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2008年6月 1日 (日)

読みづらい、って決して欠点じゃありません。一人の女流作家の生きざまです。 第46回候補 来水明子『背教者』

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  • 【歴史的重要度】… 1
  • 【一般的無名度】… 3
  • 【極私的推奨度】… 3

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第46回(昭和36年/1961年・下半期)候補作

来水明子『背教者』(昭和36年/1961年7月・東都書房刊)

 長い長い直木賞の歴史のなかで、読み通すのに最も骨が折れる候補作はどれか。もちろん“骨が折れる”なんてのは途轍もなく感覚値であって、読み手それぞれで基準は違うでしょう。ある方は古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』を読みづらいと言いました。今官一の受賞作『壁の花』も相当なもんです。斎藤芳樹の『シュロン耕地』だって負けちゃおりますまい。

 私見ですけど、そんなコンテストがあったら必ず上位に挙げられるはずの作家が、二人います。一人は、坂本龍馬に魂を奪われたコテコテの土佐人・宮地佐一郎さん。彼の三つの候補作『闘鶏絵図』『宮地家三代日記』『菊酒』とも、かなりイッちゃってます。

 もうお一人がこの方。来水明子さんです。

 来水さんが「佐藤明子」の筆名でオール讀物新人賞を受賞した「寵臣」(第37回 昭和32年/1957年・上半期 候補)は、まあ短篇ですからいいとして、筆名一転、来水姓になってからの『背教者』、『涼月記』(第47回 昭和37年/1962年・上半期 候補)、『短夜物語』(第49回 昭和38年/1963年・上半期 候補)の、怒濤の長篇攻撃には、たじろぐしかありません。

 根っからの時代小説好きならば、単に材が戦国時代にとられている、ってだけで最後まで読み通す意欲が衰えることはないかもしれません。そんな方に、ぜひ来水ワールドをおすすめしておきます。

 ただ、ページのところどころにイラストがないと駄目な方、ひんぱんな改行によってリズミカルに読書するのが好きな方、おしゃれな装幀からしか作品世界にのめり込めない方……来水さんの長篇に手を出すと怪我をしますよ。ご注意ください。って言っても、まず書店で来水さんの小説にお目にかかる機会はないでしょうから、ご安心ください(ん?)。

          ○

 そんな来水さんの一発目の凶器、『背教者』です。簡単にご紹介します。

 寛永元年といいますから江戸時代初期、場所は仙台城下。ひとりの旅僧が、不審者として捕らえられます。名は孤窓。禁教の時代にあって、形場できりしたんの処刑が行われたのですが、たまたまそれを見物していた孤窓、罪人のひとりから「ユダめ、悪魔め」と呼びかけられ、その場にいた役人たちにきりしたんと関係ありと疑いをかけられたのでした。

 城主・政宗は、家臣の口からそのときの模様と、その人物のことを聞き、興味を持ちます。どうも政宗、その旅僧に心当たりがある様子。城に呼び出し、直接、その者から話を聞くことにしました。

 孤窓が語り始めたのは、さかのぼること15年前、長崎港外にて有馬修理大夫がポルトガル船をうち沈めたときの話でした。修理大夫はもともときりしたん大名でしたが、徳川の世で家名を絶やさず生き抜くため、きっぱり棄教した人物です。

 その修理大夫の息子、左衛門佐に、家康から本多忠政の娘を嫁として賜ろうとの話が持ち上がります。なにせ家康からの申し出ですから、本来、有馬家のほうで断ることなどできません。しかし、左衛門佐にはすでに妻がいました。それもきりしたんの妻が。

 左衛門佐は、現在の妻を離縁して家康からの女を妻として娶るようにと、修理大夫から説得されますが、妻が愛しくて頑として応じようとしません。とてもそんな話は受けられないことを、左衛門佐は、修理大夫の異母兄である掃部に訴えます。掃部もまた、もとはきりしたん、この伯父ならわかってくれると思ったからです。

 掃部がいまは棄教者となっていたのには、隠された昔の思い出があったからでした。時はさかのぼり天正18年、そのころ掃部には心に思い焦がれる一人の女性がいました。それはきりしたん、ドンナ・ルシヤ……。

          ○

 ああ、来水作品のあらすじを書こうだなんて、無謀でしたね。まだ、ここまでで話は前半も前半です。ええと、これ一応はすべて、旅僧・孤窓が政宗の前で語るかたちをとっているんですけど、途中時代はさかのぼったり今になったり、同じく政宗の治下で捕えられている宣教師ペドロの回想が長々と挟まったり、掃部の視点になったり、もうどこが話の焦点で、どこが枝葉なのか、かいもく見当がつきません。

 参議院の速記課に勤めていたうら若き(?)胡桃明子嬢が、なぜにこんなコムズカしい作風を身につけたのか、回想につぐ回想、視点の転換につぐ転換、しかも物語の舞台はなぜか戦国または江戸の初期。

