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2009年7月の6件の記事

2009年7月26日 (日)

直木賞とは……流行作家になった友人を、ますます勢いに乗らせたもの。泣きっ面に蜂。――川上宗薫『流行作家』

090726 川上宗薫『流行作家』(昭和48年/1973年6月・文藝春秋刊)

 そりゃあ、川上宗薫さんは、芥川賞に対していろいろと鬱積・屈折・忸怩たる気持ちを抱えていました。

 昭和29年/1954年~昭和35年/1960年ごろに、芥川賞周辺の世界にメタメタに打ちのめされて、それから10数年かけて、這い上がっていって、昭和48年/1973年に発表したのが小説「流行作家」(初出『別冊文藝春秋』123号。単行本化にあたり加筆)。まあ私小説みたいなもんです。

 それでここには、宗薫さんが自分で仕掛けて自滅した、かの有名な「作家の喧嘩」事件も出てきます。

 昭和36年/1961年に勃発した、川上宗薫 VS. 水上勉の事件です。

「市川が高校教師を辞めた段階においては、最小限、食べていけるだけの収入が予定されていた。その予定の中には、谷中の口ききによる仕事も入っていた。

 処が、彼が高校の教師を辞めて約半年した頃、思いがけない失敗を彼はしでかした。頼みとする谷中を怒らせるようなことを彼はしてしまったのだ。十年以上前のことである。

 彼は、流行作家の谷中をモデルに小説を書いたのである。もちろん、臆病な市川が、谷中を怒らせることを覚悟の上で書くわけがなかった。谷中を怒らせたりすれば、忽ち彼は生活の不安を感じなければならないからである。」(『流行作家』より)

 で、ここに発する2人の確執と、宗薫さんの煩悶と、数年後(昭和44年/1969年、第61回直木賞を佐藤愛子がとったときの受賞パーティ)に訪れる2人の和解、についてはWikipediaにも取り上げられていて参考になります。

 ただ、じっさいの事件(と思われる事柄)と、宗薫さん作『流行作家』の該当箇所を、注意深く読んでいくと、どうにも考えさせられる点があります。

 直木賞って、いったい何なんだ、という点です。

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2009年7月19日 (日)

直木賞とは……華々しさの象徴。そしてそれは、虐げられた推理文壇にとっての敵。――鮎川哲也『死者を笞打て』

090719 鮎川哲也『死者を笞打て』(昭和40年/1965年8月・講談社刊)

(←左書影は平成5年/1993年10月・講談社/講談社文庫)

※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。

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2009年7月15日 (水)

第141回直木賞(平成21年/2009年上半期)決定の夜に

 妥当でおだやかで、当然のごとくの決定を目のあたりにした今夜。13年半にわたる一人の作家さんの道のりを、しみじみと勝手に噛み締める夜。

 と、その前に。まずなすべきことがあります。ほかの5人の作家の方々だって、受賞作家に負けず劣らず、至福の読書体験を与えてくれました。そのことにお礼のことばを述べるのを、忘れるわけにはいきません。

 西川美和さんが、映像によるストーリーを愛する人たちだけじゃなく、それより断然少数派(ですよね?)の、活字中毒者たちに向けても、その才能を使ってくれて、うれしいかぎりです。『ディア・ドクター』の原案とか言いながら、原作でもなんでもなく、それぞれの小説が独立した活字の物語になっているところが、よけいにキュンときます。映画に比べりゃ、ちっぽけな市場だと思いますけど、まあ、今後もぜひ相手してください。

 貫井徳郎さんの『乱反射』は、正直ワタクシは、今回直木賞とれるんじゃないか、と思っていました。もしこれがとったら、近いうちにあの黄色いカバーが書店を席巻して、ン十万人の読者たちが、「直木賞受賞作」の名前だけで、どれどれと軽い気持ちで買っていって、その多くの人が、ガツーンと延髄斬りを叩き込まれた気分になるんだろうな、いひひひ。と、ひとりほくそえんでいました。……実現されずに残念です。

 葉室麟さんの未来は明るい、ということが今度の選考結果ではっきりしました。葉室さんはやっぱ、描く世界からして作風からして、コツコツ実績積み上げ型だったんですね。一発で選考委員をうならせることはできないかもしれない、けれど、何作も何作も繰り出すうちに、ボディブローのように効いてくる、そしていつかは受賞してしまう、っていうあの型です。ですよね、藤沢周平さんも乙川優三郎さんも、そうでしたもん。

