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2008年6月29日 (日)

田んぼはゴミ捨て場でもトイレでもありません。仮にそう見えたとしても。 第85回候補 山下惣一「減反神社」

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  • 【歴史的重要度】… 3
  • 【一般的無名度】… 1
  • 【極私的推奨度】… 4

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第85回(昭和56年/1981年・上半期)候補作

山下惣一「減反神社」(昭和56年/1981年1月・家の光協会刊『減反神社』より)

 もったいないですよ。この小説に「農業小説」と冠をかぶせてしまっては。

 それでエンタメ小説が大好きな読者たちに、ああ、それなら僕らの範疇じゃないんだな、と判断されたかもしれないもんな。そのために数多くの潜在的読者を失ってしまっているとしたら、ほんともったいない。

 あえて同志たちに告げます。農業の問題とか、都市と田舎の問題とか、そういうことに全然関心ありませんよね? だいじょうぶ。それでも、この小説は別の次元で十分におもしろく読めます。

 と、山下惣一さんの圧倒的に独自路線をいくご活躍を前提にハナシをすすめちゃう前に。山下さんのことを少しご紹介します。

 機関士の世界に清水寥人向坂唯雄あり、職人の世界に小関智弘あり、では農業の世界とくれば? せーの、山下惣一あり、とみんなが声を合わせてハモれる存在です。

 ご自身、中学卒業から農業に従事しつづけ、小説のみならずルポ、エッセイ、提言文など数多くこなし、講演やパネルディスカッションにかり出されること数知れず、しかもそれを継続すること30年以上。ミスター現代農民。現場に生きる農業従事者たちのスポークスマン。

 その山下さんの処女短篇集が『減反神社』なわけですが、序文「山下惣一作品集に寄せて」を野坂昭如さんが書いていて、もちろん大絶賛の名調子です。

「この作品集に収められた中の、「減反神社」は、地上文学賞を受けている。山下の持ち味であるユーモラスな感覚が見事に生きていて、モーパッサン、チェーホフ、ゴーゴリに匹敵する傑作、当節、硬化し貧しくなりまさる日本文学が、稀有に産み出した、賜ものであろう。」

 そして「あとがき」によれば、地上文学賞では選者のひとり新田次郎さんもやはり、強力に推奨したんだそうな。

 同時に直木賞の候補になった「父の寧日」も、ワタクシの好きな作品ではあります。しかし「減反神社」のほうには、懸命に生きる一小市民にふりかかる災難を、とことん笑い飛ばすパワーが、さらにあふれているって意味で、小説好きのあなたにもぜひ読んでもらいたい一作なわけです。

          ○

 親から受け継いだ田んぼ。しかし今は、減反政策にのっかって休耕中。これが、専業農家・川口康之、純子夫婦に災厄をもたらしました。

 休耕にしたとたん、誰かがゴミを捨てていくようになったのです。ブロック破片、古瓦、鶏、犬、猫の死体、サンダル、ポリバケツ、オイル缶、週刊誌の束。付近に住むサラリーマンは、ほろ酔い気分で立ち小便までしていく始末。まったく手に負えません。

 隣の田んぼを、同じく休耕にしているのは康之の幼なじみの虎太郎。彼もまた、ゴミ捨て連中の所業には迷惑していて、なんとかやめさせようと知恵をしぼります。有刺鉄線を張ってみる。立て看板を立ててみる。立小便をしている奴らから“立小便代”をとろうと試みる。などなど。

 効果は上がりません。ついに我慢しかねて、康之と虎太郎は、市役所に苦情をいいに乗り込みます。ところが、市役所の対応もまるで熱がこもっていない。各窓口をたらいまわしにされた挙句、なぜか交通課の部長と相対するのですが、この部長の態度も煮えきりません。いよいよ虎太郎がキレます。

「あんた全然わかっとらんじゃないか。クソ、ションベンたれ流されて百姓がどれだけ迷惑しているかてんでわかっとらん。よし、それならばあんたの庭先にオレは糞をぶち込んでやる。二トン車いっぱいぶち込んでやる」

 こんなことを吠えたとて何の効果もなく、むなしく引き下がるのみ。

 そんなある日、虎太郎が、康之の田んぼにある大石に目をつけます。ある妙案を思いついたのでした。

          ○

 そもそも正しい読み方ってものがあるのかどうか、ワタクシなぞにはわかりません。ただ、きっとワタクシは“いい読者”ではないでしょう。だって山下さんの意識はやはり“農業とそれに携わる者たちのありのままの姿を描く”ことにあるのでしょうから。

