「芥川賞はもう決まったの?」「いえ、ちょっと休憩しまして、その間に直木賞のほうをやっているのです。」…室生犀星&進行係、第13回直木賞の選評より
直木賞は、いま現在リアルタイムで盛り上がっています。なのに昔のことなんか調べて何が楽しんだ。たしかにワタクシも思います。
……そうは思うんですけど、こないだ候補作が発表された最新の第173回(令和7年/2025年・上半期)の直木賞に接すると、テンション爆上がりでウキウキしてくるのは言うまでもない。だけど、これまで刻々と築かれてきた歴史的な直木賞の流れだって、それぞれの時代、それぞれの回が同じくらいに面白い。となれば、いま直木賞を面白がるのと同じくらいに、昔の直木賞を面白がるのも当然じゃないか、と思わないでもありません。
とか何とかグダグダ言いながら、うちのブログではひきつづき昔の昔、日本が戦争をおっぱじめた、あるいはこれから新しい戦いに臨もうとしていた昭和10年代のハナシに目を向けることにします。今週は第13回(昭和16年/1941年・上半期)のときの選評についてです。
無駄に長い直木賞の歴史のなかで、この第13回というのは、特異中の特異な選評を後世に残したことでも知られています。
何が特異か。といえば、選考委員ひとりひとりが自分で原稿を書いて発表する、いつもながらの形式ではなく、昭和16年/1941年7月29日午後6時から、赤坂星ケ岡茶寮で行われた審議の様子を、座談会形式で筆記、それをもって選評ということにしているからです。こういう回は、これ一回きりしかありません。
その日出席したのは、直木賞専任の白井喬二さんと、この回から新たに委員に加わった片岡鉄兵さん、それと芥川賞兼任の小島政二郎さん、佐佐木茂索さんの4名。いちおう第10回から、先週触れたとおり芥川賞の委員も直木賞の審議に参加する、という建て前があったはずですが、選評の様子を見るかぎり、もはやそんなことはやめちゃったらしく、芥川賞のほうの佐藤春夫さん、宇野浩二さん、瀧井孝作さん、室生犀星さん、横光利一さんは、直木賞のほうでは発言していません。
『文藝春秋』に載った審査録は、一行20字詰めで全685行に及びます。最初に芥川賞のほうの審査が始まり、それが途中まで行ったところで直木賞、その直木賞のほうが議論が済んだら再び芥川賞について話し合われた……という体裁です。
じゃあ、それぞれの賞にどれだけの発言の分量が割かれているか、行数を数えてみました。芥川賞が546行(全体の79.7%)、それに対して直木賞は139行(20.3%)。記号で示すと ■■□□□□□□□□ (←■が直木賞、□がもう一つの賞)となります。
審議録の次のページに、当日欠席した吉川英治さんが「直木賞席外寸言」として20字×45行の選評を書いています。だけど、それを足したところで量の上では焼け石に水です。何つったって、じつに5分の4、芥ナントカ賞とかいうどうでもいい賞のハナシで占められているんですからね。何じゃこりゃ、と直木賞ファンにとっては怒りに打ちふるえるしかありません。
誌面の上では、はっきりとどこからが直木賞で、どこからが芥、と標題で区切りられているわけじゃありません。なので今週は、この全部を「直木賞選評」と見なしたところで、直木賞に関する議論がひと段落ついたらしい、その次の辺りに載っている会話の部分を、「関係のない選評」としてピックアップすることにします。
そこから登場した室生犀星さんと、進行係とのやりとりです。
「室生(引用者注:犀星)(出席)芥川賞はもう決まつたの?
進行係 いえ、ちよつと休憩しまして、その間に直木賞のはうをやつてゐるのです。それぢや、芥川賞に戻りませう」(『文藝春秋』昭和16年/1941年9月号「芥川龍之介賞 直木三十五賞 委員会記」より)
彼らが本腰を入れているのはあくまで芥ナントカで、直木賞はその休憩のあいまにやっている。そんな雰囲気を露骨に現わしたやりとりかと思われます。
ちなみにこの「進行係」というのは、文藝春秋社の社員で、吉川英治さんの「直木賞席外寸言」を見ると、どうも永井龍男さんだったらしいです。さすが永井さん、後年、直木賞の選考委員をやりながら、どうも気乗りがしないとわがままを言い出し、芥ナントカ賞の委員に変えてもらった途端、妙にやる気を見せて長年その役目を務めた、というぐらい、直木賞に対して関心の薄かった人ようなので、その感覚が当時からきちんと発揮されていたんでしょう。
第13回の直木賞のことについても、とくに語るべきものがなかったか、永井さんは『回想の芥川・直木賞』でも触れてはいませんが、戦前の直木賞委員会の雰囲気について、「直木賞下ばたら記」というエッセイで書かれた表現を、ここでは引かせてもらいます。
「両賞の委員を兼任した人には、自づと生じる委員会の雰囲気の相違が気になつたらしく、小島氏(引用者注:小島政二郎)なぞは、よく直木賞委員会の「低調」さをなげいていた。
新聞や雑誌の連載二追われる委員達は、芥川賞に比して出席率なぞも悪く、寸暇をさいて出席しても、候補作品に読みもらしがあるといつたことも、時々あつた。後に、両賞委員会を一本にして、芥川賞委員からも発言してもらうように、一時銓衡規定を改めたことがあるのも、そんな処から出たものである。」(『別冊文藝春秋』昭和27年/1952年10月「直木賞下ばたら記」」より ―引用出典:昭和31年/1956年2月・四季社刊『酒徒交伝』)
直木賞の選考会全体を覆っていた、そういうやる気のなさが、事務係をしていた永井さんにも自然と伝播した、だから直木賞に冷たくなった(?)というだけなのかもしれません。
にしても、です。昔の直木賞を調べれば調べるほど、いつも日陰で、そんなに相手にもされない直木賞の姿を目にすることになってしまいます。やっぱ今の直木賞だけ見ているほうが、気分が上がるのは間違いなんですが、日陰だった頃の直木賞をさびしく鑑賞するのも、それはそれで味があっていいじゃないですか。ほんの一コマだけでも、そういう雰囲気を残しておける選評という存在は、なかなか重要だな、と改めて思わされるところです。
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