もうなつかしい平成の年表
もうなつかしいパスティーシュの旗手、誕生のころ。あれから20年ぐらいたつんだなあ。ワタクシも青春時代、よくこの方の本を読んだものです。
『もうなつかしい平成の年表』清水義範(平成12年/2000年5月・講談社刊)
すみません、私的な回想はなるべく控えます。SF界に以前から突如として出現している新しい星((c)半村良)、清水義範が本格的にその名を知られるようになったのは、たぶん『蕎麦ときしめん』(昭和61年/1986年)とか『国語入試問題必勝法』(昭和62年/1987年)のころからです。
その当時をちょっとイジ悪く振り返ると、どっかから仕入れてきた新しめの言葉“パスティーシュ”と銘打って、『小説現代』にガンガン短篇を書かせ、早々に吉川英治文学新人賞も受賞させてしまったりして、講談社め本気こいて売り出しをはかりやがったな、なんて思うわけです。まあ、そんな穿った見方を蹴飛ばすくらいに、SF界から飛び出した奇才は、小説からエッセイ、読み物、教育論などなど、幅広いジャンルを、旺盛な執筆力でこなす人気作家になっていったのですから、手放しで拍手拍手です。
そりゃ清水さんは、どんな事象でも自分のテリトリーにひっぱり込んで、小説みたいで読み物みたいな作品に仕上げてしまうでしょ、直木賞のことだって、パスティーシュしていてもおかしくないんだけどな。どなたか、直木賞をテーマにした清水さんの小説、ご存じでしたら教えていただけませんか。本気で探しています。
とゲタを預けて、何も取り上げないわけにもいきません。
筒井康隆と清水義範の最大の違いは、著作リストに『大いなる助走』があるかないかだ、なんて妄説を、誰が言ったか知りませんが、とりあえずはっきりと直木賞のことが書かれている清水作品として、本書を持ってきました。
平成に入ってから毎年、1年分ずつ発表していた年表を、平成1年/1989年~平成10年/1998年まで並べ、あとがきで平成11年/1999年分の年表を書き下ろして、早くも平成を回顧してしまっている書です。日付順に社会・政治・経済・国際などの各ニュースが、清水さんのつぶやきとともに書き連ねてあって、帯には「同時代エッセイ」と書いてあるんですが、エッセイなのかどうか分類不能で、うちの近くの図書館では「210 日本史」の棚にありました。
清水さんの3度にわたる直木賞候補はすべて平成に入ってからの出来事です(第102回 平成1年/1989年・下半期、第103回 平成2年/1990年・上半期、第107回 平成4年/1992年・上半期)。で、個人的なニュースにつける分類「清水」の項として、3つともきちんと触れられています。
まずは「平成二年の年表」(初出『小説現代』平成3年/1991年7月号)より。
「一月十六日 〔社会〕勝新太郎が、ハワイのホノルル空港で、マリファナとコカインを所持していたとして逮捕される。どういうわけだかそういうものを持っていて、あわててパンツの中に隠したのだそうだ。何はともあれ、この事件がもとで勝新太郎はそれから一年以上にわたってハワイに居続けることになった。
一月十六日 〔清水〕ところがその頃私は、初めて直木賞の候補になってしまい(候補作品は『金鯱の夢』)、仕事場で編集者数人、及び「フライデー」記者などと、結果の電話を待つ、なんてはめになってしまったのだ。結果は落選、ちなみに受賞者は星川清司氏と原尞氏であった。」
「七月十六日 〔国際〕フィリピンのルソン島で、M(マグニチュード)六・二の大地震。死者八八九人、不明七三〇人、負傷者三六〇人。
七月十六日 〔清水〕ところがその頃私は、二度目の直木賞の候補になってしまい(候補作品は『虚構市立不条理中学校』)、仕事場で編集者数人、及び「フライデー」記者などと、結果の電話を待つ、なんてはめになってしまったのだ。結果は落選。ちなみに受賞者は泡坂妻夫氏であった。」
つづいて「平成四年の年表」(初出『小説現代』平成5年/1993年4月号)より。
「七月十五日 〔社会〕ヨットで単独世界一周航海に挑んでいた今給黎教子さんが、二七八日ぶりに鹿児島県錦江湾にゴールして、快挙をなしとげた。
