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<title>直木賞のすべて　余聞と余分</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/</link>
<description>日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。</description>
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<dc:date>2008-05-11T19:34:36+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/17_ec6d.html">
<title>SF古典期に生きた化学者のほろ苦い思い出　第17回候補　立川賢「幻の翼」</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/17_ec6d.html</link>
<description>=================================== 【歴史的重要度】… 4 【一般的無名度】… 3 【極私的推奨度】… 2 =================================== 第17回（昭和18年/...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff9900;&quot;&gt;===================================&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;ul&gt;&lt;li&gt;【歴史的重要度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 4&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;【一般的無名度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 3&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;【極私的推奨度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 2&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff9900;&quot;&gt;===================================&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list017&quot;&gt;第17回&lt;/a&gt;（昭和18年/1943年・上半期）候補作&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun16TK.htm&quot;&gt;立川賢&lt;/a&gt;「幻の翼」（『新青年』昭和18年/1943年2月号）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「一般的無名度」をいくつにしようかと、迷った末に「３」にしました。思い切って「５」にしてもよかったのです。しかし、平成15年/2003年に、メジャーな文庫である中公文庫に、マニアックなアンソロジー&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122042348?ie=UTF8&amp;amp;tag=allofnaokisan-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4122042348&quot;&gt;『明治・大正・昭和　日米架空戦記集成』&lt;/a&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=allofnaokisan-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4122042348&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt;を加えてくれた編者の長山靖生さんに、感謝と敬意の意を含んで、「無名度」を「３」まで落としました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのアンソロジーには、立川賢さん昭和19年/1944年発表の作「桑港けし飛ぶ」が収められています。これによって、彼には一躍「原爆ケンちゃん」の異名が授けられました。おめでとうございます（……ん？）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でも、おそらく、日本全国に3～4人ぐらいいる根っからの立川賢ファンにとって、この文庫の解説や執筆者紹介は、ある意味ショックだったに違いありません。なぜなら生年も没年も、生まれも経歴も、ほぼ何も書かれていないからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　海野十三に20行、横溝正史に23行、大阪圭吉に18行、それぞれ解説文のスペースを割いているのに、立川賢にはたったの5行。これじゃあ、いったい何者なのか、まるでわかりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まあ、おそらく収録作の内容が内容だけに、立川さんのご遺族やご関係者の心持ちに配慮して、あえてバッサリ経歴を割愛したのでしょう。いや、ひょっとしてご本人ご存命で、プロフィールの掲載を拒否したのかも。ただ、それでもワタクシは口惜しい。彼が戦前の直木賞において候補に上がったことや、日本ＳＦ古典期においてほぼ唯一人、直木賞の最終選考会でその作品が論議された歴史的人物であることぐらいは、触れておいてほしかったなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　え？　肝心なのは、その候補作の中身ですって？　そうですよね、インターネットのどこを見ても、この作品を紹介しているとこはないみたいなので、ざっと内容をおさらいしといたほうがよさそうです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「幻の翼」は、副題「敵中日本人の手記」。