昭和58年/1983年、近ごろは面倒になって講演の話もほとんど断わっている、と池波正太郎はいう。
「講演は、その人を映す鏡」ということわざがあります。
ほんとうに、そんなことわざがあるんでしょうか。だいたい、こういうカッコつけた書き出しをするもんに、ロクなヤツはいない、というのが人間社会の真理でしょう。ワタクシは、文学賞に興味をもっている段階ですでにロクな者ではないんですが、これよりさらに人間のレベルが下がらないように気をつけたいと思います。
さて、そんなハナシはどうでもいいです。直木賞の受賞者、候補者、選考委員は、もはや誰も調査し尽くせないほどの講演を、さまざまな土地で、さまざまな人たちに向けてやってきているわけですが、講演会というものにどう相対するか、その姿勢は十人十色、おのずと個性がにじみ出ます。
たとえば今週取り上げる池波正太郎さんは、後年たくさんの人に読まれたエッセイからもうかがえますけど、まあ、個性のカタマリのような作家です。
大正生まれの戦前育ち、苦労しながら劇作そして小説創作を勉強しはじめ、新鷹会のお兄さんがたの猛烈な期待をしょい込むかたちで、第43回(昭和35年/1960年・上半期)直木賞を受賞します。
その後、中間小説誌、あるいは週刊誌全盛時代の申し子の一人として、多くの読者に愛される人気作家となっていくんですが、こうなると小説書き以外にもさまざまな仕事が舞い込んでくるのが世の習いです。池波さんのところにも、講演の依頼がいくつかやってきて、「おれはそんな面倒なもんは受けねえ!」などと、タンカを切るほど我がままではなく、頼まれればネタを用意して、与えられた時間はまじめにこなす。律儀なところを発揮します。
律儀というか、あるいは不器用だったのかもしれません。講演に呼ばれていくときの自分の姿勢を、池波さんはこんなふうに書いています。
「私は、目的以外のことを、
「ついでにやる……」
ことができない。
たとえば、出版社の講演旅行を三、四日つづけるとなれば、講演以外の事は絶対にしない。
講演する土地が、いま自分が執筆している小説の舞台になってい、見たり調べたりすることがあっても、ついでにはやらない。あらためて今度は取材のために同じ土地へ来る。」(昭和56年/1981年7月・新潮社刊、池波正太郎・著『旅は青空』「アルルの酒」より)
ついでにやる、という気持ちじゃなくて、講演と取材、二つの仕事を同じくらいの温度感でやればいいだけのハナシなのでは……と思わないでもありませんが、人間、そう簡単に気持ちがつくれるものじゃない、というのもわかります。それだけ講演のときは、講演のことで頭をいっぱいにして集中する、ということなんでしょう。
おなじみ文藝春秋の文化講演会にも何度か呼ばれました。自作で舞台にした土地からは、先生、ぜひ来てくださいと言われて、忙しい執筆のあいまを縫って、旅をしたりもしました。はなから講演を毛嫌って、なるべくそういう雑事から逃れたい、ということでもなかったようです。
しかし、池波さんは1980年代ごろには、講演の依頼を極力断わるようになった、と言っています。自己分析によると、それは年齢ゆえのことのようです。
「人にもよるだろうが、私の場合は、小説を書いて暮していると、どうしても人びととの交際がおろそかになってしまう。
それでも若いうちは、酒を酌みかわす友人もいたし、つきあいの時間も現在よりは豊かだった。
しかし、齢をとるにつれて、そうしたことが、だんだんに面倒となり、酒飯のつきあいのみではなく、たとえば講演のようなものをたのまれても、十年ほど前までは年に七、八回は出かけていたのに、ちかごろはほとんど断っている。」(平成15年/2003年6月・講談社刊、池波正太郎・著『作家の四季 池波正太郎未刊行エッセイ集5』所収「年賀状」より)
このエッセイが収められた『作家の四季』によると、これは昭和58年/1983年に書かれたもののようで、池波さんはおおよそ60歳ごろ。まだそんなに老け込む年でもない気がしますが、年をとるにつれて若い頃には何でもなくこなしていたことが徐々に面倒になる、という気持ちはよくわかります。それから7年ほど、池波さんは生きましたが、つまり50代後半から亡くなるまでの晩年は、ほとんど講演というものに出なかったそうです。
50代後半からの晩年……ということで思い出されるのが、池波さんが直木賞の選考委員をやっていた時期です。
池波さんが選考委員になったのは、まさにちょうどその頃、第86回(昭和56年/1981年・下半期)からですから、58歳のときです。そもそもが律儀な人だったらしいので、候補作はきちんと読み、選考会ともなれば相当真剣に向き合った、と伝えられていますが、何といっても、講演に行くのも面倒になっちゃった頃に引き受けたお役目です。きっと直木賞も面倒なことの一つだったんじゃないか、と申し訳ない思いでいっぱいです。







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