推理小説ブームが始まりました。そして直木賞の場にも、こんな代表的な長篇が現れました。 第41回候補 土屋隆夫『天国は遠すぎる』
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- 【歴史的重要度】… 3
- 【一般的無名度】… 1
- 【極私的推奨度】… 3
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第41回(昭和34年/1959年・上半期)候補作
土屋隆夫『天国は遠すぎる』(昭和34年/1959年1月・浪速書房刊)
昭和34年/1959年からの5年間について、ついつい前クールでは読み飛ばされること承知で、来水明子さんなんちゅう玄人好みの作家を取り上げてしまいました。でも普通に考えれば、この5年間の候補傾向は、断然、“推理小説”色に彩られています。
直木賞の舞台にのぼらされた、ああ、数々の推理小説たち。
推理ファンにとってはキラ星に見える戦後五人男も、まるで直木賞からは無視されます。おっと、その中でただ一人、昭和31年/1956年になってようやく候補になった島田一男さんも、木々高太郎先輩から「こんなものを推理小説の代表ととられるのは困る」みたいに迷惑がられて、そうだよね、そうだよね、しょせん木々さんは“文学”志向だもんね、と推理ファンはますますイジけさせられました。
それが第39回(昭和33年/1958年・上半期)に多岐川恭さんが『氷柱』で颯爽と登場する辺りから、様相は変わっていきます。もちろん、その変容をもたらしたのは、松本清張さんの『点と線』(昭和33年/1958年)の大ヒットです。そして、江戸川乱歩賞の公募化で、仁木悦子さんや多岐川さんなどの実力者がドドッと出てきたことです。
この推理小説の疾風はやがていったん収まり、直木賞の世界のなかでは、次に「同人誌」の時代がやってきます。その嵐が去るまでに、直木賞の網にひっかかった推理小説は、多岐川さんの短篇集(その実、そのなかの短篇3つ)と、戸板康二さんの短篇、黒岩重吾さんの書き下ろし長篇と、この3つだけでした。
嵐の最中、なにせ水上勉さんが“脱・推理”をめざして書いた「雁の寺」が、首尾よく受賞しちゃったもんだから、のちにいたるまで、推理作家が何度か候補になっては撃沈し、推理ものから離れて直木賞をとる、っていうパターンが何回かくりかえされ、“推理小説では直木賞はとれない”なんていう、真実みたいなガセネタみたいなものが語られ始めたりするわけです。
そしてこの水上さんの足跡は、また違った意味のパターンも物語っています。「長篇の推理小説は、どうも分が悪いぞ」っていう教えです。そうです、この時期、直木賞選考委員に認められた長篇推理は、黒岩重吾さんだけで、あとは全滅。水上勉さんの落選(長篇)・落選(長篇)・受賞(短篇)の軌跡は、じっさい、後の時代の三好徹さんや陳舜臣さんなどに、しっかり受け継がれました。
で、今回の名候補作『天国は遠すぎる』は、長篇です。多岐川さんが第40回(昭和33年/1958年・下半期)に、推理小説久しぶりの直木賞受賞を果たして乱歩さんニンマリするなか、続いて候補になった長篇です。でもまあ、推理小説受難の頃ですからね、選考委員たちはしれっとスルーしています。まるで推理小説なんて眼中にありません。
と思ったら、いや、そんなこともないんですよ。『天国は遠すぎる』はしっかりと、直木賞の歴史に、推理小説として楔を打ち込んでくれた作品なんです。
○
舞台は長野県、主人公は刑事一筋20年、久野大作です。
今回は、あらすじをまとめる労力を捨てさせてもらいまして、安易な引用で逃げたいと思います。光文社文庫版の『天国は遠すぎる』(平成3年/1991年11月)の裏カバーより。
「自殺した若い娘砂上彩子(ルビ:すながみさいこ)の遺書には、死を誘う歌としてジャーナリズムを賑(ルビ:にぎ)わせる「天国は遠すぎる」の歌詞が記されていた。翌日、県庁の課長深見浩一(ルビ:ふかみこういち)が失踪、絞殺体で発見された。深見は土木疑獄の中心人物。容疑はアルプス建設工業社長尾台久四郎(ルビ:おだいきゅうしろう)に向けられたが、尾台には完璧なアリバイが。この三人を結ぶ線はあるのか?」
○
この推理小説のあとがきには、土屋隆夫さんのかの有名な、推理と文学との融合を目指す宣言が掲げられています。
「推理小説が文学たり得るか否かについては、多くの議論がある。
