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2008年6月 8日 (日)

関西の地から等身大の女性を描く新人、登場です。 第55回候補 田中ひな子「善意通訳」

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  • 【歴史的重要度】… 2
  • 【一般的無名度】… 3
  • 【極私的推奨度】… 4

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第55回(昭和41年/1966年・上半期)候補作

田中ひな子「善意通訳」(『新文学』16号[昭和41年/1966年4月])

 直木賞や、それを実際に運営している日本文学振興会=文藝春秋が、心の底からは自覚していないにしても、ある時代まで、たしかにこの賞には“新人発掘”の性格もありました。昭和40年代、まだまだその匂いが根強かったころの、代表的な候補作です。そう、あえて“代表的な”と言わせてもらいます。

 田中さん……って言うより、この方の場合、ひな子さんと呼んだほうがしっくり来ますよね。ひな子さんは、いまでも関西方面では名の知れた作家に違いありません。たぶん。

 で、彼女は神戸の長寿同人誌『VIKING』の同人でもあるんですが、その物書きの道への出発点は、おそらく、この候補作「善意通訳」付近にあるらしいです。

 時は昭和40年/1965年ごろ、直木賞では同人誌花盛りの時代です。もう少し突っ込んで解釈しますと、昭和34年/1959年(第41回)あたりからの10年は、文藝春秋色の比較的弱い、かたよりの少ない候補作の選出がちゃんと実現できていた時期でもありました。

 だって、ほら、候補作に一つも文春系の作品が選ばれない回、ってのも普通にありましてね。おそらく今の文藝春秋社員の方々には、とうてい真似できないと思いますけど。たとえば、第41回(昭和34年/1959年・上半期)、第42回(昭和34年/1959年・下半期)、第44回(昭和35年/1960年・下半期)、第46回(昭和36年/1961年・下半期)、第51回(昭和39年/1964年・上半期)、第53回(昭和40年/1965年・上半期)……。

 “直木賞の同人誌離れ”の引き金になったと言われる第54回(昭和40年/1965年・下半期)は、同人誌作家2人(新橋遊吉千葉治平)VS.有名プロ作家2人(立原正秋青山光二)の伝説的な大接戦があった回です。しかし、それから後もしばらくは、同人誌から候補作を見つけ出す流れは絶えなかったし、文藝春秋の出版物を特別扱いしない路線は、続きました。

 さて、そんな頃に登場したひな子さん、「善意通訳」の初出は『新文学』っていう同人誌です。

 “新人発掘”のテーマで語るときに、この同人誌。ううむ、ぴったりだなあ。

 『新文学』は、今も運営されている大阪文学学校がかつて出していた雑誌です。これがのちに『文学学校』となり『樹林』となります。大阪文学学校は、一般人に広く門戸をひらいて、文学への情熱を“スクール”のかたちで実体化させた団体で、もはやその存在自体が戦後文学史の一角をになうものでしょう。その出発期の卒業生といえば、ははあ、やっぱり一番の有名人は田辺聖子さんでしょうねえ。

 でも彼女がとったのは芥川賞じゃんか、それも受賞作は『航路』掲載のものだろ、おまえが語るべきハナシじゃねえぞ……そ、そうなんです。ですのでワタクシは、大阪文学学校の純正同人誌『新文学』によって注目されて、直木賞の歴史に一杭コツンと打った最初の人、ひな子さんを取り上げさせてもらいます。

          ○

 東京オリンピック直前、つまりは作品発表の1~2年前のおハナシです。「私」が語る一人称の小説、「私」の名前は仲田ヒナコ、ってことで何となく作者自身の体験をもとに綴ったものとの印象を受けますが、まあ、それは置いといて。

 オリンピック開催に事寄せて、当時、いろんな団体が国際大会を開いたんでしょうが、これもそのうちの一つ「国際バカンス大会」の数日間の顛末を描いています。「私」は、海外からやってくる大会参加者、いわばほとんど観光客を相手にする通訳手伝いのアルバイト役です。

 このアルバイト、内実は、バスに同乗して外国人相手に、観光案内を英語で話さなきゃいけない、といった「はじめのはなしといたるところで大ちがいや」の展開が待っていました。