日本にいる松原博士なる人物に宛てられた手紙のかたちをとっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　書き手は、日米戦争下のロスに住む日本人、加瀬喜久郎。加瀬氏は日本で生を享けますが、若くして両親と死に別れ、中国に渡ります。そこで友人となった中国人青年がプリンストン大学に入学するというので、彼のボーイとして渡米。生来の化学好きだったもので、なんとかそちら方面の仕事に就きたいと、染料工場の試験室に職を得ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そこで同僚だったロシヤ生まれのナターシャと結婚、一児をもうけ、ますます順調に研究生活を続けました。そんなときに加瀬氏、あるものを見て衝撃を受けます。博覧会に出品されていた、松原博士が発明した「白昼映画幕」でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　白昼映画幕……要は、映画ってやつは薄暗い中で幕に光をあてて、はじめて映画たりえるわけですが、そうじゃなくて、真っ昼間のギンギン明るい中でも、光の映像をあててそこに「映画」が映し出せるというシロモノ。大発明品です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　妻のナターシャは長年、その研究をしてきたものの、なかなか実現できずに、ほぼ挫折していました。そこで加瀬氏は、出品中の白昼映画幕のはしっこを、こっそり切り取って家に持ち帰ります。これがいったいどんなふうにつくられたものなのか、夫婦ともども調べていくうちに、この素材には、白昼映画幕とする以外にも、驚くべき性質があることに気づいてしまうのです。――&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まあ、この素材の性質こそが、題名の「幻の翼」につながっていきますので、この後は伏せときます。「桑港けし飛ぶ」を読まれた方なら（そうでなくとも）、だいたい想像がつきますかね。そうです、原爆ケンちゃん、お得意のあのパターンです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　おっと。こんなこと書くと、立川賢って、要はアメリカ憎し、でもほら我ら日本には、高い科学的技術力があるじゃないか、それを使ってやっつけてしまえ、というふうな作品しか残さなかった国策作家と思われちゃうでしょう。しかし、断然違います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「クレモナの秘密」を読んでみてください。「恐るべき苔」を探し出してみてください。どちらも、「幻の翼」と同時代に『新青年』にのっかった小説です。とくに「恐るべき苔」には、国策に従って技能をフル発揮する科学者の、反省というか反抗というか、自戒の思いが匂っています。その前の月に「桑港けし飛ぶ」で、思わず想像力を暴走させたことについて、何かご自身、思うところがあったのでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いずれにせよ、「恐るべき苔」を最後に、立川賢さんは『新青年』誌から姿を消してしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いやいや、立川賢研究を志すならば、戦後、“戦争色”のすっかり抜けたケンちゃんにも、目を当てなきゃならないんでしょう。たとえば『雄鶏通信』昭和24年/1949年3月号に載った「デニコヘミン発見記」とか。これを書いた立川賢が、原爆ケンちゃんと同一人物かどうかは不明なんですが、作品内容が、もうおなかいっぱいなほど化学ネタ満載のところから見て、多分同じ人です。さすがに、昭和24年/1949年に『宝石』誌に「独立祭の夜の殺人」を書いた“立川賢”や、同じ頃いくつかのカストリ系の雑誌に作品を発表している“立川賢”が、みんな同じ人かどうかは、確証も自信もありませんけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それと、30年の沈黙をやぶってケンちゃんが上梓した2冊の本も、忘れちゃなりますまい。陽光出版社から出た『癌は私が治す』（昭和54年/1979年3月）と、『人体還元術』（昭和54年/1979年7月）です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちなみに、うちの親サイトの&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun16TK.htm&quot;&gt;「立川賢　候補作家の群像」&lt;/a&gt;の略歴は、ほぼこの2冊に書かれた内容に拠っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そうだ、このうちの『癌は私が治す』には、直木賞マニア垂涎の一文が載っているんでした。科学小説（あえてこう呼ぶ）ではじめて直木賞の最終候補になり、のちにＳＦ小説直木賞落選の歴史、として死屍累々築かれていく、その嚆矢となった立川賢が、直木賞について語っている貴重な一文が。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「私は昭和十七年に『幻の翼』というＳＦ小説で直木賞の最終選考候補に上がったが、二対一で&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun17YS.htm&quot;&gt;山本周五郎&lt;/a&gt;氏に敗れた。その時の一票を投じて下さったのが&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun17IM.htm&quot;&gt;井伏鱒二&lt;/a&gt;先生であり、私の文章に独特のリズムのあることを指摘された。そのことを知った時の感激と共に&lt;/span&gt;（引用者注：『新青年』に掲載された自分の推論が正しかったことを知ったことは）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;私の人生に於ける二つの忘れ難い大感激となっている。」&lt;/span&gt;（「八兵衛瀬の浅蜊は何故毒を噴いたか？」の註より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　さて、昭和20年代をもって、立川さんは筆を折りました。