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2008年9月14日 (日)

山本周五郎とのシャンペン。そして小野田寛郎の手記。おお、何たる奇縁。 第40回候補 津田信『日本工作人』

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  • 【歴史的重要度】… 4
  • 【一般的無名度】… 4
  • 【極私的推奨度】… 3

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第40回(昭和33年/1958年・下半期)候補作

津田信『日本工作人』(昭和33年/1958年10月・現代社刊)

 前回ご登場の飯沢匡さんと、津田信さんには共通点があります。

 いや、二人だけの共通点ってより、近現代の日本には(そしてきっと世界中にも)腐るほど、同じような方はいるでしょう。どんなことでも命名したがる評論家・大宅壮一さんは、そんな人々を「落下傘部隊」と呼びました。

 つまり彼らは、元・新聞社勤務です。記者生活をある程度送りました。その間に創作物で名を知られるようになり、のちに退社して文筆の道に進んだ人たちです。

 だからといって、割合として作家のなかには、新聞・雑誌の記者出身の人が多い、などと言うつもりはありません。たぶん、そんなことなどないと思うからです。ただ、直木賞っていう狭い枠組みの中でなら、案外、取り上げてみるべき視点かもしれませんよ。だってねえ、菊池寛佐佐木茂索の経歴をひっぱり出すまでもなく、文藝春秋そのものが、作家とジャーナリストの混合みたいな集団ですから。

 そんな津田さんです。でも、ワタクシも詳しくは存じ上げません。しかしみなさんご安心ください。津田さんのことを取り上げた神奈川県・二宮町図書館『図書館だより』13号[平成17年/2005年1月]がネットでも読めるのです。えらいぜ、二宮町。

 ふむふむ。そうですか、『秋田文学』でのお仲間、千葉治平さんの直木賞受賞に刺激を受けて、新聞社をお辞めになったのでしたか。ふむふむ、退職後はしばらく小説が書けなくなり、ジャーナリズムの世界で身過ぎ世過ぎを余儀なくされていたのでしたか。

 もしかしたら津田さんも、中村八朗評するところの小泉譲さんと同様、なまじ芥川賞とか直木賞とかに目を付けられてしまったせいで、大きな回り道をさせられたのかもしれません。そこからふっきれたのか、昭和50年代にいたって再び小説を書き始めます。せっかく、さあこれからって時だったのに。58歳での死は、早すぎるし心底惜しまれる。

 芥川賞の選考委員には「これは中間小説だ」と言われ、かたや直木賞の連中には「これは純文学だ」と弾かれて、なんだか毬のように弄ばれた感すらあって、可哀相すぎるよ、津田信さん。要は、これら二つの賞の枠に入り切らなかっただけなんでしょう。作品の良し悪しとは関係なく。

 両賞での候補は、都合8度にも及びました。さて、今回取り上げる名候補作『日本工作人』は、その中でも唯一の長篇。しかもこの小説、作品内容とは別のところでも、いろいろエピソードを生み出した“奇縁”の作品なのでした。

 たとえば、同人誌に連載の途中で一度、直木賞の候補になり、その後完結して単行本化されてから再び候補になった、ってのもその一つです。これは第35回(昭和31年/1956年・上半期)、第36回(昭和31年/1956年・下半期)の赤江行夫さん『長官』と、ほぼ同じです。ただ、『長官』とは違って、『日本工作人』は2度の候補とも強力に支持してくれた選考委員が一人いました。

          ○

 では、『日本工作人』のあらすじを、少々。

 昭和21年の旧満州・斉々哈爾(チチハル)。下士官の杉は、八路軍に接収された旧陸軍病院にいました。すでに管理は民主聯軍の手にあり、杉たち元・日本軍人は彼らのもとで働いていました。自らは輸送隊と称していたのですが、民主聯軍からはこう呼ばれていました。「日本工作人」。

 そこに、臨時看護婦だという日本人女性の一団が加わります。輸送隊の男たちと次第に打ち解けていき、そのうち男と女の感情を芽生えさせたりもします。

 しかし、そんな平和な日々もまもなく終わりを迎えます。中国側の命令により、病院にいる患者はすべて、さらに北部の訥河に移送されることが決まり、日本工作人たちも共に移動するように、と決まったのです。

 ここで中国側の命に従ったのでは、日本への帰国の日が延びるだけでなく、引き揚げが始まったときに取り残される危険性もあります。その空気を感じて、輸送隊員や看護婦のなかには脱走する者が出はじめました。