 さすがに、こんな世界ばかり展開していて、4度めの候補のときには、時の選考委員・木々高太郎に、

「このまま、いつまでも依怙地な書き方で、ますますよみづらい小説を書くようになり、自滅するのではないか。」『オール讀物』昭和38年/1963年10月号選評「一直線に」より)

 などと、あきれられる始末なわけです。

 身につけるもくそも、はなからそういうお方であって、誰が何と言おうと、そういうふうにしか小説が書けないのであれば、それはそれでいいじゃないですか。直木賞をとれないことが、別にイコール“自滅”でもないでしょうに。

          ○

 来水さんはまだ作家修業をしていた無名時代、つむじ曲がりの頑固おやじ、山本周五郎さんの家に、ひんぱんに出入りしていたそうです。早乙女貢『わが師 山本周五郎』(平成15年/2003年6月・第三文明社刊)が、そんな頃のいきさつを、ほんのちょっぴり教えてくれます。

 あとあと来水嬢は、周五郎おやじから「もう教えることはない」と言われて出入りを止められるそうですが、それより前、ペンネームについてこんなエピソードが載っています。

「来水さんは後(昭和三十二年)に、石田三成に取材した『寵臣』という作品で「オール読物」の新人賞を受賞するのだが、その折、周五郎さんは彼女の本名である「くるみ」は作家の名前には不適切だと言って、強引に改名させるということがあった。作家の名前は「佐藤」とか「加藤」といった、ごく平凡で一般的なものがいいというのが、周五郎さんの考えであった。それで受賞作は「佐藤明子」のペンネームで発表されたのだが、後になって本名の「来水明子」に戻したと聞いている。」

 へえ。“佐藤明子”にはそんな意味があったんだ。

 「宇月原晴明」とか、イの一番に周五郎さんから文句が飛んできそうだな。「万城目学」とか。

 さて、いったんはアドバイスを受け入れたものの、後になって自分の姿に戻すだなんて、なんとなし来水さんのお人柄がうかがえる気もします。読みづらい、読みづらいとブーブー言われながら、我が道を突き進んだカッチョイイ来水ねえさんの生きざまが、二重写しになって見えてきます。

 で、そんな来水ワールド横溢の三作品を再刊してくれそうな出版社はと。ああ、そんな勇者は、今の日本にはいないんだろうな。

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コメント

ハードボイルドは嫌いじゃないのに読むスピードが格段に遅くなる私は、「テロリストのパラソル」が読みづらかった記憶があります^^

ところで、私はブログでしばしば書評をアップするのですが、「消えた直木賞」をレビューする際にここの親サイトを取り上げてよろしいでしょうか?

投稿: 毒太 | 2008年6月 1日 (日) 23時57分

毒太さん

作品や作風との相性は、ひとそれぞれですねえ。
ちなみに、ワタクシは、新しめの受賞作の中では
意外に、『号泣する準備はできていた』は、途中で何度もつっかえました。
自分でも意外ですけど。

さて、「消えた直木賞」のレビューをご検討いただいているとのこと、
直木賞の普及のために(?)ガンガンご紹介してやってください。
うちの親サイトでよければ、ガンガン取り上げてやってください。

投稿: P.L.B. | 2008年6月 2日 (月) 22時10分

「読みづらいって、決して欠点じゃありません。一人の女流作家の生きざまです」という勢いのいい文章が目に飛び込んで来、一瞬我が姉のことか、ともう一度画面を眺めると、まさしく来水明子『背教者』とありました。私は少女時代に来水明子のコムヅカシイ作品が発表されるごとにウンウン言いながらも読み通し、後にアメリカに居住することとなりましたが、彼女の長編4冊(背教者・涼月記・短夜物語・残花集)及び短編の『寵臣』はずっとこちらで大事に所蔵しております、彼女の妹です。我が姉の依怙地な作品『背教者』及び彼女の人物についてあたたかいお言葉を寄せた本サイトの文章を書かれたのはどなたか存じませんが、もしこのような理解者があったと知ったら、亡き姉はいかばかり喜んだことでしょうか。『直木賞候補作家群』のサイトでは来水明子の没年が長年空白になっていますが、実は彼女は1999年10月に自らの命を絶っております。

投稿: ポップジョイ・亮子 | 2008年10月14日 (火) 06時05分

ポップジョイ・亮子さん

こんな日本の片隅のブログ記事に、コメントしていただき、
ありがとうございます。
そして、コメントいただいた内容を読み、
ワタクシ、呆然としております……。

来水明子さんの作品は、そのあらすじや細かい内容等はともかく、
けっして読み捨てにできない文章が、全篇くまなく詰め込まれていて、
そこから発せられる熱気は、とうてい忘れることができません。

直木賞の枠組みなどには、まず収まり切らない諸作品だったのだろうな、
と改めて思います。

投稿: P.L.B. | 2008年10月14日 (火) 22時05分

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