想い出の作家たち―雑誌編集50年―
前回、野原一夫さんを取り上げたので、大衆文芸畑の編集者からもどなたかお一人、いらっしゃいませんか。お、そこにおられるのは『新青年』最後の編集長、元・博文館、博友社の編集者だった高森栄次さん、ま、ま、そんなに後ろに下がってないで、どうぞ前にお出でください。
『想い出の作家たち―雑誌編集50年―』高森栄次(昭和63年/1988年5月・博文館新社刊)
往年の大出版社、博文館で名編集者として活躍した影の人、高森栄次さんは、明治35年/1902年石川県生まれ、昭和3年/1928年に早稲田大学英文科ご卒業ののち、博文館入社、『新少年』や『譚海』などの少年少女雑誌の編集に携わり、戦後は博友社を設立、昭和23年/1948年~昭和25年/1950年には『新青年』最後の編集長を務め、その後も長きにわたって編集者生活を送り、82歳で退陣、平成6年/1994年にこの世を去られました。
博文館の少年少女雑誌というのは、のちの大作家たちがまだ駆け出しの頃、数多く寄稿していた原石の宝庫だったそうで、直木賞につながるお名前だけでも、山本周五郎、山手樹一郎、村上元三、富田常雄、大林清、鹿島孝二、梶野悳三といったお歴々。そのほかにも本書には、玉川一郎、三橋一夫、獅子文六、久生十蘭、橘外男なんていう方々の思い出話も繰り広げられていて、このくそ暑い季節に読むとなおさら、作家と編集者のあいだに結ばれた厚い絆みたいなものが、むんむん伝わってくるのです。
逸話、逸話、またまた逸話のオンパレードなわけですが、ゆったり語られる牧歌的な大衆文芸界のおハナシに、しばし身をゆだねて暑い夏をボーッと過ごすのも、また一興。
やはりまずは、直木賞といえばこの人、直木三十五の原稿料にまつわるおハナシから。
「昭和七、八年ごろの原稿料は、新進の山岡荘八、山本周五郎、富田常雄クラスで四百字一枚二円、それを富田が値上運動の先鋒となって乗込んできて、五十銭上げて二円五十銭、三十枚書けば七十五円で一ヶ月は楽に暮すことができた。
その頃直木賞の御大直木三十五先生が、ベテランでも原稿料一枚五円以上はザイアクである、との発言をして、作家たちが騒ぎだし、出版社総員が立上って拍手した。
もっとも直木先生の原稿は、会話に「……」が多くて有名であった。たとえば、
「然らば貴殿はいかがお考えか喃?」
「…………」
「それがしはかくかく考えるが、いかがか喃」
「…………」と云ったあんばいである。これで一枚五円以上はいかがか喃、と思う。」
さすが直木の親分、ニクい手を使ったものです。こんな手法は古今東西いろんな作家が利用しているとは思いますけど、そのそばから、原稿料とりすぎうんぬんと発言しているんですから、確信犯なのか、それとも天然なのか。
お次のスポットライトは、第27回(昭和27年/1952年・上半期)の直木賞候補者、三橋一夫さん。戦後『新青年』の最終期に登場した彼との出会いが、「ふしぎ作家三橋一夫君 ―ほのぼの大先生―」の一項に書かれています。
ワタクシが引用したいのは、その出会いよりも前の部分。三橋さんは、父親が財閥関係の会社社長、自身は慶応大学出身というサラブレッドなんですが、卒業後ヨーロッパに留学を命じられます。しかし人生どこでどう転がるものやら、この欧州行きが作家・三橋一夫の誕生へと、つながっていくのでした。
「この珍男児は勉強もいくらかはしたらしいが、それ以上にお酒の魅力のとりこになって、帰国したときは留学の報告をすっぽかして、「天国は盃の中に」と言う小説を発表して直木賞の候補になったりした。
その小説の中の、ドイツのビール呑み大会に出場して並み居るプロイセンの猛者どもを後えに、優勝カップを高々と頭上に差し上げた話は、その一篇中の圧巻である。
その頃彼は一時長谷川伸門下の一員となっていて、その小説を仲間の前で読みあげた。それを聞いた山手樹一郎さんが、あの作家は面白い、と私に告げたことがある。」
長谷川伸の新鷹会というのは、ほんと、いろんなタイプの作家が集い研鑽していたんだなと改めて思い知らされます。決して時代小説だけの勉強会じゃないところが、抜群に偉いよなあ。山田克郎だの戸川幸夫だの邱永漢だの赤江行夫だの、そしてこの三橋一夫だの、一見脈絡のなさが、実はこの会の存在価値をぐぐっと上げているんだよな。
さて、ライトの当てる方向を、またまたぐいっと振り向けまして、次は第17回(昭和18年/1943年・上半期)候補の御大。唯一の直木賞受賞辞退者、おなじみ山本周五郎さんです。
戦前の作家たちのむちゃくちゃぶりは、先に引用した直木三十五を筆頭に、まあいろいろ出てくるんだけど、「座談会 山本周五郎」で語られる山周親分は、そりゃあ直木賞を蹴るぐらいの人ですから、ハナシのタネが尽きません。読めば読むほど、くーッ、親分カッコよすぎます。
