ファンタジーかお笑いか。……お笑いですけど、それが何か? 第29回候補 飯沢匡「腸詰奇談」
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- 【歴史的重要度】… 3
- 【一般的無名度】… 2
- 【極私的推奨度】… 4
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第29回(昭和28年/1953年・上半期)候補作
飯沢匡「腸詰奇談」(『別冊文藝春秋』32号[昭和28年/1953年2月])
問題です。『別冊文藝春秋』がこの世からなくなっても直木賞は続けていかれるでしょう。では逆に、直木賞がなくなったら、果たして『別冊文藝春秋』は一人で立っていかれるでしょうか。
正解は知りません。にしても、あの中途半端な立ち位置を保持したまま、世知辛い資本主義社会でいまも残っている姿が、けなげだ。素晴らしい。がんばれ、『別冊文春』。
なぜか一つの出版社に似通った路線の雑誌が二つあります。片や部数7万部、中間雑誌界でもトップセラーの地位を守っているのに、片や部数1万部ちょい。心配と不安の入り交じる低空飛行。『新潮』とか『文藝』とかと大差ありません。そのくせエンタメ誌の顔をしています。
そんな『別冊文春』は、創刊が昭和21年/1946年。最初の頃は、すでに名の売れた大家とか純文学作家とかに誌面を提供して、まさに誌名の通り、『文藝春秋』本誌の文芸欄を拡大してそのまま雑誌にしちゃったようなものでした。芥川賞や直木賞をとったような人が、あとで作家生活で食いつないでいくときのための舞台をつくってあげたわけであって、それはそれ、受賞者を投げ捨てにしないこの出版社の、えらいところでもあります。
それから、時流は中間小説大はやりだあ、の線路にのって、ゴッタ煮で何でもありの娯楽誌『オール讀物』がひた走る中、でもよ、あんなマンガだの下品な読み物だのが混じった低級雑誌なんて買えるか、という良識派のために、もう一車両、『別冊文春』もガガーッと疾走しました。
そうはいっても、新人作家やら、直木賞をもうじきとりそうな人々のテリトリーは、すでに『オール讀物』が提供していたので、『別冊文春』のほうはしばらく、そんな連中にはちと敷居の高いハイグレード(?)雑誌だったわけです。
とか言っているうちに、直木賞がぐんぐぐーんと有名になるにつれて、出版社にとっては、直木賞受賞者はもちろんのこと、直木賞をとる前の、初々しい作家の作品でも客がとれるようになっていきます。それまで“候補作製造マシーン”としての機能は、芥川賞なら『文學界』、直木賞なら『オール讀物』と相場が決まっていました。そこに『別冊文春』が割り込んで、直木賞なら『別冊文春』に発表しなきゃ駄目だよ、ってなふうになるのは昭和40年代以降のことです。
あのね、これって、たまたま、じゃないんですよ。ワタクシ一人の邪推でもないんですよ。
当時の『別冊文春』は、『文學界』の編集部が兼務して編集していました。とくれば、その営業的編集戦略もおたがいに何らか重なり合うはずです。“候補作製造マシーン”化もそのひとつ。芥川賞と直木賞が、作家が頑張って作品を書く格好の目標であることを最大限に活用し、自らの雑誌を勢いづかせるために、うちの雑誌に書けば候補の近道、っていう看板をおったてた豊田健次編集長の功績は、そりゃあ尋常じゃありません。
○
ええと、前置きが長くなりました。さて、今回の名候補作です。「腸詰奇談」です。
この作品が載った頃の『別冊文春』はまだ変容前です。その面からして、当時としてはそうとう異色です。ちなみに同誌が生み出した直木賞候補作は、これが第一号でした。
作者の飯沢匡さんは……有名人ですから、今さらここでご紹介することもないでしょう。劇作、とくに喜劇において一家をなし、自分で書くだけじゃなくて演出もこなし、途中ちょこちょこっと小説も書き、ロマンスグレーなる和製英語を流行らせ、「怒庵」と綽名された父の血を受け継いで社会風俗に対する怒りの雑文を書き続けた、そんなお方です(ちょっと端折りすぎですか)。
「腸詰奇談」は、いわゆる“諷刺”もの。年老いた首相の身に起きた異常事態、それはある朝起きたら、なんと自分の腸が、腸詰め(ソーセージ)になっていた、ってところから始まる、あれやこれやの珍事態が繰り広げられます。
古いアタマの持ち主でも、ああこれは諷刺だなと簡単にわかる“政治諷刺”。どうですか。直木賞では分の悪いユーモア小説類の中でも、いかにも“昭和20~30年代文春的ユーモア”満点じゃないですか。
ただ、選考会では否定されちゃいました。そうか、直木賞の法則からすれば、“何が何をどういうふうに諷刺したものか、はっきりとわからないと高点を得られにくい”んですもんね。飯沢さんのユーモア感覚は、ちょっと飛びすぎてましたかね。
ワタクシは好きです。この“飛びさ”加減が。
○
飯沢さんには510ページに及ぶ『権力と笑のはざ間で』(昭和62年/1987年6月・青土社刊)という自伝があります。いや自伝じゃないな、朝日新聞社を辞めて筆一本で生きる決心をした頃、つまりこの「腸詰奇談」が発表された昭和28年/1953年頃までで終わっていて、これは半生記前篇、といったところです。
