委員の鶴見昭介であり、柘植の憧れの作家、彼の受賞第一作が載ったのは、『小説文中』ではなくて、半同人誌で歴史の古い『法経文学』、作品名は「パパイヤ・ホースを待ち望んだ日」。などなど……。
司悠司さんの作家デビューの周辺を調べてみると、上記に挙げた固有名詞に似たものがザックザック出てきます。『小説新潮』に始まり、「ぼくたちの優しい終末」、筒井康隆、『早稲田文学』、「ハニーを待ちながら」……。
でも、司さんのこの作が並みのモジリ小説と一線を画すのは、あくまで似ている・連想させる程度の、薄いモジリ方なところです。
きっと出版界にも、あらゆる小説にも造詣の深い司さんですから、もっと現実の世界に似せて描こうとすれば、キワモノすれすれまでモジれたと思うんです。でも、あえて、その手法をとっていません。
主人公の柘植祐一は、受賞するまでは中小電器メーカー営業部に勤めるサラリーマンでした。出版界については「この世界のイロハも素人」、っていう役回りです。そのためか、この小説全体を覆う「文壇」(とカッコでくくってみる)絵巻も、一貫して素人目線であることにこだわっています。
たとえば、直木賞のこともです。
「新人作家にとって、書く場所がないということは、ほとんど死に等しい。祐一が無為に過ごしているその間にも、月日はめぐり、また新たな「新人賞」の季節がやって来、初々しい新人たちが次々と脚光を浴びてデビューして行った。その中には、すぐさまその才能が認められ、一躍スターダムにのし上がる若い作家も出る。処女作で軽く芥木賞や直川賞の候補になって、そのまま受賞してしまう作家も出て来る。祐一に、「あせるな」と言っても、それは意味のない言葉であった。」(「女編集長・生島美由紀」より)
芥木賞、直川賞と書いて、絶対に「芥川賞、直木賞」のことを読者に思い起こさせようという企み。それでいて、「おや。直木賞を処女作でとった人が、ここ最近いたっけな?」と、多少なりとも両賞のことを知っている方ならピンとくるわけです。
そう、これはアレです。地の文も含めて、『ぼくは小説家になった』では、「ほとんど小説とか文壇とかそんなこと知らないけど、なんとなく、作家とか文学賞の名前は聞いたことがある」っていう、普通のひとの感覚で物語全体を覆いくるんでいる仕組みなんです。おそらく。
○
ここで、司悠司とは何者か、を少し探ってみましょう。決してご本人は、出版界に突然飛び込んできたド素人、てなわけじゃなさそうです。
昭和63年/1988年、29歳のとき、第6回小説新潮新人賞に「ムルンド文学案内」を応募。これが最終選考まで残り、受賞は八本正幸さん「失われた街」に譲りましたが、選考委員だった筒井康隆、井上ひさし両氏の意向により、参考作品として『小説新潮』平成1年/1989年2月号に掲載されます。
このときの「執筆者紹介」に、こうあります。
「日本大学法学部を卒業。そののち、出版社を転々としつつ、現在に至る。」(『小説新潮』平成1年/1989年2月号より)
はじめての著書『超過激読書宣言』(平成3年/1991年5月・青弓社刊)の、巻末の著者紹介では、こんな表現です。
「日本大学法学部を卒業後、編集者、フリーライターを経て、現在に至る。」(『超過激読書宣言』より)
ちなみに「ムルンド文学案内」だけ読んでも、じゅうじゅう知れるのですが、『超過激読書宣言』も読みますと、司さんの小説に対する無償の(異常の?)愛がむわーんと立ち昇ってきて、ひるまされると同時に、つい嬉しくなってきてしまいます。
たとえば「第2章 ジャンルなどない、あるのはただ「小説」である」の章あたり。
「「売る側の論理」だけのために「ジャンル」という不毛なものが存在し、読者や作家はそれに踊らされているのである。
だから、例えばある新人が「純文学」でも「エンターテインメント」でもない、まったく新しい小説を書いたとしても、それは「どこのジャンルにも属さない」すなわち「売りにくい」という理由だけで、作品そのものの価値にかかわりなく、出版されることはないのである。
「超過激読者」たる我々は、こうした出版社の都合だけでなされる「ジャンル分け」などという制度を断固として、拒否する立場を取る。」
拍手、拍手。
小説を愛し、本といっしょに心中してもいいとまで決意している(かどうかは知りませんけど)司さんですからね、文壇なんか糞くらえ、でしょう。文学賞なんか阿呆の狂態、でしょう。