座談会の出席者は、秋山青磁(カメラマン、山周の親戚)、門馬義久(朝日新聞)、萱原宏(原文ママ、宏一のことか? 講談社)、土岐雄三(作家)、高森栄次(博友社)の五名。
「土岐 でっち時代から何とかかんとかいって金を送らせるのがうまかったらしいけれども、高森さんあたり、博文館にいて相当に前借を持ちこまれたでしょう。
高森 ええ、もう……全部そうです(笑い)。あまり激しいのでまいっちゃってね、「直接大橋社長に交渉してくれ」。大橋社長はね、それは山本周五郎は知らないけれども、作品にほれこんでいたわけです。しまいには直接交渉になりましてね、作家として社長室にいきなり行ったのは彼だけじゃないですか。」
あのブスッとした顔で前借に乗り込んでこられたら、それだけで迫力満点でしょう。
「土岐 いちばんこっぴどくやられたのは、博友社の風間だよ。彼は最後、門前払いを食わされるようになっちゃったけれどもね。風間君のときだよ、原稿料焼いちゃったのは。『講談雑誌』にのせた原稿がね、おもしろくないって風間が言い出したんですよ。風間家のいちばん上の兄貴ですよ。これが『講談雑誌』の編集長やっていたときに、山本さんのところに行っていたわけです。おもしろくなかったら原稿料返す、ということになったわけです。非常にプライド傷つけられたわけでしょう、山本さんとしては。
のせちゃったからっていうんで、金持ってきたわけです。そんな金受け取れないっていうんですね。燃しちゃおう。幾らだったかなァ。ぼくははっきり覚えていないけれども、とにかくいまにしてみれば相当の大金ですよ。
(引用者中略)
マッチで二度を三度も火をつけて、けっきょく燃しちゃった。風間はじっと、頭の毛ひねくり回しながら見ている。山本周五郎ムッとしているわけだ。凍りつくような一瞬だったね、作者対編集者の。」
こんなハナシが次から次へとボロボロ出てくるわけです。編集者が真夏に背広着てネクタイ締めて会いに行ったら、そんなものを着てくるやつは野蛮人だと叱ったとか、貯金も生命保険もなくて、死んだときには千円札が二枚きりで、どうやって葬式出そうかと遺された者たちが困ったとか、まことに堂に入った偏屈ぶりが、すばらしい。
「高森 『譚海』のころ、春秋会という『譚海』作家の会があったんです。ところが、彼を入れるとけんかになるから、入れないんだ。ぼくらよく旅行したけれども、山本周五郎だけは一ぺんも来ませんね。呼ばないんですよ(笑い)。来れば必ずけんかになるから。」
「秋山 ちっとも譲歩しないからね。だから、けんかになっちゃうんじゃないですかね。
門馬 それと、彼のタテマエがあるんだね。それはきちっと守っていた。妥協しないというのは、そういうことだろうな。それと、やっぱりお山の大将でいたいんだね。
土岐 そうそう。サル山のボス的なね(笑い)。直木賞を断ったときだって、もろもろの賞を断ったのだって、そう意地張って拒むことないだろう、とぼくら言っていたんだけどね、在野精神みたいなのあったんじゃないか。
門馬 毎日出版文化賞のときね、『毎日』の人が来て往生しているの。おれは隣の部屋に逃げて聞いたんだけどね、「読者に喜んでもらったんだから、これ以上の賞はないんだ。いまさら頂戴しなくてもいいんだ。十分なんだ。出版社も一緒に受賞するんなら、向こうだけにあげてください」というようなことをいってね。
土岐 取りようによってはね、きわめてすかっとして、切れ味いいようにも取れるんだけれども、引っくり返して考えると、とてもきざっぽい感じもしてきたよ。そういうポーズみたいなものがね。
萱原 野間賞ができたでしょう。「先生、もし推薦されたら、お受けになりますか」「もらうかどうか、まず、くれてみなきゃわからない(笑い)。くれてみろよ」
土岐 断ったろうね。
萱原 もらうのはいいですね。また、断るのがいいんですよ。くれてみろ、くれてみろ。
土岐 だから、その断ることも演出の中に入っているんだよ(笑い)。」
バシッと筋が通っているように見えて、その実ひとりよがり、お天気次第で機嫌が変わるお人柄だったと聞くと、ふと山周さんの直木賞辞退のことばが思い浮かんでくるのです。
「この賞の目的はなにも知りませんけれども、もっと新しい人、新しい作品に当てられるのがよいのではないか、そういう気持がします。」(『文藝春秋』昭和18年/1943年9月号「辞退のこと」より)
筋が通っているだけに、これも山周さん独特の演出のひとつだったのかなあ、と想像させられて、思わずニンマリ。
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