訳あって初版本は2種類アリ。文庫化はいまだナシ。でもこの作品の面白さは、まったく揺るぎなし。 第125回候補 山之口洋『われはフランソワ』
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- 【歴史的重要度】… 3
- 【一般的無名度】… 2
- 【極私的推奨度】… 4
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第125回(平成13年/2001年・上半期)候補作
山之口洋『われはフランソワ』(平成13年/2001年2月・新潮社刊)
第121回(平成11年/1999年・上半期)~第130回(平成15年/2003年・下半期)は、ほとんど“今”と言っていい、ほんのちょっと前の出来事です。この期間の候補作は全部で57作品、ちょうどみんな次々と文庫化されていますので、手軽に読むことができますね。
たった一作を除いては。
単行本から7年半たつのに、いまだに文庫化されないのは、出版業界=自転車操業の今にあって、直木賞候補作としては大変珍しいわけです。なぜこれほど面白い小説が、ノー文庫なのか。よっぽど新潮社は、これが文庫読者に訴えかける力に乏しくて、採算が合いそうにないと判断しているんですか。
と、採算のことを持ち出すならば、やっぱり『われはフランソワ』の、刊行直後のあのプチ騒動(?)が頭をよぎるわけです。
「歴史小説「われはフランソワ」に職業差別の表現、新潮社が自主回収
新潮社は二十八日までに、山之口洋氏の歴史小説「われはフランソワ」に職業差別を助長する表現があったとして、初版の六千部の自主的な回収を始めた。
この本は、十五世紀フランスの叙情詩人フランソワ・ヴィヨンの生涯を描いたもので、二月に刊行された。物語の中盤、百年戦争の描写のなかに、食肉処理業を差別し、誤ったイメージを広げる表現があったという。四月初めに改訂版を出す。」(『朝日新聞』平成13年/2001年3月29日 社会面より)
初版6,000部をまるまる棒に振って、改訂版を何部刷ったかはわかりませんが、そのコストロスが大きくて、仮にその後に直木賞候補に挙がって少し取り返せたとしても、まあ文庫化までする決断にいたらなかったのでしょうか。残念。
当時ワタクシが買ったのは、おそらく改訂版のほうだと思うんですけど、背表紙のマークが「6葉」(画像左)から「4葉×4」(画像右)に変わった以外に、改訂版であることを匂わす記述なんて、どこにもありません。奥付の発行日も「2001年2月20日」としか書いていないし。改訂したことぐらい、はっきり書いといてくれれば親切なのに。新潮社のいじわる。
しかし、どんな記述が、『われはフランソワ』に2種類の初版本を生み出す原因になったのか。そこが気になりますよねえ。
どれどれ。へえ、これが食肉処理業を差別し、誤ったイメージを広げるおそれがあるんですか。
「敵の雑兵どもが陽気に語りながら、金目のものを探して鎧とその中身をひとつずつ物色していた。まだ息のある者は、すぐさま短剣でとどめを刺された。わたしが横たわったすぐ近くで、あるいは遠くで、鎧の隙間から身を貫かれ、喉首を掻き切られる者たちの断末魔の叫びが、沼の瘴気のように立ちのぼり、時に独唱し、時に合唱した。さっきまで戦場だったアザンクールの地は、いまは戦場ですらなく、敗れ、反抗する気力も失ったわが将兵の屠」(『われはフランソワ』「ダイヤのA」180ページ、6行目以降より)
おっとっと。危ない危ない。
ところで、新潮社さん。書店に呼びかけた迅速な対応はいいんですけど、全国にちらばっている各図書館からも、自主回収を徹底しなくて大丈夫なんですか。って今さら遅いか。
○
「おれ」の名はフランソワ。パリのサン=ブノワ教会の司祭、ギョーム・ヴィヨンに育てられました。母親は、河を隔てた界隈に住む娼婦です。
長じてパリ大学の学生となり、酒と遊びの日々を送ります。卒業後は、代書屋に勤めながら、居酒屋で詩をよんでは酔客たちから喝采と笑いを浴びる毎日です。
ところが、そんなある日、女性問題で不良司祭と大喧嘩となり、挙句、その司祭を死に至らしめてしまいます。
「おれ」は、殺人事件のほとぼりがさめるまでと、巡礼者のふりをしてパリを出奔。その道中で、たまたま追い剥ぎ一味の頭領コランと出会い、仲間に加わります。