 ほっ、とワタクシが安堵したのは、万城目学さんのことを考えてのことではありません。『別冊文藝春秋』誌のことを、心から心配していたからです。『別冊文春』には、一度、直木賞なんちゅう化けものから離れてほしいのです。しばらく「うちの雑誌からは絶対に直木賞候補なんか出さない」ってな気持ちで、編集してみたら、全然ちがうテイストが滲み出てきて、強い雑誌になりそうな気がします。……それにしても直木賞は、またもや万城目さんをタネに新風を吹かせるチャンスを、みすみす逃してしまったんですねえ。惜しいことでした。

 道尾秀介さんは、たぶん大丈夫だと思いますが、2度も連続で候補に挙がっちゃったりすると、直木賞のせいで道尾さんの視線がブレちゃうんじゃないか、とヒヤヒヤします。絶対に直木賞のチョッカイなどに惑わされず、おのれの世界を突き進んでくださることを一読者として切に祈ります。「直木賞のほうが将来そうとう変わらなきゃ、とうてい道尾さんの受賞なぞないぜ」、ってなぐらいの路線を突っ走るのが、きっと道尾さんにはお似合いです。都筑道夫さんのように。

          ○

 2年前、第137回(平成19年/2007年・上半期)で『玻璃の天』が選ばれなかったとき、その夜、ワタクシは書きました「勝手にワタクシは、北村さんは“直木賞逃した実力派人気エンターテインメント作家”のお一人だと確信しています」と。これまで北村薫さんには、13年半にわたって、作品そのものとは関係ない部分で、ワタクシら読者(とかマスコミとか文春とか)に付き合ってくださって、ハラハラドキドキたのしませていただきました。すべて、北村さんがキレずに我慢して、候補の打診を受けつづけてくださったからこそです。ほんと、感謝です。

 それにしても『スキップ』や『ターン』の頃から、北村さんを受賞者リストに加えるまでに、なんとまあ、直木賞は13年半もかかっちゃいましたか。あーあ。あまりに遅すぎて、直木賞を叱る気力もわきません。逆に慰めたい気分です。直木賞君よ、たしかにきみは鈍足だ。でも鈍足には鈍足なりのかわいらしさがあるさ。

 受賞作『鷺と雪』が、これからもっともっと多くの人の手に届くのは、いいことです。でも、どう考えたって、『街の灯』と『玻璃の天』と、それから『鷺と雪』というふうに三つ連作で読まないと、せっかくの受賞作もぞんぶんに楽しめないんだと思います。ってことで、これから読まれる方に、お節介なアドバイスをするとすれば、この3冊完結でもって北村さんは直木賞を受賞したのだと理解して、三つともお読みください。

 ……って、あらら、完全に文藝春秋の術中にハマっちゃっているわ。悔しいけど、今度もまんまと文春にハメられちゃったよ。

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まもなく。

 いやあ、楽しみだなあ。

 今日(7月15日)の17:00から、第141回直木賞の選考会。

 以下、高橋一清さん(元・文藝春秋編集者、元・日本文学振興会理事長)の著書『編集者魂』(平成20年/2008年12月・青志社刊)からの引用です。

「選考会での司会進行役は、芥川賞は「文藝春秋」、直木賞は「オール讀物」の編集長がつとめる。初めに「予選通過作を候補作として討議していただくことに異議はないか」を確かめ、同意を得て選考に入る。ここで、初めて「候補作」というのである。」

 そうだった。まだ、『鷺と雪』やら『プリンセス・トヨトミ』やらは、候補作と呼んではいけないのでしたね。

「最初はそれぞれの作品に○△×で印象点をうかがう。欠席の委員の書面回答も、この中に入れる。これを○を1点、△を0.5点、×を0として数値化する。(引用者中略)

 次に数値の低い方から、委員が感想を述べる。それぞれの作品に対しての率直な意見は、筆者が聞いていたら卒倒してしまうほど、厳しい内容である。選考会が非公開の理由がここにある。公開であればここまで自由に本音を口にするわけにいかない。そうすれば審議も中途半端なものになってしまうだろう。」

 十分、審議しちゃってください。数時間後をたのしみに待っています。

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2009年7月12日 (日)

第141回直木賞(平成21年/2009年上半期)候補のことをもっと知るために、歩んだ足跡を数えてみる。

 刻一刻と、第141回(平成21年/2009年・上半期)の選考会の日が近づいてきました。いつもこの時期になると、ワタクシはうずうずと分析ダマシイがうずいてきます。

 たとえば「KKさんはもう何作も著作物があって、どう考えてもとれるにちがいない」とか、「MNさんはまだ作家としてはデビューしたてだから、今回は顔みせ程度で終わるだろう」とか、ふっと思いつく自分の感覚に、自信がなくなってくるのです。

