たぶん最後の御挨拶
受賞作家が受賞の周辺について語っている文献は数々あって、今後もいろいろと取り上げていきたいところですが、まずは、新しげなものから。
『たぶん最後の御挨拶』東野圭吾(平成19年/2007年1月・文藝春秋刊)
まったく個人的なハナシですが、東野圭吾という作家は、ワタクシにとって思い入れのある作家のひとりです。彼がはじめて直木賞候補になったのは平成11年/1999年はじめ(第120回 平成10年/1998年・下半期)。ちょうどこのころ、ワタクシは「直木賞のすべて」という、直木賞のことばっか取り扱ったサイトをつくろうと思い始めて準備にとりかかっていました。
その後、彼は7年の間に6度も候補に挙がります。うちのサイトでは、サイト訪問者に直木賞をとりそうな作品・とってほしい作品を投票してもらう「大衆選考会」なる企画を順次開催していて、東野圭吾の名は常にたくさんの人から挙げられました。いやあ、東野さんって人気あるんだなあ、と再確認させられたものです。
インターネット上で交わされる評価がそのまま実際の読書人たちの嗜好と一致するとは限らないとはいえ、「こんなに多くの人から支持されてるのに、なんで直木賞とれないんだろ」と思うことのできた根拠は、ブログを含め、無数の個人が自分の思いを発信しているインターネットなるものがあったからこそ。ちょうどワタクシのサイトの歴史と、その候補歴が同じ時期に重なった点で、東野圭吾に思い入れが深くなった次第です。
この書は、直木賞に関する箇所だけでも参考になる記述のたくさん含まれているエッセイ集で、受賞決定の載った『オール讀物』平成18年/2006年3月号が初出の、「楽しいゲームでした。みなさんに感謝!」もおさめられています。
それぞれの選評と読み比べるとぐっと面白さの増すのが、「自作解説」の章。デビュー以来の全単行本を、ご本人が短い文章ながら解説しているんだけど、ここでは当然、直木賞候補になったものだけ、引用させてもらいます。
第120回候補 『秘密』(平成10年/1998年9月・文藝春秋刊)
「基本的なアイデアを思いついたのは会社員時代。大事故でたくさんの人が死んだ場合など、幼い子供が近くで死んだ人の記憶を受け継いでいることがある、という話を本で読んだのがきっかけだ。恋人の魂が幼い女の子の身体に宿った場合、セックスはどうするのかというのが最初に浮かんだ疑問だった。それをずっと温めていて、ある短編として発表したが、十分にアイデアを生かしきれたとは思えず、長編として書きたいといくつかの出版社に打診した。話に乗ってくれたのが文藝春秋だったというわけだ。書き終えた時、少しは売れるのではと期待したが、あれほどのヒットになるとは夢にも思わなかった。映画化されたのは全くのおまけ。地味にコツコツ書いてきたことに対する天からの褒美かな、なんてことを考えた。」
第122回候補 『白夜行』(平成11年/1999年8月・集英社刊)
「ある人物の成長過程を描き、それがそのまま犯罪小説になる、というものを書きたかった。また、周囲の人々からのみ描き、主人公の内面は想像するしかない、といったふうにもしたかった。登場人物たちが何が起きたのかを知らず、真相は読者にだけわかる、という構造である。「小説すばる」に連載、というのは正確ではない。じつは短編連作という形をとっていた。第一回の作品は、本作第二章にあたる。その時点で、まだ書かれていない第一章のことを決めておかねばならず、その後の作品もすべて、後々に長編として繋がることを前提に書かれた。考えてみれば、大変な仕事だった。出来はともかく、思い入れの強い作品である。ところで本作品にはトラウマという言葉は出てこない。そんな一言で済まされるものを描いたつもりは全くない。早合点した評論が多かったのには閉口した。」
第125回候補 『片想い』(平成13年/2001年3月・文藝春秋刊)