狂態のひとつとして、この作品では、「文中四賞」受賞パーティ兼文芸中央社忘年会なるイベントに、かなりの紙幅を費やしています。ここで柘植祐一っていう「普通の感覚の持ち主」に、既成作家たちのさまざまな生態を目撃させています。
そのなかで、はっきり「直川賞」受賞者として登場させられている作家が、二人います。二人とも非常に似通った特徴を与えられています。こんなふうに。
お一人め。
「「いよお、鶴見君」
その時、直川賞作家の海上弁造が、有名なダミ声で鶴見に声をかけた。海上は、ここ十年ほど、小説らしい小説は一篇も発表していなかったが、この手の文壇パーティには、欠かさず出席して文壇内の地位を固めていることは、祐一も富永(引用者注:柘植祐一の友人、某社編集者)から聞いて知っていた。いわゆる「文壇政治家」の一人である。」(「作家たちの怪しい宴」より)
そして、二人め。
「まだ料理の残る中央テーブルの上に乗って、ソーセージを身体に巻きつかせながらストリップ・ショーをやっているのは、ナルシストで知られる直川賞作家だ。自分の身体に相当の自信があるらしく、先日も出版社に圧力をかけてヌード写真集を出版させたが当然売れず、残った何千部という在庫にサインをして、無理矢理知人の誰からに買わせているという噂だ。確かに自己顕示欲は作家の資質のひとつかも知れないが、作家などになるより、テレビ・タレントにでもなった方がよかったのではないか、というもっぱらの評判である。」(「人気小説家の末路」より)
ははあ。どうやら「直川賞」作家とは、「それ以後、パッとした作家活動をしない人」の代名詞として、使われているみたいですねえ。
あるいは、たかがそんな文学賞とった程度で、すげえ小説なんか書けるわけない、書かれちゃ困る、っていう司さんの熱い思いがこもっているんでしょうか。
○
いや。作者・司さんの思いじゃないんだろうな。これまた、出版界や文壇とは縁のない一般のひとびと、市井のひとびとが抱いているだろう「妄想的発想」を、作品のなかにおとし込んだだけなのかもしれないな。
と、そう思う理由は、『ぼくは小説家になった』で、わざわざ次のような場面が描かれているからです。
「下北のおでん屋でも、祐一はなんとも嫌な連中を見たことがある。いわゆる「同人誌作家」という連中だ。
三人連れで入って来たそいつらは、カウンターにつき、酒とおでんを注文するかしないかのうちに、いきなり「芥木賞・直川賞」の話をし始めた。
上半期の受賞は誰々と誰々だったが、あんなものは小説じゃない、あんな奴ら作家じゃない、馬鹿である阿呆である問題外であると、さんざんにこき下ろし始めたのである。(引用者中略)
今度の芥木賞・直川賞の受賞者だけではなく、今活躍しているすべての作家の悪口を言い始めたのである。まるで、文芸マスコミに売れている作家はみな駄目だ、と言いたげな調子であった。」(「女編集長・生島美由紀」より)
そして、このあと、「同人誌作家」たちの俗物っぷりを、さんざんな描きようで語っていきます。
ここで考え込んでしまいました。わざわざ、文学賞や売れている小説を全否定する連中を登場させて、そしてその連中の阿呆らしさを、司さんはなぜ書いたんだろう。
なにごとにせよ、全否定ってやつは容易ですからね。直木賞の受賞作や候補作を読んでいなくたって、直木賞そのものを否定することは、簡単にできてしまいます。あんなもん、文藝春秋一社の宣伝活動にすぎないとか、選ばれた小説だってことごとく大したもんじゃないとか。
そしておそらく、司さんは『ぼくは小説家になった』において、ハナから全否定を前提にして文学賞のくだらなさを語るような行為についても、戯画化してくれました。……たしかに文学賞はくだらんかもしれない。でも、その見解で終わってしまったら、結局、イメージでものを語るような、常識に迎合するような、ものの見方しかできないぞ。そんなもん、妄想にすぎないぞ、もっとしっかり目をひらいて世の中を見ろ……と。
そうか、さすがブックマニア司悠司だ。文学賞だろうが、そうじゃなかろうが、とにかく文句いわずに本を読めと。読んで自分で判断しろ、ってことなんですね。肝に銘じます。
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