直木賞とは……「芸術としての文学」とは正反対にある、俗悪な散文すべて。――中村光夫「『わが性の白書』」
中村光夫「『わが性の白書』」(昭和38年/1963年11月・講談社刊)
このカテゴリーテーマはまだ2週目です。それなのに、早くも本題から外れた小説を取り上げてしまうのは、心の痛いかぎりです。
40数年前……と言いますから、直木賞でいえばちょうど第50回(昭和38年/1963年・下半期)を迎えたころのこと。話題作「『わが性の白書』」が世に登場しました。
しかし正直いって、ここには直木賞も、それを連想させる文学賞も登場しません。
当たり前だ、中村光夫が直木賞のことなんか触れるわきゃないだろ。と鼻で笑う気持ちもわからんでもないのです。ないんですが、直木賞オタクともなると、当時の芥川賞選考委員・中村光夫さんが、芥川賞をパロった「新人賞」を描いたり、大衆雑誌とか婦人雑誌とかのことを皮肉ったりしている小説を書いて、それでも直木賞ふうの賞のことは完全に埒外に置いたその不在の感じに、逆に直木賞の亡霊が見えてきたりするんですから、いや、手に負えません。
内容紹介の前に、簡単な書誌を挙げておきます。
- 初出『群像』昭和38年/1963年10月号
- 単行本 昭和38年/1963年11月・講談社刊
- 新書判 昭和40年/1965年6月・講談社/ロマン・ブックス
- 全集 昭和47年/1972年5月・筑摩書房刊『中村光夫全集 第十五巻 戯曲・小説(一)』所収
- 文庫 平成6年/1994年9月・講談社/講談社文芸文庫
この作品がいきなり講談社から書き下ろしで発表されたのだったら、杉戸一彦の『わが性の白書』と同じことになって、もっと面白かったんですけどね、現実はそれほどうまくはいかないもののようです。
で、杉戸一彦っていうのは、中村さんの「『わが性の白書』」に出てくる(といっても、物語は彼の葬式から始まるんですが)流行らない小説家です。死後、彼の遺した「わが性の白書――墓の彼方より」っていう350枚の原稿が見つかります。
これは杉戸の性生活の告白で、相手の名前とかも実名で書かれていて、杉戸の昔からの文学仲間、大学助教授で文芸評論家の永田了介のことが出てくるばかりでなく、了介の妻いつ子との不倫関係も描かれている代物。この評判になること請け合いの原稿を発見したのは出版社の現代社。担当者は吉井昭次といって、赤字つづきの文芸誌『現代文学』の編集長です。
現代社は大々的な広告をうって、また映画化の話も取りつけてきたりして、杉戸の遺作を売り込みにかかります。そして、モデル……しかも性生活や不倫といった話題のモデルとなった永田了介と妻いつ子の周辺も、もちろん穏やかなままではいきません。
といった筋で話は運びます。まあ、中村さんの「『わが性の白書』」のもつ文学性とか価値とかは、どうぞまじめに文学研究されている方々に預けるとして、ここでは直木賞のことにだけ視点を合わせます。いや、芥川賞のことですか。
永田いつ子は、杉戸の遺作が出た後に、『現代文学』に初めての小説「夜よ、ふたたび」を発表。これが好評で、いろんな雑誌から注文がくるようになります。次第に、今度の「新人賞」の有力な候補としていつ子の名前が取り沙汰されるようになるんですが、その頃の了介といつ子の会話。
「「(引用者前略)それより新人賞なんかもらわない方がいいよ。人に怨まれて損するだけだ。あんまり早くもらうと。」
了介は、本気で云った。
「うらむなんてわずかでしょう。もらおうと思ってた人だけですもの。」
「そうじゃないさ、誰もがみとめる時期があるんだ。賞をとるにはね。」
「作品がすぐれていればいいわけじゃないの。」
「理窟としてはそうだよ。だけど、作品の水準なんて似たりよったりなんだ、新人賞の場合は。委員によって評価が違うしね。だから、経歴がどうしても参考になる。」
「おかしいわね、そんな。新人賞でなくて旧人賞じゃないの。」」
おかしいですよね、いつ子さん。ワタクシもそう思います。
でも、これを何らおかしいと感じなくなって、はじめて「現代」人なのかも。ああ、ただ純粋に候補作品だけをもって選考しようとして、その果てに選考委員の椅子を蹴った城山三郎さんの純心さがなつかしい。
○
先に引用した箇所からしばらく、「新人賞」のことが続きます。
「了介は妻の顔をみた。その表情は真剣だった。そこには見なれた妻とも彼の考える芸術家とも、まったく別な新しい型の女がいた。
むろん文学賞をほしがるのが異常なのではない。名誉欲が芸術家の天性なのは、了介自身の経験からもよくわかっていた。しかしそれが政治家のなどと違うのは、芸術にたずさわることが、利害や成敗を無視した献身であるからと了介は信じていた。彼が文壇にでたころは、戦後といっても、こういう古風な気質が強く残っていた。(引用者中略)
それがいまでは文学者が正直になったのか、いつ子のように作家になったかどうかわからぬ女まで、文学賞を公然とほしがる。
了介が芸術の世界にだけはまだあるように信じていた慎しみや羞みなどの美徳も、実際はもう記憶のなかの幻にすぎず、それらが悪徳に変ってしまった新しい秩序がジャーナリズムの世界にできて、妻がそこに泳ぎだしているのかも知れない。」
中村さんの意識は、そりゃあ、「芸術」=「文学」の側にあるのであって、その世界にいるはずの人間たちが、ジャーナリズムの攻勢で変容し、また文学の「新人賞」もジャーナリズムの洪水で変形してきた、ってハナシなんでしょう。「文学」の人たちは、それで怖がったり抵抗したりしていりゃいいでしょうが、さて直木賞はどうでしょう。
