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2008年6月15日 (日)

山岳ミステリー作家、プロ魂を発揮して、現実の苦悩を小説に託す 第63回候補 加藤薫「遭難」

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  • 【歴史的重要度】… 2
  • 【一般的無名度】… 3
  • 【極私的推奨度】… 3

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第63回(昭和45年/1970年・上半期)候補作

加藤薫「遭難」(『オール讀物』昭和45年/1970年1月号)

 泣ける。……この作品を読んで、つい泣けてしまう理由は、作品内容に輪をかけて、その背後にある事情が強烈だからです。加藤薫さんがこの作品を書こうと筆をとった勇気、それを『オール讀物』なんちゅう中間小説誌にポツンと発表した勇気、その一世一代とも思える思い切りに、心が揺さぶられます。

 今回はけっこう重いハナシです。ガラにもなく。

 加藤薫さんは今では筆を折られているようですけど、オール讀物推理小説新人賞(昭和44年/1969年)の「アルプスに死す」で登場して以来、山岳ミステリーの書き手として数年間、活躍しました。ご自身も山登りの経験があり、大学時代は山岳部に所属されていたとか。

 と、その程度の知識しかなかったワタクシは、この「遭難」が載っている『オール讀物』昭和45年/1970年1月号の目次を目にしたとき、思わずビクリとしてしまいました。

「14年前の悲劇の記憶を生存者が描く衝撃の問題作

遭難 110枚 加藤薫

昭和31年の正月厳冬の北ア鹿島槍の雪嶺に消えた学習院大山岳部の今はなき仲間に捧げる悲痛慟哭の鎮魂賦」

 作品本文からは、一切、鹿島槍だの学習院だの、そんな固有名詞は省かれているのに、そうですか、『オール讀物』編集部はこんなにハッキリ書いちゃうんだなあ。目次って恐ろしい。

 ひょっとして、この直木賞候補作って、加藤さんの実体験をもとにしているの? そもそも加藤さんが、遭難で仲間を失った経験をお持ちだったって事実を知っただけでも、ぐっと来るのに。

 当時の基準で14年前、現在から見ればはるか52年前にさかのぼる、学習院大山岳部の実際の遭難のことを思い起こす前に、まずは加藤薫さんが苦悩を乗り越えて書き下ろした「遭難」のスジを追ってみます。

          ○

 とある年の12月、とある大学の山岳部に所属する江田は、北アルプスK峰の登頂隊に参加します。参加者は江田をリーダーとして、同級生のサブリーダー大杉、同じく同期の理学部生・宮本、新入生の青木と桑原、そして新入生ながら本人たっての希望で同行を許された女子部員の小浜道子、通称〈タゴサク〉の6名です。

 彼らは二班に分かれます。江田をリーダーとする北尾根隊には宮本、青木。大杉をリーダーとする東尾根隊には桑原と小浜。

 この大杉って青年が、とにかく口が悪く、また同期のリーダー格・江田や、理屈っぽい宮本に対抗心を持っていて、二人の提案や予定などにはほとんど耳を貸そうとしません。

 江田と宮本はしきりに安全優先の態度を示します。それに対して大杉は、ともかく江田たちより先に頂上にたどりついてやろう、という野心満々です。

 途中、トランシーバーでの連絡からも、大杉のかなり無謀な様子がうかがえます。天候が急変し、大雪がせまりくるというのに、江田「すぐベースキャンプへ引揚げろ、テントを取り替えて、あらためて登るんだ」、大杉「いや、ベースへは降りたくない。せっかく高度を稼いだんだ。」といった調子です。

 江田が体調を崩して、隊員2人を送り出してひとりベースキャンプで寝込んでいる日、ついに低気圧が山を襲います。テントは倒れ、雪崩が起き、山はただならぬ模様。そこにトランシーバーから通信が。

 東尾根隊の小浜からでした。彼女もひとりベースキャンプにとどまっていたんですが、いつまで待っても大杉と桑原が帰ってこないと訴えます。

 ともかく江田は、重いからだに鞭打って、小浜のいるテントまで救出に向かいました。

 たどりつくと、小浜はテントのなかで寝袋にくるまっていました。声をかけた江田に対して、まなじりの上がった無表情な顔を返します。そして、いきなりこう言うのでした。

「あなたよ、殺したのは……」「大杉さんを殺したのは、あなた」

 大杉は、人から反対されれば逆に我武者羅になる性格であって、そのことを江田が知らぬはずはない、その大杉にくどいほど自重せよ、出発を延期せよと言い募った江田こそ、大杉たちを遭難させた犯人だ、と。

 さらに、北尾根隊の宮本と青木の二人もまた行方不明となり、江田は尊い友4人を、山で失ってしまいます。

          ○

 さて、昭和31年/1956年1月、つまりこの作品が発表される14年前、学習院大学の山岳部員4名が北アルプス鹿島鎗で遭難する事故が起きました。

 『朝日新聞』昭和31年/1956年1月3日、社会面より。

「二日朝八時半ごろ学習院大学山岳部小谷明君(二三)=(引用者中略)=が、大町市登山案内人組合に「北ア鹿島鎗(標高二、八九〇メートル)天狗の尾根付近(二、四〇〇メートル)で、同大学山岳部員藤原荘一(一九)=(引用者中略)、同清水善之(一九)=(引用者中略)、同鈴木迪明(二三)政治科三年=(引用者中略)、同鈴木弘二(二三)物理科三年=(引用者中略)=の四君が、頂上から三キロ手前の前進キャンプから荷揚げ地点に荷物をとりに下ったまま消息を絶った」と救いを求めて来た。

