直木賞作家 今官一先生と私
これほど直木賞らしくない受賞作も珍しいぞ、でおなじみの作品集『壁の花』を、思い切って復刊とか文庫化する勇気ある出版社は、きっと今はないでしょうけど、講談社文芸文庫あたりがポロッと光を当ててくれることを、ひそかに期待。
『直木賞作家 今官一先生と私』安田保民(平成15年/2003年4月・私家版)
純文学系のひとが直木賞をとる例はよくあることで、そのことを普通は“悩める直木賞の千鳥足”とか呼んだりするんですけど(いやいや、呼ばれていません。ワタクシが今つくったテキトーな言葉です)、『ジョン万次郎漂流記』も「執行猶予」も「真説石川五右衛門」も「ボロ家の春秋」も、まあまあ、万民に受け入れられやすかろう、って意味ではたしかに直木賞のものでしょう。
だけどね、今官一さんの『壁の花』を大衆文学と呼ぼうだなんて、そりゃ君、無謀すぎるぜ。
本書の著者の安田保民さんも、冒頭でかなり地団駄ふんでいます。
「私はいまでも、今官一は芥川賞作家だと思っている。
今官一の「旅雁の章」が、昭和十三年下半期、第八回芥川賞銓衡委員会に取り上げられていたせいもある。
もし、宇野浩二が、二時間遅れて到着しなかったら、あるいは芥川賞の最終候補に推せんされ、受賞の可能性もあったのではないかと、私は惜しまれてならない。」
今さんから直接の薫陶を受けた安田さんにとっては、そうですか、“惜しまれる”のですか。
ところが、断然直木賞派のワタクシにとっては、今さんが芥川賞でなく直木賞をとったことはじつに喜ぶべき事件なのです。異色の受賞作『壁の花』に出逢えたのですから。
安田さんはこうもおっしゃっています。おそらく今さんは大衆文学の人ではなかっただろう、と。
「「壁の花」の受賞決定のとき、選考委員たちが果して今官一は大衆文学で、才能をのばせるだろうかと、あやぶんだとも言われている。
私は思う。
今官一自身も、直木賞作家としてではなく、あくまでも芥川賞受賞作家であると、おのれを信じて進んで行ったのだと。」
そうでしょうそうでしょう。今さんが受賞後に大衆作家にならなかったのは、別にご本人に悪いところは一つもありません。悪いのは、当時の直木賞でしょう。
なんつっても、今さんが直木賞の候補に第34回、第35回とたてつづけに挙げられた昭和30年代初頭はですね、小島政二郎、木々高太郎の二大“文学擁護派”……もっと噛み砕いて言うと“文学かぶれ派”が、選考会で力を発揮していた頃でして、他にも井伏鱒二、永井龍男なんちゅう純文学出の面々が選考委員を務めていました。あの時代でなきゃ、今官一さんに直木賞を、との発想はまず生まれなかったはずですもの。
さて、安田さん安田さんと気軽に呼んでいますが、ええと、安田保民さんをご紹介していませんでしたね。安田さんは青森で活動する作家さんで、今官一主宰の同人誌『現代人』にも参加されていたことがあるそうです。
本来、今日は今官一デーと決めて、官一につぐ官一、さらに無理やり口をこじあけて官一を押し込む、ぐらいの勢いで今さんのことを取り上げるべきなんでしょうけど、並の文献ではなかなか知ることのできない『現代人』付近のことに、本書はページを割いてくれていて、思わず嬉しくなったので、以下、直木賞とちょこっと関わった同人誌『現代人』に熱い視線を送りたいと思います。
「今官一主宰の『現代人』は当時、同人雑誌の中では、もっとも注目されていた。
「文学界」や「文芸」、「図書新聞」「日本読書新聞」「週刊読書人」等の同人雑誌評に取り上げられないことはなかった。
毎号、いずれかの作品が評判になった。
そして、直木賞最終候補者を二人輩出している。
昭和三十五年十一月に創刊第一号を出し、第二十五号(昭和五十一年十一月)まで発行している。」
その直木賞候補2人とは誰か、は後のお楽しみ。まずは、昭和30年代末ごろの、芥川賞・直木賞の裏側が垣間見える興味ぶかい回想が書かれていますので、引用してみます。
「私の作品「立暗(ルビ:たちくらみ)」をも載せた「現代人」第六号(昭和三十九年六月発行)の合評会が、新宿の喫茶店で開かれたが、その席上で冒頭、発行人の山岡明さんから、
「安田君の『立暗』が芥川賞候補に名前が出たが、すぐ消えた」
と報告がなされた。」
