直木賞とは……批評家がおのれの生命を賭けてまで取り組む世界じゃない。――大岡昇平「盗作の証明」
大岡昇平「盗作の証明」(昭和54年/1979年6月・集英社刊『最初の目撃者』
所収)
そろそろネタに困ってきました。ほんとは「小説に描かれた直木賞」のことをツツキ回さなきゃいけないんですけど、今週は、中村光夫「『わが性の白書』」の回と同じような手法をとらせてもらいます。
直木賞は登場しない、だけど登場しないところに存在感を見出す、ってやつです。
短篇集『最初の目撃者』には、推理小説好きの大岡昇平さんが、30年の間に発表した推理短篇7つが収められています。
昭和25年/1950年に文春の編集者・上林吾郎さんに無理やり書かせられた「お艶殺し」(『オール讀物』12月号)からはじまり、驚きの日本推理作家協会賞受賞(昭和53年/1978年)をへて、昭和54年/1979年の「最初の目撃者」(『オール讀物』5月号)まで。そのうち、最後に発表された「最初の目撃者」と、同じころの「盗作の証明」(『小説新潮別冊』昭和54年/1979年春号)は、ともに推理仕立てであるだけでなく、文壇まわりのことを扱っている面でも、共通点があります。
文壇まわり、言い換えますと……作家が評論家・批評家に対して抱く、殺人にまで発展しちゃう恨みつらみ、みたいなものです。
ゴシップ好きにとっては、それぞれの作品が、現実のどの作家、どの事案をモデルにしているのかな、と興味がわきますよね。「盗作の証明」については、栗原裕一郎さんの『〈盗作〉の文学史』(平成20年/2008年6月・新曜社刊)に、「小説に描かれた盗作事件―小幡亮介「永遠に一日」」と一項が割かれて詳しく紹介されていますので、ぜひそちらをどうぞ。
「最初の目撃者」のほうは、昇平さんがこんなことを言っています。
「この作品は二十数年以前(引用者注:と言いますから、昭和30年/1955年前後?)、ある物故作家と物故批評家に関する文壇ゴシップにヒントを得ました。第1章の冒頭がそれですが、事件全体はまったくのフィクションです。実在の人名その他との一致は、偶然のものです。」(『オール讀物』昭和54年/1979年5月号より ―引用は『大岡昇平全集13』平成8年/1996年1月・筑摩書房刊「解題」より また『最初の目撃者』昭和54年/1979年6月・集英社刊「あとがき」にも全く同文がある)
だそうです。つまり、第1章の冒頭とは、30代そこそこの新進批評家・建部隆之介が、銀座のバーで、批評家仲間や編集者を前にして、おれが電話すれば10歳以上年上の流行作家・安城光春は絶対にやってくる、と威張りちらし、電話をしたらほんとうに安城がひょいひょいやってきた、って場面でしょうか。
そんなゴシップから昇平さんは、「ううむ、そりゃ作家の側に何か批評家に対して後ろめたいことがあったに違いない、その後ろめたさが増幅していくと相手を殺したくなるぐらいの事情が」……と想像力をふくらませます。そこに探偵役として推理作家・垂水兼人を登場させて、純文壇と推理文壇のあいだがらを、ちょっとしたトリックに使ったりするサービス精神まで発揮したりして。
でも、今回のハナシは「最初の目撃者」のほうじゃありません。「盗作の証明」です。
盗作騒動がこの物語の軸ですから、そっちの面を文壇ゴシップと混ぜ合わせて見ると、そりゃあ面白い。プラス、これを文学賞にまつわるせつない話、として読めば、さらに面白いってシロモノです。
作品冒頭、実在の賞が二つ、こっそり登場します。
『新文学』新人賞に応募していた同人誌作家・青井浩のところに、『新文学』の編集者から電話がかかってきます。青井の応募作が受賞作に選ばれた、と知らされる場面です。
「「受けて下さいますか」
と相手は言ったが、これはほんの形式で、谷崎賞や日本文学大賞とは違う。新人賞を断る人間はいない。貰うために応募したのだ。」(「盗作の証明」より)
公募の新人賞でも受賞を辞退する例は、なくはないみたいですけど、それはいいとして。公募じゃない、新人賞じゃない、そして辞退されることのある文学賞の例として、あえて二つ、昇平さんは谷崎潤一郎賞(中央公論社が勧進元)と日本文学大賞(新潮社)を例示しました。
この小説は『小説新潮』なんて読物雑誌に載っているけど、物語の舞台は、純文学方面のことなんですよ、と最初に昇平さんは読者にやさしく教えてくれているのです。
○
「「盗作の証明」は昨年六月のある新人賞で起った盗用事件と、佐々木基一氏発表の意見及び谷沢永一氏のそれに対する批判(「読書人の園遊」十月刊所収)にヒントを得ていますが、事件の経過、人名、地名その他、すべて作り事です。」(『最初の目撃者』昭和54年/1979年6月・集英社刊「あとがき」より)
と昇平さんは断ります。青井浩(本名・丸木浩)も、その年上の彼女である草鹿理恵(本名・友近理恵)も、浩の属する同人誌『セレナータ』も、彼が受賞した新人賞の主催誌『新文学』も、版元の天元社も、それから盗用問題に噛みついた中堅の辛口批評家・海野謙作も、すべては想像の産物、つくりものです。
とか言って、作品に出てくる固有名詞のなかには、あえて現実の事象を引き合いに出して語られているものだってあります。先の「谷崎賞、日本文学大賞」なんか、まさにそうです。それから、やっぱりこれ。来ました。「芥川賞」。