 小谷君の話によると一行八人は二十五日に大町口を出発、丸山奥地のB・Hで二パーティに分れ、小峰顕一(二二)江間俊一(二二)石滝英明(二二)の三君は東尾根伝いに、鈴木迪明君ら五人は天狗の尾根伝いに前進、元日朝に鹿島鎗頂上で一緒になる予定で出発したもの。(引用者以下略)

 江間俊一(二二)……まさしく、のちの山岳ミステリー作家・加藤薫さんの本名が、ここに登場します。

 現実には江間、小説では江田、しかも二パーティに分かれて、大勢が犠牲になり、わずかな人数のみ生還するというストーリー。そりゃ知っている人から見たら、現実の事故と小説とを結びつけて、小説の内容を深読みし、相当危険な邪推を引き起こしかねません。ここが、加藤薫一世一代の勇気、と思わされるポイントです。

 その実、登った人数は違います。具体的な地名や年月も敢えて隠されています。さらには小説のなかで重要な役割を果たす紅一点の新人女性部員、小浜道子なんて人物は実際には存在しなくて、遭難した隊のなかでベースキャンプに留まり一人助かったのは、「冬の鹿島鎗の映画撮影をしたい」と希望して同行した大学4年生の小谷明さんだった、と来れば、これはノンフィクションじゃないんだよ、ガチガチのフィクションなんだよ、という加藤薫さんの思いが、物語に強烈に反映していると考えたいところです。

          ○

 加藤さんの思いを推し量るといえば、この事故から約十年後、昭和40年/1965年ごろに刊行された追悼文集があります。『山木魂―鹿島鑓に逝った若きいのちに―』という230頁におよぶ冊子で、生還した4名のうち、小谷明さんと小峯顕一さんは追悼の文章を寄せているんですが、江間俊一さん、石滝英明さんのお名前は見出せません。

 たとえば、小浜道子のようにテントに残って、仲間4名の帰りを不安な心持ちで一人待ち続けた小谷明さんの、文章。

「山で友を亡なった。それがあまりに身近かの出来事だったからか、あるいは全く異常な体験であったからか、自分自身が掌握出来なくなりそうな不安と恐怖、払い除ける事の出来ない重苦しさ、」(「歴程」昭和32年/1957年11月記 より)

 江間=加藤薫さんと共に行動していた小峯顕一さんの、文章。

「元来山仲間というものは共通目的による仲間意識というものが強いが、私は兄弟が殆どない為か単なる仲間意識だけではなく、現役時代の山仲間に対し一層の兄弟に対する様な情を持って居た。だから死んだ連中と一緒に登った山々や共に過した日々の事や、そして最後となったあの鹿島鎗での出来事を十年経った今でもビビットリイに覚えて居る。そしてそれ等の事を何かのはずみに、ふと想い出す時胸を締めつけられる様なリリックな感情に襲われる。」(「想い出すままに」昭和40年/1965年5月15日記 より)

 そうでしょう。一緒に山に登った友人たちが、自分の目の前で遭難してこの世を去ったとき、いつまでもそのことが頭の隅から離れない思いは、苦しかろうし辛かろうし、もし自分がその身に置かれたらと想像すると、それだけで心が折れます。

 江間=加藤薫さんは、この文集が編まれた頃は、まだ作家デビューしていません。果たしてそこに追悼の文を寄せなかったのは、なぜだったのでしょうか。その心のわだかまりを、さらに5年後、物語の下敷きとして使おうと決心した裏には、きっと小谷さんや小峯さんが語ったような「不安と恐怖」や、「ビビッドリイ」な記憶と「胸を締めつけられる様なリリックな感情」みたいなものが溜まりに溜まっていたんだろうな、とつい想像したくなります。

 「遭難」の後半部に出てくる主人公・江田の、こんな思いを読むにつけ。

「遭難から十五年たち、そのあいだ逆境にたつと死んだ仲間をおもいだした。

〈彼らは、いいときに死んだ〉

 逆境のなかで、恥を晒して生きてゆかなければならない江田は、四人の壮烈な死を羨んだ。」

「十五年のあいだ折りにつけて死んだ四人が顔をのぞかせた。」

          ○

 ちなみに、これを直木賞の選考のために読んだ司馬遼太郎の選評は、こんなふうです。

「技術のわりには、主題が小さすぎるであろう。」『オール讀物』昭和45年/1970年10月号選評「二作を推す」より)

 ははあ、小さすぎますか。まあ、直木賞を取れたとか取れないとか、そういう視点は、直木賞オタクにとっては大事です。しかし、それはこの際おいといて、少なくとも、江間俊一さんが加藤薫として、山岳小説を書いていくために、絶対にこの作品だけは書かずにいられなかった渾身の作だということは、おそらく確かです。

 そんな個人的な胸の痛みを、興味本位の先行しがちなワタクシのような読者たちの前に、小説の枠組みをこしらえてさらしてみせた加藤薫さんのプロ魂が、「遭難」には籠もっています。

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