 臨時看護婦のなかに、幼い少女を連れた母親がいました。光江という名前です。杉はとくに彼女に女としての魅力を感じていませんでしたが、ある夜、酔っ払った晩に一夜をともにしてしまいます。

 光江に好意を寄せていた輸送隊の部下を知っているだけに、杉には悔恨の念が募ってきます。

 杉は早く病院から離れて、街で働きたいという希望がありました。しかし、民主聯軍の日本工作人係り、龍明英から「あなたは将来、我々の軍隊にとって必要な人物だ」とまで見込まれ、病院にとどまらざるを得なくなります。

 杉の運命は、もはや自分の手ではどうにもできない、相手軍の手にゆだねられていました。

          ○

 うちの親サイトは、味もそっけもない片々たるサイトです。それをご覧いただいた、津田信さんのご関係の方より、以前、ご丁寧にも情報を教えていただいたことがありました。さらに感激することに、追って津田さんの『日本工作人』(昭和47年/1972年4月・財界展望社刊)と、『幻想の英雄』(昭和52年/1977年7月・図書出版社刊)を送ってまでいただいたのでした。もう有り難いやら申し訳ないやら。当時、ワタクシは津田信さんと小野田寛郎少尉とのいきさつを知らなかったんですが、『幻想の英雄』の面白さに度肝を抜かれた記憶があります。

 おっと、そのハナシは後にしまして。まずは『日本工作人』のほうです。実は、この財界展望社版には津田さんによる8ページにわたる「あとがき」が付いています。ここから、『日本工作人』の成り立ちから、登場人物のモデルとなった人たちのその後までを知ることができます。

 津田さんは、昭和22年に中国から復員したあと、日本経済新聞社に入る前に、調布市内で古本屋を開いていたことがあるそうです。ほんの2か月間のことでしたが、その間に店番をしながら、中国での体験をノート2冊にわたってメモします。これをもとにいつか小説に書きたいと思いながら、新聞社勤めに追われ、8年がたちました。

「八年後、内勤にかわったのをしおに、私はようやく小説を書く気になり、まず、新聞記者生活や少年時代に材をとった短篇を書き上げて、同人誌に発表した。幸運にもこの二作が、平野謙氏やいまは亡き山本周五郎氏の目にとまり、それぞれ芥川賞の候補にあげられた。これに力をえて私は、机の抽斗の底からノートを取り出し、この「日本工作人」を書きはじめた。ノートをとってから、丸十年目であった。」

 うおお、さすが同人誌大好きの周五郎さんだ。こんなところにもご登場とは。しかも津田信さんに目をつけるなんぞ渋いよなあ。

 さらにこのあと、周五郎×津田信の意外な関係性が綴られています。

「私にとって初めての長篇であるこの「日本工作人」は、「秋田文学」に連載中、直木賞の候補になり、未完ゆえに選考からは除かれたが、小島政二郎先生から、その選考後記で身にあまるおほめのことばをいただいた。また、連載中、しばしば山本氏から激励のお葉書をいただき、完結後、横浜・間門にあった氏の仕事部屋へお邪魔したときは、シャンペンを抜いて祝ってくださった。ともに忘れえぬ感激であった。」

 そうそう、政二郎さんは、未完の第39回(昭和33年/1958年・上半期)のときも、完結後の第40回(昭和33年/1958年・下半期)のときも、相当この『日本工作人』に肩入れしているんですよね。のみならず、その後も津田さん6度の直木賞候補のうち、一、二作を除いては、かなり津田さんを買っているのです。推すとなったらひたすらその人を推す、これぞ“政二郎流儀”の面目躍如です。

          ○

 さあ、『日本工作人』がおのずと備えている“奇縁力”は、2度も直木賞候補に挙げられただけに収まりません。なぜかこの小説は、『幻想の英雄』へとつながっていきます。津田さんは、この作品があったがゆえに、小野田寛郎少尉の手記を書くというゴーストライター役が、自分に回ってきたのだと推測されているのです。

「私は戦争末期に兵隊にとられ、終戦のときは満州の予備士官学校に在学していた。その後、ソ連軍の捕虜になり、さらに八路軍の病院で数ヵ月働いた。そうした体験を元にして昭和三十三年に『日本工作人』という長編小説を上梓した。私にとってはじめてのこの長編は、その後長らく絶版になっていたが、昭和四十七年に中国ブームが起こったとき、ある出版社が目をつけ、すすめられるままに再刊した。このリバイバル本を私は、関係している週刊誌の編集者たちに贈った。小野田寛郎も予備士官学校を出ている。手記の代筆を誰に頼もうかと協議したとき、編集者たちが私の経歴を思い出したに違いなかった。」(昭和52年/1977年7月・図書出版社刊『幻想の英雄』より)