七月十五日 〔清水〕ところがその頃私は、三度目の直木賞の候補になってしまい(『柏木誠司の生活』で)、仕事場で結果の電話を待つ、なんてはめになってしまったのだ。結果は落選。ちなみに受賞者は伊集院静氏であった。これを繰り返しギャグにするつもりはなかったんだけどなあ。」
ふうむ、ご本人の感想が入っているのは、かろうじて3度目のときだけですか。しかもたった一文。あとがきによれば、
「私のつぶやきは、読み進むための間の手のようなものである。事件や出来事についての簡単な感想や、驚きの声をはさんだものだ。
私は、この年表になるべく私の意見や思想を持ちこまないように心がけた。たとえばある政治傾向のことを一方的に持ちあげたり、逆に批判することのないように、中立かつ無責任に、おやじの感想を言ってるだけにした。」
とあるわけで、そんなものに取り立てて注目するなんて、いやはやワタクシもどうかしてますな。元からですけど。
「これを繰り返しギャグにするつもりはなかったんだけどなあ」……今一度、この文を読み直して邪推の念をふくらませますと、そうか、多種多様なニュース項目の間に、ふと自分の文学賞落選ネタをさしはさむのは、清水さん流の“ギャグ”だったんですね。さらに言えば、1度目も落選、2度目も落選、3度目の候補もまた落選、と3回繰り返したからこそ、いっそう“ギャグ”味が増しているとも思えます。いわゆる“テンドン”ってやつですか。
自虐ネタであることは確かなんですけど、ご本人が「ギャグ」と書いておいてくれなければ(書いてあっても)、とてもギャグとは読めなかったワタクシは、ちょっと感覚おかしいですか?
さて、『金鯱の夢』は、戦国の世の終わり、秀吉にもしも嫡子・秀正が生まれていたら、から始まって名古屋幕府の誕生から終焉までの260年を描いた歴史改変SF、『虚構市立不条理中学校』は、三者面談に出かけたきり帰ってこない妻と息子を探しに、学校に乗り込んだ小説家が、カリカチュアライズされた各教科の教師に次々と遭遇するさまを描いて、現代教育の滑稽さを笑い飛ばすユーモア小説。とここまでは、「直木賞はSFに冷淡だ」という綿々たる歴史に、見事、新たなる一ページを加えてくれました。
前者は田辺聖子が、後者は山口瞳が、何人もいる選考委員のなかでただ一人だけ高く評価しているのも、直木賞においてのSFではまったくお決まりのパターンで、笑える展開です。
奇しくも師匠の半村良と同様、3度めの候補作には、それまでとはガラリと作風の違う、奇想嫌いの人にもすんなり受け入れられるような現代サラリーマン小説が選出されます。“平成の江分利満氏”とか言われたりして。しかしながら、半村さんのときと違って、この一作を作家の奥行きとして認めた選考委員は、ただ一人しかおらず(ちなみにそれは藤沢周平)、当時『イン・ポケット』に連載中だった『おもしろくても理科』では相棒の西原理恵子さんに、
「直木賞落選ホヤホヤ作家 清水義範君 怒りをペンに もちかえて 今日も書き ます。」「人の話じゃ あんた けっこー 欲しがって たんだって?」「かわいそだから おねいちゃんが 象印賞を あげようね.」(「××が東京ドームだったら」イラストより)
「うわあっ ハカセったら ホントに広く浅く 何でも興味が あるんだねっ きっとそれで見失って いるものが人生で たくさんあるよっ 直木賞とか…」(「油断大敵・痛ミシュラン」イラストより)
などとカラかわれてしまうのでした。
ワタクシが知ったかぶって指摘するまでもなく、賞などとろうがとるまいが、その後に充実した作家人生を続ける人はゴマンといて、まあ清水さんの場合は、直木賞なんてせせこましい枠を飛び抜けたところにこそ、その本領があるような気がします。
いや、逆に直木賞に選ばれなかったことが、清水さんの異才ぶりを証明しているのかな。ふむふむ。直木賞をとれなかった人たちの中にこそ、じつは面白い小説を書く人材がいるんですよ、と“直木賞基準”を裏返してみせてしまう清水さんの多彩な創作活動そのものが、ひょっとして清水さん流の“直木賞パスティーシュ”なのだったりして。
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