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2008年8月の5件の記事

2008年8月31日 (日)

戦争物です。軍人物です。でも、どこに面白さを感じるかは読み手次第です。 第12回候補 伊地知進「廟行鎮再び」

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  • 【歴史的重要度】… 4
  • 【一般的無名度】… 4
  • 【極私的推奨度】… 2

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第12回(昭和15年/1940年・下半期)候補作

伊地知進「廟行鎮再び」(『オール讀物』昭和15年/1940年10月号)

 元・銀行マンが、金融界を舞台にした小説を書く。元・旅行代理店空港勤務の人が、空港を舞台にした小説を書く。……そして戦前には、元・軍人が戦線を舞台にした小説を書いていた。うん、何の不思議もない展開です。

 元・陸軍歩兵大尉、伊地知進さん。昭和10年台、大衆文学陣営でかなり期待された新進作家です。第12回(昭和15年/1940年・下半期)、選評を読むかぎりでは、村上元三じゃなくてこの伊地知さんの「廟行鎮再び」が受賞に決まったとしても、おかしくない成り行きだったようです。

 伊地知さんが落とされた要因のひとつは、「この一作だけでは不安だ。もう少し見てから」という、あのお決まりの弱腰批評。え、またですか。……いや、そんな昔からですか。

 対する村上さんのほうは、候補作「上総風土記」の出来ってよりも、数年来の業績を鑑みたうえで受賞されていたりして。始まって12回目の段階ですでに、“直木賞”の持つ定型パターンのひとつが出来上がっていたんですな。

 それはそうと、この頃あたりの直木賞候補群の特徴は、戦時下を思わせる“日本人および日本精神礼讃”小説がじわじわと現れ始めたことにあります。それら作品の筆は、好戦的って感じじゃありません。未熟なるぞよアジアの下々たちよ、よし伝統ある我ら日本人がその高邁なる精神でもって、君らの苦境を救ってあげようね、っていうような、押しつけ友好主義がそこかしこに出てきます。

 とくに、伊地知さんでは、第16回(昭和17年/1942年・下半期)推薦候補作「昭南の地図」なんかそうです。

 いやいや、ご本人は真剣に書いているのだとは思いますよ。載っけた『オール讀物』誌の編集者たちも、真剣だったんだと信じますよ。それでもワタクシ、この作品を読んでいて、一番最後の締め方に、不謹慎ながら笑ってしまいました。これは60年以上たった今だからこそ、ぜひ読まれるべき小説だと思います。高尚なギャグ小説として。

 「廟行鎮再び」は、2年後に発表されたこの「昭南の地図」に比べてギャグ味は少ないです。ただ、「軍人たるもの、言い訳はしない」という主人公(語り手)の信念で作品が築かれているのかと思いきや、結局めめしく過去のことをずらずら述べてしまっていて、軍人だって一人の人間でしょ、これぐらいの人間味はあったっていいじゃない、と言いたかったんじゃないかと読めてしまうところなどは、面白いんだよなあ。

 あ。それと、この小説はどこまで「伊地知進」本人の経験や来歴を反映しているんだろう、と推測させる記述のあるところも、興味ぶかい理由の一つだったりします。

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2008年8月24日 (日)

通俗小説の名作。もっとも“直木三十五”的だよな、と思いきや……。 第4回候補 角田喜久雄『妖棋伝』

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  • 【歴史的重要度】… 3
  • 【一般的無名度】… 2
  • 【極私的推奨度】… 4

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第4回(昭和11年/1936年・下半期)候補作

角田喜久雄『妖棋伝』(昭和11年/1936年7月・新潮社刊)

 戦前に、探偵小説で直木賞をとったのはたった一人しかいません。だからと言って、戦前の探偵小説に元気がなかったと断じる人は、きっと誰もいません。

 しかも、唯一の受賞者が、なぬ? 木々高太郎だって? 何でやねん。と思わせてしまうところが、さすが直木賞、ちと常人の感覚からズレています。

 このズレは、ことに昔は、おおよそ直木賞がはらんでいた自縄自縛に由来していて、つまり、賞を「大衆文芸」に与えると規定してしまったことに無理がありました。大衆文芸とは何だ、そうだ、少なくとも大衆文芸だって「文学」である、そしてそこに通俗小説は含まれない。これが初めの頃の直木賞選考委員会の立場です。でも、たいていの大衆は、文学よりも通俗を愛します。直木賞が、いったいどんな小説を奨励しようとしているのかわからない、なんだかヘンテコリンな賞になっていくのは、当然の流れです。

 第4回(昭和11年/1936年・下半期)は、ようやく直木賞がその選考体制を整え始めた時期にあたり、早くもその無謀さゆえの齟齬がニョッキリ頭を見せた回でもありました。獅子文六でも、小栗虫太郎でも、そしてこの角田喜久雄でもなく、木々高太郎を選んでしまいます。

