直木賞とは……流行作家になった友人を、ますます勢いに乗らせたもの。泣きっ面に蜂。――川上宗薫『流行作家』
川上宗薫『流行作家』(昭和48年/1973年6月・文藝春秋刊)
そりゃあ、川上宗薫さんは、芥川賞に対していろいろと鬱積・屈折・忸怩たる気持ちを抱えていました。
昭和29年/1954年~昭和35年/1960年ごろに、芥川賞周辺の世界にメタメタに打ちのめされて、それから10数年かけて、這い上がっていって、昭和48年/1973年に発表したのが小説「流行作家」(初出『別冊文藝春秋』123号。単行本化にあたり加筆)。まあ私小説みたいなもんです。
それでここには、宗薫さんが自分で仕掛けて自滅した、かの有名な「作家の喧嘩」事件も出てきます。
昭和36年/1961年に勃発した、川上宗薫 VS. 水上勉の事件です。
「市川が高校教師を辞めた段階においては、最小限、食べていけるだけの収入が予定されていた。その予定の中には、谷中の口ききによる仕事も入っていた。
処が、彼が高校の教師を辞めて約半年した頃、思いがけない失敗を彼はしでかした。頼みとする谷中を怒らせるようなことを彼はしてしまったのだ。十年以上前のことである。
彼は、流行作家の谷中をモデルに小説を書いたのである。もちろん、臆病な市川が、谷中を怒らせることを覚悟の上で書くわけがなかった。谷中を怒らせたりすれば、忽ち彼は生活の不安を感じなければならないからである。」(『流行作家』より)
で、ここに発する2人の確執と、宗薫さんの煩悶と、数年後(昭和44年/1969年、第61回直木賞を佐藤愛子がとったときの受賞パーティ)に訪れる2人の和解、についてはWikipediaにも取り上げられていて参考になります。
ただ、じっさいの事件(と思われる事柄)と、宗薫さん作『流行作家』の該当箇所を、注意深く読んでいくと、どうにも考えさせられる点があります。
直木賞って、いったい何なんだ、という点です。
○
まず『流行作家』のなかには、当然、芥川賞とおぼしき賞が描かれています。
そこでは「文学新人賞」って名前です。「市川は、文学新人賞の候補に三回続けてなったあと、また二回続けてなった。」というふうに。
じゃあ、直木賞は? こいつがまた、悔しいほど、ほとんど登場しません。
いや、登場しないぐらいなら、普通でしょうね。中村光夫さんだって「『わが性の白書』」では、あえて(いや、無意識のうちに)直木賞のことはバッサリ省略してますし。文学に精魂込めて打ちこむ人々のなかに、「文学賞といえば芥川賞だ、あとは知らん」の意識が根付いているのは、(昭和30年代、40年代にはとくに)きっと普通のことです。
でも宗薫さんは、『流行作家』のなかで、どうしても直木賞ふうの賞のことを、書かないですますわけにはいきませんでした。なにしろ、自分にノイローゼのタネをもたらした相手が、水上勉さんだったからです。
しかたなく宗薫さんは、直木賞(をモデルにした賞)のことを、こんなふうに表現します。
「市川は、雑誌が出る前に送られてきた刷出しを、その頃よく行っていた飲み屋の二階に谷中を呼んで見せた。
谷中は、その頃、まだ賞はもらっていなかったが、既に日の出の勢いに乗った流行作家だった。」
ん? 賞って直木賞のことかい? それとも日本探偵作家クラブ賞のこと?
