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2009年6月 7日 (日)

とある組織をあたふたさせた、一人の女の余計な発言と、一人の男の怒り。 第128回候補 横山秀夫『半落ち』

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  • 【歴史的重要度】… 5
  • 【一般的無名度】… 1
  • 【極私的推奨度】… 3

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第128回(平成14年/2002年・下半期)候補作

横山秀夫『半落ち』(平成14年/2002年9月・講談社刊)

 第128回(平成14年/2002年・下半期)は、ほんとは直木賞史のなかでも、のちのち語り継がれるほどの特異な回であるはずでした。ワタクシ、直木賞オタクなものですから、正直いってそのテーマで一本エントリーを書き尽くしたかったのです。

 でも、たぶんよほどの直木賞オタクでないと、その特異さは理解していただけないし面白がってもらえないと推測します。なので、やっぱり今日は、多数の方が興味をもたれるハナシを書くことにします。

 うちの親サイトは、一年のうち2か月を除いて、平常はさしてアクセス数の多くないサイトです。そんな低アクセスの時期でも、けっこう見に来てくれる人の多いページがあります。「横山秀夫氏の「直木賞決別宣言」について」です。

 ほんと、あなたも他人の揉めゴトがお好きですのう。えへへ。ワタクシもそうです。人気作家が直木賞候補になって、落とされて、どうやらその選考の経過に不満を抱いて、もう金輪際おれの作品を候補にするのはやめてくれと、堂々、宣言したと。

 うちの親サイトのページを書いたのが平成15年/2003年6月末。それから先、大して調査を深めることもせず、放ったらかしにしてしまいました。当該ページでは、事実関係について6年ぶりに加筆したんですが、そいつをもとに余聞と余分な事項を、ここに書かせてもらいます。

 まず、横山秀夫さんの直木賞決別宣言にまつわる事柄を、時系列でまとめてみます。

  • 平成14年/2002年9月 講談社より『半落ち』刊行(初出は『小説現代』平成13年/2001年3月号~平成14年/2002年4月号)

  • 同年12月 『このミステリーがすごい!2003年版』(宝島社刊)の国内編で『半落ち』が第一位となる。

  • 同年12月 『週刊文春』(文藝春秋刊)の「ミステリーベスト10」国内部門で『半落ち』が第一位となる。

  • 平成15年/2003年1月 第128回直木賞候補となる。

  • 同年1月16日 選考会が開かれ落選。この回は受賞作なし。

  • 同年同日 選考後に、選考経過を林真理子委員が記者会見。

    「林さんは『半落ち』について、ミステリーとしてでき過ぎではないか、アルツハイマーの奥さんを殺す設定は安易じゃないか、あまりにも善意の人に満ちていて最後が弱く、小説としても決定打に欠けるという意見が大勢を占めた、と選考経過を紹介した。

     さらに(1)北方謙三さんから、受刑者はドナーとして提供できないという指摘があった(2)渡辺淳一さんから、そういう欠陥があるのに誰もわからなかったのか、今のミステリー業界はちょっとよくないんじゃないか、という発言があった――とも明らかにした。」
    (『毎日新聞』夕刊 平成15年/2003年5月28日「小説と現実の間で 広がった不幸な溝」より 執筆:重里徹也)

  • 同年1月23日 『毎日新聞』夕刊が、直木賞選考会が『半落ち』にはミスがあると指摘したことを重点的に取り上げる。

    (引用者注:選考会で)北方謙三さんが、物語のポイントについて「基本的な事実関係の解釈に間違った点がある」と指摘した。(引用者中略)落選したのは、この理由ばかりではないが、出版界では北方さんの指摘が話題になっている。(引用者中略)

