編集者が丁寧に短篇を選び分けていた最後の世代。 第104回候補 東郷隆「水阿弥陀仏」
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- 【歴史的重要度】…



4 - 【一般的無名度】…
1 - 【極私的推奨度】…


3
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第104回(平成2年/1990年・下半期)候補作
東郷隆「水阿弥陀仏」(平成2年/1990年11月・東京書籍刊『人造記』より)
隆さんの次の週にまた隆さん、とは何と出来すぎた流れじゃありませんか。
半分はネラいです。でも半分はほんと偶然です。
平成の直木賞を語るうえで、宮部みゆき、東野圭吾と並んで絶対欠かしてはならない存在、おひとり目の宇江佐真理さんについては『ウエザ・リポート』の回で取り上げました。そして、もうおひとかたが、この東郷隆さん。なにせ候補回数が6度もありますので、どれを「名候補作」とするか迷いましたが、うん、ここは衝撃の一発目でしょう、やはり。
でも今回は、東郷さんご自身のことや、または直木賞への発言といったハナシには大して触れません。今週より4週間はほぼ最近の作品を取り上げる予定ですが、平成に入ってのことですから、みなさんも記憶に新しいでしょう。ワタクシなぞが披露できる話題は、そんなにないわけです。話題の選択に困ったときには、我田引水で逃げたいと思います。
直木賞の歴史のことです。
第101回(平成1年/1989年・上半期)~第110回(平成5年/1993年・下半期)の期間で、直木賞に起こった大きな転換とは何か。そうそう、『オール讀物』の編集長が藤野健一さんから中井勝さんに変わった、ってことも見逃せない要素でしょうけど、いや、それまでの“直木賞らしさ”を形成していた候補群のある特徴が、消えていく時期にちょうど当たることです。
直木賞にとっての短篇および短篇集の扱いについてです。
たとえば、第104回(平成2年/1990年・下半期)、東郷隆さんの候補作は決して短篇集『人造記』ではありません。そこに収められた「水阿弥陀仏」「放屁権介」「人造記」の3篇のみが対象です。出久根達郎さんの候補作も『無明の蝶』なんかじゃないのです。そこに収録されている「靴」「雲烟万里」「赤い鳩」は、断じて直木賞候補作ではないのです。
え、何なんだ、それは。意味わからん。……などと声に出して言ってはいけません。
「東郷隆の名が広く人口に膾炙しはじめたのは、やはり本書『人造記』が刊行されてからのことで、表題作及び、本書収録の「水阿弥陀仏」「放屁権介」が第一〇四回直木賞の候補作となった。何故、一冊まるごとではなくこの三篇なのか理解に苦しむが、(引用者後略)」(平成5年/1993年11月・文藝春秋/文春文庫『人造記』縄田一男「解説」より)
まっとうな解釈では「理解に苦しむ」でしょう。でも、実際、そこに「直木賞らしさ」があったはずなのです。平成2年/1990年までは。
なぜ星新一の候補作が『人造美人』や『ようこそ地球さん』ではないのか。なぜ向田邦子の受賞作が『思い出トランプ』ではないのか。長部日出雄は。谷克二は。田中小実昌はつかこうへいは赤川次郎は。なぜなぜなぜ、の連続です。
そこを掘り下げる前に、まずは東郷さんの作品について、ちょっとご紹介しておきましょう。『人造記』は5篇の小説を収めた短篇集です。書き下ろしの「人造記」を除いては、『中央公論増刊』『BRUTUS』『野性時代』『歴史読本 臨時増刊』にすでに発表されていました。巻頭の「水阿弥陀仏」は、『中央公論 臨時増刊 ミステリー特集』昭和62年/1987年第15号[12月]が初出です。
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