お得意の辛辣な筆致は、ここでも生きています。たとえば、賞ってものに対する飯沢さんご自身の考え方とか。
「今の文士たちは芥川賞とか直木賞とか、血相をかえて意気込むようだが、賞なんてものはある意味で無責任なものである。これは私がいくつかの賞(例えば菊池寛賞とかオール読物新人賞、文春漫画賞等々)の選考をやってみていってることだが、決して公平無私のものでなく、各委員間の妥協と取引きみたいなこともかなりある。「この男を一つ頼む」などと平気でいう選考者もいるくらいなので、候補者たちがやきもきするのは馬鹿気ている。だから、私は賞には無関心で過して来たが、この時(引用者注:昭和18年/1943年にNHKラジオ賞を「再会」で受賞した時)が私の賞の貰い始めなのに余り強い印象はないのである。」(「「北京の幽霊」から「鳥獣合戦」まで」より)
げ。飯沢さんの挙げている「例えば」は、あなた、全部、文春の賞じゃないですか。その経験を経て、「賞の選考は公平無私のものではない」なんて感想を述べられておりますぞ。ふふふ。
劇作にかける熱い思いとは裏腹に、飯沢さんは文壇だの劇壇だのには極力近寄りたくなかったそうです。小説を書いたのも、それが直木賞候補になったのも、かなりヒトゴトのご様子です。
「私が小説を書くようになったのは全く他発的のもので、文芸春秋が放送劇作家の中から小説の書けそうなヤツというので短篇を書かせられた。」
「私はグラフ(引用者注:『アサヒ・グラフ』)の編集長伴俊彦氏を通じて文壇の系譜のようなものを知ったが、文壇に近づく気持は、ついに持たなかった。しかし文壇の中に私を小説界に押し出してやろうという考えの人がいたらしく、私は第三十回あたりの直木賞の候補者になった時は、大いに驚いた。」(「「人形絵本」と「日曜娯楽版」」より)
で、この後、源氏鶏太のことに触れられています。同時期に小説雑誌を賑わし始めた同じサラリーマン出身作家だったこともあって、いろんな座談会などで一緒になったんだとか。でも、あっちは「笑いといってもペーソスといった日本人の大好きなセンチメンタリズムに基礎を置いた湿めっぽい笑い」、こっちは「乾いた笑い」を目指していたのに、ジャーナリズムの連中からは一緒のものにくくられて、飯沢さん、ちょっとご機嫌ななめ。
○
まあ、ユーモア=笑いの世界が低く見られがちなのは、とくに文学賞の分野では顕著でしょう。ある作品のことを「ファンタジーか、お笑いか」と切り捨てるベテラン作家がいることでもわかるように。
そこまで極端に行かなくても、笑いを「高尚な笑い」と「低級な笑い」に区分しちゃうような傾向は、直木賞の選評を読んでいてもぷんぷん匂ってきます。それこそ源氏鶏太さんのユーモアは文学賞向きだけど、飯沢匡さんや、筒井康隆さんの「ベトナム観光公社」や「アフリカの爆弾」みたいなパロディがかった作品は文学賞向きではない、って何でそうなっちゃうの?
人を楽しませる小説が対象のくせして、案外、ユーモア満載の候補作は少なかったりして。まあ、昭和47年/1972年まで待ってようやく、井上ひさしさんがその暗雲の候補作界をぱあっと明るく照らしてくれたんで、よしとしましょうか。
「日本では(引用者中略)「喜劇作家」とは「痴れ者」の別称であり、深刻で暗鬱な人生を展開する悲劇作家こそ上質な芸術家という迷信が、実に強固なのである。「笑い」の従事者は柳田国男が、いみじくも、つとに喝破したように「不幸な芸術」家なのだ。
差別語なんていうが明らかに「笑い」に従事して来た者は永らく差別されて来たし、喜劇作者なんて者は劣等視されたままなのである。」(昭和53年/1978年6月・講談社刊『飯沢匡のもの言いモノロオグ』「「笑い」の作者の報酬は胃から出る血だけ」より)
純文学から劣等視される大衆文学。さらにその中でも「笑い」を前面に押し出して劣等視されるユーモア文学。ええと、もっと言うと、その中でも政治や権力者を諷刺して笑いを誘うユーモア連からは、弱い者いじめをすることで笑いをとろうとする作品は劣等視されたりして。どんな人の下にも、もっと下がいる。これって士農工商ほにゃほにゃら、ってやつですか。それとも目糞、鼻糞を笑う、ってやつですか。
しかも面白いのは、こういった序列の存在そのものが、笑いにとっては立派なネタになるってところです。おのれの尻尾をおのれが食う、ベンゼン環の夢ですなあ、これは。
「腸詰奇談」直木賞落選、惜しいけれども我慢しましょう。奇想天外の先駆者・飯沢匡さんにしても、彼が文学座の劇を書いていた頃からの良き理解者、岩田豊雄=獅子文六さんにしても、彼らのユーモア文学を直木賞は「候補どまり」にしちゃったんですが、それはそれで、いよいよこのブログを書いている意味があろうと言うもんです。忘れられたはずの候補作にこそ、楽しい名作がゴロゴロ転がっているんだもの。
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