いずれにしても宗薫さんにとって、水上勉は昭和36年/1961年春ごろには、「日の出の勢いに乗った流行作家」でした。
勢いに乗った、の表現は他にも出てきます。これもまた、「賞」のハナシとともに。
「市川が教師生活を止めて半年ほど経った頃、谷中が、新人文学賞とは別の文学賞をもらった。谷中はますます勢いに乗った感じである。
その頃、谷中と市川との間は、決裂して約二月が経っていた。
谷中がその文学賞をもらったことを知った時、市川は、泣きっ面に蜂というような気持になっていた。」
そう来たか。芥川賞のことを、ボヤかして表現しようとして「文学新人賞」または「新人文学賞」と書くのは、うん、これはようわかる。でも決して、直木賞を「もうひとつの文学新人賞」とかは言わないわけですね。口が裂けても。
「新人賞」じゃないどころか、流行作家をますます勢いに乗らせるシロモノだと。流行作家に対して嫉妬を感じている身にとっては、そのくすぶる心を一層焚きつける材料に過ぎないと。
「泣きっ面に蜂」ですか。水上さんが『霧と影』で一躍文名をあげたのは、泣きっ面、直木賞をとったのは、蜂。……決して直木賞が泣きっ面でないことに、注目しておきたいところです。宗薫さんにとっては。
○
さて、ではもういっぽうの水上勉さんは、当時のことをどう見ていたでしょうか。
昭和44年/1969年、宗薫さんと仲直りした直後に、水上さんは「冬日の道」という自叙伝を『東京新聞』夕刊に連載しています(10月20日~12月26日)。
「文壇に出られる縁は、いつに坂本(引用者注:河出書房の坂本一亀)さんに会わせた川上宗薫と坂本さんの私への親切心があったからだろうと思う。」
といった一文があるのも、きっとこの時期に書かれたからかもしれません。
そんな親切心から実になった『霧と影』ですが、これが出版されたあたりのことを、水上さんはこう回想します。
「私は「霧と影」で作家になれたとは思っていなかった。雑誌社から注文がきてこそ商売がなりたつというものである。一部の批評家の称賛をあびても、原稿依頼がなければ話にならない。」(昭和45年/1970年3月・中央公論社刊『冬日の道』所収「冬日の道」より)
それからまもなく『海の牙』やら『耳』やらを発表。それをもって周囲は、水上さんが飛ぶ鳥おとす勢いの「流行作家」になったと見なします。
宗薫さんがそう思っただけでもなさそうです。直木賞選考委員だった川口松太郎も、第45回(昭和36年/1961年・上半期)の選評で、「既に人気作家であり、彼の受賞にはジャーナリスティックな興味も薄れ、「やっぱりそうか」というような落胆感もあったようだが、」(『オール讀物』昭和36年/1961年10月号選評より)と書きのこしています。
わずか1~2年で、いろんな人が流行作家・人気作家と認める存在になりました。でも、水上さん本人は満足できません。空虚感すら生じた、と証言しています。
「約四カ月かかって、「海の牙」を完成している。(引用者中略)世評をあびたにかかわらず、作者としては、大きな不安が生じた。いや、不安というより、空虚感であった。(引用者中略)
ある程度、奇病の実態を訴え得た満足感はったにしても、推理小説では話にならなかった。それは絵空事の弱さであった。(引用者中略)私は、この二冊目の著書でにわかに社会派の名を冠せられたことへの恥ずかしさにうろたえ、世評が高まれば高まるほどに、冷たく背なかを吹く風を感じたのである。」
それで、推理小説じゃだめだ、もっと「人間を書く」ことをしたい、と念じて「雁の寺」を完成。これで3度目の直木賞候補にして、受賞にいたりました。ここでようやく水上さんは言うのです。
「陽かげを歩いてきて、はじめて陽をうけたのが、「雁の寺」での直木賞受賞である。私はあこがれの文壇に出たのだ。」
おいおい。『霧と影』やら『海の牙』やらでパーッと世間にその名が知られるようになったのは、あれ、ひなたじゃなかったのかい。賞をとる前の段階ですでに流行作家だった、と宗薫さんが描いた昭和34年/1959年~昭和36年/1961年ごろは、ずっと陽かげだったとおっしゃるんですかい。
と詰め寄るのは野暮でしょう。だって正直なところ、水上さんは、「直木賞受賞=文壇に出ることができたタイミング」なんだと主張されているんですから。
○
「賞なんて、とろうがとるまいが、売れているんだからいいじゃないか」。……っていうのは、今もって、直木賞の候補作家に対して周囲が感じる純粋な思いとして生きていますよね。ワタクシなど、毎回そういうふうに思います。
なんとなく、宗薫さんの気持ちも、その延長線上にあるような気がします。要は、芥川賞は賞をとることそのものに意味を見出せるけど、直木賞はちがう、流行作家がその賞をとったことで、はじめて感情をぶつける対象になった、って感じで書いちゃう宗薫さん。
でも水上さん自身は、その感覚とは微妙に違っていました。直木賞のことを、文壇に出たことを証明する装置、として受け止めています。
じっさいに直木賞がほんとに文壇へのパスポートだったかどうかは、別ですよ。ここでは水上さんが、そうとらえ、そしてそのことを十分に生かして作家人生を歩みはじめ、歩みつづけたことが重要です。
「売れていること」と、「文壇に出ること」は違う次元のものだ。と水上さんは切り離して考えることができ、しかもそれを実践することができました。そういう人には、「賞なんて、とろうがとるまいが……」とか言う第三者の言葉は、まるで意味のない慰めなのかもしれません。
宗薫さんはどうだったんだろうな。芥川賞は死ぬほど欲しかったんだろうけど。それがかなわぬとなったら、直木賞なんかよりも、売れて売れて売れまくることに興味が沸いてしまった口なのかな。
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