浩が新人賞を受賞したと聞いて、『セレナータ』の同人仲間たちがスナックに集まり、お祝いをします。その一情景。
「『セレナータ』で唯一人の女性同人で、薬師丸ひろ子に似ていると自称している橘亜希子も酔払って、
「浩、ついでに芥川賞取っちゃいなさい。あたし、前から浩、好きっ。今夜だけっ、許してね」
そして理恵を横目で見ながら、浩の口のまん中へキスした。」(「盗作の証明」より)
おうおう、たかが『新文学』新人賞受賞の段階でこれですからね。ほんとに芥川賞とっちゃったら、橘亜希子さんはいったいどんな行動で青井浩君を惑わせるのでしょう。こりゃあ、芥川賞をとれれば女にモテると妄想を抱く青少年が、いまも消えてなくならないわけですな。
それから、青井浩と草鹿理恵の二人のしあわせな姿を描く段においても、昇平さんは「芥川賞」のキーワードを持ってきます。
「「浩、やったわね」と理恵は言った。
「理恵のおかげだ。芥川賞をとったら結婚しよう」
「あはは、どうだかね。結婚しない女かもよ、あたし」
(引用者中略)
これはほんとうに二人の生涯の最高の日だった。同時に数々の不幸の始まりの日でも。」(同「盗作の証明」より)
さらにもう一声。次の章で、受賞作につづく作品の注文が、『新文学』以外の文芸誌からも寄せられたときのところでも。
「理恵は自分の看護婦の体験を描くことをすすめたが、浩はその前に最初に彼女と会った時の経験を書きたい、と言った。
「ぼくたちの記念のために――。社会的な主題もいいけど、当選第一作はぼくの年上の女体験を書くよ。その方がヴァラエティがあっていいだろう」
「ご勝手に」
理恵はそう言って、いまや芥川賞候補のうわさの出はじめた年下の男にキスした。二人の最良の日々はまだ続いていた。」(同「盗作の証明」より)
もちろん、「芥川賞」は二人にとって、まだ実現していない夢です。一文芸誌の新人賞を受賞した、まだ一作きりしか発表していない若者には、「芥川賞」が目の先にある、現実味を帯びてそこにある、そんな状態が「最高」「最良」の生活に結びついているのだと描かれています。
ただ、文学賞なんてそんな幸せ一辺倒なもんでもないんだよ、だって結局、いろんな人がいろんな思惑を突き合わせてやっていることだからね、幸福と不幸の両方の要素をもっているもんなんだよ。……てな世間の定理を体現した人物が登場して、二人の若者を奈落の底につきおとすことになります。
それが批評家・比較文学者の海野謙作、45歳です。
「彼の文学理論はアメリカの新批評の系統を引くもので少し古かったが、文学賞の選考委員会などでは、あくまで自説を主張して譲らなかった。従ってある程度、妥協の産物である文学賞の選考委員には敬遠され気味だった。すると彼は時たま文芸時評を受持つと、作品の批評よりも、自分の加わっていない賞の選考にけちをつけた。」(同「盗作の証明」より)
たとえ、青井浩&草鹿理恵のコンビが、盗作騒動にまき込まれずに、「芥川賞」とかそれ近くまで幸福なまま進めたとしても、いずれは文学賞のもつ不幸性の攻撃を受けることになっただろうな。世の中にゃあいろんな人がいるしな。また、そんないろんな人の意見のなかから、騒ぎになりそうがあれば臆面なく取り上げちゃう「『東都新聞』の匿名欄『大口小口』」みたいな媒体も、世の中にゃああるしな。……と思わせてくれるのが、この海野謙作の登場と、その後のなりゆきなのです。
○
「文学賞」の姿を形づくっているのは、主催する出版社の思惑だけじゃありません。内から外から既成作家や批評家がああだこうだと言い合うことも、「文学賞」の一つの要素でしょう。そしてそこから、昇平さんは、幸福と不幸を切り出して「盗作の証明」に書きました。
そうだよなあ。これじゃあ、「芥川賞」は出てきても「直木賞」は出てこないよなあ。なにせ直木賞は、あまり文芸評論、批評家、そういった方面からは興味をもってもらえなかったからなあ。「直木賞」の要素として、出版社、作家、マスコミ、出版流通、書店あたりは思いつくけど、批評家ってのはなかなか結びつけにくい現実があるからなあ。
作品のなかでは、自殺した青井浩の復讐をなしとげるために、海野謙作を殺すにいたった草鹿理恵が、海野にむかってこんな憤懣をぶちまけます。
「なにさ、海野謙作が、批評家? 結局ひとの悪口を言うことで、自分が偉いんだと見せびらかしたいんでしょう。この国をだめにしてる奴らをどうすることもできないくせに。あなたは自分では知らないだろうけど、芸術主義の仮面をかぶった無力の憎悪そのものなのよ。弱い者いじめして、うさ晴らししているだけなのよ。虚栄心と自尊心のかたまり、ただの害虫にすぎないのよ、あなたは」(同「盗作の証明」より)
批評家ってやつは、これほどまでに他人の感情を暴発させるほどの、ある意味おもしろい存在だと。
現実の直木賞の場でも、もうちょっと批評家たちが出しゃばって偉そうな口を聞いていたならば――。「盗作の証明」に、直木賞の三文字が書き加えられていたかもしれません。残念と言いますか、よかったと言いますか。
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