 木々さんの作品がよくない、ってわけじゃないですよ。ないんですが、『人生の阿呆』ってそんなに面白いか? って疑問は別にワタクシだけじゃなく、すでにいろんな人が語っています。面白さで言うなら、獅子文六が『新青年』に書き出した頃の諸作のほうに軍配が上がりそうなもんです。うーん、これって結局は、選考会内における、「文学」重視の久米正雄小島政二郎連合(木々を推しました)と、芥川賞との掛け持ちでない専任委員の吉川英治(獅子を推しました)との、当時の発言力の差、なんだろうかと思いたくなるところです。

 で、角田さんの『妖棋伝』です。

 通俗性で測るならば第4回候補作のうち抜群のトップでしょう。「大衆文芸」なんて誰もその基準を明確に示すことなどできないんですから、通俗性もまた、大衆文芸の重要なる一要素だとして、直木賞が取り上げたって何の不思議もなかったはずです。

 しかし、そうはなりませんでした。通俗性なぞを評価して、直木賞がさらに文壇から軽蔑されるのを我慢する勇気が、当時の直木賞関係者にはなかったからです。たぶん。……っていうかねえ。軽蔑も何も、直木賞はほとんど文壇からは黙殺・無視されていたんですから、そんなに気にすることなかったんですけど。気にしすぎ。

 読み捨てられ、時代とともに消えていくのが(直木賞の受賞作といえども)大衆文芸の運命なんでしょうけど、『妖棋伝』の面白さを、来たる世の中に伝えられないなんて惜しすぎる。

 と思ったら、まだこれ、新刊本として普通に書店で手に入るんですね。すげーぜ、春陽堂。あっぱれ、春陽堂。通俗小説よ、永遠なれ。

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2008年8月17日 (日)

意味なきものになり果てた直木賞に、小さな光明を投げかける。 第137回候補 万城目学『鹿男あをによし』

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  • 【歴史的重要度】… 1
  • 【一般的無名度】… 2
  • 【極私的推奨度】… 4

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第137回(平成19年/2007年・上半期)候補作

万城目学『鹿男あをによし』(平成19年/2007年4月・幻冬舎刊)

 久しぶりに、“直木賞”っぽさ満点の候補作が生まれました。

 ええ、たしかに、それはワタクシ一人が個人的に抱いた印象に過ぎないんですけど、三田完森見登美彦に比べて、さらに“直木賞”っぽいと感じてしまったのはなぜなんだろう。それを考えて突き詰めていくと、どうやら、わずかデビュー二作目である、しかも雑誌掲載の使い古しなんかじゃなく書き下ろしである、しかもその前のデビューが産業編集センターである、というところに落ち着きそうです。

 直木賞は、ある程度実績を積んだ人でないと受賞できない、といった一般論があります。それが真か偽かは、単なる印象じゃなくて詳細な研究を経てからでないと、とても断言できないんですが、まあ、それはいいとしましょう。ただ、ワタクシは、直木賞の唯一にして最大の使命は、新たな面白い小説やそれを書く作家との出逢いを、我ら読者に定期的にもたらしてくれることだと強く信じていて、またそういう“直木賞”が好きです。

 なので、本来なら『鴨川ホルモー』を候補にしてほしかったな。

 バッカじゃないの。産業編集センターみたいなところの本で、直木賞なんかとれるわけないじゃん。

 といった権威主義が、直木賞をつまらなくし、また弱体化させている一因のはずです。ここはひとつ直木賞をやっている方々も、また直木賞を見守る我々も、勇気を持とうぜ。

 小規模の出版社から出た本? しかもデビュー作? ノープロブレム。直木賞の歴史から考えても、立派に候補作の資格アリアリです。

 で、このことを語る上では、やっぱり“出版社の規模”ってやつを数値的にとらえておかなきゃいけません。たとえば、第131回(平成16年/2004年・上半期)から現在までのほんの数年間だけですけど、直木賞候補作に選ばれた出版元(プラス産業編集センター)を例にとってみます。いったい各社、どの程度の規模の会社なんでしょうか。規模、……ここでは、年商と従業員数で計ってみました。

080816 上のほうに固まった第1グループの面々は、もう出版社なのか何なのかよくわからないシロモノぞろい。大きく差があいて、文春の属する第2グループ。いちおうここら辺りが「大手」なんて言われます。

 さらに年商100億を超えたぐらいのところに第3グループがあって、その下はもう、老舗、老舗もどき、新興などがひきしめき合う様相。

 注目すべき領域が、この第4グループなのは明らかです。これからの直木賞が、その異常に肥大化した力をしっかり発揮できる領域って意味でも。そしてその兆しは、近年もはや絶えたかに思えますが、どっこい、まだチラッチラッとほのめいています。

 そうだね、貫井徳郎『愚行録』散々な結果だったよね、でも桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』は健闘したよね、池井戸潤『空飛ぶタイヤ』あとちょっとだったよね、松井今朝子『吉原手引草』でようやく第3グループから受賞作が誕生したよね。