え、なんでそんな重要極秘情報を山岡さんがご存知なんですか、と安田さん、そしてワタクシは疑問に感じるわけです。
「山内七郎さんという同人も、直木賞候補にあげられたが、この方も私と同じように、世間一般でいう最終候補者ではなかった。
あとで判ったのであるが、日本文学振興会から「直木賞(または芥川賞)候補選考に当たって、○○の作品掲載誌五部、至急送付してほしい」旨の通知がくる。
たぶん、私の「立暗」の場合も、これではなかったかと思われたが、実は山岡明さんは「芥川賞」の予選委員をしておられたのだった。」
へえ、同人誌の発行人が、芥川賞や直木賞の予選委員をしていたこともあったんですか。たしかに戦後から昭和40年代ごろまでは、やたら同人誌の作品が候補に多いものな。
おそらくこの制度は、いつからかなくなってしまったはずですけど、その途端に、制御装置が利かなくなり、それ以降『オール讀物』と『別冊文藝春秋』が候補リスト内で横行しはじめたのじゃなかろうか、と仮説を立ててみたいところです。
さあて、『現代人』の出身の直木賞候補、出番ですよ。おひとり目は、リンゴ農家の星、平井信作さんです。
「平井氏は、「生柿吾三郎の税金闘争」で第五十七回直木賞最終候補になった。
候補ではあったが、すぐ文芸春秋から単行本『生柿吾三郎の税金闘争』(昭四十二・十一・一)が出版された。
平井さんは、テレビに出演のため上京したり、「週刊読売」などの週刊誌でも、「リンゴ村の税金闘争。直木賞候補作家大いにがんばる」などで話題となり、一躍、有名になった。
平井信作は歌舞伎役者の市川歌右衛門に似ていて、大柄な方で、当人も若い時、役者を目ざしたと言っている。」
郷土・青森の作家に常に温かな目をくばる直木賞選考委員、石坂洋次郎さんが、はじめての選考、第57回(昭和42年/1967年・上半期)で、いきなり平井さんの作品に出逢っているのは、奇縁だよなあ。ちなみに石坂さんは、もちろん平井作品に相当高い評価を与えています。
「税金闘争」は、トボけた風合いのある楽しい小説だったなあ。他の生柿吾三郎シリーズも読んでみたいよなあ。
『現代人』から飛び出したもうひとりの直木賞候補、それは太宰治の秘蔵っ子、桂英澄さん。
桂さんは同人誌『立像』の主宰もされていたそうです。『立像』とは斯波四郎が主宰をしていた頃に直木賞候補作を生んだこともある同人誌。その候補作とは、今官一さんの「銀簪」で、なるほど今さんと桂さんの間にも、なんだかいろいろ縁があるようですな。
第67回(昭和47年/1972年・上半期)の候補となった桂英澄さんの『寂光』は、もと『早稲田文学』に載った作品のようでもあり、また本書によれば『立像』に掲載されたものらしいんですけど、それはともかくとして、受賞した綱淵謙錠『斬』の大迫力、井上ひさし「手鎖心中」の才気に一歩譲ったものの、選考会ではかなりの高い評価を得ました。
『寂光』はまったく題名が示すとおり、強烈なインパクトでせまるわけでもない、どこか寂しげで静かなたたずまいの小説です。となれば、講談社文芸文庫あたりがポロッと光を当ててくれることを、ひそかに期待。……って講談社に頼りすぎですか。
ええと、最後はやはり御大、今官一さんのところに戻らせてもらいまして、いっちょ、御大の生きざまをバシッと語っていただきましょう。
青森出身の芥川賞作家、三浦哲郎さんと、昭和36年/1961年2月23日に『東奥日報』紙上で語り合ったときの模様が、本書に一部引用されています。
「今 何がどうはやっているかは問題にしない。メシ食うためにはこれまでどおりスリラーも風流話も書こう。昔、暇なころ書いたようなものを一生懸命に書いて、それが売れればそれに越したことはない。(引用者中略)自分の好きなことでおマンマ食えたら、それに過ぎることはない。多額納税者や、サービス精神といったものに対する抵抗はあるわけです。直木賞はサービスしなければ“アレはもうダメだ”といわれる。」
そうか、今さん、“アレはもうダメだ”とか、さんざん叩かれたんでしょうかねえ。今さんの責任じゃないのにねえ。ワタクシもこれからは“あの作家はもうダメだ”なんて、軽々しく口走らないようにしようっと。
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