ウエザ・リポート
作家の書いたエッセイ集とか、お好きですか? ええと、ワタクシは日ごろ好んでエッセイを読むこと少なく、あの人の“読書日記”や、あの人の“しおり”にもまだ手を出しかねていて、『再婚生活』や『超魔球スッポぬけ!』の前すら素通りしてしまうありさまですが、お、この方のエッセイならとついつい買ってしまいました。うーん、いやはや。
『ウエザ・リポート』宇江佐真理(平成19年/2007年12月・PHP研究所刊)
平成9年/1997年・上半期の第117回以来、第119回、第121回、第123回、第127回、第129回の平成15年/2003年・上半期まで、6年にわたって計6度、コンスタントに直木賞候補にあがり、そのたび何のかんのと難癖つけられ、結局、東郷隆さんと並んで“平成の万年候補”の座についてしまった宇江佐真理さんの、はじめてのエッセイ集です。
おっとっと。“ついてしまった”なんて軽々に断言してはいけないのだ諸君。彼女と同じ頃に候補で競った馳星周さんも黒川博行さんも、まだまだ直木賞の対象に入っていることが、ついこのあいだ証明されたじゃないですか。宇江佐さん驚天動地の7度目の候補だって、そりゃあり得るわな。
収められたエッセイのうち、いちばん古いのは平成9年/1997年。というから、「幻の声」でのデビュー直後です。そうかあ、このデビュー作のタイトルと、それに続く「暁の雲」「赤い闇」って、ウィリアム・アイリッシュ=コーネル・ウールリッチの名作群の題名に由来してたのね、とかいろいろと発見をもたらしてくれる楽しい本です。函館に住み、二人の息子を育て、40歳を過ぎて雑誌の新人賞を得て、台所の片隅にワープロを据えて原稿を書き、スッピン・普段着で街のスーパーにお買い物に行く日常が、飾らず真っ正直に書いてあって、なんだか自分のお母さんがそこにいるみたい。もう親近感が沸くの沸かないのって。
で、直木賞に対するご本人の弁をご紹介する前に、やけにリアルだなあと思わされたのが、息子さんの一言。
「彼にとっては母親が小説なんて書かなくても一向に構わないのだ。直木賞の候補になって、その発表の日の騒ぎは、彼の言葉で言えば「マジでやめてもらいたい」ということになるのだ。」(「ダーツの旅」より)
直木賞は、おそらく大多数の人にとって心底迷惑でしかないシロモノなんだな。
はじめての直木賞候補、第117回のときの様子は、本書冒頭の「から騒ぎ」で描写されています。他のさまざまなエッセイに、宇江佐さんの日常風景が充満しているだけに、やはりここでは“直木賞”が一般家庭を襲う異常さが際立っています。
「私は夕食の準備で忙しく、エプロンを取る暇もなし。続々と訪れた新聞記者に「宇江佐さん、エプロン姿いいですねえ、いかにも主婦という感じで」とお世辞を言われたら取れるものか。
近所の鮨屋の大将は出前を届けに来たまま居座る。お、おれ、こういうの初めて。馬鹿、私だって初めてだい。NHK、時事通信社、共同通信社、ええい、あとはわからぬ。十六畳のダイニングは人でいっぱい。座っていた椅子を退かすと下は埃でいっぱい。私、あせって雑巾掛け。その時に電話がルルル……。」(「から騒ぎ」より)
まる一年後、第119回(平成10年/1998年・上半期)のときは、混乱の現場リポートではなく趣向を変えて、「またしても……」と「秋来ぬと……」の2篇にわたって、選考会前と後の、ご本人の思いが述べられています。
「前回の直木賞の候補に加えていただいた時は何も彼もが珍しく、半ばお祭り気分でその日を迎えていたものだ。今回は二度目。私も幾分、落ち着いてきた。
(引用者中略)
いつの間にこのような世間を騒がす賞と化したのだろうか。喉から手が出るほどほしい賞と、いみじくものたまう御仁は多い。芥川賞作家、直木賞作家の冠がそれほどほしいのか。それではお前はほしくないのかと問われたら、ほしくないとはとても言えない。いらないと言ったら馬鹿だと思われるだろう。」(「またしても……」より)
「拙作「桜花を見た」は、もう、いけません中のいけませんという選評でございました。一番最初に転げ落ちた次第。面目もございません。まあ、しかし、こういうものは水物でございますので、なるようにしかなりません。」(「秋来ぬと……」より)
ここら辺のエッセイは『公募塾通信』に連載されたものです。落選してもその状況と心情を、さらりと書き残して読者にサービスしてくれる強さたるや。まあその後も着実に作品を書き続けて、女流時代作家群の一角を担うまでになった過程を見ても、いやあ、お母さん強いなあ、と思わされるわけです。
そりゃ受賞していればもっと飛躍されたかもしれないけれど、落選しても力にする宇江佐さんの強靭さは、これはもう生来の性格なんでしょうね。例えば、直木賞に3度落ちて、平成12年/2000年に吉川英治文学新人賞を受賞したときには、「受賞のことば」でこんなことをおっしゃっています。