     横山さんはこれらの事態について「この問題は承知していた。そのうえで、警部にどんな行動をさせたらふさわしいかを考えた。彼の内面を重視した物語にしたかったので現行の形で書いたのです」と語る。講談社も「致命的な思い違いがあるわけではない」として、書き直しの検討などは考えていない。」
    (『毎日新聞』夕刊 平成15年/2003年1月23日「直木賞候補『半落ち』で評価真っ二つ ミステリーの現実性めぐり議論」より 執筆:内藤麻里子)

  • 同年その頃 講談社がホームページ上で、選考経過への反論を掲載。

    「これに対し、出版元の講談社はすぐに文芸局長名の反論をホームページに掲載。「充分(じゅうぶん)な調査を重ねた上で、このケースは妥当な設定であると判断……問題の核心に迫る先見性を備えている」と、欠陥説を一蹴(いっしゅう)した。」(『朝日新聞』平成15年/2003年3月19日「小説「半落ち」は欠陥作か傑作か 主人公の行動可能?…異例の論争」より)

  • 同年その頃 横山氏自身、「欠陥」と指摘された箇所について、あらためて再取材を行う。その結果、作品のなかに事実誤認はなかったと確信、主催者の日本文学振興会に、事実の再検証をするように申し入れる。

  • 同年2月20日頃 『オール讀物』3月号発売。直木賞の選評が掲載される。ここでも記者会見の内容と同様の、「この作品には事実誤認がある」「それを見抜けなかったミステリー界にも問題がある」「それにもかかわらずこの本はいまだに売れ続けている」といった文章があった。

  • 同年3月 横山氏、おおやけに選考会での指摘に対する反論を行う決意を固める。

  • 同年3月19日 『朝日新聞』が文化欄に「小説「半落ち」は欠陥作か傑作か 主人公の行動可能?…異例の論争」を掲載。横山氏からの反論を載せる。ここで横山氏は(直木賞に)今後、作品をゆだねる気には到底ならない」とコメント。

  • 同年3月31日 上記のコメントを受けて、『上毛新聞』が横山氏へのインタビュー記事「人間の矜持保ち次の一歩進める 直木賞への決別宣言 「半落ち」の横山秀夫さん」を掲載。

 と、ここまでが、いわゆる「直木賞決別宣言」までのおおまかな流れです。

 3月19日の朝日新聞の記事は、『半落ち』に関して論争がまきおこってますよ、と伝える主旨のものでした。たとえば佐野洋さんとか北上次郎さんとかのコメントを載せつつ、北方謙三さんが選考会で行った「欠陥に対する指摘」は正しかったのかを検証しています。そのなかで作者本人が、作品内容の重要なことを明かしてまで反論するに至ったことを記事にしたものです。

「『半落ち』は選考会後も3度の増刷がかかり、現在27万部。「欠陥」説に反論するためには、結末を明かさざるを得ず、作者・出版社にとって、正面から受けて立ちにくい状況だった。

 しかし、「オール読物」3月号の選評に「落ちに欠陥がある……しかし、それほど問題にもならず、未(いま)だに本は売れ続けている。一般読者と実作者とは、こだわるポイントが違うのだろうか」(林さん
(引用者注:林真理子))と書かれていたため、横山さんは「読者までも侮辱された」と感じ、作者として反論する意思を固めた。

 横山さんは「ミスではないと思っている。たとえミスがあったとしても、作品個々の良しあしを論ずるべき選考会の講評で、ミステリーという特定のジャンル批判に及ぶなど言語道断。その後もあらぬ批判が繰り返され、直木賞という権威を笠に着たおごりとしか思えない。今後、作品をゆだねる気には到底ならない」と怒りを隠さない。」
(前掲『朝日新聞』記事より)

 事実上、このコメントをもって、横山秀夫さんの直木賞決別宣言が行われた、ととることができます。

 ただ、これだけではまだ、売り言葉に買い言葉ふうで、怒った勢いで語ってしまったコメントとも読めます。いや、横山さんは本気で、今後いっさい直木賞の候補になるのを拒否するんだな、とワタクシたちに知らされたのが、『上毛新聞』のインタビューでした。

