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2007年10月21日 (日)

『新青年』読本全一巻―昭和グラフィティ

 現在進行形の直木賞も面白いけど、五里霧中でさまよっていた頃の、いたいけな直木賞の姿にも惹かれますよね。とくに戦前の直木賞は、調べれば調べるほど、どこから何が飛び出すかわからない魔境の感すらあります。

071021w170 『『新青年』読本全一巻―昭和グラフィティ』『新青年』研究会・編(昭和63年/1988年2月・作品社刊)

→著者の公式サイト Pub Antiqurian

 小説好きのワタクシにとって、ネット上のフリー百科事典Wikipediaは、知らないことを教えてもらったり、自分の知識の誤りに気づかされたり、大変ありがたいサイトなんですけど、「新青年(日本)」の項目を見て、あなたは思わずニンマリしてしまいませんでしたか。

 平成19年/2007年10月21日現在、『新青年』の項で主な掲載作品に挙げられているのは、たったの3つ。江戸川乱歩「探偵小説四十年」、横溝正史「八つ墓村」、うん、これは文句のつけようがないでしょう。もう一つが、なんと、立川賢「桑港けし飛ぶ」。いやあ、視界外からの思わぬ奇襲にたじろがされました。

 さて、戦前の直木賞は、選考するに当たってどんな小説を議論の俎上に乗せるのか、その点で試行錯誤の道を歩みました。そうするうちに次第に4つの雑誌に、多く候補作を求めるようになっていきます。文藝春秋社の『オール讀物』、新小説社の『大衆文藝』、大阪毎日新聞社の『サンデー毎日』、そして博文館の『新青年』です。

 大衆文学にとっての『新青年』といえば、海外探偵小説の翻訳・紹介とか、乱歩の「二銭銅貨」から始まる国産探偵小説の胎動・発展といった、探偵小説の牙城としてのとらえ方が一般的だと思うんですけど、本書の偉いのは、さらに幅広く、同誌をにぎわせた科学小説、時代小説、国際小説、冒険小説、戦争小説と、まんべんなく取り上げてくれているところです。直木賞に現れる『新青年』作品は、探偵小説なんかほとんどなく、たいていそれ以外のジャンルの作品なんですもの。はじめて同誌の作品で受賞したのは、大池唯雄の歴史小説だったわけですし。

 なにぬかす、それより前に、木々高太郎が探偵小説の「人生の阿呆」で受賞してるじゃないか、とかツッコもうとされました? さすが目ざとい。

 たとえば、最も信頼すべき日本文学振興会ホームページの「直木賞受賞者一覧」でも、第4回受賞作「人生の阿呆」の掲載誌は『新青年』と書いてあります。たしかに、「人生の阿呆」は『新青年』昭和11年/1936年1月号~5月号に連載された作品です。

 でも、第4回って昭和11年/1936年・下半期に発表された作品が対象だったんですよね? そりゃあ昔の直木賞は、雑誌に初めて掲載されたものや、単行本であれば短篇集か書き下ろしのみが対象だった感じがあります。さらに、期間から外れていても、多少であれば気にせず選考対象にしちゃう曖昧さも見受けられます。そんな背景はあるんですが、やっぱり第4回の「人生の阿呆」の掲載誌を『新青年』と言い切るのは、しっくりこないんだよな。だって、じっさい下半期――7月にこの作品は、版画荘から改めて刊行されているんですもの。受賞作『人生の阿呆』は、どっちかっていうと、その単行本のほうと見たいところだよなあ。

 版画荘と木々高太郎といえば、創元推理文庫版『人生の阿呆』に、宮本和男さんが興味深い解説を書かれています。

 「版画荘版の木々の本がいかに彼の意を受けて作られているかの好例」として、『柳桜集』(昭和12年/1937年)が紹介されていて、その流れのなかで単行本『人生の阿呆』を考察されています。

「この作を代表作の一つに数えられることは木々にとって、間違いなく不幸なことだと思う。その気持ちに変わりはないが、一単行本としての『人生の阿呆』が、出されねばならず、また必見の書であるというのも私の確信である。」

