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2007年8月の4件の記事

2007年8月26日 (日)

勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛

 いつもの書籍紹介とは違って、今回は、逆の目線でいきます。つまり、この本に何が書いてあるかを取り上げるのではありません。何が書かれていないかを掘り下げてみたいと思います。

070819w170 『勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛』浅田次郎(平成12年/2000年3月・講談社/講談社文庫)

 浅田次郎―直木賞―エッセイ、とからませれば、「勇気凛凛ルリの色」シリーズのなかでも、3巻目の『福音について』に注目するものと、昔から相場が決まっています。第117回(平成9年/1997年・上半期)の受賞の周辺などを知りたい向きには、同書所収「栄光について」「出陣について」「パニックについて」「天使について」の4回分が、断然、必読です。

 だけど、ちょっと待ってください。浅田さんは初候補でいきなり受賞したわけじゃないんですよね。それより1年前の第115回(平成8年/1996年・上半期)で、落選の経験をしているんだもの、週刊誌に連載されていたこのシリーズのどこかで、当然その貴重なる経験にも触れているんじゃなかろうか、と思わず読み返したくなるのが普通です(はい、あくまで、直木賞マニアの普通です)。

 と書いてきて、じつはワタクシ、ここから先に筆を進めていいものやら妙な不安を感じています。書きかたを誤ると、浅田さんご本人のみならず、講談社の方々、浅田作品(とりわけ「勇気凛凛」シリーズ)のファンの方々の、気分を害するような地雷に、うっかり足を乗っけてしまうのじゃないか、と思うので怖いのです。

 どうしても抜け切れぬ生来の性格のせいで、ふざけたような文体でしか書けないのですけど、ワタクシ、いたって真面目です。真面目に直木賞周辺の事柄を調べている、何の権力も後ろ盾もない一オタクです。そこのところ、どうかひとつ、ご理解のうえで、さあさ先にお進みください。

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2007年8月19日 (日)

想い出の作家たち―雑誌編集50年―

 前回、野原一夫さんを取り上げたので、大衆文芸畑の編集者からもどなたかお一人、いらっしゃいませんか。お、そこにおられるのは『新青年』最後の編集長、元・博文館、博友社の編集者だった高森栄次さん、ま、ま、そんなに後ろに下がってないで、どうぞ前にお出でください。

070819w170 『想い出の作家たち―雑誌編集50年―』高森栄次(昭和63年/1988年5月・博文館新社刊)

 往年の大出版社、博文館で名編集者として活躍した影の人、高森栄次さんは、明治35年/1902年石川県生まれ、昭和3年/1928年に早稲田大学英文科ご卒業ののち、博文館入社、『新少年』や『譚海』などの少年少女雑誌の編集に携わり、戦後は博友社を設立、昭和23年/1948年~昭和25年/1950年には『新青年』最後の編集長を務め、その後も長きにわたって編集者生活を送り、82歳で退陣、平成6年/1994年にこの世を去られました。

 博文館の少年少女雑誌というのは、のちの大作家たちがまだ駆け出しの頃、数多く寄稿していた原石の宝庫だったそうで、直木賞につながるお名前だけでも、山本周五郎山手樹一郎村上元三富田常雄大林清鹿島孝二梶野悳三といったお歴々。そのほかにも本書には、玉川一郎三橋一夫獅子文六久生十蘭橘外男なんていう方々の思い出話も繰り広げられていて、このくそ暑い季節に読むとなおさら、作家と編集者のあいだに結ばれた厚い絆みたいなものが、むんむん伝わってくるのです。

 逸話、逸話、またまた逸話のオンパレードなわけですが、ゆったり語られる牧歌的な大衆文芸界のおハナシに、しばし身をゆだねて暑い夏をボーッと過ごすのも、また一興。

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2007年8月12日 (日)

人間 檀一雄

 超のつくほどの有名人ですから、この方に関する評伝・評論・回顧本のたぐいもそこらじゅうに氾濫し、おそらく日本国中で専門家を名乗る人が何十人もいそうなので、怪我しない程度に、静かにご紹介します。