いったんはコランたちと別れて、パリに戻るのですが、再び「おれ」の前に姿を現した悪党コラン。彼の指示で、「おれ」はナヴァール学寮の礼拝堂に手引きし、窃盗に荷担することに。
またもパリから姿を隠さざるを得ない事態に陥り、「おれ」は行商人に化けて旅に出ます。行く先々で、パリ時代と同じように居酒屋で詩を披露していると、ブロアの街で、ブロアの城主オルレアン公シャルルにお目通りがかなう機会が転がり込んできました。
殿の前まで連れていかれた「おれ」、一つ二つ即興で詩を詠じます。あまりのおふざけぶりに一喝くらうものの、その才能は確かに認められ、客分として城に迎えられます。
シャルルは、イギリスとの間に行われた戦いに参加し、それに人生を翻弄された男。30歳以上も若い公妃マリーと暮らしています。
城で詩会が開かれることになり、「おれ」も詩人のひとりとして参加することになります。数多くの客人の前で、マリー妃の前で、《無関心》を体現する城主シャルルの前で、自作の詩を披露するのです。そして、このとき、「おれ」はマリーと、ある賭けをしました。
○
第125回(平成13年/2001年・下半期)は、藤田宜永『愛の領分』が受賞したことで、各マスコミとも自らが課した伝統を守り切れず、不覚にも、珍しく直木賞のほうを芥川賞より多めに報道してしまった回です。その珍しさゆえに、あの人たちは、作品内容とか選考過程とか、そういう基準じゃなく、全然別のところで報道量の多寡を決めているんだ、ということを嫌でも認識させられた回でもありました。
でも、選考会では、“この人は奥さんが先に直木賞とってるから”とか、そういうこと以外のところでも、作品を選考しているらしいです。できれば、そっちのほうこそ大きく取り上げてほしいんだけどな。
「直木賞は、藤田さんがずぬけた評価を受け、票では、真保、奥田、田口、東野、山之口、各氏の順だった。
(引用者中略)
山之口作品は「何を書こうとしたのか」など、厳しい指摘にさらされた。」(『産経新聞』平成13年/2001年8月12日 読書面より)
ん? 『われはフランソワ』は候補作中ビリっけつ?
ええと、「何を書こうとしたのか」と厳しい指摘を放ったのは、別に選考会の総意ではなく、その言葉遣いから何となく想像がつくように、記者会見の壇上に立った渡辺淳一さんだけの感想ですから、まあそんなに気にしないで下さい。
淳一さんの選考やその言葉は、ある意味、観客たちの爆笑を誘うための意識的な“芸”ですから、いいんですけど、11人の選考委員のうちで、好意的な選評を書いているのは、ただひとり平岩弓枝かあさんだけです。お、弓枝さん、『われはフランソワ』お好きですか。気が合いますなあ。
勝手なイメージで、まさか40歳も年上の弓枝かあさんの感覚と、自分の好みが似通うことなどないと決め付けていたら、結構、彼女の推す作品を自分も好きだったりして。弓枝かあさんの嗜好、あなどれぬぞ。……こっちが年くっただけのことかもしれないけど。
でも、弓枝かあさんの後ろ盾をもってしても結局すぐに絶版かあ。世知辛いなあ。一応、この作品の数少ない味方(のはず)の新潮社は、単行本を売り出している段階では、美辞麗句でこの小説を褒め称えていました。
「七月、直木賞の候補作に選ばれたことが報じられると、『われはフランソワ』の売れ行きは、グンと加速しました。(引用者中略)初挑戦の直木賞受賞は果たせなかったものの、「息もつかせぬ面白さ」「ピカレスク・ロマンの傑作」と、読み物としての魅力は、すでに保証付きです。」(『波』平成13年/2001年9月号「新潮社の新刊案内」より)
保証ですと?
そんな保証でいいならば、ワタクシも胸を張って言いたい。『われはフランソワ』は、“遊び心”は人生を豊かにしてくれる、また人生を狂わせもする、と感じさせてくれると同時に、“邪気”ってやつはいつの時代でも人に爽快感を味わわせてくれる大切なものなんだな、と読んで無性に愉快になれる小説であることを、断固、保証します。
でも、いくら読者が保証したって、文庫にまではならぬようで。ああ、虚しいなあ。『われはフランソワ』一ファンの保証なんてものは。そして、売り手側が繰り出す宣伝文句なんてものは。
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