世間との折り合いが「受難」を生み出すのだとすると、きっと直木賞も受難のひとつ。 第117回候補 姫野カオルコ『受難』
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- 【歴史的重要度】… 2
- 【一般的無名度】… 1
- 【極私的推奨度】… 3
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第117回(平成9年/1997年・上半期)候補作
姫野カオルコ『受難』(平成9年/1997年4月・文藝春秋刊)
誤解をおそれず言うならば、この方ほど「誤解」の似合う作家は、そうそういません。似合う、なんて表現は物議をかもしそうだな。もとい、たとえば、鉄はおのれの意志にかかわらず、磁石にくっつくのが世のならいですが、それと同じように、姫野さんにもおのれの意志にかかわらず、なぜか自然と「誤解」にくっついてしまう変な性質がありそうです。
かく言うワタクシだってきっと、姫野カオルコさんのことを誤解しています。でしょうねえ、だって姫野作品の中では、『ツ、イ、ラ、ク』(第130回 平成15年/2003年・下半期 候補)や『ハルカ・エイティ』(第134回 平成17年/2005年・下半期 候補)などよりも、『受難』こそ断然大好きなんですから。彼女の作品を全部読み通したわけでもありませんし。おそらく読み通したところで、誤解が解ける自信もありませんし。
ワタクシのハナシはともかくとして、一般的に今のところ、姫野さんにまつわる誤解で最も根強く、また大きいのは、きっとアレですよね。ええ、団だのDだの言うアレです。
姫野さんが文章を書いてお金をもらう行為を始めた頃に、数年間、その活動の場のひとつは、嗜好の偏ったジャンルの雑誌でした。そのイメージのせいで、まだ姫野作品を読んだことのないまっさらな読者に、よろしくない先入観を与えてしまっていたのだとか、いなかったのだとか。
まあ、先入観を持たれる作家なんて、姫野カオルコ一人の専売特許じゃないですよね。でも、その引き金を引いてしまったのが、他でもない姫野さんご自身の書いた『ガラスの仮面の告白』(平成2年/1990年5月・主婦の友社刊)だったわけですから、もうこの辺りが、意図せずして誤解を呼び込む作家・姫野カオルコのパワー、フル回転たるところです。
さらには平成12年/2000年に「私小説タイムストッパー」(『週刊小説』平成12年/2000年19号[10月13日])を発表して、大学生時代にたまたま始めたちょっと変わったバイトみたいなことを、えんえんと何年たっても何十年たっても言われ続けて、うんざりだわ、もううんざりだわ、といった姿勢を表明します(上の作品名から張ったリンクは、姫野カオルコ公式サイトに飛びます。さすがに直接作品ページに張るのはサイトの意図を踏みにじっちゃいそうなので、サイト管理人さんによる作品紹介ページが開くようにしました)。
さあ、これで「誤解」も収束したのでしょうか。それでもこれは「エッセイ」や「事実体験」じゃなくて、「真実体験」なのだと言って、かたくなに小説家魂を守り抜こうとするところが、誤解の火種を残すことになっていたりして。まあともかく、昔のことは昔のことよ、今はそっとしといてあげなくっちゃ。
とか殊勝なふりして、今から取り上げようっていうのが、10年も前の『受難』ですよ。おいらにゃ、姫野さんの“いいファン”にはなれそうもありませんや。でもねえ、恋愛だ、人間感情の機微だ、といった薄く広くウケそうな構えなぞはなっから捨てて、ヘンテコリンな設定を自信満々貫いているところなんぞが、ワタクシお気に入りの作品なのです。
○
戒律厳しい修道院で育った彼女、友人たちから「フランチェス子」と呼ばれている彼女は、ある日原因不明のできものが、上腕にできていることを見つけます。しかし、人に見せようとすると、できものは消えていて、彼女ひとりのときにだけ、くっきりと姿を表します。
次第にできものは濃くなっていって、人の顔のかたちになっていきます。そして顔は、あるとき男の声でしゃべり始めたのでした。
プログラマーの彼女は30代。男性から惚れられたり、言い寄られたりといったことは一切なく、一人での生活を地味に送っていました。そこに表れたできものは、やがて場所を移動して彼女の股間に巣食い、彼女のことを面罵しだします。
いわく「お前は女として駄目だ。女として駄目だから貞節を守れるだけだ」。いわく「女として無価値な者はオナニーをするしかないんだ」。いわく「こんなところに俺が嵌まっていては、おまえのおまんこは使えないが、どうせだれも使っちゃくれないんだから不便はなかろう」。
口の悪い人面瘡の言葉を、フランチェス子は怒り出すこともなく、時に反論し、時にそうかもしれないと従順に受け入れます。二人(?)の対話は女と男の関係について、恋愛とは、セックスとは、男が女に抱いている希望や欲望とは、といった部分にも切り込んでいきます。
股間に人面瘡を抱えたまま、フランチェス子は、モデル事務所に籍をおく友人たちの、恋愛沙汰に巻き込まれます。そんな生活のなかで、人面瘡との丁々発止の対話はさらに深まっていき……。
