第139回直木賞(平成20年/2008年上半期)候補のことをもっと知るために、「初心」に帰ってみる
「これぞ名候補作」のご紹介は2週間ほどお休みです。「昔の直木賞のことならいろいろ知りたいけど、ふん、最近のハナシには全然興味ないぜ」という、毎度拙ブログをご覧いただいている方、申し訳ありません。7月20日にまたお会いしましょう。どうかお元気で。
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さて、半年に1回、選考会の前には、楽しくその日が迎えられるようにと、拙ブログでは、なんとか自分の視点で候補作のことを取り上げています。前々回は吉川新人賞・山周賞との関わり、前回は「このミス」との関わり、と無理やりでも候補群を大観できる切り口を持ってきたんですけど、うーん、今回はけっこうやっかいですぞ。
第139回(平成20年/2008年・上半期)の6人の候補作家、6つの候補作を、ザクッと一目で見渡せる見方なんてあるのかいな。……思いつかないので、ここは初心に帰りまして、「初心」に帰りましょう。
ってことで、まずは一つの図をこしらえてみました。
今回の6候補は偶然にも(でもないか)、みんな公募賞を受賞した経験を持ち、そこから作家活動をスタートしています。たとえば井上荒野さんは平成1年/1989年フェミナ賞を受賞、三崎亜記さんは平成16年/2004年小説すばる新人賞を受賞、って字づらでは目にしているし、理解しているつもりだったんだけど、やっぱり視覚化してみると、各人の作家歴の長短がよくわかるなあ。そしてこう見ると、アレノ姉さんの20年っていうのは段違いだなあ。
ついでに、前回第138回(平成19年/2007年・下半期)はどんな感じだったんだろう、と思って同じ縮尺でつくったみた図がこちらです。
はは。なんじゃこれは。
前回の直木賞がいかに異常な様相をかまえていたのか、今さらながら改めて胸に沁みてくるぞ。佐々木譲さんや黒川博行さんに何と失礼なことをやらかしていたのやら。ぶるぶる。
なにが新人賞やねん、なにが権威ある文学賞やねん、いや、なにが「実績ある中堅作家にも与えられることもある賞」やねん。と、いっつもいっつも何らかの野次を入れたくなるのも無理はない、自由でおおらかで、「直木賞とはこういうものだ」との決めつけや思い込みを寄せつけない、研究家泣かせの姿なことよ。
ひるがえって言えば、この脈絡のなさこそが、直木賞の一番の特徴だったりします。
第1回(昭和10年/1935年・上半期)から80余年分、こんな図をつくって並べてみたら、その脈絡のなさが一層際立つだろう、と想像はできます。だけど誰もそんな検証をした人はいません。どなたかつくってみてください。
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そうそう、今回のテーマは「初心」でした。「初心」……今度の候補者たちは全員、公募賞の出身、ってことで、その受賞決定や、受賞者のことばみたいなものが、当時なんらかの雑誌に載っています。
そこで、彼らの初々しい(?)頃のこと、ワタクシらの前に燦然と姿をあらわしたときのことを、思い返してみたいと思います。さらには、各公募賞の選考委員の方々が、彼らのどんなところを評価したのか、とかも合わせて顧みたりなんかして。
と、ここまで書いてきて気づきました。今から6人全員分を取り上げるとなると、ただでさえ、いつもダラダラと余計な文章で長ったらしくなる我がブログが、さらに長ったらしくなるぞ。
なので今回は1日につきお一人ずつ、小出しにしていこうと思い至りました。
今週1週間は、こんな予定でエントリーをアップしていきます。どうかお付き合いください。
- 7月7日(月)…第1回フェミナ賞 「ちょっと純文学臭が強すぎるが、女主人公のまなざしが魅力的」 井上荒野
- 7月8日(火)…第10回小説すばる新人賞 「この書き手はどんな応用篇もこなしてゆける腕の持ち主ではないか」 荻原浩
- 7月9日(水)…第45回江戸川乱歩賞 「筆に勢いがついた時が愉しみである」 新野剛志
- 7月10日(木)…第11回松本清張賞 「登場する“職人”が皆、どこか同じ鋳型で作られたかのような匂いがするのが、今後の課題かもしれない」 山本兼一
- 7月11日(金)…第29回城戸賞 「同題材の先行する小説も何作かあり議論となりましたが、(略)圧倒的な高評価を得ました」 和田竜
- 7月12日(土)…第17回小説すばる新人賞 「新人賞の選考会で、「この作者は天才かもしれない」という発言を耳にしたのは、私は今回が初めての経験でありました」 三崎亜記
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予告だけしても味気ないですね。じゃあ今日は最後にひとつだけ「初心」のことばを引用しときましょう。
それは、直木賞の「初心」です。
と来れば、もちろん引用元は菊池寛の発言であるべき、というのが一般的です。ですが、直木賞創設時の菊池オヤジのことばは、ひれ伏したくなるほど有名ですし、直木賞のスタートは別に菊池親分ひとりが成し遂げた社業じゃないんだよ、とツッコまれるのは目に見えてますので、それならば、この方のことばを引きましょうか。
そうです。オヤジの影に隠れながらも、実質、芥川賞・直木賞を今のようなかたちに根づかせた張本人にして“デキる奴”、佐佐木茂索さんです。
「本当に精進する気の人なら(引用者注:受賞者に与えられる副賞の)五百円あれば、相当期間兎に角食って書いて居られると思うし、そして書けたら文藝春秋なり、オール讀物なりに掲載して、これに軽少ながら稿料を呈すから、これで又暫く勉強が出来る筈だ。こうしてチャンスを与えられても、それでも出られない人は、もう止を得ないであろう。この度の文藝春秋社の善き企てで一人でも有力な作家の出現を、早く見たいものである。」(『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号「委員として」より)
「こうしてチャンスを与えられても、それでも出られない人は、もう止を得ないであろう」の突き放した一文が、なんともシビれるねえ。
とにかく、直木賞の「初心」は、この『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号の、賞制定に関する箇所に、これでもかこれでもかと出てくるキーワード、「優秀なる新人」「無名新進作家」「無名新人」「新人」……を世に出したい、という一念にあるらしいです。
とか言いつつ、結局のところ、
「第一回の受賞者が、他誌から選ばれても、勿論結構であるが、何か残念な気がしないでもない。」(『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号「芥川・直木賞細目」より)
と開陳された「本心」だけは、80年以上たった今でもしっかりと継承されているようで。ふふ、文藝春秋、その無防備さが、かわいすぎるぞ。
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