書店風雲録
言うまでもなく、直木賞と書店とは、切っても切れない関係にあります。受賞作家やら文壇内部のおハナシはひとまずお休みして、今日は書店員の方のご高説を拝聴いたしましょう。
『書店風雲録』田口久美子(平成19年1月・筑摩書房/ちくま文庫)
田口さんは、昭和48年/1973年にキディランド八重洲店の書店員となり、昭和51年/1976年~平成9年/1997年まで、西武百貨店の本屋さん「リブロ」に勤め、現在でもジュンク堂池袋本店の要職に就かれている方です。
リブロといえば、書店文化の一時代を築き上げた重要な本屋さんだそうですが、その一端すら触れていないワタクシにとっては、本書に登場する小川道明さんも今泉正光さんも中村文孝さんも、まったく存じ上げない遠い存在です。70年代~90年代の書店を取り巻く状況など、本書ではじめて教えてもらうことが多く、大変勉強になりました。
書店そのものと直木賞の関係については、あとで触れるとして、リブロ×直木賞と掛け合わせて、はじき出される答えのうち、最も妥当なキーワードが「車谷長吉」なのだということも、本書ではじめて知りました。
「「ところで、セゾングループで一番印象的だった人物は? 堤さん以外で」「そりゃあ、車谷さんだろう」今泉に尋ねると、即座に返事があった。一九九八年の直木賞作家・車谷長吉は中川と同様に数奇な経歴を持つが、それは彼の著作を読んでいただくとして、当時は西武百貨店の社員であった。」
堤さんとは西武百貨店のドン堤清二、またの名を辻井喬。今泉、中川とは、リブロ池袋店の店長を務めた書店員さんです。
車谷さんが第119回(平成10年/1998年・上半期)で直木賞をとる5年前、平成5年/1993年に三島由紀夫賞を『鹽壺の匙』で受賞した後の、書店員とのバトルのエピソードは、やはり面白い。
「下駄ばき、坊主頭の車谷長吉がリブロの入口に仁王立ちになり、あたりを睥睨する姿を発見すると、怖いもの知らずの今泉が逃げた。」
そもそも、今泉さんは、堤親分とその意を受けた小川リブロ社長から、セゾン出身の作家を大切に育てるためにも車谷の本を長く売るように、と指示を受けていたのですが、その頃の車谷さんの本はそんなにたくさん売れる本でもないので、在庫も少なく、すぐ品切れになってしまいます。すると、
「見計らったように車谷参上、今泉を捕まえては「なぜ私の本を積んでいないのだ」と言い募る。」
おお、こわ。今泉さんにちょっと同情しちゃいます。
一作、三島賞をとったぐらいで、在庫を切らさずにずっと店頭に置くのは、難しいんでしょうねえ。車谷さんのためにも、直木賞をとってから少しは、その状況が打破されたのなら、いいのですが。
さて、車谷長吉さんのことと多少はリンクするハナシかもしれませんが、本書を読んで考えさせられるのは、小説をどのように分類するか、についてなのです。
これは、芥川賞・直木賞といった卑近な例を挙げるまでもなく、文学研究の世界から、文壇、評論界、出版界などなど、それぞれで問題を抱えているテーマかと思いますが、そういえば、書店の売り場なんか“分類”に影響される最たる場所なんだよな、と改めて気づかされました。
たとえば本屋さんに行って、「日本の小説」棚がある。そこを探してもお目当ての本が見つからない。ふと後ろを振り向くと、「日本のミステリー」棚なんてものがあった、といった経験は、ワタクシもときどき出くわします。
「戦後間もなく「中間小説」というジャンルが栄えた、と先述の大村彦次郎は『文壇栄華物語』(筑摩書房)で記述しておられた。作家でいえば丹羽文雄、舟橋聖一、石坂洋次郎、石川達三、源氏鶏太等である。この定義の曖昧なジャンル、私たちは新人にこのジャンルを教える時に「ほら、直木賞の対象になるような」と教えた、そしていわゆる純文学(芥川賞の対象)と名づけられるジャンルを書店は(少なくともリブロは)かつて分けて棚をつくっていた。この中間小説と時代小説があわせて直木賞の対象になっていた、と考えるとおおざっぱだが整理しやすい、少なくとも新人書店員はうなずく。」
何がすごいといって、当時の新人書店員が、この説明でうなずくところがすごいのです。
このおハナシの背景は、70年代後半から80年代ごろです。「え? 芥川賞と直木賞って、何がどう違うんですか?」と、純粋に問い返す新人がいてもよさそうなのに、そうですか、うなずいちゃうわけですか。直木賞っていう存在が、“名前だけは知っている”レベルを超えて、歴然たる一般常識として確立されてなきゃ、こうはいきません。
ちなみに、ミステリーとか冒険小説はどうかというと、
「推理小説や冒険小説、SF、耽美小説、等はいわゆる娯楽小説(今はエンターテインメントというジャンル名になっている)として直木賞の対象ではなかった。普通の人間の人生にはあり得ない設定、がはじき出される原因だったのかもしれない。」
ってことで、「赤川次郎はね、直木賞の対象にならないから中間小説じゃないんですよ」「そうですか、ふむふむ」と、新人たちが素直にうなずいていた時代もあったのです。
もちろん、この状況が、現在に至るまでにどんどん変化してきているのは、多くの読書子は肌で感じていることでしょう。田口さんは、こんなふうに指摘しています。
「私には高村薫の出現がターニングポイントだったように思える。彼女の『マークスの山』直木賞受賞頃(引用者注:第109回 平成5年/1993年・上半期)から日本のミステリー小説を始めとするエンターテインメント群が書店の「小説に割り当てられた新刊スペース」を徐々に占拠しはじめた。これらの新刊が純文学系や中間小説系の現代文学を発売点数で上回るのにさして年月を必要としなかった。」
いやあ、いいことです。
“直木賞をとりそうな内容の小説”なんてものが、いつの頃からか形成されて、本屋の棚もそれで分けたり、社会人なりたての連中でさえ、説明しなくても何となく了解できている、なんて時代は、それはそれでわかりやすく、便利でよかったのでしょうけど、考えてみれば、ちょっと気持ち悪い。“楽しい小説のひそんでいる領域は、無辺だぞ。直木賞だって、みみっちい枠の中から選ぶだけじゃなくて、あらゆるところから楽しい小説を選ぶ姿勢なんだぞ”といった先の見えない混沌こそ、なんだか面白いじゃないですか。
「現代小説がかつてのように芥川賞タイプと直木賞タイプに分けづらくなり、その直木賞タイプもミステリーを始めとするエンターテインメントとの境界が曖昧になってきた話を延々としてきた。昨今は純文学や大衆小説、いわんや中間小説などはなおのこと、というジャンル分けは、本の周辺にいる私たちでさえ、言葉としても聞かれなくなった。」
かくして書店の棚は、「日本の小説」として一本化され、単純に著者名の五十音順で並べられるかたちになっていくのでした。
直木賞にとっては、願ったりかなったりの展開なんじゃないでしょうか。今よりもっと視野を広げて、無限なる「日本の小説」のなかから、こいつは面白いぜと読書の幸福を与えてくれるような新たな種に、光を与えればいいだけのハナシですから。
ちょっと心配なのは、芥川賞の行く末。純文学の牙城とか言って胸張っている間に、いつの間にか、こと書店の店頭でのテリトリーは、こんな有りさまになっちゃっているそうですけど、あなたのファンもまだまだ多いのですから、頑張って生き延びてくださいね。
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