大いなる助走
お待たせしました。直木賞の関連書を紹介するブログのくせして、筒井康隆の本を一冊も出さないとは、何様のつもりだ。しかも、この小説のことを一度も語らないとは、断じて許さん! との雨あられの非難をスルリとかわすためにも。
『大いなる助走』筒井康隆(昭和54年/1979年3月・文藝春秋刊)
おそらく『巨船ベラス・レトラス』の話題性をもっと煽るために、文春文庫版の『大いなる助走』が23年ぶりに新装版として再び書店にあらわれたのが、平成17年/2005年のこと。なんだかんだ言っても、本書で描かれる大作家たちのモデルとなった、アノ人やコノ人の小説が、書籍の流通から抹消されて久しいこの時期、しぶとく本書が生き残っているのは、頼もしい限りです。
で、本書をどんな切り口から取り上げましょうか。
たとえば、候補者の青年にぶっ殺される「直廾賞」選考委員の面々が、実際のどの作家をモデルにしているか、なんてのは、すでに発表直後の昭和54年/1979年、平石滋さんが詳細に論じているしなあ。さらに、その論稿「『大いなる助走』と直木賞の“事実部分”」が収められている『筒井康隆はこう読め』(昭和56年/1981年2月・CBS・ソニー出版刊)では、平岡正明さんが、
「落ちた、怒った、殺(ルビ:バ)ラした。これでなければ筒井ではない。」
と筒井ファンとしての正しい読み方を規定しちゃっているしなあ。
まあ、こちとら純正ツツイストじゃないんだから、やっぱり、直木賞専門サイトにふさわしい見方を採りたいと思うわけです。
つまりは、これ。「「大企業の群狼」は、現実の直木賞でもやはり落選するか」。
「大企業の群狼」というのは、『大いなる助走』に登場する架空の小説です。作者は、焼畑市の大企業・大徳産業に勤めるサラリーマン市谷京二、彼が初めて同人誌に書いた280枚の力作です。これが大手純文学誌の『文学海』に転載され、「直廾賞」の候補となり、結局は賞に選ばれなかったのですが、このとき(第幵十九回)候補に挙がったのは、次の諸作。
- 番場明 「猫屋敷」(*時代小説)
- 市谷京二 「大企業の群狼」(*企業小説)
- 藤山武夫 「虜囚の旗」(*戦記小説)
- 楢野哲志 「銀座の夜の戦場」
- 中山光紀 「終末の大放浪」(*SF小説)
- ほか4篇
受賞したのは、ひたすら戦記物を書いて候補になること4度めの苦労人、藤山武夫さんでした。おめでとうございます。
さて、「直廾賞」のゆくえなんぞはどうでもよくて、問題は直木賞です。
まず「大企業の群狼」が、文藝春愁の純文学誌『文学海』に載ったのが、いつなのか。はっきりと年次を特定することはできませんが、市谷の同人誌仲間、鍋島智秀さんが77年頃の話をしているところから見て、だいたい『大いなる助走』発表と同時代と見ていいでしょう。少なくとも、筒井さん本人が候補になっていた昭和40年代よりは、だいぶ後です。
ちなみに、『大いなる助走』の初出は、『別冊文藝春秋』の第141号[昭和52年/1977年9月]~第146号[昭和53年/1978年12月]。
要するに昭和53年/1978年頃ってわけです。ちょうどその時期、現実の直木賞では、第78回(昭和52年/1977年・下半期)にて、高橋昌男『巷塵』や小関智弘「錆色の町」が候補に挙がっていましたが、あちら側の世界では、鍋島さんによりますと、こんな感じ。
「二百八十枚もの新人の小説が『文学海』に転載されるなんて、はじめてのことだぞ。たしか七六年の十一月だか、丁橋曲夫の『黄人』が載ったが、あれが二百枚で、今まで載った中ではいちばん長い小説だった。しかもあれは次の年に出版されて下半期の直廾賞候補になっている。同じ時に候補になった小錯柄広の『鍋色の市街』も七七年の秋の『文学海』に載っているが、あれは百枚ぐらいのものだった筈だ。」
直木賞と「直廾賞」とで、候補作のラインナップも、だいたい符号するようです。
「大企業の群狼」が仮に、現実の直木賞で候補になるとしたら、もっとも妥当なのが第79回(昭和53年/1978年・上半期)だと思われます。
参考までに、第79回のほかの候補を挙げてみます。色川武大「離婚」、津本陽「深重の海」、泡坂妻夫『乱れからくり』、深田祐介『日本悪妻に乾杯』、小檜山博「イタチ捕り」、谷恒生『ホーン岬』、小林信彦『唐獅子株式会社』、若城希伊子『ガラシャにつづく人々』の8篇。
いやあ、強豪ぞろいだなあ。筒井さんイチ押しの『唐獅子株式会社』まで入っているし。
で、表面的な事象だけを見るならば、「大企業の群狼」が相当の苦戦を強いられるだろうことは、はっきりわかります。
- まったくの新人がはじめて書いた小説が、同人誌や純文学誌に載った段階で、直木賞を受賞するケースは、ほとんどない。