「―「事実誤認はない」のだから、直木賞の主催者、日本文学振興会に疑義を呈した。

「できないと断ずる根拠を示してほしいと申し入れたが、明確な回答がないまま2カ月以上も店晒(たなざら)しにされた。その間、主催者や選考会が再検証を行ったという話も聞かない。要するに、権威ある直木賞選考会の決定は絶対であり、ノミネート作品が傷つこうが死のうが、知ったことではないということだ。それがために、ミスがあったという誤った事実が一人歩きを続け、揚げ句は、ミステリー界や読者を誹謗(ひぼう)する論外な発言までをも誘発した」

―「今後、直木賞に作品を委ねる気はない」と発言しているが。

「もちろん欲しい賞だった。『黙して次のチャンスを待つ』というさもしい考えが頭にちらついたことも確かだが、読者との暗黙の約束もある。これまで、窮地に追い込まれても次の一歩を踏み出す人間の矜持(きょうじ)を描いてきた。作者と作品は無縁ではあり得ない。今回のことを看過してしまっては、作家として一歩も前に進めない。一行たりとも書くことができない」」
(前掲『上毛新聞』記事より)

 それ以後、「決別宣言」に関する記事はいくつかの新聞・雑誌に載りますが、そこで横山さんが語る決別の真意は、ほぼこの記事どおりのものです。

 まあ、横山さんの怒りを沸騰させたのは、主催者の日本文学振興会が、横山さんからの訴えを無視した、っていう姿勢にありそうです。でもさかのぼれば、そもそも騒動に火をつけた真犯人が、林真理子さんであったことは自明の理。

 作品の論評だけしてりゃよかったものをねえ。わざわざ、ミスを見抜けなかったミステリー界がどうだだの、欠陥作品を感動作とか言って買ってる読者のなんとまあ多いことよだの、作品評とは関係ないことを、ぬけぬけ語っちゃう真理子さん。そうか、彼女が一介のコピーライターからここまで人気を博してやってこれたのも、歯に衣きせぬ発言っていいますか、けっこう多くの人が不快に思うにちがいないことをあえて口に出してきたからだもんなあ。それで、支持を得たり、はてまた面白がられたりして、それが真理子さんの魅力、そして嫌われるポイントだろうからなあ。

 その真理子マジックに、まんまとヤられたのが『半落ち』であり、横山さん。それと横山さんの直木賞受賞を心待ちにしていた担当編集者や、多くのファン。プラス、悪者に仕立てあげられることになった日本文学振興会。もっとも心を痛めたのはきっと、文藝春秋で横山さんを担当していた編集者だったかも。

 おお。真理子マジックよ。周囲に迷惑をかけることで、その存在意義を輝かせる負のパワーたるや。さすがです。惚れ惚れします。

          ○

 いつもなら、ここで『半落ち』のあらすじ紹介をするんですが、今回はなにせ有名作すぎますからね、略させてもらいます。

 で、「決別宣言」です。その後、はたして日本文学振興会=文藝春秋はいかなる収束策に出たのでしょうか。もう少し、時系列の箇条書きをつづけます。

  • 平成15年/2003年4月10日 『読売新聞』夕刊に「「半落ち」への批判に反論 横山秀夫氏、直木賞に決別宣言」(執筆:石田汗太記者)の記事が載る。
  • 同年4月 文藝春秋が「選考会の手続きに問題があった」と横山氏に謝罪。

    (引用者注:直木賞の)主催は日本文学振興会だが、出版社の文芸春秋が運営に深くかかわっている。

     文芸春秋は四月になって「選考会の手続きに問題があった」と横山さんに謝罪した。鈴木文彦取締役は「不信感を抱かせてしまった。申し訳なく思う」と語る。」
    (平成15年/2003年5月末頃の共同通信の配信記事 ―引用は『神戸新聞』平成15年/2003年5月27日「直木賞選考のあとさき/横山秀夫氏が決別宣言/向かい合うべきは読者」より)

