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2008年10月 5日 (日)

ホラー小説の隠れた名篇。どだい、込められた怨念の深さが違います。 第70回候補 安達征一郎「怨の儀式」

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  • 【歴史的重要度】… 2
  • 【一般的無名度】… 3
  • 【極私的推奨度】… 4

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第70回(昭和48年/1973年・下半期)候補作

安達征一郎「怨の儀式」(『文学者』昭和48年/1973年8月号)

 2週つづけて同人誌のハナシは、さすがにクドい。

 たしかに。タイミングからすれば、第61回(昭和44年/1969年・上半期)~第70回(昭和48年/1973年・下半期)期はSF小説大成長、なんて視点でとらえて、広瀬正さんの諸作品でも取り上げるのが筋だと思います。でも、ほら、広瀬さんのことは他にいろんな方が紹介されてますから。いまさらうちがしゃしゃり出る勇気はありません。

 そんな、まさに“時の人”広瀬正を差し置いて、今日の話題は安達征一郎さん、ひとり占めで行きます。

 でも、同人誌『文学者』の話は、以前のエントリーでご紹介しましたしねえ。今日は同人誌ネタは封印ってことで。また別の角度から攻めていきます。

 たとえば、南洋の諸島から生まれ出た直木賞候補作家といえば、古いところでは大屋典一さんがいます。のち一色次郎の筆名を使い、そのふるさとについて数多く作品を残してくれました。ただし、大屋さんの2つの直木賞候補「冬の旅」と『孤雁』は、南洋とは全然関係ありません。残念ながら。

 石野径一郎さんなんて方もいました。その候補作は『沖縄の民』って、もうこの書名が表わすとおり、全篇、沖縄人のたどらされた苦い運命が綴られています。と、こう来れば、あまたある沖縄文学の轍を踏んで、石野さんの作品も、芥川賞の候補になってよさそうなもんですが、そうはさせじと、こっそり直木賞が手を出しました。ふふ、さすが直木賞だ。よっ、“何でも喰い”の大風呂敷。

 その系統を継いで、“本土とは別の文化圏をもつ南洋諸島を描いた作品”って観点で見るならば、『沖縄の民』の次にくるのは『シュロン耕地』でしょう。斎藤芳樹さんが放ったシブーい一作です。斎藤さんは、昭和58年/1983年に胡桃沢耕史までもがついに直木賞をとるにいたって、『近代説話』同人として最後まで置いてけぼりを食らわされたかたちになった、恵まれない作家のひとりですが、そうかあ、『シュロン耕地』の放っていた土着性むんむんのあの熱気。たしかに読む人を選びそうな独自臭だったもんなあ。

 と、このハナシの流れで一気に安達征一郎さんを語りたいところではあります。直木賞候補の系譜を正しく語るのであれば、それが最良の手順でしょう。

 だって、『日出づる海 日沈む海』(第80回 昭和53年/1978年・下半期 候補)なんて、もう正面から見ても裏返しても360度、南洋小説ここにあり、の構えですもんね。今回取り上げる「怨の儀式」にしたって、そうです。作品の毛色は違えど、本土から虐げられ、そしてそれに対して牙を剥く南洋民族のすがた、ってふうにとらえられなくもありません。

 ええ、そうなんですけど、ワタクシが「怨の儀式」に惚れた理由は、別のところにあります。これって、伝奇小説の系統、ホラー小説の一員として置いてみても、案外しっくり来るからなんです。同時代の半村良『黄金伝説』や藤本泉『呪いの聖域』ほど強烈ではないにしても。

 アンソロジストのみなさん。伝奇、ホラー、はてまた孤島小説の傑作選なんかを編む際は、ぜひ「怨の儀式」も忘れずに。収録候補に加えてもらえますと嬉しいです。

          ○

 民俗学者の「彼」が、小さな漁船をチャーターして単身、ウルメ島に渡るところから、物語は始まります。

 ウルメ島はかつて藩政時代に圧政に苦しめられた経験をもち、島民はいまでも本土人を怨みに思っていると言われています。その当時の苦しみを忘れぬために、20年に1度だけ、1ヶ月間、島民全員で昔のままの生活を送る……これが幻の祭事「怨の儀式」です。

 「彼」は民俗学の研究者として、島民から丁重に招待を受けてやってきました。親切な部落会長に案内され、貴重な古文書も見ることが許されます。そこには郷土史家も知りえなかった新発見の事実が数々書きのこされていました。

 また、島のここかしこで、「彼」はかつての圧政の実態が、想像以上にひどいものであったことを知ります。たとえば、藩役人が立てたという、禁礼の立札。その文言から、まるで藩が島民たちを奴隷扱いしていたことがうかがい知れるのでした。

