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2007年12月の5件の記事

2007年12月30日 (日)

大いなる助走 (その2)

 そして、掟破りの2週連続。先週は、かなり道を踏み外し、おそらく良識ある読書好きの方々をもヒかせてしまったかもしれないので、今年最後、まじめに地道に取り組みます。

071223w170 『大いなる助走 新装版』筒井康隆(平成17年/2005年10月・文藝春秋/文春文庫)

 本書の単行本版は、昭和54年/1979年3月15日第一刷。オビに書かれた言葉は、こんな感じです。

○オモテ筒井康隆が文壇を恐慌に陥れた今世紀最大の問題作」

○ウラ「これまでの筒井康隆は単なる〈天才〉だった。ところがこの、言語道断の傑作「大いなる助走」によって紙一重をとびこえ、とうとう〈狂人〉の域に達してしまった。文学デーモンの仕業だ。――山藤章二」

 作品のインパクトを考えると、案外おだやかなオビです。おだやか、っていうのは、つまり直木賞(もしくは直廾賞)とか落選とか選考委員殺しとか、そういう具体的キーワードを一切出さず、いかにも景気づきそうな言葉のみを並べている、って意味です。

 ご本人の回想によりますと、この本、当時8万部売れたのだとか。

 ってことで、しばらくは、その回想「「大いなる助走」騒動」(平成1年/1989年7月・中央公論社刊『ダンヌンツィオに夢中』所収)から、つまみ食いさせてもらいます。

「あのう、文藝春秋がこの作品を単行本にした時はですね、さすが文藝春秋、文壇批判の作品も堂堂本にしたといって褒める声が多く、文藝春秋は株をあげたんですよね。まあ、その裏では今は亡き某重役が自粛を命じ、部数を抑えた、などということもあったらしい。「ふつうに売ってりゃ十万部は越えてる作品だったんだけどねー。ひっひっひー」とある人に語ったことを、そのある人が教えてくれた。」

 10万部を軽く越えるはずのところ、それでも8万部。でね、その後平然と文庫化されて、もっと売れ、世紀を超え30年経とうっつう今もなお、平然と売っちゃっていることを考えると、ああ、某重役の“自粛”っていったい何だったんでしょうかねー。組織人の悲哀が、しみじみと伝わってくるなー。

 さすがの文藝春秋といえども、話題性+売上と、文壇長老への気兼ねを天秤にかけて、思い切って単行本にしたのは、英断だったことでしょう。いや、そもそも『別冊文藝春秋』で連載を始める段階でも、相当の勇気が要ったことだろうな。となれば、初出誌もチェックしなけりゃ年は越せませんよ。

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2007年12月23日 (日)

大いなる助走

 お待たせしました。直木賞の関連書を紹介するブログのくせして、筒井康隆の本を一冊も出さないとは、何様のつもりだ。しかも、この小説のことを一度も語らないとは、断じて許さん! との雨あられの非難をスルリとかわすためにも。

071223w170 『大いなる助走』筒井康隆(昭和54年/1979年3月・文藝春秋刊)

 おそらく『巨船ベラス・レトラス』の話題性をもっと煽るために、文春文庫版の『大いなる助走』が23年ぶりに新装版として再び書店にあらわれたのが、平成17年/2005年のこと。なんだかんだ言っても、本書で描かれる大作家たちのモデルとなった、アノ人やコノ人の小説が、書籍の流通から抹消されて久しいこの時期、しぶとく本書が生き残っているのは、頼もしい限りです。

 で、本書をどんな切り口から取り上げましょうか。

 たとえば、候補者の青年にぶっ殺される「直廾賞」選考委員の面々が、実際のどの作家をモデルにしているか、なんてのは、すでに発表直後の昭和54年/1979年、平石滋さんが詳細に論じているしなあ。さらに、その論稿「『大いなる助走』と直木賞の“事実部分”」が収められている『筒井康隆はこう読め』(昭和56年/1981年2月・CBS・ソニー出版刊)では、平岡正明さんが、

「落ちた、怒った、殺(ルビ:バ)ラした。これでなければ筒井ではない。」

 と筒井ファンとしての正しい読み方を規定しちゃっているしなあ。

 まあ、こちとら純正ツツイストじゃないんだから、やっぱり、直木賞専門サイトにふさわしい見方を採りたいと思うわけです。

 つまりは、これ。「「大企業の群狼」は、現実の直木賞でもやはり落選するか」。

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2007年12月16日 (日)

