50冊の本 昭和53年/1978年5月号(創刊号)
これまで直木賞は、一般的にどのような存在として受け止められてきたのでしょう。『文藝春秋』や『オール讀物』のバックナンバーばかり追いかけていてはわからない部分を、とある書評誌に見てみます。
『50冊の本』昭和53年/1978年5月号(創刊号)(昭和53年/1978年5月・玄海出版刊、冬樹社発売)
この『50冊の本』なる雑誌を、ワタクシは一冊しか持っていないので他にどんな記事が載ったかはくわしく知らないのだけど、昭和53年/1978年5月号創刊、昭和56年/1981年3月号をもって休刊となった月刊書評誌です。創刊号の編集人・発行人は、千家紀彦。ミステリー畑での小説も書いていた方らしいです。まあ、それはそれとして。
「創刊特別座談会」と銘打って、「芥川賞・直木賞のゆくえ」なる記事が12ページにわたって掲載されています。この座談会タイトルを見て、にわかにイヤな予感に襲われる直木賞マニアは、少なくないはずです。いや、少ないか。
イヤな予感の真意はというと、「芥川賞・直木賞」と二つの賞名を並べておきながら、内容をよく読むと、芥川賞のことばかり触れられていて、直木賞は添え物程度、みたいな扱いの文献なんじゃないか、とつい身構えてしまうのです。いずれご紹介する機会もあると思いますが、そんな経験、いくつかしてまいりましたもので。
結論から言いますと、この座談会はそんな不公平はなく、だいたい両方の賞が平等に取り上げられているようです。ホッとひといき。
出席者は到着順に、秋山駿、尾崎秀樹、奥野健男、駒田信二の4人の文芸評論家。日付は2月18日。昭和53年/1978年は、直木賞創設43年、1月に第78回の決定発表があったばかりの時期に当たります。
それから約30年。果たして直木賞は、このとき議論にあがった問題点を少しは解消してきたのだろうか、何が変わって何が変わっていないのだろうか、と興味津々読んでみました。
駒田信二が、選考委員の構成を問題視しています。
「全部がそうでなくてもいいけど、選考委員をつとめている人は、それぞれ芥川賞・直木賞をとった長老でしょう。とらない人でも入れるべきだと思うんです。それと選考委員の年齢もね。芥川賞のほうは少し若くなりましたけどね。いずれにしても、委員の半分くらいはしょっちゅう関心を持って、芥川賞なら文芸雑誌、直木賞なら中間雑誌をよく読んでる人を選ぶべきですね。ここに評論家がいるんで都合悪いんだけど、評論家を入れなくちゃ駄目だと思いますね。」
今、自分が読んで「これは!」と思った作品を、候補作が決まる前に、日本文学振興会に推薦の労をとるような選考委員が、いるのでしょうか、いないのでしょうか。候補作選定をすべて日本文学振興会まかせにして、決められた候補作だけを読む選考委員ばかり、なんでしょうか。そうでないことを、願っています。
尾崎秀樹が、芥川賞と直木賞のそれぞれの受賞作の売上の関係について、推論を展開しています。
「直木賞は必ずしもベストセラーにならないんだね。ランクには入るけど、芥川賞ほど売れない。それは、かっての文学青年や商社などのひげをはやした偉い人が、一年に一冊くらい本を読んでおきたいわけ。芥川賞の本を読んでおけば部下に向かって、俺は読んだといえるから。直木賞じゃ箔がつかないんだね。それで芥川賞の受賞作品がよく売れる。」
箔ですか。これまたイヤな言葉を持ち出してきましたね。今もそうなんですかね。「おい、俺は『まほろ駅前多田便利軒』を読んだぞ」なんて偉そうに言うと、部下に馬鹿にされるんですかね。ワタクシには部下がいないんで、わかりませんが。
奥野健男が、当時のマスコミの、こんな反応を紹介しています。ちなみに第77回、第78回と、直木賞は二度つづけて受賞作なし、が続いていました。
「つい先日の朝日新聞で、朝日の編集委員が、受賞者がないのも意義がある、それもひとつの見識である、と、ないのをほめている。」
おいおい、朝日の編集委員。無責任なこと、言うなっつうの。あ、そもそも朝日新聞には何の責任もないか。ごめんごめん。
奥野健男が指摘する、当時の直木賞の問題点とは。
「選考委員自体が、直木賞、大衆文学の権威をあげようと思いすぎてるところがあって、そこらへんがすれちがって難しい。」
そうだろうなあ。自分の書いた作品が、まちの職場で、胸張って語られていないとするなら、汗水ながして大衆文学書いている人たちは、やりきれんだろうなあ。でもさあ、たとえば、選考委員とかが、権威権威と言い始めると、とたんにマガイ物っぽくなってしまうのも、これまた真なりなり。気をつけましょうね。
あまり発言していない秋山駿は、こんな感想を述べています。
「一般的に本当は芥川賞より、直木賞のほうが問題だなあ、力のある作品というのがなかなか乏しい気がしますね。二年くらい前だったかな、柴田錬三郎が直木賞の候補作に時代小説が二、三度続けて一篇もない、と言ってましたが、そのへんがちょっと問題ですね。」
「大衆のいわゆる情念を解放するというか、夢みたいなものを描く、それが少ない気がしますね。」
「芥川賞は進歩していますよ。ポルノで芥川賞もらえるけど、SFじゃあ直木賞もらえないんだから。」
さすがにこれ以降、直木賞も進歩はしていると思います。これで今、直木賞が時代小説とか胸にじんとくる恋愛小説とか、そういうものばかり相手にしていたら、ある意味停滞です。推理小説がなんの不思議もなく候補にのぼるようになったのですから、それだけでも、進歩と考えたいところです。ほんのわずかな一歩二歩みたいなものですが。
最後に、またまた自虐史観。
「本誌 芥川賞は同人誌に推薦を求めてきますね。直木賞はどんなところに求めるんですか。
尾崎 作家、マスコミには全部きますね。同人誌はどちらも入れられるけど、直木賞まで推薦しないんですね。
駒田 同人誌にくるのも直木賞を推薦させるんですよ。同人誌書いてる多くの人は、僕は読んでて直木賞的な作品が多いんですよ。自分は芥川賞的と錯覚しているけど、直木賞を軽蔑してるんですね。
尾崎 それは、大衆文学の認識が浅いわけですね。今は大衆文学の質がぐっとあがっている。」
昭和53年/1978年は、直木賞創設43年。43年たっても、まだなお、芥川賞は高級だ、直木賞は軽蔑の対象だ、なんて話は脈々と続いていたんですねえ。おお、哀れなるかな、直木賞。ま、いかに軽蔑されようと、読んでおもしろければいいんですよね、一読者たるワタクシとしては。
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