「農村や漁村、農民や漁民を描いた作品がこれまでにけっして多くはなかったにせよ、まったくなかったというわけではない。(引用者中略)だが、わたしたち定住者の側になんとなくこだわりが残ることはたしかだ。誤解を恐れずにいえば、知識人と呼ばれる人たちが、その目、その価値観でもって定住民を描き、その愚かさ、珍奇さ、強欲さを都会に住む同じ知識人向けに紹介するというのがこれまでの伝統だったからからもしれない。くりかえすが、それはそれで意義のあることだろうし結構なことだろうが、そうでないものもあっていいのではないか、日日のそんな思いが好きということのほかに百姓のかたわらわたしに筆をとらせる。」(昭和56年/1981年1月・家の光協会刊『減反神社』「あとがき」より)

 そうですよね。「農村の現実をとらえた小説」としての見方を無視して、「読んでたのしい小説」としてのみ取り上げられるのは、きっと心外でしょう。

「いっそ芸を売る物書き芸者をめざした方が気が楽なようにも思う。芸者になるのも大変だろうけど、「……ためにする文学……」などといつも背中に荷を背負っているよりも、重圧は少ないのではないか、などと思う。」

 ははあ、“物書き芸者”のほうが気が楽かどうかは知りませんし、それで毎日苦しみながら仕事している多くのエンタメ作家がカンカンになって怒るでしょうから、口をつぐみますけど、たぶん読者の側のほうを見れば、「ためにする文学」は何だか難しそうで手を出さないけど、読んで楽しい小説なら、たまに読みますよ、てな人間のほうがはるかに多いんですよねえ。

 と、上で引用した山下さんの文章の出典を書き洩らしました。これ、「減反神社」「父の寧日」が直木賞候補に挙げられた直後の、昭和56年/1981年10月に出た『月刊社会党』303号(日本社会党中央本部機関紙局刊)のエッセイ「今日の農村をどう描くか」の一節。

 このエッセイは、例の直木賞祭りの台風が去ったあとの、山下さんの思いが、なんとなく滲み出ているようで、興味深い文章です。もうちょっと引用してみますか。

「ほんとうはぼくは小説が好きだし、書きたいのだけれども、これまでに出した著書の中で小説は(引用者中略)二冊。あとは全部、ノンフィクション、あるいはルポルタージュと呼ばれるものだ。

 ぼくに才能がないと決めてしまえばそれまでだが、“売れないものは発表する場がない”という事実があることもたしかだ。(引用者中略)売れさえすればいいという行きすぎた商業主義を批判するにしても、その商業主義に乗らなければできないという社会で書いていることもまた事実なのであって、このへんの問題でまたぼくは弱ってしまう。

 つまり、農村、農民小説は需要がないらしいのだ。さっぱり小説は書かせてもらえない。」

 家の近くの本屋さんに、「日本の作家」「ミステリー」「ファンタジー・SF」、それと「農村・農民小説」とコーナーが区切ってあったら、それはそれでギクッとしそうですけど、そんなことを言ってるんじゃないんですよね、はい。

「もっとも、文学(といえるかどうか知らないが)文学賞なるものが、あたかもタレントのオーディション化し、はっきりと金もうけのための目的化している現状で、ことさら文学などと肩肘はって考えるぼくの方がよっぽどおかしいのかもしれないが……。」

 念のため、この山下さんのボヤきは、昭和56年/1981年のことですから、27年前です。うーん、きっと山下さんはおかしくありません。はっきりと“金もうけのための目的化している文学賞”はですね、“文学”なるものと、なんか字づらは似ているけど特にお互い関係などないと思いますよ。まるで別個のものです。……って言い切るワタクシも、あれ、よっぽどおかしいんですか。

 文学の概念を考えはじめると頭が痛いけど、でも“金もうけのための目的化している文学賞”の玉座にすわる直木賞だって、けっこういいコトしてくれているんですよね。山下さんの小説から「農業小説」のベールをひっぺがして、純な大衆小説として候補に挙げてくれたおかげで、問題意識の低いワタクシのような読者を、このおもろい小説「減反神社」とめぐり逢わせてくれたのですから。

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