(引用者中略)
トリックか。人間か。議論の高潮する所、一方は文学精神を無益なものとして排し、他方は文学を尊重するのあまり、謎の面白さを捨て去ろうとする。
わが子よ。
私は不遜にも、この両者の全き合一を求めて歩み出したのだ。」
うわあ、そんなこと言われちゃったらね、文学文学と小うるさい直木賞も、やっぱり土屋さんのことを放っておけなくなって候補にしちゃいますわな。
土屋さんの素晴らしいところは、おそらく、これで直木賞がとれなかったからといって、トリックのほうを捨てたり弱めたりしなかった一本気さにあると思いますけど(いや、別に水上勉さんを揶揄したいわけじゃありません)、問題は直木賞の側です。
第41回(昭和34年/1959年・上半期)の選考会に出席した委員は8人。さあ、あの木々高太郎さんが、推理+文学の融合に対してどう発言するか注目だったんですけど、海外出張のため惜しくも欠席しています。
8人のうち、選評で『天国は遠すぎる』に触れているのはわずか3人です。まあ、あんまり受賞圏に近いところで議論されたわけじゃないんだな、と推測されますが、この3人はそれほど全否定ではありませんでした。
まず、受賞作の渡辺喜恵子『馬淵川』と津村節子「鍵」を高く買った海音寺潮五郎さん。
「平凡な田舎警察の刑事が根気だけで追究してむずかしい事件を解決するところ、大へん面白かった。文章も平明で、適当に詩情もあった。しかし、新しい仮定がいつも行きずりの人のことばのきれっぱしや細君の何気ないことばのはしくれなどからだけ湧いて来るのは安易にすぎると思われた。」(選評「杞憂であれば幸い」より)
むむ。案外、ミステリーとしての出来、の部分で評価されているようで。文学がどうのこうのとか、つまらぬハナシを持ち出さないところが、海音寺選評のミソなのかも。
つづいて、文学派の親玉、小島政二郎さん。『馬淵川』以外の候補作に対しては、そうとう手厳しい評を与えているんですけど、これまた案外、『天国は遠すぎる』を買っていたりします。
「面白く読んだ。探偵小説は、人間が書けていないので私には面白くないが、これには人間が書けているから面白かった。が、もっとドラマチックに書けていたらなあ。このままではリズムが弱い。」(選評「本物の「馬淵川」より」)
そうですか、ドラマチック性の不足ですか。たいてい長篇の推理小説は“ドラマチック”すぎて、直木賞の選考委員からは即却下されたりするもんですけど、ここでこんな不満を聞かされるとは、ちょっと意外。
○
そして最後にこの人。え、あなたがこんな席に加わっていたこと自体が意外ですよ。短い選評でおなじみの中山義秀さんです。津村節子さんの諸短篇、池波正太郎さんの「秘図」と共に、『天国は遠すぎる』を褒めています。
「「天国は遠すぎる」も快読した。推理小説など読んだことがないので、面白いのであろうとひやかされたが、面白いものは面白い。こうした作品を遺漏なく綴ってゆくのは、おおかたの努力ではなかろうと思われる。」(選評「真摯な努力」より)
いやあ、いいねえ、義秀さん。おそらく、他の委員に笑われたとおり、ふだん推理小説なんか読みもしないんでしょう。それでも「面白いものは面白い」と書いてしまう言葉に、裏も表もない正直なところが出ていると感じさせられます。
義秀さんが感心している点は、まさに長篇の推理小説に対して、日ごろ推理小説の免疫のない一読者が感じるであろう部分に違いありません。遺漏なく綴ってゆかれた物語、そしてとにかく読んで面白い。
もしかして松本清張ブームが起きたのは、『天国は遠すぎる』に対する中山義秀のとらえ方が、全国そこかしこで火のついた結果ではなかったか、と思わされる選評でもあります。ただ、おおかたの選考委員は、正直な感想をそのまま授賞の尺度にはしないことで、いちおう、その役目を果たす自己確認になるのでしょうから、逆に義秀さんみたいな人は、そうとう浮いて見えます。
選評で触れなかった他の人たちが、なぜ『天国は遠すぎる』を評価しなかったのか、推理小説ブームになんぞやすやすと乗せられまい、と頑なな意志があったかなかったかはわかりません。ただね、「人間が描けていなかったから昔の推理小説は、直木賞をとれなかったんだ」と、ズバッと切ってしまうのが、いかに無謀で無知なことか、『天国は遠すぎる』は教えてくれているのです。
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