文壇資料 十五日会と「文学者」

 困ったときには、定番の書籍を。定番といったって、決して万民向けでないことは承知していますが、同人誌『文学者』の存在はやっぱり、直木賞に興味があるなら、ぜひ押さえておきたいところですもの。

W170 『文壇資料 十五日会と「文学者」』中村八朗(昭和56年/1981年1月・講談社刊)

 そう、何が困ったといって、今日、急にワタクシの使っているPCの外付けハードディスクがぶっ壊れてしまい、このブログのためにいろいろ準備していたファイルが、まったく取り出せなくなってしまったこと。こんなときは、基礎資料中の基礎資料で、お茶を濁させてもらおう、ってわけです。

 お茶を濁すだなんて失礼な。丹羽文雄御大ひきいる一大文学集団『文学者』は、その関わった人びとのなかから、直木賞の歴史を彩るさまざまな作家を輩出している、重要な同人誌なんですぞ。とくに、そのほとんどが、直木賞受賞者群、というより、候補者群のなかに名を刻んだ人たちですが。

 野村尚吾小田仁二郎榛葉英治瓜生卓造小泉譲峰雪栄小沼丹瀬戸内晴美津村節子武田芳一林青梧……、と本書の途中までで登場する人名を並べてみても、シブい名前がずらずらずら。

 いやいや、何といっても、これを書いた中村八朗さんその人こそ、直木賞マニアにとっては、師匠格の丹羽文雄よりもずっと、重要人物としてマークしなきゃいけない人なんです。“ほぼ受賞作家”として名高い長谷川幸延と並んで、直木賞候補回数7度、そのわりに、今手に入る作品の、なんと少ないこと。

 ハチロー君、誰かれがみんなあなたのことを忘れてしまおうとも、ワタクシだけは絶対、あなたのことを忘れやしません。きっといつか、7度の候補に挙がった8つの作品、読ませていただきます。

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2007年12月 9日 (日)

書店風雲録

 言うまでもなく、直木賞と書店とは、切っても切れない関係にあります。受賞作家やら文壇内部のおハナシはひとまずお休みして、今日は書店員の方のご高説を拝聴いたしましょう。

071209w170 『書店風雲録』田口久美子(平成19年1月・筑摩書房/ちくま文庫)

 田口さんは、昭和48年/1973年にキディランド八重洲店の書店員となり、昭和51年/1976年~平成9年/1997年まで、西武百貨店の本屋さん「リブロ」に勤め、現在でもジュンク堂池袋本店の要職に就かれている方です。

 リブロといえば、書店文化の一時代を築き上げた重要な本屋さんだそうですが、その一端すら触れていないワタクシにとっては、本書に登場する小川道明さんも今泉正光さんも中村文孝さんも、まったく存じ上げない遠い存在です。70年代~90年代の書店を取り巻く状況など、本書ではじめて教えてもらうことが多く、大変勉強になりました。

 書店そのものと直木賞の関係については、あとで触れるとして、リブロ×直木賞と掛け合わせて、はじき出される答えのうち、最も妥当なキーワードが「車谷長吉」なのだということも、本書ではじめて知りました。

「「ところで、セゾングループで一番印象的だった人物は? 堤さん以外で」「そりゃあ、車谷さんだろう」今泉に尋ねると、即座に返事があった。一九九八年の直木賞作家・車谷長吉は中川と同様に数奇な経歴を持つが、それは彼の著作を読んでいただくとして、当時は西武百貨店の社員であった。」

 堤さんとは西武百貨店のドン堤清二、またの名を辻井喬。今泉、中川とは、リブロ池袋店の店長を務めた書店員さんです。

 車谷さんが第119回(平成10年/1998年・上半期)で直木賞をとる5年前、平成5年/1993年に三島由紀夫賞を『鹽壺の匙』で受賞した後の、書店員とのバトルのエピソードは、やはり面白い。

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2007年12月 2日 (日)

翔んでる人生

071202w170 『翔んでる人生』胡桃沢耕史(平成3年/1991年4月・廣済堂出版刊)

※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。

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