第139回候補・新野剛志 9年0ヵ月前に第45回江戸川乱歩賞受賞 「筆に勢いがついた時が愉しみである」
伊坂ショックが駆け巡るなか、こんなに地味に淡々と候補者・候補作のことを紹介してる場合なのかいな、と思いつつ、今日は新野剛志さんの番です。 6人の第139回候補者のうち、唯一この方だけは、デビュー時の受賞のことばや選評を、インターネットで無料で自由に読むことができます(→日本推理作家協会のサイトですね)。なので、ここで取り上げる意義も大してありません。だけど、フェミナ賞に触れたくせに乱歩賞を無視するのは、どうも寝つきが悪いよなあ。なにせ乱歩賞だもんなあ。 乱歩賞作家にして直木賞の候補者は、新野さんで15人目です。いや、“まず直木賞の候補になって、そのあとで乱歩賞をとる”なんていうウルトラD技を決めてくれた多岐川恭、藤本泉のご両人は別格でしょうから、それを除いて13人目。うち5人が見事、直木賞を授けられました。 たとえば先輩・東野圭吾さんが、直木賞史のなかで大変珍しい存在であるのは、6度も候補に挙げられたことじゃなくて、乱歩賞でのデビューから13年も経ってはじめて候補に選ばれた、その長さにあります。乱歩賞→直木賞初候補までの過程は、おおむね、「すぐ」か「7~8年かかって」か、2つのパターンに分かれますが(例外は4年の桐野夏生と、13年の東野圭吾)、今回の新野さんは後者のパターンです。 そんな“苦労組”に属する先輩がたには、真保裕一さんや池井戸潤さんがいます。ワタクシ個人的には、かなりお二人の受賞を期待していたんですけど、直木賞委員のお口には合わなかったようで。残念。 ならば、『あぽやん』はどうだ。これなら、ミステリー嫌いの委員の方でも、おいしく召し上がっていただけそうですけど。 そもそも、この新野さんがミステリーの新人賞から出てきたってことが、今さらながら振り返ってみると、ちょっと場違いだった気もします。 |
■選考委員
■応募総数
- 289篇
■最終選考委員会開催日
- 平成11年/1999年6月22日
■最終候補 全5篇(…◎が受賞作)
- 新野剛志「マルクスの恋人」(受賞後「八月のマルクス」に改題)◎
- 木村千歌「そして、僕はいなくなった。」
- 首藤瓜於「うじ虫の災厄」
- 奈津慎吾「落日の使徒」
- 堂場瞬一「ダブル・トラブル」
■賞金
- 1,000万円(正賞はシャーロック・ホームズ像)
■発表誌
- 『小説現代』平成11年/1999年8月号・講談社刊
プロの作家も普通に参戦する乱歩賞ですから、公募賞とはいえ、レベルはおおむね高いはずですが、この回の乱歩賞はどうもあんまり芳しい出来じゃなかった模様です。……ってワタクシがそう判断したわけじゃないですよ。選考委員の方々、口を揃えておっしゃっています。
○
「今回は、私が選考に加わった四回の乱歩賞において、最も低調な年であったといわざるをえない。」(大沢在昌)
「接戦であった。これは、他を圧した作品がなかった、ということを意味する。」(北方謙三)
「今年から初めて選考に携わりましたが、最終候補の五作品とも、全体にまとまってはいるのだけれどおとなしいな、という印象を受けました。」(宮部みゆき)
その中で受賞に決まった新野さんの作品も、かなり叩かれています。
「私にはその良さがよく理解できない。」(赤川次郎「選評」より)
「目に余る傷は他の作品に比して少ないものの、ある重要な人物の描き方が説得力に欠けますし、構成にもっとめりはりが必要と思いました。」(皆川博子「選評」より)
票が割れまして、最後、新野さんの作と木村千歌さん、首藤瓜於さんの作3つが残り、委員の挙手によって辛くも、新野さんに受賞が転がりこんできました。
謙三アニキは思わず「受賞作には、いつも強運がついている。」などとつぶやいております。
当エントリーのタイトルは、その謙三アニキの選評の一節です。5人の委員のなかで、この方だけは今回、直木賞の選考会にも参加されますもんね。
「もうひとつ、謎を解明しようという主人公が、どうも停滞気味で感情移入がしにくい。そういう点を除けば、輻輳した人間関係の中での物語の展開は、なかなか読ませるものを持っていた。読後も悪くなく、筆に勢いがついた時が愉しみである。」(北方謙三「もう一歩前へ」より)
いっぽう大沢在昌さんが、新野さんを推したのは、作品内容うんぬんじゃなくて、「センス」でした。
「テレビ局や芸能プロダクションなどの描写には距離感があり、作者のセンスを感じた。そのセンスを買い、私は本作を推した。」(大沢在昌「選評」より)
それから9年、あえてミステリーの衣を脱ぎ捨てた新野さんには、いよいよ筆に勢いがついてきたのか、そしてそのセンスを、直木賞委員の方が見抜けましょうか。
○
なるほど、『八月のマルクス』と、今度の候補作『あぽやん』は、けっこう相通ずるものがあるのだなあ。と、新野さんの乱歩賞「受賞の言葉」を読み返すと、改めて気づかされます。
「今作品の主人公は元コメディアンである。舞台で人を笑わせ続けてきた男が素顔になったとき、そこに現われるはずの傷跡を描きたかった。」
職業柄、人前にあるときは常に明るく笑顔で振る舞わなければならない男と、実はその裏にある自分。表舞台と裏舞台。空港で接客に携わる「あぽやん」たちの、てんやわんやは、まさしく『八月のマルクス』とへその緒でつながっているみたいです。
「格好いい小説を書きたい。それだけを思っていた。
完全無欠のヒーローではない。傷つき悩み、転んでは立ち上がり、ぼろぼろになりながら前に進もうとする男――そんな人間を主人公としたハードボイルドが、私の書きたいものだった。」
「私はこれからも小説を書き続けていく。書きたいものは、やはり格好いい小説だ。」
新野さん、『あぽやん』を書き終えたとき、ふたたび、自分の望んだ世界を描けた快感を味わえましたか? そうであったと祈っております。そして、早く静かな執筆環境に戻れますことを、心より願っています。
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