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2008年5月25日 (日)

山梨にもいました、キラリと光るおもろいオヤジが 第36回候補 熊王徳平「山峽町議選誌」

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  • 【歴史的重要度】… 3
  • 【一般的無名度】… 2
  • 【極私的推奨度】… 4

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第36回(昭和31年/1956年・下半期)候補作

熊王徳平「山峽町議選誌」(『作家』昭和31年/1956年11月号)

 くそお、太平洋戦争ってやつはさあ、それが終わってから相当経って生まれてきた人間――ワタクシの感覚をやたら乱してくれます。たとえば、戦前に登場した作家が、戦後にひょいと直木賞候補者として挙げられていたりすると、ほう、ずいぶん昔のヒトを引っ張り出してくるもんだな、と思わされたりするんですけど、その間ほんの10年、20年ぐらいしか時は流れていなかったりして。戦争が間に挟まっていると、なんだか時間感覚が測りづらいもんだな。

 熊王徳平さんなどもその一人、と言っていいのでしょうか。

 『中部文学』の雄、熊王さんがおそらく世に知られたのは、織田作之助さんと同じタイミングです。昭和15年/1940年、改造社の『文藝』誌が鳴り物入りで(……遅ればせながら?)始めたのが、同人誌を対象とする「文藝推薦」、その第1回の選考のときに、織田さんと一緒に熊王さんの作品も取り上げられています。

 当選したのはオダサクの「夫婦善哉」。それと競ったのがクマトク「いろは歌留多」でした。オダサク26歳、クマトク34歳。

 むろん、単なる直木賞オタクがクマトクさんのそれ以後の作品系列を丹念に執念深く追うわけもなくて、熊王フリークの方々、申し訳ありません。ワタクシがこれまで触れたのは『田舎文士の生活と意見』(昭和36年/1961年12月・未来社刊)この一冊のみです。

 直木賞候補作の「山峽町議選誌」、まさにワタクシお気に入りの一作です。小嵐九八郎『おらホの選挙』に負けず劣らず(って、比べようとする態度が変ですけど)、町の選挙に関する虚々実々の駆け引き、主人公・亀田竹松の珍妙にして俗悪、絶対付き合いたくないなと思わせる反魅力的な(つまりは魅力的な)人物像。……いやあ、おもしろい。

          ○

 で、これは短篇集『田舎文士の生活と意見』に収められています。この本は「山峽町議選誌」以外では、書名からもおわかりの通り、クマトクさんのお人柄がしのばれる「作家貧乏」とか「「狐と狸」始末記」とか、「熊王徳平」という人物を主人公とする作品が、8つ収録されています。

 あ、それと「あとがき」も。

「私は、私という主人公の出て来る小説を、これからも死ぬまで書き続けるであろう。私小説であると笑わば笑えである。聞くところによると、私小説というケースは、日本独得のものだそうであるが、若しそうだとするならば、益々心強い。敢て、毛唐の驥尾に付すだけが能ではあるまい。」

「東京に出なければ駄目だと、いろいろの意味からすすめてくれる人も多いが、この山峡の田舎町に五十余年、尻に根が生えた様に動けない。いや、動く気がしない。

 これで沢山だと考えているわけである。私如き者が、東京へ出たからといって何になろう。その点私は、甲州商人らしく算盤を弾いている。

 東京には、私程度の作家はうようよいる。万一私が、中央沿線の中野付近にでも移り住んだとするなら、都塵の中に忘れ去られてしまうが落ちである。」

 明治39年/1906年生まれのオヤジの、この硬骨ぶりというか、正確な分析力が、たまらなく嬉しいぞ。

 この書において、クマトクファンが山梨県下のみならず、一気に全国に広がったことでしょう。うん、そう信じたい。

          ○

 クマトクさんの人物的魅力を、ワタクシなんぞがツバ飛ばして力説するのも何だかおこがましいですね。

 直木賞オタクよ、そう、熊王徳平その人こそ、当時(第31回第40回 昭和29年/1954年・上半期~昭和33年/1958年・下半期)の直木賞を思い起こすにふさわしい立場の人なんです。なぜならば、同人誌『作家』に発表した作品で候補に挙げられているからです。

 『作家』といえば、第21回(昭和24年/1949年・上半期)芥川賞受賞の小谷剛さんが名古屋でひっそりと始めて、その後全国的に一大ネットワークを有するに至った超巨大、有名同人誌です。まあ、今の時代、『作家』のような同人誌に載った小説が、どどーんと直木賞候補に挙げられることは、絶対とはいいませんが、まずないでしょう。

 そこにはたしかに、雑誌に載ったぽっちの一つの短篇なぞ、まるで歯牙にもかけなくなった直木賞の変節、って姿もあるんですが、それより何より、今じゃ直木賞と芥川賞は文藝春秋内で完全分離していて、それぞれ別のグループが候補作を選ぶシステムになっています。これじゃあね、『オール讀物』の編集者とかエンタメ部門の出版局員とかが、『作家』誌とかにまで目を通すかというと、かなり期待薄です。

 ところが、かつては直木賞も芥川賞も、同じ人たちが両方の候補作を選んでいたと仄聞しています。そうですよ、だからこそ「山峽町議選誌」は直木賞候補作という、この作品にふさわしい舞台の上に立たされたんじゃありませんか。

 そして、そのおかげでワタクシもこの作品と作者クマトクさんに、ちらりとでも触れる機会を得られたのでした。おお、ありがとう、当時の文春関係者の方々よ。さらに言えば、直木賞の世界が好きな、現在の読書子のみなさんにも、ぜひともクマトク作品に触れてほしいよなあ。

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