 まわりにいるのは、外国人を前にしどろもどろになる頼りなさげな協会職員、アルバイト代にしては割が合わんわとボヤきまくりの学生アルバイトたち、やたらと日本建築に興味をもって「私」に、日本の普通の家庭に連れていけとせがむ外国人青年、などなど。

 てんてこまいの大会運営の片隅で、次々おそいかかるトラブルに、敢然と立ち向かいますは、たくましさ満点の若きミセス、ヒナコ嬢です。

「私は我知らず胸を張り、あらためてぐるっとあたりを見まわしてみました。(引用者中略)この中に、結婚してはる人、あるやろか――なーに、たかが三日間ぐらいや。主婦やったてハンデイキヤップあらへんわ。子供はまだおらんし、ダンナなんか常日頃から、ちゃんと外食に馴らしたあるし、ごみぐらい少々溜ったかて命に別条ないわ。」

 どうってことはない出来事でも、このヒナコ嬢の視線を通せば、なんともユーモラスに見えてくる、っていうのが本作のいちばんの魅力でしょう。そして、この作品が先輩・田辺聖子とは違って、直木賞の選考会のほうにはかられたのも、語り手ヒナコ嬢のパーソナリティに負うところが大きいわけです。きっと。

          ○

 そして、ヒナコ嬢ならぬ田中ひな子ご本人の目を通した、直木賞騒動なんてものがエッセイに書かれています。さあ、お手もとにある『ひなのたわごと』(平成9年/1997年6月・編集工房ノア刊)をひらいてみてください。

「今年の梅雨あけ近くのころであった。鉄筋は鉄筋なのだがすこぶる古くて、その最上階の、何代目かの住人として入居して来た私たちは、雨もりの被害になやまされていた。(引用者中略)天井をはいで、コンクリートをガンガンくだいて、家の中じゅうひっくりかえるさわぎの最中、「○○新聞ですが」と来た。つい三、四日前にも新聞のセールスの人が来て、相当てこずらされていた私は、新聞ノイローゼになっていたようだ。「結構です」といおうとして、ハッと口をつぐんだ。今日の相手は二人なのである。おまけに一人はカメラの大きいのをさげている。

「今度直木賞候補になられたそうで、おめでとうございます、予定記事を……」

 北川荘平VIKING編集長をはじめ、何人かの先輩方に心がまえをしておくようにとの助言はいただいていたのだが、なにせ雨もりのことが頭へ来ていたのと、まだ予選通過の新聞発表もされていなかったので油断していたのだ。」(「VIKINGと私」初出『VIKING』昭和42年/1967年2月より)

 さすがだ。直木賞候補の話を、ほかの関係ないトラブルとまぜこぜで書いてみせるところなんぞが、ひな子ブシだよなあ。

 そうか、40年以上も前、第55回の段階ですでに、新聞社による予定記事の取材、なんちゅうおよそ人権侵害スレスレの、古典的ジャーナリズム行為が、直木賞に向けて繰り出されていたんですねえ。これより以後、おそらくいろんな人が「そんなことはやめたほうがいい」とはっきり苦言を呈し、そんな文章をワタクシも読んだことがあるけど、それでもいまだ一向にやむ気配がないのが、この世のむなしさを感じさせます。

          ○

 大阪文学学校のホームページや、または『いま、文学の森へ 大阪文学学校の五〇年』(平成16年/2004年3月・大阪文学学校・葦書房刊)の「第一章 いまあるところ・文校事務局から――一九九四~二〇〇三年(第五期)」(小原正幸)によると、同校の関係者・修了生で芥川賞の候補になったのは、7名いらっしゃるそうです。いわく、北川荘平田辺聖子竹内和夫奥野忠昭上田真澄木辺弘児玄月

 じゃあ直木賞は、というと、ワタクシP.L.B.調べでは、3名。田中ひな子さんを筆頭に、北川荘平津木林洋となります。

 現在の同校の在校生または関係各位にとって、別に芥川賞やら直木賞などどーでもいいこととは思います。なので、勝手に一直木賞オタクがほざきます。大阪文学学校のみなさま、ぜひ直木賞をめざして、……いや、読み手に読書の楽しみを感じさせてくれるような、ひな子さん、北川さん、津木林さんみたいな小説を、ばしばし生み出していってください。どうぞ、よろしくです。

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