 『幻想の英雄』をワタクシが名作だと思う理由は、小野田手記のゴーストライターだったことを自ら名乗り出たっていう衝撃、って要素もあります。だけど、それよりも、小野田さんが帰国した昭和49年/1974年当時の、小野田“フィーバー”が醸し出している馬鹿馬鹿しさ……を通り越した、気持ち悪さ、おぞましさ、恐怖ってやつが、冷静な筆によって描き出されているからです。読んでみてくださいよ。世間の人気者・小野田少尉を取り扱うときの、某大出版社のお偉方たちの態度や行動といったら……。なんなんだ、この資本主義ジャーナリズムの醜さは。

 まあまあ、『幻想の英雄』はちょっと刺激的すぎて今でも復刊は難しいでしょうけども。平野謙・山本周五郎ご推奨の、芥川賞候補「瞋恚の果て」「風の中の」や、小島政二郎ご推奨の『日本工作人』以下、直木賞候補の数々は、ぜひとも、よみがえらせてほしいものです。

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コメント

はじめまして、津田信42歳の時に生まれた息子です。
親父の命日が来月となり、なんとなく「津田信」で検索を入れ、ここへヒット、ビックリしてコメントを入れることになりました。
母から親父の若き頃のことは聞いておりました、その母も他界し、このサイトで初めて知ることが、沢山ありました。ありがとうございます。
私からすると、作家の父ではなく、「川釣り」「タバコ」「コーヒー」そして「女」が好きな父でした。(墓参りには「コーヒー」「タバコ」は欠かせません)
「日本工作人」の扉に著者近影で父が出ておりますが、3人いる息子で一番似ているのが私です。(自分でもこの写真は似ているとビックリしております)
※親父の葬式でも周り方から父の若き頃によく似ていると言われたことを思い出します。
津田信の息子(現在40歳)より

投稿: 津田信の息子 | 2008年10月 6日 (月) 00時30分

津田信の息子さん

こんな細々とやっているサイトをお目に留めていただいて、
ブログを書き続けている甲斐が少しはあったものだと嬉しく思っています。

津田信さんは、そうですか、「川釣り」はワタクシの範疇外ですけど、
それ以下の3要素がお好きだったと知って、
勝手ながら、よけい親近感が沸いてきました。

津田さんの作品が、もっと容易に読めるようになることを、
切に祈ります。

投稿: P.L.B. | 2008年10月 6日 (月) 22時12分

日経の尾崎文化部長さん・加藤整理部長・中柄良ペンネームの次の整理部長・ヤマシュウさんに彼と一緒に行きました。秋田文学・小国敬二郎日経秋田支局長・その娘さん「よし子ちゃん」?が横綱大鵬のヨメさんに・千葉治平・立原正行と大ケンカ・徳田秋声大好きでしたね。大村彦次郎「文壇うたかた記」の項目、世に出損なった作家のなかで、「津田信」の文学賞候補記録とか、惜しい人だった、と大変褒めていました。と・いろいろ。ずっとパソコンで「津田信」を探し続けましたが、今日「山田順」プライベートサイトでも「津田信」がでて、大磯の順ちゃんを思い出したり、興奮しました。84才でカミさんも82才で健在。これ、まだ話してないが、きっと気絶しちゃうかもね。いやア、お騒がせしました。

投稿: 高橋義弘 | 2009年10月10日 (土) 20時54分

高橋義弘さん

おお、生前の津田信さんとご交遊のあったお方が、わざわざこんなブログのコメント欄に書き込んでくださって、ありがとうございます。
津田さんのご長男、山田順さんがサイトを開かれていたのですね。しかも、津田さんのさまざまな作品がネットで読めるなんて……。
すばらしい。ありがたい。感動ものです。

投稿: P.L.B. | 2009年10月12日 (月) 21時43分

『幻想の英雄』読みましたが、関心できるものではありません
小野田さんは手記の代筆、しゃべった事をそのまま書いてくれと頼まれてます
津田信さんが納得せず、すこし改編したのですが、それでゴーストライター名乗り出るのはいかがなものでしょうね
小野田さんを信用できないという、個人的な感想が書かれてるだけでしかありません

投稿: まる | 2014年1月19日 (日) 21時17分

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