昭和48年/1973年、直木賞を受賞したばかりの藤沢周平、生まれ故郷での講演会で教え子に会う。
こないだ久しぶりに山形に行ってきました。
この時期はちょうど直木賞の話題がひと段落して、ワタクシのような中毒者にはつらい季節です。世間を見たって、直木賞のことを熱心に語っている人は、そんなにいません。
じゃあ直木賞の風を味わうにはどこへ行けばいいか。それはもう山形に決まっているじゃないか! ということで、我慢できずに北に向かった……というわけでもないんですけど、ともかく直木賞に関するエピソードが山形県にもゴロゴロ転がっているのは事実です。
ということになれば、もちろんご登場いただく方は、だいたい決まっています。うちのブログでも何度もコスッてきました。第69回(昭和48年/1973年・上半期)受賞者にして、第94回(昭和60年/1985年・下半期)から10年ちょい、選考委員も務めてくれた藤沢周平さんです。
藤沢さんと直木賞、というと、それだけでおそらく2冊も3冊も本ができるぐらいに、いろいろな角度のハナシが残っています。そのうちの一つが「講演会」です。
いっとき学校の先生をしていたとはいえ、基本的に人前に出ていくタイプの人ではありません。講演というものに対しては、藤沢さん自身苦手意識をもっていた、とも言われます。しかしそれでも、人間社会のなかで生きていれば、強く頼まれてしまうとなかなか無下に断わることもできません。藤沢さんもほうぼうでマイクの前に立たされ、聴衆に向かってナマの言葉を語る経験をさせられたようです。
とくに藤沢さん自らが振り返る講演のハナシでは、故郷の鶴岡をはじめ山形県の各所から招かれたときのことが、印象ぶかく語られています。
藤沢さんもこんなことを書いています。
「十月の半ばから一週間ほど、山形県の鶴岡市に行ってきた。というとことごとしいが、つまりは里帰りで、鶴岡は私の郷里である。
この里帰りの日程の中に、講演が三つほどはさまっていて、そのひとつは、私が出た村の小学校で話すことだった。
鶴岡は、山形県の海岸よりにひろがる平野の中にある。一望の田園の涯に、月山、鳥海山の山稜がつらなる風景は美しく、たべものもうまい。ことに魚がおいしい。家では、生きているか死んでいるかわからないような暮らしをしている私も、ここへ帰ると急に元気になって、講演ぐらいいくらでも引きうけようという気になる。」(平成24年/2012年4月・文藝春秋/文春文庫、藤沢周平・著『周平独言』所収「ある講演」より ―初出『中央公論』昭和53年/1978年12月号)
なるべく講演の依頼は引き受けない方向でやっていきたい、という姿勢で作家生活を送っていた藤沢さんにして、こんなことを言わしめるのですから、やはり故郷というものの持つ偉力は絶大です。
しかも、何年もまえに故郷を離れて都会で暮らしていた人が、たまに里帰りしている、という状況もまた「講演熱」(……と言っていいのかどうか)を掻き立てる一助になっていたものと思います。そこには郷愁がある。旅情がある。あるいは、聴衆のなかに見知った顔がちょろちょろあるという安心感もある。苦手意識を薄めるような要素がそろっています。
直木賞との関連でいうと、昭和48年/1973年に受賞してまもなく、故郷のほうに呼ばれていくつか講演をしたというエピソードにも触れないわけにはいきません。
さすがにそのときは、作家としてもまだまだこれからの途上でもあり、ふるさとでの講演だからといって藤沢さんもワクワクとして演台に立ったわけではなかったらしいですが、しかし忘れがたい経験をもたらしたのも、講演会の力でした。
「故郷に錦を飾るという古めかしい言葉がある。私はその言葉がはっきり言えば嫌いだが、ある文学賞をもらったあと、故郷の町に講演に呼ばれたときは、その言葉を思い出さないわけにいかなかった。面はゆくて閉口した。しかし故郷は、ボロを着てはなかなか帰りにくい場所でもある。やむを得ず帰郷して、あちこちと講演して回った。
私は、二十数年前に教師をしていた中学校にも行った。そこで私は、いきなり胸がつまるような光景に出くわした。(引用者中略)会場の聴衆の前列にそのときの教え子たちがいた。男の子も女の子も、もう四十近い齢になっていた。それでいて、まぎれもない教え子の顔を持っていた。
私が話し出すと女の子たちは手で顔を覆って涙をかくし、私も壇上で絶句した。(引用者中略)講演が終わると、私は教え子たちにどっと取り囲まれた。あからさまに「先生、いままでどこにいたのよ」と私をなじる子もいて、“父帰る”という光景になった。教師冥利に尽きるというべきである。」(平成2年/1990年1月・文藝春秋/文春文庫、藤沢周平・著『小説の周辺』所収「再会」より ―初出『出会い』昭和56年/1981年6月号)
直木賞を受賞したことを祝って講演会が開かれる、というのは1970年代にはすでによくある展開だったらしいです。以来、昭和の後半から平成、令和と、出版やメディア環境はいろいろ変わりましたが、いまのいまに至るまで、講演会と直木賞とは不可分な関係性を保っていると言っていいでしょう。
そのなかでも、おそらく藤沢さんが出くわしたこの経験は、そうとう上位に入るほどの感動的なものだった……とは思うんですが、いやいや、ほんとうに上位かどうかはわかりません。直木賞っていうのは、本人以上にまわりの心を躍らせるもので、そういったまわりの人たちが直接受賞者と出会うことのできるリアルな場、講演会では、何がしかドラマチックなことが起こる磁力を秘めています。
藤沢さん以外にも、こういった再会劇は、いまの直木賞にも豊富に生まれているに違いありません。





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