 さらに「彼」は、砂糖黍畑で「儀式」の一端を目の当たりにします。役人役の島民が、「切株改め」と称して、畝の上の切り株を丹念に調査しています。そして、やにわに地中の一点に目をこらし、切り株のまわりの土を掘り起こし、「一センチ高かぞ」と宣告するや、畑をとりかこむ島民たちの中央に進み出て、半身裸になったのです。手には棒を携えています。

 すると、島民のなかから一人の男が出てきて、役人役の前に横向きになります。役人役は、力いっぱい棒を男に打ち据え始めました。

「分ったか……分ったか……御先祖の痛みが分ったか」

 と言いながら。

 「彼」は、あまりの刺激の強い光景に呆然とします。そんな「彼」に、部落会長が一本の棒を差し出しました。「彼」にも叩き役になってほしい、と頼むのです。「みんな先生に叩かれたがってい申す」「同じ叩かれるんでも、本土の方に叩かれたほうが、余計実感が出てよかちうわけですよ」。

 まわりでは、先ほどの役人役の男のほかにも、数人が同様に、島民相手に打擲を続けていました。部落会長の話では、それはかたちだけの儀式であって、やられ役の島民は背中に厚手の綿を入れていると言います。たしかに島民たちはみな笑顔で、とくにこの「懲罰」を苦にする様子がありません。

 「彼」はそんなまわりの雰囲気に乗せられて、自分も「儀式」に参加する気になっていきます。

          ○

 第70回の選評では、ほとんどの委員が「怨の儀式」には触れずに済ませました。触れた3人のうち、石坂洋次郎司馬遼太郎は駄目出し。ひとり、源氏鶏太だけ褒めています。

「凄い小説だと思った。特にラストが凄い。あるいは芥川賞向きであったのだろうか。」(『オール讀物』昭和49年/1974年4月号選評「「冬の花」を推す」より)

 んもう。すぐに「芥川賞がどうのこうの」と、よそを気にするところが、源氏さん、イケズなんだから。凄い小説と思ったのなら、あんな狭い領域にしか目を向けていないチッポケな賞のことなど気にしなくてもいいのに。

 それから丸5年後、第80回で安達さんは再び直木賞候補に挙がります。今度の候補作『日出づる海 日沈む海』(昭和53年/1988年9月・光風社書店刊)は堂々の長篇、しかも「怨の儀式」に漂っていた怨念めいたものからくる暗い側面は抑えられ、より健康的な南洋人の生態が描かれている、とくれば、直木賞の枠組みでは一歩も二歩も前進して、評価も上がったように見受けられます。ただ、第80回はなにせ候補作が強豪ぞろい、票も割れたようで、受賞には至りませんでした。

 この『日出づる海 日沈む海』は、やがて『祭りの海』(昭和57年/1982年8月・海風社/南島叢書)という後編が書かれます。そして、昭和62年/1987年8月に至って、両作の題名を『祭りの海』と統一し、前者を「前編」、後者を「後編」として、海風社の南島叢書の2と38に、それぞれ配されました。

 それから、20年。

 今年になって『朝日新聞』が、海風社の南島叢書のことや、同社社長、作井満さんのことを取り上げました。「ニッポン人脈記:わが町で本を出す」という続き物の、平成20年/2008年2月6日夕刊、「奄美のすべてを100巻に」がそれです。そこには南島叢書の著者陣の代表として(?)、安達征一郎さん御年81歳が、写真つきでにこやかにご登場。

 で、その記事に具体的な書名は登場していませんが、海風社のエピソードのなかで、じつは「怨の儀式」も、裏で大きな役割を果たしています。安達さんと海風社・作井満さんを結びつける縁となったのは、“凄い小説”こと「怨の儀式」を表題作とする短篇集『怨の儀式』(昭和49年/1974年12月・三交社/逝水選書)だったんです。

 こんな安達さんの証言があります。

「作井満さんは詩人、評論家として活躍中の新進気鋭の人である。そして、私の小説のよき理解者でもある。十年前、彼はまだ学生の身であったが、たまたま私の作品集「怨の儀式」を古書店で目にとめて、神戸から会いにきてくれたのである。そのとき私は彼が私と同郷の奄美群島の出であることを知った。彼は「怨の儀式」によって、初めて私の存在を知ったということであった。以来、彼はおりにふれて私の小説のことを書き、人々に語ってくれた。」(『祭りの海(後編)』昭和62年/1987年8月・海風社/南島叢書 所収「あとがき」[初版昭和57年/1982年8月当時のもの]より)

 へえ、作井さんが『怨の儀式』を目にしたのは、おそらく同書が出版されて間もなくの時期かと思われるのに、出会った場所が古書店。それから30年もたって、ワタクシが同書と出会った場所も、やっぱり古書店。……そしてきっと、30年後に古書店で『怨の儀式』を見つけ、「うわあ、この小説、すげーぜ」と感動する人が、かならずや出てくることでしょう。

 いや、30年後といわず、今でもいいです。

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