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2008年4月 6日 (日)

小説家

 生活のために、あるときから大衆向け小説へ大きく舵を切った人……とはいえ中村武羅夫とか加藤武雄みたいに、“芸術性文学”への未練タラタラみたいなものが、まったくないところが、サッパリしていて気持ちいいなあ。

080406w170 『小説家』勝目梓(平成18年/2006年10月・講談社刊)

 “自伝的小説”なんだそうで、どこまで事実を写したものかは不明です。でも、芥川賞も直木賞も出てきます。スルーするわけにはいきますまい。

 勝目梓さんは、昭和50年代後半から始まった怒濤のバイオレンスの洪水とは、ほとんど関係のない昭和40年代前半に、第58回(昭和42年/1967年・下半期)芥川賞、第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞で、こっそりと候補になっています。このころを本書では、こんなふうに総括しています。

「彼の三十二歳から四十代後半あたりまでの、およそ十五年間の人生の軌跡は、迷妄の波に翻弄されて漂流する難破船さながらの有様を示している。年代でいえば昭和三十九年(一九六四年)から、昭和五十四年(一九七九年)までの時期である。

 三十二歳ではじめられた彼の文学修業は、その後の五年間のうちに芥川賞や直木賞の候補にあがるなどして、一応は順調に成果を見せてはいた。しかし彼の内心には、自分の文学活動の前途に対する不安がすでに芽生えていた。それは、書くに価するだけの文学的な意味のあるテーマが、自分の中にはないのではないか、といった疑問が根ざした不安だった。」

 直木賞候補になった「花を掲げて」は、純文芸誌『文學界』に載ったものです。これはやはり、その1年半前に『文藝首都』掲載の「マイ・カアニヴァル」が、ひょっこり芥川賞候補に挙げられたことの延長線上、つけたしみたいな出来事と見てよさそうです。きっと当時のご本人は、自分が芥川賞よりも直木賞向きであるとは、自覚されていなかったでしょう。しかしそのときすでに、文春の中には、この人は大衆向けの作家になり得る、ととらえた編集者がいたわけで、今思うと、ふうむ、なかなか鋭い候補選出だったんですね。

 昭和40年代~50年代の(株)文藝春秋編集陣の批評眼が、キラリと光っているなあと思わされるのは、こういう候補に出くわしたときだったりします。

 さて、その頃の“彼”にとっての、文学上で最も大きな存在として二人の作家が登場します。ひとりが『文藝首都』同人仲間の中上健次、もうひとりが同人誌『茫』の合評会で出会った森敦です。へえ、芥川賞の最年長受賞タイトルホルダー、森敦さんは、ほんといろんな作家に影響を及ぼしているんですねえ。たとえば直木賞畑でいえば、なんといっても三好徹

「直木賞を受けている三好徹も、無名時代の森敦に出会って、その独得の文学理論に大きな影響を受けた一人である。彼はその話を当事者の双方から直接聞いている。」

 三好さんの第58回(昭和42年/1967年・下半期)直木賞受賞作「聖少女」は、原稿の段階ですでに森敦さんに批評を請うていたそうですし、さらに、この題名は森さんのアドバイスによるものなんだとか。っていうのは、以前メディアファクトリーの直木賞アンソロジー『消えた受賞作 男たちの足音編』にも書かせてもらったネタです。

 本書『小説家』と、直木賞との奇妙な関わりは、それだけじゃありません。直木賞が顔を出すのは、主人公の“彼”と結婚して子供を生み、小説を書くようになって、離婚したC女と、“彼”との、出会いの場にまで及んでいます。そこで仲介役を果たすのは、佐藤愛子の直木賞受賞作(のうちの表題作)「戦いすんで日が暮れて」です。

「失職した彼は、その後しばらくしてから、企業の社員教育用の教材として使われる、スライドの台本を書く仕事に就いた。(引用者中略)そのころすでに特異な作風の作家として知られていた田畑麦彦も、そのような教育スライドの制作と販売に当たる会社を経営していた。田畑麦彦も同人誌の『文藝首都』の同人OBであり、その会社には同じ『文藝首都』同人であったMも、役員の一人として身を置いていた。また、当時は田畑麦彦は、作家の佐藤愛子と結婚していた。」

「「戦いすんで日が暮れて」の中には、前述の田畑麦彦が経営していた会社の役員であったMも、モデルの一人として登場している。(引用者中略)Mは田畑麦彦の会社の倒産後(あるいはその前だったのか、彼の記憶は曖昧になっている)に、独立して同種の教育スライド制作販売会社を起こした。そうして、そのときたまたま失業中だった彼にMが声をかけてくれて、教育スライドの台本書きの仕事を勧めてくれたのだった。思えばいずれも『文藝首都』を軸にした奇縁というべきいきさつだった。」