「実感があると言うなら、過去に幾つかの賞の候補に加えていただき、力不足で賞に至らなかった方に、むしろ実感がありました。
私は気持ちの切り換えが早い人間でありますし、人生に過剰な期待をしない主義なので、さほど失意に陥ることもありません。まあ、負け惜しみに「私は賞が目的で小説を書いている訳ではない、ふん、なにさ」と呟いたかも知れませんが。
賞のことは忘れて、さっさと次の作品に向かうのが精神衛生に一番の薬であります。」
おお、ジャパニーズ・マザーよ、永遠なれ。
さらに、はっきりとは言っていないけど、宇江佐さんの候補作には選評にて必ず語られる常套句があるんですが、それに対する宇江佐さんご本人の返しも、本書で堪能できます。
「新鮮なところもあるが、考証の甘さが目立ち、感興を削ぐ。」(北方謙三「小説でしかなし得ないこと」より 『オール讀物』平成12年/2000年9月号 第123回直木賞選評)
「時代小説はまず登場人物が生きた社会の仕組みをよく知るのが、その時代を背景に人間を描く大きな助けになるというのを理解して欲しい。」(平岩弓枝「二作品を推す」より 『オール讀物』平成15年/2003年9月号 第129回直木賞選評)
「私は江戸の資料を読むことが好きだ。しかし、ぶあつい本は苦手で、もっぱら新書や文庫になっているものを利用することが多い。
まあ、ちゃんとした文献に当たらないから、お前の時代考証はいい加減なのだと、ご指摘もあるが、読みやすさの点では、これに勝るものはない。」(「『江戸の色ごと仕置帳』」より)
そうです、ミステリーに対する“リアリティがない”と、時代小説に対する“考証に間違いがある”は、伝統芸能のように脈々と受け継がれてきた直木賞選評の“華”ですからね。これをさんざん言われ続けた宇江佐さんは、まさに直木賞候補の代表みたいな存在と言えるでしょう。
時代考証のことでツッコまれたお仲間、諸田玲子さんとの交流も、本書の最後のほうにちょこっと出てきて、これからが働き盛りの二人の切磋琢磨ぶりがうかがえます。
「普段の諸田玲子さんはおっとり(原文傍点)として、いかにも育ちのよさを感じさせる女性である。
向田邦子さんのシナリオをノベライズする仕事をして小説の機微を学ばれたようだ。
作家デビューしてから、とにかく諸田さんは書きに書いた。著作数はすでに私を超えているのに、隣りの芝生はよく見えるらしく、私に、いったい何社の仕事をしているのかと、真顔で訊ねられる。
(引用者中略)
何より作品が本になることに無上の喜びを感じている方だ。
一度、版元の都合で刊行が見合わせられた時の落胆は気の毒なほどだった。もう、その版元とは仕事をしないとまで言った。版元も担当の編集者も馬鹿な選択をしたものだ。」(「『紅の袖』」より)
このエッセイが書かれたのは平成16年/2004年6月。それ以後も、諸田さんはまだまだ“書きに書きまくって”いるご様子で、落胆から這い上がる力強さは、やはり宇江佐さんに負けず劣らずのようです。
まあ今さらほざくまでもなく、宇江佐さんの強靭さは、そもそもスタートの第一歩を踏み出した後の、数年の執筆量の多さを見ただけでも、わかろうというものです。
だけど、せっかくの機会なんで、そのことを直木賞のフィールドから見てみます。
かつてオール讀物新人賞の作品といえば、芥川賞候補における文學界新人賞作品と、意地を張り合うがごとく、次々に直木賞候補に仕立て上げられました。第1回の南條範夫「子守りの殿」から始まり、オール讀物新人賞の歴史それはイコール直木賞の歴史だ、と言い換えてもいいほどです。
ところが、候補が主に単行本より選ばれるようになってからは、ぴたりとその関係が終焉します。新人賞とっても次が書けなきゃ候補にも挙げられなくなりました。
そのなかで、第73回(昭和50年/1975年・上半期)の楢山芙二夫を最後として、もはや新人賞受賞作が直木賞候補になるなんて、当の文春社員さえ忘れ果てた(おそらく)頃になって、実に22年ぶりに、その快挙をなしとげたわけです。これは、新人賞とって間もなく単行本にまとまるだけの作品を発表し続けたからこその、快挙でした。デビューしたことに甘んじず、宇江佐さんはすでに相当遠くを見ていたのでしょう。
俗にいう“新人離れ”ってやつですか。
まあ、そのいきなりの第一歩目が強烈なインパクトを与えたことは、当時の選評を読んでもよくわかります。それが影響して、その後候補に挙がった5度とも、宇江佐さんに対するハードルがやたら高く設定されちゃった、と言えるかも。選考委員のみなさま。いずれ訪れるかもしれない7度目の候補のときには、過去の6度の実績などすっぱり忘れて、ぜひ新人作家・宇江佐真理として選考してくださいね、と釘を差しておきたくなるわけです。
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