- とくに『文学海』ならぬ『文學界』に載った作品が、単行本化される前に、直木賞を受賞したことは一度もない。
- 男性が24歳で直木賞候補になるのは異例の若さである。20代の男性といえば、森見登美彦(第137回 28歳)、山田正紀(第78回 28歳)、池上永一(第118回 27歳)、楢山芙二夫(第73回 27歳)、酒見賢一(第102回 26歳)より、なお若い。そして、20代の男性が受賞した例はない。
直木賞オタクの目からすれば、「大企業の群狼」に追い風となるような統計が、なかなか見つかりません。
いや、ほんとはそんな統計など、くだらんものとして打ち捨てていいのです。なんといっても一番残念なのは、市谷京二さんの「大企業の群狼」を読む機会が、未来永劫、訪れないことです。他の8つの候補作と読み比べることができません。
我々が知ることのできるのは、小説内容の一端だけです。地方の大企業が抱えている組織としての歪みやら、悪業やらが描かれているらしく、一企業の暗部を暴いていくような小説は、おそらくそれまでの直木賞に、ないタイプだろうと推測します。ああ、読んでみたいぜ。
そう、選考委員の最長老、明日滝毒作が、選考途中で眠りこけるまでもなく、「直廾賞」以上に、現実の直木賞を「大企業の群狼」がとる可能性は、ほとんどないのです。
ないのですが、これはあくまで、第78回までの過ぎ去った現実と照らし合わせた上でのハナシ。一条の可能性が差すとすれば、それは、妖怪のような名前を持った旧態依然の文壇の大御所たちじゃない、新たな視点をもった選考委員の眼に賭けること、そこにのみあります。
事実、現実の第79回から、新しく選考委員になった人が2人います。この2人が、「大企業の群狼」を大いに評価してくれれば、ひょっとして“受賞の可能性ほぼゼロ”のこの小説が、大逆転で受賞にかがやき、ついに直木賞の歴史を変えてくれるかもしれません。
第79回の新任委員とは誰か。おひとりは、城山三郎さん。まさしく自らの考えを貫き、初回の選考会から、ひたすら『日本悪妻に乾杯』を推しまくったのに始まり、帚木蓬生『白い夏の墓標』、森田誠吾『曲亭馬琴遺稿』、高橋治『絢爛たる影絵』など、決して作家的業績の長いとはいえない新人の、一発目の力作を評価して、第89回をもって選考委員会の“業績重視”の空気についていけず、潔く辞任した方です。すでに他界されてしまいましたが、ああ、もっと長く直木賞に携わって、直木賞をぐぐっと変えてほしかったな。
もうひとりは、うーん、あまり変なこと言えないんだよな。なぜなら、第79回の昭和53年/1978年から30年近くたった今でも、まだ現役の選考委員の方ですから。
しかしですね、五木寛之さん。思い出してみてください、はじめて選考会に参加されたあの回のことを。
「のっけから偉そうな事を言うようだが、この賞の選考委員の末席に連なることをお引き受けした時、私は二つの考えを述べた。一つは、直木賞作品は、芥川賞の作品とくっきり異った質のものでありたいという考え方である。もう一つは、新人の処女作品であれベテランの力作であれ、いずれにせよその作家に真のプロフェッショナルの資質があるかどうかという点を見たいという考えである。
このプロの資質というのは、秘められた才能と傾向のことで、本人の意識とは関係がない。したがって、芥川賞と直木賞の中間をふらふらしているような小説を私はとらぬつもりである。」(『オール讀物』昭和53年/1978年10月号選評「プロの資質を」より)
うわあ、のっけから、いきなりご自分に対するハードルを上げられたんですね。“秘められた才能と傾向”を見つけるのは、きっと難しいですよ。でも、外野にいる我々読者は、確かに、選考委員にそれを求めているんだと思います。昔も、今も。
もちろん、その基準は、いまでも五木さんの脳内に息づいていることでしょう。そして、もうじきやってくる第138回での五木さんの選考を、そんな観点で、じっくり注目して見る楽しさもあるんですが、おっと、ハナシはそこじゃなかったんだ。「大企業の群狼」ですよね。
城山三郎さんなら、もしかして、ひょっとして、これを推した可能性はあるかもしれない。あとは、五木寛之さんが、市谷京二さんのなかにプロフェッショナルな資質を見出せるかどうか。「芥川賞の作品とくっきり異った質のものでありたい」とか言われているからなあ。やっぱ難しいか。
市谷さん。いずれにしても、24歳で候補だなんて、もうそれだけで快挙なんですよ。まだまだ挽回の余地はあったのに。
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