「『秘密』は娘の肉体に母親の魂が入る話だった。外見と中身の違いに夫が戸惑ったわけだ。それをリアルに考えていくうちに、性同一性障害というテーマにぶち当たった。生半可な気持ちでは書けないと思い、男性と女性ということについて深く考えた。日本初の性転換手術が行われた埼玉医大にも取材に行った。執筆中に自分なりに構築した性に関する考えは今も変わっていない。それだけに、テレビなどでタレントが、ほんの思いつきで、無知による間違った意見を軽々しく述べているのを見ると腹が立って仕方がない。まあ、こんなところで怒っても仕方がないのだが。ところで、いくつかのインタビューでも話していることだが、この作品の雰囲気はSMAPの『夜空ノムコウ』から拝借した。」
第129回候補 『手紙』(平成15年/2003年3月・毎日新聞社刊)
「家族の中から犯罪者が出たら大変だ、というごく当たり前のことを書こうと思った。新聞の日曜版に連載されるということから、残酷なシーンや複雑なトリックは排除したほうがいいだろうと考えた。独りぼっちになった弟が、服役中の兄から送られてくる手紙によって何を思い、どんな生き方を選ぼうとするのか、その点を徹底的に描くことにした。結果、ミステリではなくなったが、たぶんそれでよかったと思う。見せかけの善意、形式的な道徳といったものを破壊したかった。家族に犯罪者がいるからといって差別してはいけない――そんなことは不可能だし、非現実的だ。私に娘がいて、彼女の恋人が犯罪者の弟だとしたら、結婚には絶対に反対するだろう。」
第131回候補 『幻夜』(平成16年/2004年1月・集英社刊)
「コメントしづらい作品だ。『白夜行』との関連を問われるが、現時点では何も答えられない。阪神淡路大震災を冒頭で扱っていて、被災者の方々を傷つけはしまいかと気になった。会社員時代の経験や父親の仕事などが、ストーリー作りに役立った。陶芸教室に通ったこともプラスになった。」
第134回受賞 『容疑者Xの献身』(平成17年/2005年8月・文藝春秋刊)
「たくさんの勲章をいただいた。本格論争の材料にもなったようだが、それもまた勲章と考えることにしている。自分としては、本格ミステリかどうかは、読者各自が決めればいいと思う。多くの人から、トリックを成立させるために人物を作ったようにいわれたが、実際は逆だ。主人公のキャラクターを決めてから、それにふさわしいトリックを考案した。そっちのほうがアイデアが出やすいのだ。」
そうだ、選評といえば、東野圭吾に対する選考委員のとらえかたを語ろうとしたとき、真っ先に思いつくのは、ゴシップねたも含めて渡辺淳一が筆頭にくると思いますが、ナベジュンが“否定”の代表格なら、“理解”の代表格は、北方謙三です。きっと東野とは個人的交流もあるはずですから、北方にとってもいろいろやりにくいところはあったでしょう。どんな選考をするにしろ、「あの二人はね、仲がいいからねえ」などと口さがないこのブログのような場所で、妙な憶測を書かれるわけですから。
「年譜」の平成12年/2000年のところから引用。
「忙しい日々を送っていたというのに、当時日本推理作家協会の理事長だった北方謙三氏から、「協会賞の選考委員をやれ」と命じられてしまった。ちょっと待ってください俺が受賞したのは去年ですそれなのに来年から選考委員だなんて無茶じゃないですかといってみたのだが、「無茶をするのがオレのやり方だ」という変な答えが返ってきた。それでも固辞していると、とんでもない台詞が北方氏の口から出た。「オレはおまえがイエスというまで引き下がらんぞ。どうしてもいやだというならゼッコウだ」」
結局東野は、協会の理事にならない約束で、協会賞の選考委員を引き受けます。
ちなみに平成12年/2000年当時、北方は直木賞選考委員に就任。
その翌年、第125回(平成13年/2001年・上半期)で『片想い』を、11人の選考委員中ただひとり推して以来、北方は東野作品に理解を示しつづけたのですが、選評にもそれがうかがえます(東野圭吾の全候補作に対する選評の概要はこちらを参照のこと)。
候補作になったひとつの作品ごと、独立したものとして選考するのは当たり前なのでしょうが、“ひとりの作家”として候補作をはかり、そのことが各回の選評できちんとつながっているのが、北方の批評力・選評文章力のたまものであり、こういう選評を読むのも、直木賞をおっかける醍醐味だったりします。
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