ときに名作は「いまだ直木賞に幻想を抱きつづける人の姿」をもあぶり出す。 第114回候補 服部真澄『龍の契り』
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- 【歴史的重要度】…


3 - 【一般的無名度】…

2 - 【極私的推奨度】…



4
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第114回(平成7年/1995年・下半期)候補作
服部真澄『龍の契り』(平成7年/1995年7月・祥伝社刊)
第111回~第120回の5年間、つまり平成6年/1994年~平成10年/1998年は直木賞にとって「第二次苦悩の時代」とか言われます。
第二次どころか、ひょっとして第五次・第六次ぐらいの可能性はあるんですけど、それをやり始めると直木賞全史をおさらいしなきゃならないので。こんなブログの一日分ではとても無理です。ここでは第61回~第80回の10年間(昭和44年/1969年~昭和53年/1978年)を、「第一次苦悩の時代」ととらえることにします。
第一次のことは、ほんの4週間前のエントリーで書いておきました。山田正紀さん『火神を盗め』あたりの、あの頃です。
そのとき方向転換して、直木賞は徐々に、無難で当たりさわりのない「出版界のおまつり」の座に徹していきました。そして、ほぼその路線は成功していました。
成功でしょう。だって第93回(昭和60年/1985年・上半期)以来、約9年間、一度もとぎれることなく受賞作を出しつづけたんですから。受賞作ナシを出さない、っていうその姿勢は、まつりとして興行として、最も大事なことです。
それが第112回(平成6年/1994年・下半期)にいたって、ついに失敗をやらかし、あれ? と思わせたものの、一度ぐらいそんなこともあらあな、と構えていたところ、すぐまた第118回(平成9年/1997年・下半期)に再びの失策。あってはならない「受賞作ナシ」をまたまた出してしまい、苦悩の時代ととらえられることになるのでした。
この苦悩を演出したのは中島らもであり、梁石日であり、北村薫です。
第一次苦悩をもとにして編み出したはずのルール、つまり「大手出版社から出た」「ハードカバー」。そのなかで、多くの読者から熱狂的に迎え入れられている作家たち、選考委員たちのお墨付きをわざわざ頂かなくとも、その後も文筆で生計をたてていく未来が見通せそうな作家たち。……であるにもかかわらず、直木賞をあげられない心苦しさ。おい、直木賞っていったい何なんだ、っていう基本の部分が、ここにきてまた揺さぶられました。
で、そんな時期の名候補作です。服部真澄さんです。『龍の契り』です。正体不明(刊行当時)の新人による、熱気たっぷり、スケールもでかけりゃストーリー性も抜群、で話題をかっさらい、褒める人が続出、売れに売れました。
しかし当時、この作品が直木賞候補に挙がったのはいいとして、ほんとに受賞まですると信じていた人が、どれだけいたんでしょう。ひょっとするとですよ、これを候補に選んだ文藝春秋内の数名だけが、悲壮な期待で選考会のゆくえを見守っていたのかもしれません。直木賞よ、『龍の契り』に賞をさずけることで、頼む、大きく変わってくれと。
『龍の契り』の名を見るたび、そんな(一部の)文春編集者の、苦悩のなかの叫びが聞こえてくる気がします。ワタクシの幻聴でしょうけど。
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