 として、その理由は三つあるそうです。

 一つに「木々の試みを読む、という見地からの価値」

 二つに「『自序』の存在である。この本にこの『自序』のあることは以前から知っていたが、実際に見ると、まさに木々のいうとおり《必要があり、又、意味もある》という気になる。これを欠いた『人生の阿呆』は、大序の無い『忠臣蔵』のごとくさみしい」

 そして三つめに「作中の白眉である良吉の紀行に、さらに写真を添えた着想と効果」。これは、松本清張にとっても印象深い趣向だったらしく、『点と線』でそのアイデアを拝借したんだとか。

 そうそう、この解説では直木賞のことにも触れられていて、

「その中(引用者注:単行本『人生の阿呆』が必見の書である理由)に探偵小説として初めて直木賞を受賞した作であるということは、無論入らない。それは作品の価値とは何ら関係のないことである。とはいえ、この評価が気にならないといえば嘘になる。」

 なんていう言葉を、宮本和男、小説家名で言うところの北村薫さんが書いていたことを知ると、改めて妙な感傷に襲われたりするのです。失礼を承知で、この文章をパクッてワタクシの気持ちに当てはめさせてもらいます。『スキップ』『ターン』『語り女たち』『ひとがた流し』『玻璃の天』が直木賞を受賞しなかったのは、作品の価値とは何ら関係のないことです。とはいえ、この評価が気にならないといえば嘘になります。

 うわあ、脱線も脱線、『新青年』のハナシはどこ行ったんだあ。『『新青年』読本』に戻ります。

 同誌から生まれた、または主に同誌で活躍した直木賞受賞・候補作家といえば、探偵小説で木々高太郎角田喜久雄小栗虫太郎、ユーモア小説で獅子文六(岩田豊雄)徳川夢声北町一郎、歴史・時代小説で大池唯雄鳴山草平笹本寅久生十蘭、国際小説で摂津茂和木村荘十大林清、冒険小説で渡辺啓助、恋愛小説で大島修子、科学小説で立川賢、戦争小説で岡田誠三、怪奇幻想小説で三橋一夫、そのほか読物の執筆陣として玉川一郎納言恭平(奥村五十嵐)日吉早苗などなど、知った名前・存ぜぬ名前がボロボロ出てきます。本書におさめられた充実の「『新青年』全巻総目次」を見ていると、のちの小磯なつ子が、新人推薦傑作の枠に佐藤碧子の名義で「結婚前の愛人」(昭和13年/1938年臨時増刊号[第19巻6号])を発表していること、その推薦者が菊池寛だったことなど知れて、へえ、とうならされたりして。

 さて、この中から何人かピックアップさせてもらいましょう。

 あまり知られていない作家その1、鳴山草平

(引用者注:昭和14年/1939年)七月から翌年六月までの「新進時代小説傑作集」「特選維新小説」というまとまったスペースを確保した時期も含めて、以後時代ものは戦前の創作の一角を占め続けた。

 一千円懸賞当選は鳴山草平。彼の作品に重要な鍵となるのは、ほのかではあるが、恋だ。

(引用者中略)

 「封建性」が蔽い隠している純粋素朴な人の情を見出す手法は、「老子哲学」を基礎とし天衣無縫の自然人雲母(ルビ:きらら)瓢介を主人公とした受賞作「極楽剣法」(昭十四・4)に鮮やかで、ここでは人の情はまことにあっけなく制度を打ち破ってしまうものだったが、やがて彼はそれを時代の中にさりげなく立ち交わらせる。」(「時代小説の簇生」大山敏)

 直木賞が『新青年』から積極的に候補を探すようになった入り口が、探偵小説じゃなく時代小説だった、というのが、なんだか直木賞の抱えている保守的な一面を示しているような気もします。久生十蘭が、受賞作「鈴木主水」を筆頭に「三笠の月」やら「遣米日記」やら「真福寺事件」やら、やたら時代小説で候補に挙げられているのを見るにつけても。