その後は、ご本人いわく「実践の世界において発明発見に没入して来た」と言います。ハテ、実践の世界、というその具体的な実態が、じつは甚だはっきりしません。どこかの企業なり研究所なりに勤めておられたのかというと、どうもそうではないようです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「昭和五年に現在の横浜国大工学部の前身である横浜高等工業学校応用化学科を出て以来、今日迄の私の人生の大半は浮き草稼業であった。一定の収入源に吸い附いて、そこから栄養を採るショーペンハウエルの所謂『いそぎんちゃく』的化学者にはなれなかった代りに、茫洋たる化学の世界を魚のように漁り廻った。自分ながらよくぞと言う自由人生であった。」&lt;/span&gt;（『癌は私が治す』「自序―ある自由化学者の遺産―」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　どうやって収入源を得ていたんでしょうか。自由人を志す後輩としては、非常に興味が沸いてきます。松戸の片隅で、誰からも干渉されず、また誰にも被害を加えず、黙々と化学的発明・発見にむかって研究をつづける、孤独なおじいさんの姿が、どうにも頭に浮かんできて離れません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いまじゃ海野十三が再評価されて、いろいろとその旧作が再版されてきているんですもの。立川賢だって、改めてその歩みに光を当てられる日が来ても、いいじゃないですか。原爆とか、そういうセンセーショナルな面以外のところでも。ですよねえ。ひとりの（おそらく）勤勉な青年が、化学に魅了されて、科学的視野と物語との融合を果敢にこころみた、幾年かのユニークな創作活動として。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>これぞ名候補作</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-05-11T19:34:36+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_50e4.html">
<title>無法松、無法松って、もう言ってくれるな――いえ、言わせてください。第10回・第11回候補　岩下俊作「富島松五郎伝」</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_50e4.html</link>
<description>=================================== 【歴史的重要度】… 5 【一般的無名度】… 1 【極私的推奨度】… 3 =================================== 第10回（昭和14年/...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff9900;&quot;&gt;===================================&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;ul&gt;&lt;li&gt;【歴史的重要度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 5&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;【一般的無名度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 1&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;【極私的推奨度】…<img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /><img class="emoticon flair" src="http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/flair.gif" alt="flair" /> 3&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff9900;&quot;&gt;===================================&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list010&quot;&gt;第10回&lt;/a&gt;（昭和14年/1939年・下半期）・&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list011&quot;&gt;第11回&lt;/a&gt;（昭和15年/1940年・上半期）候補作&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun10IS.htm&quot;&gt;岩下俊作&lt;/a&gt;「富島松五郎伝」（『九州文學』昭和14年/1939年10月号-&amp;gt;『オール讀物』昭和15年/1940年6月号再録）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しょっぱなから奇をてらうのも大人げないので、堂々たるハイパー有名候補作から行きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　作者の岩下俊作さんは、おのれの代表作がいつまでたっても「富島松五郎伝」、いや改題後の「無法松の一生」と言われ続けてホトホト辟易している、と後年にいたるまで、ことあるごとに愚痴をこぼしました。戦中に舞台化されたり、映画化されたりして、戦後になっても何度もそっち方面で取り上げられちゃって、“ああ、『時をかける少女』って原田知世のやつ。……え？　あれって原作があったの？”っていうのと同じパターンです（ちょっと違うか）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、直木賞のなかでの名候補作の地位は、断然ゆるぎありません。もちろん、「無法松の一生」としてではなく、「富島松五郎伝」として。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なので岩下さん、すみません。「辰次と由松」や「諦めとは言へど」や「西域記」を取り上げたいのはヤマヤマなんですが、「富島松五郎伝」を抜きにして直木賞を語るのは、もう不可能な領域なんです。