直木賞は、最初の段階で「大衆文芸」……ってことは、つまり「ジャーナリズムなき場所では発生も発展もし得なかったジャンル」に与える賞だと謳ってしまいました。そのことで、たぶんかなりの人が目をくらまされ、誤解したのじゃないだろうか、とワタクシは疑っています。菊池寛や佐佐木茂索のねらいは、たしかにそうだったかもしれないけど、実際の「直木賞」は、全然ちがう性質をもってここまで生きながらえてきた、と見たほうがシックリきます。
じゃあ「ちがう性質」って何なんだ。……一言で説明するのはキツいんですけど、無理に表現するなら、「文学、と認めてくれる人の少ない散文作品」と言いましょうか。俗っぽくいえば、アンチ芥川賞の世界、と言いましょうか。中村さん(いや、永田了介)の言葉を借りるなら、とても芸術と言えないシロモノたち、と言いましょうか。
なので、永田了介ら文学者がまゆをひそめるあらゆる作品こそが、現実的には直木賞の取り上げてきたものでした。決してそれらは「大衆文芸」だけじゃないですよ。いくつかは、拙ブログの「これぞ名候補作」でも取り上げましたけど、石川桂郎の『妻の温泉』や飯尾憲士の「自決」を大衆文芸と言い張る勇気が、ワタクシには沸いてきません。
○
「『わが性の白書』」において、まゆをひそめられている(かどうかは異論ありそうですが)事象を、ちょっと挙げてみましょうか。
まず中沢寅次なる人物。杉戸や了介の昔の仲間でありながら、週刊誌に時代小説を書き出して流行作家になった人です。
「「やあ、どうも、おそくなって。」
てりのでた赤ら顔で、中沢寅次が、わざと大声をあげた。(引用者中略)
杉戸の写真の前にすわると、頭をたれて合掌していたが、すぐけろりとした顔で食卓について盃をあげた。人中での彼の行動はすべて芝居じみていた。」
この中沢が、新人賞についていつ子にアドバイスを贈ります。次のような感じです。
「「面白いこと云ったわ。新人賞の詮衡が近づいたら、あんまり読みものを書きちらさない方がいい、審査員の印象が悪くなるからですって。」(引用者中略)「だから、そのためにも早く貰った方がいいって。とってしまえば、あと、なに書いたって文句がでない。大衆作家がうんと稼いだのはむかしのことで、いま流行作家になる一番の早道は純文学の作家になることだ、自分がいい例だって。」」
さすが、40年前の、純文学あがりの大衆作家は言うことが違いますなあ。
それと、読物雑誌、婦人誌、週刊誌などもいろいろ槍玉にあがっています。
現代社は文芸誌のほかに読物雑誌を出しています。名前は『オール小説』。文芸誌『現代文学』との力関係は、こんなふうです。
「(引用者注:『現代文学』のことを)社長も口先きでは激励してくれたが、実際に経費を請求すると、もうかっている「オール小説」とはまるきり金のだしぶりが違った。
「オール小説」の売行が、週刊誌におされて減ってきてから、ことに風当りが強くなった。
「大きな顔するな、俺達が食わしてやってるんじゃないか」「儲けなくてもいい雑誌は羨しいよ」などの陰口が「オール小説」の編集員から聞えてきた。」
ううむ、まさに「『わが性の白書』」を一挙掲載したK談社の『G像』誌のハナシを聞いているような(大久保房男『終戦後文壇見聞記』のエントリーをご参照あれ)。
その『現代文学』の若き編集者、北山が話題のご婦人である永田いつ子に、自分のところに小説を書いてくれと頼むシーン。いつ子が、すでにどこかの婦人雑誌から小説の依頼を受けているらしいことを聞いて、
「「およしになった方がいいですね。」北山はずばりと云った。「初めての小説を婦人雑誌に書いたら通俗作家にされちまいますよ。」(引用者中略)「『現代文学』にのれば、どんなに評判が悪くても、一応純文学の作品になる、そこが大事なんです。一旦純文学の作家ということになれば、通俗小説をいくら書いても、その資格はなくならない。通俗作家の方は純文学を書くわけには行かないんです。」(引用者中略)
云われて見れば、たしかにそれは事実だった。どうしてこういう奇妙な習慣ができたのか、いつ子にはわからなかった。」
そうですか、やっぱり筒井康隆さんが歩んだ道のりは偉大ですなあ。
終始こんな調子で、文壇をとりまく話題がパロりパロられ、ストーリーのあいだあいだに差し挟まれます。それで、「新人賞」(作品のなかには具体的な賞名は出てきません)といえば、純文学の賞のことです。それ以外に別のジャンルを扱う賞があることなど、出てきません。
逆に、「大衆文芸の新人賞」みたいなかたちで、直木賞っぽいものが出てこなくて、正直ホッとしました。たぶん直木賞を「『わが性の白書』」のなかに組み込むとしたら、大衆文芸、通俗小説、週刊誌小説、ジャーナリズムに食い物にされる小説、純文学あがりの薹の立った中堅作家、それら全部……つまり「文学」とか「芸術」とは真反対の、すべての俗悪なものを対象にした賞、っていうかたちになったでしょう。
それはそれで読みたかった気もしますが。まあ、直木賞っぽいものが出てこないのは、中村光夫さんがそんなものに、興味も関心もなかっただけなんでしょうけど。
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