岡田時彦…有名俳優の作品だと言って『新青年』にズブの素人の小説が載る。
作家のなかには輝かしいデビューを飾った人が何人もいます。
何人どころか、何十人、何百人かもしれません。この際、人数はどうでもいいんですけど、何をもって「輝かしい」とするか、見る人によって感覚は違います。結局はどのようにデビューしたところで「これは輝かしかった!」と言っちゃえば、言ったもん勝ちでしょう。
無駄に長い歴史をもつ直木賞には、候補に挙げられた作家は数々います。もちろん、輝かしいと一般に思われるデビューを果たした人もたくさんいるはずですが、戦時中、第16回(昭和17年/1942年・下半期)のときに「オルドスの鷹」が、第17回(昭和18年/1943年・上半期)に「西北撮影隊」がそれぞれ、選考会で議論されたこの作家も、デビューにまつわる逸話の華々しさは相当なもんだと思います。
年はおおよそ28歳の頃。とくに作家を志していたということもなく(たぶん)、学校の先生として教壇に立っていたそのときに、仲のよかった弟が東京でとある読み物雑誌の編集部にいた関係で、なぜか兄のところに原稿を書くハナシが舞い込んできます。今度うちの雑誌で、映画俳優が小説を書く、という企画をやるんだけど、兄さん、そのなかの一編を書いてみないかと。
それが昭和4年/1929年のことです。担当することになった俳優は、当時、文章も書ける俳優として多少は知られていた(のかどうか)岡田時彦さんでした。
まあ、岡田さん本人が書きゃあよかったとも思うんですけど、代作やゴーストは当たり前の業界ですし、当たり前の時代でもあります。よし、じゃあ〈岡田時彦〉になりきって、ちょっと不思議な話を書いてみようじゃないかと、その辺の執筆にいたった動機はもはやわからないんですが、ともかく一つの小説ができあがります。「偽眼のマドンナ」です。
有名な俳優、タレント、芸能人が、いちおうその作者や書き手というかたちになっているけど、じっさいに文章を書いたのは別の人、という例は古今東西くさるほどあるかと思います。先週取り上げた〈田村章〉さんなども、いっときはゴーストライターとして相当稼いだとも言いますから、芸能人の名前を使ってものを売る、というのはけっこうなおカネになる(場合もある)ようです。不思議な世界です。
ちなみに、いまもタレント本といえば基本はゴーストが書いている、というのが一般的に広まっている常識かと思われます。本人が書こうか、別人の作だろうが、そんな些細なことは気にしない、という感覚は健康的で別段批判するような状況でもないでしょうが、『新青年』が昭和4年/1929年6月号で映画俳優執筆小説の企画をやったときにも、やっぱり多くは本人が書いているかわからない、と思われてみたみたいです。
そのなかでこんな文章があります。
「時彦(引用者注:岡田時彦)は文章をよくする。
俳優で彼ほどの名文家はない。「新青年」や「文藝倶楽部」を読まれる方は御存じの筈。俳優の文章は、代筆が多い世の中に、彼は自分で書いている。
(昭和4年/1929年8月・平凡社刊『映画スター全集2 夏川静江・林長二郎・八雲恵美子・岡田時彦』より)
ほとんどの俳優の場合、代作の筆のなかで〈岡田時彦〉さんは珍しく自分で書いている、と言っています。
その前年、〈岡田〉さんが前衛書房から『春秋満保魯志草紙』(昭和3年/1928年12月刊)という随筆集を刊行していること、さらにはその序文を、〈岡田時彦〉なる芸名の名付け親でもあった谷崎潤一郎さんが書いてその文章を推奨していることなども、岡田時彦といえば文章も書く、というイメージに一役買っていたんじゃないかと思います。
そう考えると、昭和4年/1929年に『新青年』がどうして本人の筆による作品でなく、編集部員の係累であるまったくのズブの素人の作品を代作として載せたのか。「偽眼のマドンナ」を読んで、ううむ、さすが〈岡田時彦〉だ、面白い小説を書くなあ、と感嘆した読者も少なからずいただろうと想像すると、なかなか『新青年』も罪つくりな雑誌です。
いや。罪をつくったのか、いいことをしたのか。こういうのも、人や場面によって考え方はいろいろです。
有名俳優の新作だと言い張って読者をだましてまで掲載した小説のその作者は、むむ、こいつ書けるな、と編集部に思われたものか、兄さん、面白いもの書くね、と弟・渡辺温さんに褒められたものか、それとももともと本人が他にもさまざまな筋を思いついていて、小説を書きつづけたいと思っていたものか、〈岡田時彦〉名で発表したその2か月後の『新青年』昭和4年/1929年8月号では、本名名義の〈渡辺圭介〉で「佝僂記」を発表。生粋の『新青年』っ子、といった感じでそれから同誌に欠かせない書き手に育っていきました。
そうした先に、直木賞のほうでは彼の作品を候補に残すことができたんですからね。直木賞にとっては、『新青年』、ナイス・ジョブだったぜ、と親指を立てて褒め称えなきゃいけないハナシでしょう。だいたいいつも、功と罪は表裏一体です。
最近のコメント