 で、そのMが、新しく女性社員を採用することにしたとき、“彼”も面接官の一人になるよう依頼されるのですが、そこで応募してきたC女と出会うことになるのでした。

 ちなみに、「戦いすんで日が暮れて」に出てくるという、Mをモデルとした人物は、引用するのも憚られるくらい、まあ、相当な悪役みたいな書かれ方をされています。と言いつつ引用しちゃいますと、こんな感じです。

「森口はもと夫の会社の営業部長だった。営業部の社員の怨嗟の声がたえず上り、部長がいる限り、我々は全員、社をやめるという決議が夫のもとに来たことが何度かあった。それを夫がどうにも出来ないでいるうちに、森口は会社をやめて自分で下請けの仕事をはじめた。夫は森口と取引きをした。そして森口は夫の会社の大口債権者となったのだ。

「たった二年の間に二億三千万もの負債が生じるとは、常識では考えられませんな。これは背任横領の疑いがあります。私は彼を告訴することを提案します」

 森口は債権者会議でそういう発言をしたというのだ。そのことを私は何人かの債権者から聞いた。

「そうでしょう、そうでしょう。そういう男ですよ、あの男は……」

 私は又もや勝ちほこって夫にいった。

「だからあたしがいったでしょう。あの顔はエゴイストの顔ですよ。耳の後から声出してペラペラしゃべるあのクツベラみたいな顔には酷薄の看板がぶら下がっているわ……」」

 そりゃあね、「戦いすんで日が暮れて」は『小説家』と同様、いやそれ以上に小説なのであって、かなり虚構で味付けされているものと思います。とはいえ、『文藝首都』同人から生まれたカップル(田畑&佐藤)や、それを通じて知り合った仲間たちを巻き込んだ企業運営とその破産、といったことがあったのは事実でしょう。長い歴史のなかで『文藝首都』誌からは、直接、直木賞作品に選ばれるものはなかったけれど、『文藝首都』余波から、こんな爆弾を積んだ直木賞受賞作がポーンと飛び出しちゃったのです。

 ああ、創設者の保高徳蔵さんよ、その妻みさ子さんよ、『文藝首都』誌が直木賞に果たした貢献度も、そうそう低いものではなかったのですよ。まあ、あんまり喜ぶべき展開じゃなかったかもしれませんけど。

 そしてまた、これも推測ですけど、まさか『文藝首都』から勝目梓さんみたいな作風で流行作家に躍り出るような人が誕生するとは、保高さん夫妻は想定していなかっただろうなあ。

 個人的に言いますと、ワタクシも勝目作品にはほとんど馴染みがありません。けど、本書にも登場する『獣たちの熱い眠り』、これは仕事の注文が殺到するきっかけとなった作品だそうですけど、これは遠い昔、読んだことがあります。あのストーリーテリングぶりに、すっかり幻惑された記憶があるなあ。

 直木賞は、お高くとまっているから、絶対に採り上げようとしないだろうけど、もし機会があれば勝目さんの作品にも、何かの賞が贈られてもいいんじゃないかなあ。本書『小説家』は、吉川英治文学賞で候補にまではなったみたいですけど、そうじゃなくて、やっぱりバイオレンス系のやつ、どれか。

「彼の書くものが読者の人気を呼びはじめたころには、官能作家とか、バイオレンス作家などのレッテルが定着すると小説家としては一段下に見られるから、別の境地も開拓したらどうかとか、また、作家としての存在を大きなものにしていくために、新人賞の上位に格付けされている文学賞を狙う作品を書いたほうがよい、というような温い助言と励ましを親身になって彼に与えてくれる編集者たちもいた。

(引用者中略)

 だが、彼の心の底に棲みついている謂れの定かでない拗ね者が、官能作家、バイオレンス作家が一段下に見られるのなら、あえて下に見られてやろうじゃないかとうそぶいて、折角の助言を受け入れようとはしないのだった。小説の世界の“下住人”でいるほうが、自分は性に合っている、と彼は思うのだ。小説家としての自分を大きな存在にしたいといった切実な志や欲望は、彼の中にはほとんど見当たらなかった。」

 下かどうかは、ワタクシには疑問です。でも、少なくとも直木賞ってやつは、一段下、二段下、といったそういった序列の意識を確固として維持し、下のものをズバズバ切り捨てていく、という志向をもった賞だからなあ。バイオレンス小説、大いに結構。この方の小説に、ぜひ何か賞を差し上げてください。

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