  • 同年5月1日 横山氏、『毎日新聞』に決別宣言の経緯と本意を寄稿。夕刊「直木賞選考への疑問 『半落ち』をめぐって」。

    「読者やミステリー界を見下した発言を粉砕したかった。「怒っていても内心では直木賞を欲しがっている」。そんな空気を打ち破って真意を伝えるためには、「決別」してから発言するほかないと思うに至った。(引用者中略)

    「面白い小説を書きたい」。その一心で突っ走ってきたはずが、周囲の期待やほめ言葉に乗せられ、「いつかは直木賞」と頭のどこかで考えている自分がいた。そんな自分にも「決別」したつもりだ。」

  • 同年5月28日 『毎日新聞』夕刊に「小説と現実の間で 広がった不幸な溝――横山秀夫さんの『半落ち』をめぐって」の記事が掲載(執筆:重里徹也)。
  • 同年7月17日 第129回直木賞の選考経過の記者会見において、阿刀田高委員が、決別宣言について言及する。

    「前回の直木賞候補で、選考のプロセスやその後の対応に不信感を抱き、直木賞への決別宣言をした横山秀夫さんについて阿刀田さんは「こんちくしょうと思うこともあるのは当然だが、選考委員もおのれの小説観と情熱で評価して結果を出している。素晴らしい才能をお持ちの方ですから、性急なことをおっしゃらずに、どうか、なお挑戦してほしい」と話した。」(『熊本日日新聞』平成15年/2003年7月21日「象徴的な描写に評価 芥川賞・吉村さん 直木賞2作品 光るセンス、せりふ 第129回芥川、直木賞」より)

 あれ、阿刀田さん、だいじょうぶですか? 全然、横山さんの決別の趣旨を理解されていないような気が……。日本文学振興会=文藝春秋がもうちょっと早く、対応していれば、決別宣言にはいたらなかったはずでして。要は横山さんは、作品に事実誤認があったかどうか、再検証してくれと訴えたにもかかわらず、何の音沙汰もない主催者に、「権威と称せられるものからくる傲慢」を感じたわけでして。

 そして1年後。『クライマーズ・ハイ』が第17回山本周五郎賞の候補となって、落選した頃、『AERA』が「現代の肖像」で横山さんを取り上げました。

 取材文は朝山実さんによるものです。このときもやはり、決別宣言の影響が尾をひいていました。

「今回の取材を行うにあたり横山から申し出がなされた。周辺取材については配慮してほしい。とくに直木賞の一件については。」(『AREA』平成16年/2004年6月7日号「現在の肖像」より)

 つまり、編集者に直木賞のときのコメントを求めて掲載したりしないでほしい、といったことのようです。横山さんは直木賞という「組織」=日本文学振興会・文藝春秋・選考委員(ベテラン作家)に楯突いた。もし、その横山さんをかばったり擁護したりすると、その編集者の「組織」における立場が危うくなる。……そんな横山さんの気遣いがありました。

「騒動から数ヵ月後。ある雑誌で新人作家との対談が組まれようとした際、横山は断りを入れている。横山寄りのレッテルを貼られてしまうと将来にかかわる。そんな理由からだと耳にしている。そもそも直木賞騒動については徹底抗戦で黒白をつけるという仕方もあった。選ばなかったのは矢が弱者へと向いていくことになるから。失態が発覚すれば配下の責任にすりかえる。そんな力ある者の構図が横山には読めたのだろう。」(前掲『AREA』記事より)