 だって、そんなの、印象だけじゃなかろうか。じっさいに過去のデータを計測して並べてみてみないと、どうにも寝つきが悪い。

 直木賞は、ほかの並みいる文学賞とちがって「新人からベテランまで」幅広く対象にすることに生き甲斐を見出している賞です(ん?)。でも、どれくらい幅広いのか、やっぱ視覚的に表現されてないと、わからないですよね。

 ベテラン度をはかるためには、デビューしてからの年数で見たり、直木賞候補に挙がった回数を数えてみたり(これはちょっと違うか)、いろいろ観点はありそうです。そういったなかで今回は、書店員さん・図書館員さん必見のデータを使うことにしました。

 作家の足跡=出版した小説本の数、です。

 その数をマーク化して並べてみると……、うわ、一目瞭然。

北村薫51冊) Book_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_greenBook_greenBook_greenBook_greenBook_greenBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_gray

貫井徳郎44冊) Book_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_greenBook_greenBook_greenBook_greenBook_greenBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_grayBook_gray

道尾秀介13冊) Book_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_greenBook_greenBook_grayBook_gray

葉室麟6冊) Book_redBook_redBook_redBook_redBook_redBook_gray

万城目学4冊) Book_redBook_redBook_redBook_gray

西川美和2冊) Book_redBook_gray

 ……って全然、瞭然としてないじゃんか、ですと? ほんと、ごもっとも。

 そうか、第141回の分だけしか見てないからダメなんだ。過去までひもといてみれば視界は開けてくるんじゃないか。と気づいてしまったあなた。直木賞ワールドの魔の領域に、足を踏み込んでしまいましたな。

 で、魔界の探索に出かけるまえに、少々注釈が必要です。この場合の「冊数」とは、何をどうやって数えた数なのか。次のルールに基づいています。なので、数え方によっては異なった結果が出るかもしれません。

※上半期の候補ならその年の6月まで、下半期の候補ならその年の12月までに、出版された小説の数です。ただし、そのとき候補になった作品自体は除きます。

※対象は原則的に単著のみです。

※できるかぎり「小説」だけを数えます。エッセイ、マンガ、研究書の類は省きます。

※別名義で発表した小説は省きます。

※上・下巻など物理的に複数の本の場合、同時期に刊行されているものは「1冊」と数えます。

Book_red…新書版・文庫版以外の本 Book_green…新書版(ノベルスなど) Book_gray…文庫版

 さてさて、魔界の奥底は目のとどかないほど深く、さかのぼれば70数年前までさかのぼれちゃいます。危険です。とりあえずは、最近100人の候補作家の分だけをチェックすることにしましょう。最新の候補作家、西川美和さんからたどりたどって100人前の候補は、19年前、第104回(平成2年/1990年・下半期)ではじめて候補にあがった東郷隆さんです。

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2009年7月 5日 (日)

第141回直木賞(平成21年/2009年上半期)候補のことをもっと知るために、本人たちの声に耳を傾ける。

 今度、第141回(平成21年/2009年・上半期)には6人の方々が候補に挙がりました。その名前をみて、「なあんだ。また、みんな知ってる人ばかりだ。つまんないの」と、最近の直木賞の“有名作家主義”にげんなりした方もいるでしょう。そんな方には、すみません、今日のエントリーはお役に立てません。

 「がーん。ほとんど読んだことのない作家ばかりだ」とか、「だ~れも知りません」とか、つぶやいている方。さあ、顔をあげてください。あなたのような人のために、直木賞はあるのですから。

 かくいうワタクシも、こんなブログや、親サイトをやっていますけどね、新しい作品・新しい作家にはトンとうといわけでして、新しい候補作家たちについて知っていることなど、ほとんどありません。選考会の7月15日(水)までまだあと2週間弱あります。その日を楽しく迎えられるように、ちょっとずつ知識を深めていきたいところです。

 それで今日は、候補作家ご本人たちの声に耳を傾けたいと思います。

 だって選考会の日がくれば、先輩作家たちが、ああだこうだと、6つの候補作を丁寧に切り刻んで、それぞれ独自の評価をくだしちゃいます。たぶん、ワタクシのように、その作品を直木賞を通して知った人間にとっては、いやがおうにも、それらの選考委員の言葉に振り回されてしまいます。が、待ってください。それじゃあまりにも不公平です。一方的すぎます。

