中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件
関連の書籍というより、これは直木賞受賞作が収録されている本そのものなのですが、東京創元社お得意の、マニア心をぎゅっと鷲づかみにする充実の編集ぶりで、思わず「関連の書籍」に分類してしまいました。
『中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件』戸板康二・著、日下三蔵・編(平成19年/2007年2月・東京創元社/創元推理文庫)
あれはワタクシが読書の楽しみをおぼえて間もない頃でしたか、書店の文庫棚を見ていて目にとまった、創元推理文庫の『日本探偵小説全集』各巻のぶ厚さに度肝を抜かれ、なんじゃこりゃ、手軽さを一切無視したこのページ数でしれっと文庫を名乗るか!? と思ったのも今は昔、作品に関する貴重な資料類まで探し出してきてまとめて収録してしまうぶ厚い創元推理文庫の、すっかりファンになってしまったワタクシではあります。
本書の偉さは、中村雅楽シリーズを一気にまとめて全集化してしまおう(全5冊になる予定)という壮挙はもちろんですが、オビに書かれているこの一文が、その価値を伝えてくれています。
江戸川乱歩の旧「宝石」掲載時の各編解説等、豊富な資料も併録
そもそも戸板康二の第42回(昭和34年/1959年・下半期)直木賞受賞作は、「團十郎切腹事件」じゃないんですもの、「團十郎切腹事件」その他、なんですから、その意味からも本書はぜひとも手元に置きたい一冊ですよね。
本書に収められた「貴重な資料」のラインナップは、以下のとおり。
河出書房新社版『車引殺人事件』 序 …… 江戸川乱歩 旧「宝石」所収各編解説 …… 江戸川乱歩 立風書房版『團十郎切腹事件』 作品ノート …… 戸板康二 立風書房版『奈落殺人事件』 作品ノート …… 戸板康二 講談社文庫版『團十郎切腹事件』 後記 …… 戸板康二 講談社文庫版『團十郎切腹事件』 解説 …… 小泉喜美子 創元推理文庫版解説 …… 新保博久 創元推理文庫版編者解題 …… 日下三蔵
このなかから直木賞のことについて触れている文章で興味ぶかい部分だけ、かいつまんで引用しておきますと、
「直木賞の時の審査員であった吉川英治さんに、「團十郎自刃の真相」なんて標題の小冊子が徳川時代にあるわけがないよといわれた。「始末記」とでもするべきだったのであろう。」
(戸板康二 立風書房版『團十郎切腹事件』作品ノート より)「直木賞受賞は当然と言うに尽きます。
なぜなら、娯楽小説の王者直木三十五の業績を記念して制定され、川口松太郎の『鶴八鶴次郎』を第一回受賞作としたこの権威ある文学賞は、こうしたゆとりある大人の遊び、楽しみとして堪えられる小説、小説らしい小説にこそ贈られるべき性質のものと私は信じているからです。」
(小泉喜美子 講談社文庫版『團十郎切腹事件』 解説 より)「当時の選評(『オール讀物』一九六〇年四月号)を見ると、同時受賞の司馬遼太郎『梟の城』が満場一致に近く支持されたのに比べ、「團十郎」は意外に不評である。」
(引用者中略)
「最近の直木賞作品しか知らない読者には信じにくいだろうが、ミステリは当時その遊戯性が忌避されたのか、たいへん受賞の確率が低かった。たいていの推理作家はミステリ性の薄い作品で授賞されたものだ。」
(引用者中略)
「前年七月から十二月までに発表・刊行の作品が対象であったため、五九年六月二十五日発行の短編集『車引殺人事件』は候補でなく参考作品として添えられていたが、そちらを評価する委員が多く、したがって「團十郎切腹事件」その他(引用者注:「その他」に傍点)に授賞することで大方の賛同を見たのである。」
(新保博久 創元推理文庫版解説 より)
そうなんだ、かつての直木賞には、特定の作品だけでなく、「その他」なる曖昧模糊とした言葉を付け加えることによって一定期間の作家の業績を評価してしまう、アクロバチックな、ある意味反則技、ある意味ひねり技の授賞があったのでした(村上元三とかね、藤原審爾とか源氏鶏太とか)。この曖昧さが、直木賞という賞の弱点でもあり、いやいやひるがえって魅力の一つでもあると、ワタクシは思うわけです。
だけど、頭のかたい関係者の誰かが、なんだその他とは、そんなヌエみたいな選考してたら不透明・不公平きわまるじゃないか、候補作はきちんと指定するべきだ、それ以外も加味したかのような候補の表記は許さんぞ、と強権でも発動したんでしょうか、事情は知りませんが、戸板康二以降では、第80回(昭和53年/1978年・下半期)に虫明亜呂無が「シャガールの馬」その他(単行本『シャガールの馬』に収められた他の短篇群という意味か?)で候補になった一例があるのみで、「その他」の乱発はなくなってしまうのでした。どうにも、つまらないハナシです。
ひとつ気になっていることがあります。戸板康二の「團十郎切腹事件」は、おそらく「團」の字を用いることが定説になっているのでしょう、本書ではすべて統一して「團」ですが、これって立風書房版でも講談社文庫版でも、あるいはその他の版でもすべて「團」なのでしょうか。あえて「団」ではなく「團」である理由は、作品を読めば瞭然なんですけど、でもたまたまワタクシの所有している(たまたま、なわけはないか)『宝石』昭和34年/1959年12月号を見てみると、目次も本文も、すべて「団」なんですよね。
なにかそのことについて解説してくれているかな、と思って本書を読んでみたんですが、とくに言及がなかったので、もしかしたらミステリ研究の世界では、初出の『宝石』では「団」だけど、いま「團」で表記するようになった経緯なんて、あなた、言わずもがなでしょ、そんなこと触れるに値しない常識だよ、っていうことなのかな。ちなみに、『オール讀物』昭和35年/1960年4月号では、直木賞主催者の日本文学振興会から出された決定発表のところだけが「團」、他の選考経過や選評内ではすべて「団」と、なんだかわけのわからないことになっています。
戸板さんの手書き原稿では「團」だったのかな。だとすると、まさか『宝石』編集部の方針で、それがすべて新字体の「団」に変えられてしまうとは想像もしていなかったんでしょうね。そのときはそれでよかったかもしれないですけど、何十年もたつうちに「団」と「團」を頭の中で容易に変換可能な読者が減ってしまう世の中がくるとは、いやはや、です。
第42回の受賞作の一つは、『宝石』昭和34年/1959年12月号に載った作品であって、その『宝石』では「団」と印刷されているんだから、ほんとは戸板康二の受賞作は「団十郎切腹事件」その他、と書かなくちゃいけないのかもしれないんだけど……。はあ、なんだか困ったものです。
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