 カッチョいいぜ、横山さん。……ええと、ここで言われた、新人作家の「将来にかかわる」っていうのは、別にその新人が将来直木賞をとれなくなるとか、そういうハナシじゃないんだろうなとは再確認しておきたいところです。たぶん、文藝春秋をはじめとして出版界との関係が悪くなっちゃうと「将来にかかわる」、って意味なんでしょう。だってそもそも直木賞は、作家の将来を左右するほどのものじゃないはずですから。横山さんが今、それを我が身をもって実証されているところでもありますし。ねえ。

          ○

 ワタクシは、先にリンクした親サイトの記事で、日本文学振興会の姿勢についてこう書きました。2割がた揶揄ですが、8割は本気でした。

「主催者には、若手・中堅作家に“自信”や“やる気”を与える義務などないのです。個別の作品に対する評価はすべて、選考委員一人ひとりの責任において行われるもので、主催者は一切関知しないし、責任やら義務やらを負う必要もないのです。直木賞という“権威”はまわりが勝手につくったものだから、彼らは「こっちは何も知らんよ」という顔をしたっていいのです。」

 これは過去70年余りの直木賞を調べてきて、日本文学振興会に対する印象として書いたものです。でも、いまどき、こんなことではとうてい主催者はやっていけないんだな、と今回見直しました。

 文藝春秋は、横山さんにきちんと詫びを入れたんですもの。

 かつての日本文学振興会が、候補作家とどのような力関係を持っていたのか、これはあらためて調査が必要です。ただ、人気作家を候補に挙げるってのが、主催者にとって、また一段と気を遣わなければならないことだというのは、重々知れました。

 たかが候補作家といえども、気分を害されて以後、自社の雑誌に書いてもらえなくなったら、そっちこそ社益をそこなう、っていう構図。

 真理子さんみたいな自由奔放なベテランにも気をつかわなくちゃならないし、また脂ののった人気作家との絆を失わないために、ベテランが撒き散らす火ダネの尻ぬぐいまでしなきゃいけない。大変ですよね、日本文学振興会さん。権威だ権威だといっておだてられるその内実が、いかに水面下のあなたたちの努力でもって成り立っているのか、お察しいたします。

 もし、横山さんほど各社から引っ張りダコでもない、昔でいうなら同人誌の作品が候補になったような、無名に近い人が、選考経過に反論したのなら。そして、もう直木賞の候補に挙げないでくれと公式に発言したのなら。逆に「売名行為だ」とか言われて出版界からそっぽを向かれたかもしれないし、日本文学振興会もずっと無視し続けたかもしれない。……そんなことを想像させてくれる事件でした。

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これぞ名候補作」カテゴリの記事

コメント

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/copywriter/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/copywriter/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
TCIwNdsA

投稿: sirube | 2009年6月 8日 (月) 01時41分

おや!?

こんなことは、既に知っているが、この記事は使えそうだね^^

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 08時33分

君の親サイト。
一生懸命に資料を集めた。
あれは、確かに利用価値がある。
だが、非公式のものを、公に晒していのかどうか、僕には大いに疑問だ。

君が、芥川賞に関するブログを開設しないのは、もしかすると、君の唯一の賢明な判断かもしれない。

だが、根本的な事を聞くが、君、小学校を卒業したのかい?
の程度の文章力なのだが・・・。

ソーシャルの波の現在、例えブログでも、自分の簡単な略歴、所属を明らかにして、記事内容に説得力を持たせているのだが。

君は、その一昔のスタイルでいいと思うよ。
同窓生が、とても恥ずかしい。

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 08時49分

架空こそが小説である。小説に於けるリアリティとはそれが現実と等価であるかでは無い。世界感が論理的に論理的に自己完結的であるかである。魔法は存在しないからファンタジーは小説ではないのか。直木賞の選考委員は小説家として小説を知らなすぎる。半落ちの小説としての欠点は、章事の一人称視点リレーとしての形式を用いていながら作家が自分の技量が追い付いていない事に無自覚な事にある。林真理子は小説を知らない。

投稿: ヒロポン | 2012年7月 1日 (日) 18時07分

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