 むろん、その候補作を選ぶのが、第2グループの一角を占める某社だってところに、“直木賞なんて結局……”とあきれられる源があるんですけど、いやいや、某社の中にも、きっと愛社精神に縛られない、公平な人間も少しはいるでしょう。ねえ。あの会社の方たちが敬愛、尊敬してやまない菊池寛さんは、「芥川賞・直木賞は半分は雑誌の宣伝のためにやっている」とおっしゃっていますが、どうぞその言葉を曲解(誇大解釈)なさらないように祈ります。だってねえ。自社の媒体に発表した新人ばかりを厚遇して、他社が発掘した新人よりもひいきしている、なんて知ったら、菊池親分、きっと怒りますよ。

(上の図は、なるべく最新の数字を使ったつもりですけど、平成17年/2005年度~平成20年/2008年度のデータが混在しています。あくまで目安として見といてください)

 さて、そろそろ、『鴨川ホルモー』じゃなくて正真正銘の直木賞候補作『鹿男あをによし』のハナシをしましょうか。

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2008年8月10日 (日)

訳あって初版本は2種類アリ。文庫化はいまだナシ。でもこの作品の面白さは、まったく揺るぎなし。 第125回候補 山之口洋『われはフランソワ』

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  • 【歴史的重要度】… 3
  • 【一般的無名度】… 2
  • 【極私的推奨度】… 4

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第125回(平成13年/2001年・上半期)候補作

山之口洋『われはフランソワ』(平成13年/2001年2月・新潮社刊)

 第121回(平成11年/1999年・上半期)~第130回(平成15年/2003年・下半期)は、ほとんど“今”と言っていい、ほんのちょっと前の出来事です。この期間の候補作は全部で57作品、ちょうどみんな次々と文庫化されていますので、手軽に読むことができますね。

 たった一作を除いては。

 単行本から7年半たつのに、いまだに文庫化されないのは、出版業界=自転車操業の今にあって、直木賞候補作としては大変珍しいわけです。なぜこれほど面白い小説が、ノー文庫なのか。よっぽど新潮社は、これが文庫読者に訴えかける力に乏しくて、採算が合いそうにないと判断しているんですか。

 と、採算のことを持ち出すならば、やっぱり『われはフランソワ』の、刊行直後のあのプチ騒動(?)が頭をよぎるわけです。

歴史小説「われはフランソワ」に職業差別の表現、新潮社が自主回収

 新潮社は二十八日までに、山之口洋氏の歴史小説「われはフランソワ」に職業差別を助長する表現があったとして、初版の六千部の自主的な回収を始めた。

 この本は、十五世紀フランスの叙情詩人フランソワ・ヴィヨンの生涯を描いたもので、二月に刊行された。物語の中盤、百年戦争の描写のなかに、食肉処理業を差別し、誤ったイメージを広げる表現があったという。四月初めに改訂版を出す。」(『朝日新聞』平成13年/2001年3月29日 社会面より)

 初版6,000部をまるまる棒に振って、改訂版を何部刷ったかはわかりませんが、そのコストロスが大きくて、仮にその後に直木賞候補に挙がって少し取り返せたとしても、まあ文庫化までする決断にいたらなかったのでしょうか。残念。

080810  当時ワタクシが買ったのは、おそらく改訂版のほうだと思うんですけど、背表紙のマークが「6葉」(画像左)から「4葉×4」(画像右)に変わった以外に、改訂版であることを匂わす記述なんて、どこにもありません。奥付の発行日も「2001年2月20日」としか書いていないし。改訂したことぐらい、はっきり書いといてくれれば親切なのに。新潮社のいじわる。

 しかし、どんな記述が、『われはフランソワ』に2種類の初版本を生み出す原因になったのか。そこが気になりますよねえ。

 どれどれ。へえ、これが食肉処理業を差別し、誤ったイメージを広げるおそれがあるんですか。

「敵の雑兵どもが陽気に語りながら、金目のものを探して鎧とその中身をひとつずつ物色していた。まだ息のある者は、すぐさま短剣でとどめを刺された。わたしが横たわったすぐ近くで、あるいは遠くで、鎧の隙間から身を貫かれ、喉首を掻き切られる者たちの断末魔の叫びが、沼の瘴気のように立ちのぼり、時に独唱し、時に合唱した。さっきまで戦場だったアザンクールの地は、いまは戦場ですらなく、敗れ、反抗する気力も失ったわが将兵の屠」(『われはフランソワ』「ダイヤのA」180ページ、6行目以降より)

 おっとっと。危ない危ない。

 ところで、新潮社さん。書店に呼びかけた迅速な対応はいいんですけど、全国にちらばっている各図書館からも、自主回収を徹底しなくて大丈夫なんですか。って今さら遅いか。

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2008年8月 3日 (日)

迷宮の本領発揮。ミステリーかと思わせて、別の魅力でもって選考委員たちを惑わせる。 第120回候補 服部まゆみ『この闇と光』

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  • 【歴史的重要度】… 2
  • 【一般的無名度】… 2
  • 【極私的推奨度】… 4

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第120回(平成10年/1998年・下半期)候補作

服部まゆみ『この闇と光』(平成10年/1998年11月・角川書店刊)

※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。

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