 あまり知られていない作家その2、摂津茂和

「「のぶ子刀自の太つ腹」(昭十四・3)で、来日したヒットラー・ユーゲントと彼らをもてなした富豪の未亡人との間の“誤解(ルビ:カルチャーショック)という象徴的なプロットを引っさげて登場したのが、『新青年』が生んだ最大の“国際小説”作家、摂津茂和だ。「これが私(ルビ:セ・モア)とペンネームにトートロジーを仕掛けて、自分を物語のなかへ消してしまう意気をほのめかしたこの作家の第二作「ベレンガリヤ号の一夜」(同4)も、第一次大戦戦後の大西洋を渡る豪華船を舞台にしている。」(「間国家の花火―戦争と“国際小説”」滝口浩)

 三作めが「婚礼合唱」、そして四作め「ローマ日本晴」にいたって第9回の候補に挙がります。ところがこの回は村上元三以外、とくに注目された候補もなく、次の第10回でも続いて受賞作なしとなって、“直木賞挫折の一年”の時期に当たってしまっていたのでした。摂津さんは昭和16年/1941年に『三代目』という短篇集を出して、のちに菊池寛も「大衆文学の芥川龍之介」と言って感心しているほどの人なんだけどな。残念。

 最後は、『明治・大正・昭和 日米架空戦記集成』(長山靖生・編、平成15年/2003年7月・中央公論新社/中公文庫)で一躍名をあげた(?)、アノ立川賢

「戦争末期、一人の注目すべき作家が生まれた。昭和十七年一月号のゴムとタンニンの代用品についてのエッセー「蟻と蜂」でデビューした立川賢だ。(引用者注:立川はその前にも昭和16年9月号に科学読物「フリオレッセン物語」を発表している)

(引用者中略)

 原爆の原理という主題に、さりげなく〈事故〉に関する新聞の情報操作というディテールをはさみこんだ「桑港けし飛ぶ」(昭十九・7)。そして翌月の『新青年』での最後の作品「恐るべき苔」は、科学者の失踪譚だ。代用品用パルプの原料となる材木を至急入手すべく古代植物の種子に放射能を当てた国策会社社員柏木は大木の促成栽培に成功する。だが言いしれぬ恐怖を感じた彼は愛児の如く育てた大木を灰にして、姿を消す。「結局彼はあまりにも科学者でありすぎた」のだった。」(「バケツから原爆まで」滝口浩)

 ホントホント、「桑港けし飛ぶ」は、立川さんが科学者でありすぎたがゆえの大失態なんでしょうねえ。この人には、全然戦争とは関係ない「クレモナの秘密」(昭和18年/1943年5月号)なんていう面白い科学小説もあったのに。

「国策にそった戦争小説を構想した結果、荒唐無稽な〈空想科学小説〉の域に達してしまった作家たち。海野十三はSFプロパーの作家とされているからひとまずおくとして、立川賢、大下宇陀児、北村小松など、探偵小説ジャンルの解体をよそに、戦争末期にかけて、米国本土空襲のための高性能の飛行機や、生物兵器、クローン人間、原子力利用といったモチーフが駆使され、〈空想科学小説〉ジャンルは、異様なにぎわいをみせた。」(「戦争文学」川崎賢子)

 なんだかんだ言っても、直木賞史上はじめて科学小説(SF)で最終候補にまで残ったのは、星新一よりさかのぼること17年前、立川賢でした(第17回 昭和18年/1943年・上半期)。候補作の「幻の翼」は、やはり“荒唐無稽な〈空想科学小説〉の域に達してしまった”内容を含んだ作品です。

 これに危うく受賞させたりなどして直木賞に汚点を残さなくてよかったね、などと人ゴトのように安堵している場合じゃないんだろうな。読者を楽しませるための大衆小説は、状況次第で戦争賛美小説にもなりうるし、そういったものを作家が書き、大衆が読んでいたことがあったのは事実なんですから、人間の持っている或る一面をくっきりと歴史上に刻んでおく意味で、直木賞が「幻の翼」に与えられていてもよかったんじゃないのかな、と思ったりするわけです。

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