 「でもさ。作者本人の声を聞こうだなんて邪道だよ。作品は、発表された瞬間に作者の手を離れるんだから、あとは読み手が判断すればいい」。ってこれ、まっとうな考え方です。

 でもね、直木賞(とか文学賞)を、まっとうな尺度ではかってどうするんですか。まさかあなたは直木賞をまっとうなものだと信じているのですか。この世に読者は何十万人も何百万人もいるのに、そのなかのたった数人が、たった数時間の会議でくだす判断を、特別に価値あるものとして囃し立てて、その結果にワーワーと騒ぐ。ね。全然まっとうじゃないですよね。くだらないですよね。馬鹿馬鹿しいですよね。……ワタクシはこの、くだらない感じが大好きです。むちゃくちゃ楽しいと感じます。

 やばい。ハナシがズレてきた。

 要は、構図として候補作家は自分の作品を選考委員にどう切り刻まれようと耐えるしかありません。なので今のうちに、候補の方々の言い分も聞いておきたいな、ってことです。この6人の作家たちは、今回の作品をどんな思いで、どんな気持ちをこめて書いたのかを知っておこう、ってことです。

『鷺と雪』……北村薫さんいわく

「とにかく平和があり、明日の命を心配する生活ではない、という点では日本は世界でも恵まれた状況でしょう。この現状と、格差社会どころか信じられないような貧富の差があった昭和初期において、富裕階級という安定した社会に居る主人公たちとが重なるのではないかと」(『別冊文藝春秋』平成21年/2009年5月号「book Trek」より)

『きのうの神さま』……西川美和さんいわく

「死にたがっている長寿の人の話を聞くと、ざわざわするんです。毎日が退屈で『(生きることに)もう飽きちゃった』とあっけらかんと言ったり。そのタフさや俗っぽさも含めて、人間は面白い。生と死のグロテスクさ、えぐみを書きたかったのかなと思います」(『静岡新聞』平成21年/2009年6月29日「映画監督・西川美和さん―生と死のえぐみ書きたい」より)

『乱反射』……貫井徳郎さんいわく

「大事なのは、自分の些細な行動が他人に大きな影響を与えているかもしれないという想像力。この本を多くの人に読んでもらって、頭の片隅で『もしかしたら』と考えてほしいんです。小説が世の中に対して影響をもつなんて考えはおこがましいですが、可能性がゼロじゃないなら書く意味があると信じて、祈るような気持ちで原稿に向かっていました」(『オール讀物』平成21年/2009年5月号「ブックトーク」より)

『秋月記』……葉室麟さんいわく

「勝てないとわかっていても、戦わねばならない時があります。秋月藩の男たちも負けを覚悟して戦い、最後は敗れます。しかし、負けて終わりなのではなく、その先に何かがあった。負けてもなお心が折れない男たちを書くには、架空の小説より、史実に基づくほうがリアリティーが出ると考えました」(『毎日新聞』平成21年/2009年2月22日「今週の本棚・本と人」より)

『プリンセス・トヨトミ』……万城目学さんいわく

「『鹿男あをによし』(幻冬舎)の中で鹿に「人間は文字で書かないとなんでもかんでも忘れてしまう」ということを言わせていますが、鹿は人間が文字に残さないがため忘れてしまったことを代々伝える生き物として登場させているんです。今度の作品では逆に、人間自身が文字にするのを自ら禁止して、人と人の間で口承で伝え続けていたらどうだろうと思いました。」(『本の話』平成21年/2009年3月号「著者インタビュー もう一つの大阪が明らかに」より)

『鬼の跫音』……道尾秀介さんいわく

「昔、都筑(引用者注:都筑道夫)さんの『怪奇小説という題名の怪奇小説』を読んだときに『ここに混沌がいた!』と思ったんですね。エッセイだか小説だかわからない、SFでもないし、何だかわけがわからないけど一生忘れない、すごくインパクトのある本で、こういう混沌的なというか、目鼻をつけたら死んでしまうような話を書くのが夢だったんです。今回の短編集で、少しはそれが出来たかなという気がしています」(『ダ・ヴィンチ』平成21年/2009年3月号「こんげつのブックマークEX」より)

 この6人のうち5人の方は、すでに直木賞候補を経験ずみです。選考委員から何だかんだと難癖つけられたことがあります。直木賞オタクとしては、やはりそういった過去の「一方的通告」と対比させながら、候補の方々の発言を読んで(深読みして)、どうにも胸がわくわくしてきちゃいます。

 ほら、こんなふうに。

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