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ここは直木賞専門ブログです。姫野カオルコと直木賞、のことだけ語れば事足りるのです。だけど、それを考え始めると、いやあ、どうしたってその前にあった例の「誤解」の一件も語らざるを得ません。
だって、SM小説がどれだけ小説界全般の中で虐げられ、のけ者扱いされているかは知りませんけど、たかが団鬼六賞がどうだこうだというだけで、マスコミの関心をひき、賞の名前(っていうか団鬼六という固有名詞が放つオーラ)のほうが前面に押し出され、下世話で無理解な人たちからの言葉の攻撃がやむことなし。そんな日々に姫野さん自身うんざりさせられたと聞くと、うわあ、直木賞なんてとった日にゃどうなっていたんだろう、と悪寒でからだが震えてくるわけですぞ。
つまりは文学賞と呼ばれるものの中でも、とくに直木賞は、かなり団鬼六賞に似ています。
大衆小説なんて長いこと、あんなもん文学でも何でもない、脳みその足りない連中がひまつぶしに読む低級な読み物だ、みたいに扱われてきた歴史は、みなさんご存じですよね。そのつまはじきの境遇が、SM小説にも妙にだぶるっていうのが一点目。
それと、もうひとつは賞の名前にしみついた虚名っぷりです。受賞作や候補作の内容が語られる以前に、「直木賞」の名前がマスコミを通ると、それだけで別の何かを意味してしまったりして。いつまでたっても、その肩書きが離れずついてまわったりして。そのしつこさはハンパないぞ、っていうのが二点目。
ほんの一例だけ挙げます。過去の受賞作家の、ある種の嘆きです。宮沢賢治研究の道に突き進んだ森荘已池さん(第18回受賞)は、「受賞前後 その得失等」を聞かれたアンケートにこう答えました。
「それから(引用者注:受賞してから)大分損をして来ました。その名を使って文章を売ることをしないからでしょう。全く文学と関係のない無料の文章を書いても、しっぽに「直木賞作家」とついております。」(『オール讀物』昭和39年/1964年4月号「直木賞作家の近況」より)
もし姫野さんが直木賞をとっていたら。……想像ですけど、そりゃ、作品なんて読まずに「直木賞」って名前だけで、どれだけ無理解な要求が舞い込んだことやら。しかも作品が多少は多くの人に読まれるのはいいにしても、読解力のないワタクシみたいな読者からは、さんざん面白半分にイジられるわけでしょう。きっと今以上の誤解が、姫野さんと世間の間に膨れ上がっただろうと容易に想像できます。
イメージだけで決めつけたり、その人が昔どんなことをしていたのかを興味本位であげつらったりする下世話さと、直木賞(やその後のなりゆき)は、紙一重といいますか、イコールぴったんこといいますか。
○
最後にこっそり、世にはびこる勘違い(?)をただしときますと、姫野カオルコさんは団鬼六賞の受賞者ではありません。この賞の第1回(昭和51年/1976年)当時とは何の関係もありません。第11回鬼六賞(昭和56年/1981年)の佳作第三席に入ったにすぎません。この回は入賞もなし、佳作第一席もなし、第二席に秋津環さんの「血と薔薇」が堂々選ばれ、鬼能薫子の「俺の女神」はその次です。
「俺の女神」のあらすじもご紹介すればいいのでしょうが、さすがに「直木賞と全然関係ないじゃん」とそろそろ怒られそうなので割愛。団鬼六さんが選評に寄せた褒め言葉だけ、引用させていただきます。
「面白いね。この文章。あんたはやったぜ。そうよな。SMなんて妙にジメジメしてるだろ。あんたの小説みたいのがたまに出て来ねえとやり切れねえよ。単車を吹っ飛ばしてるみたいに歯切れがいいのが気に入ったね。どたばた喜劇、大いに結構。あんたの小説、ケッサクだったよ。」(『SMセレクト』昭和56年/1981年10月号「鬼六賞選評」より)
SM愛好者ではないワタクシは、とてもこの雑誌を一冊(「俺の女神」は次月号の掲載ですから、二冊ですか)楽しんで読み通すことはできませんでした。無念。やっぱ「俺の女神」なんぞよりも断然、『受難』の醸し出すどことなく清潔な面白さのほうに軍配を上げますぞ。って当たり前か。
たとえば、『受難』でもいいですし、その後の候補作『ツ、イ、ラ、ク』や『ハルカ・エイティ』でもいいんですけど、それで姫野さんが直木賞をとっていたら、「誤解」と戦いながらその実、「誤解」を呼び込む小説家としての姿が、きっとより鮮明になっていただろうなあ、と惜しくもあります。いや、ご本人のためには、直木賞なんかとらなくて、ホッとする気もします。姫野カオルコのことを理解していない、ワタクシを始めとした数多くの連中のことなどせせら笑って、自らの書きたいことを追求していかれることを祈ります。
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コメント
「これぞ名候補作」に登場した中から二人目の直木賞受賞者が登場してめでたいな、ということでこちらの欄にコメントをば。
記者会見にて「読者に支えられてきた」と語っていた部分は案の定ニュースに取り上げられてはいなかったけど、ニコ生で「受賞は遅すぎたぐらいだ」というコメントが多数見られて、この言葉は姫野さんの本心なんだろうなと思いました。ほんと、『受難』で受賞しててもなんの問題もなかったろうし、そこで受賞しても姫野さんは多分変わらなかったろうと思えるところが素敵だと思いました。
投稿: あらどん | 2014年1月18日 (土) 06時52分