070812w170 『人間 檀一雄』野原一夫(昭和61年/1986年1月・新潮社刊)

 この本とて、檀一雄研究者のあいだでは主要文献のひとつなのかもしれないんですけど、あくまで直木賞の角度からちょっとだけ、檀一雄に近しい方にとっての檀一雄(なんか複雑な表現だな)を、垣間見ようって試みですから、檀一雄をまじめに研究されている方々、“おれたちの穢れなき聖域に、うすよごれた大衆文芸マニアもどきが、ずかずか入り込んでくるない”なんて怒らないでください。さっさとズラかりますので。

 さらに、ほんと素人ですみません、萱原宏一は知っていても野原一夫って誰なのか全然知らないもので、ちょっとおさらいさせてください。なになに大正11年/1922年のお生まれ、昭和18年/1943年に東京帝国大学独文科をご卒業、戦後は新潮社、角川書店、月曜書房、筑摩書房にお勤めになり、昭和53年/1978年筑摩の倒産以降はフリーとなって、平成11年/1999年に他界された名編集者でいらっしゃったと。

 それで、本書は単に、有名作家と親交の深かった元編集者が、その思い出を書きつづったなんていう軽々しいものじゃなくて、伝説と化した檀一雄の生きざまを、関係者への取材を挟みながら丹念に追っていて、どっしりと重たい作品になっているわけです。ご本人いわく、

「檀一雄の人間像を、その生誕から死に至るまでの全人生のなかで見詰めたいという思いが、私のなかでふくらんできた。そう思い直させるに十分な魅力を、たとえば幼少の日の、あるいは青春の時代の檀一雄の生き方のなかに、私はあらためて感じた。構想を変え、その結果が、このような回想を織り込んだ評伝ふうの文章となった。」

 檀一雄といえば、太宰治第1回芥川賞に選ばれずに落ち込んでいたとき、「直木賞を貰えよ、直木賞を」となぐさめたあの友情厚き男、という逸話ぐらいしか知らない人間にとっては、うわあ、やっぱり重いかな。

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2007年8月 5日 (日)

日本ミステリー進化論 この傑作を見逃すな

 “ミステリーだと直木賞のとりにくい時代があっただなんて、いつのハナシしてんだよ、ジジくせえな”と、今から14年前ですら、すでに煙たがられていたはずの、そんな古くさい、推理小説と直木賞の関係について、です。

070805w170 『日本ミステリー進化論 この傑作を見逃すな』長谷部史親(平成5年/1993年8月・日本経済新聞社刊)

 なんでこの本が、うちの書棚にあるのか、今となっては全然思い出せないんだけど、直木賞関連書として買ったのでないことは確かです。それでも久しぶりに目に留まったので、ぱらぱら見ていたら、しっかり直木賞のことにも触れられていて、14年も前の本ですけど、この場にお出で願いました。ようこそ。

 記憶に新しいところを持ってくるとすると、推理小説と直木賞、このネタで滔々と一席ぶったのは、第134回(平成17年/2005年・下半期)で東野圭吾の授賞に反対した選考委員、渡辺淳一の、そのときの選評です。

「以前、とくに一九七〇年代ころから、推理小説の文学性について否定的な意見が強く、直木賞の候補として挙げられることもきわめて少なかった。その理由は、推理小説が謎解きに主眼をおきすぎ、その結果、人物造形が手薄になり、人間を描き、その本質に迫る姿勢が弱かったからである。」(『オール讀物』平成18年/2006年3月号「トリックか人間描写か」より)

 アノ渡辺淳一さんが推理小説の歴史を語ってくださっているだけでも貴重な文献なんですが、しかし、この論って無条件に信じちゃっていいんでしょうかね。1970年代とは、だいたい第63回(昭和45年/1970年・上半期)前後――要は渡辺淳一さんご本人が直木賞を受賞した辺りからのみ、振り返っているわけでしょう、それ以前のことはオレは知らんぜ、ということですか。うーん、ここはひとつ、もっと本気に推理小説の歴史を研究している長谷部史親さんのほうを信用させてください。

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