どうかコラえて下さい。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この作品が、直木賞史上、キラめきを放っている理由は大きく二つあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一つは、第10回（昭和14年/1939年・下半期）で、一度は蹴り落とされながら、なんと半年後に再び、同一の作品で候補にさせられていること。そして2度目もまた、結局、落選の谷に突き落とされている境遇です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一度、候補に挙げた作品は、再度の候補にはしない、というのがどうやら直木賞の不文律らしく、それはたとえば、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun91II.htm&quot;&gt;今井泉&lt;/a&gt;の「溟い海峡」が&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran81-100.htm#list091&quot;&gt;第91回&lt;/a&gt;（昭和59年/1984年・上半期）候補となりながら落とされ、約10年後、それを収録した短篇集『ガラスの墓標』が&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran101-120.htm#list109&quot;&gt;第109回&lt;/a&gt;（平成5年/1993年・上半期）の候補になったときに、同書に収録されたもののうち、「溟い海峡」を除く「ガラスの墓標」「道連れ」「島模様」の3作のみが、候補として選考対象となったふうなのを見ても、わかります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun35AY.htm&quot;&gt;赤江行夫&lt;/a&gt;の『長官』（&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list036&quot;&gt;第36回&lt;/a&gt;　昭和31年/1956年・下半期　候補）にしても、そうです。その1回前に候補になったのは「長官」第一部（『長官』全体の前半部分）であって、これはこれで珍しいかたちの連続候補なんですけど、まったく同じものが二度候補に挙がったわけじゃありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そうさ、「富島松五郎伝」みたく、2度も連続して選考されながら、2度とも授賞に値せず、なんて失礼な判断をくだされたのは、先にも後にも、これのみなのさ。はあ、大月隆寛さんが『無法松の影』（平成7年/1995年11月・毎日新聞社刊）で指摘されているように、同じく2度連続して俎上に乗せられたお仲間、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun11TC.htm&quot;&gt;堤千代&lt;/a&gt;「小指」のほうは、2度目でめでたく受賞となっているのに。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もちろん、ここらの事情はさまざまな解釈が可能でしょうが、たとえば第10回の経緯で&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun10TK.htm&quot;&gt;瀧井孝作&lt;/a&gt;さんが語っている裏事情は、こんな感じ。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「銓衡会の席上で、この「宮島松五郎伝」&lt;/span&gt;（原文ママ）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;は、読了の委員の大方は、この作品を佳作と認めて、褒めていたので、ぼくはありがたかった。評判がよかったが、当選とはまだ定らなかった。それは、同人雑誌の九州文學位に只一つ載ったものに賞をやるのは、如何にも候補者がなくて遠くから探し出してきたようで直木賞の建前としては可笑しい、と菊池さんがぼくに云われ、それは尤もで、ぼくは直木賞の建前をよく未だ知らなかったわけだから、大方の委員に佳作と認められた点まあ十分なので、今回の賞には、引込めてもよいと思った。その代りこの作品は、作者が承諾すれば、オール讀物に掲載してほしいと云っておいた。」&lt;/span&gt;（『文藝春秋』昭和15年/1940年4月号「大衆文学に就て――直木三十五賞経緯――」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　菊池親分よ、建前だなんだと言うんなら、そもそも候補作にするなよ、とツッコミたくなるのをおさえて、次の第11回の経緯で&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun10UK.htm&quot;&gt;宇野浩二&lt;/a&gt;が書いていることを読んでみると、どうも「富島松五郎伝」を最初に直木賞の場に押し出したのは、この瀧井孝作なんだそうです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「岩下俊作の『富島松五郎伝』は、これも前の時に可なり問題になった作品で、芥川賞の候補になっていたのを、瀧井が、これを直木賞の方に推したい、と云ったので、私は、読んでみて、鈍なところはあるけれど、なかなか面白い小説であると思って、こういう作品をも直木賞にしては、と推薦した。」&lt;/span&gt;（『文藝春秋』昭和15年/1940年9月号より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ははあ。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list028&quot;&gt;第28回&lt;/a&gt;（昭和27年/1952年・下半期）のときに&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun27NT.htm&quot;&gt;永井龍男&lt;/a&gt;が&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun25MS.htm&quot;&gt;松本清張&lt;/a&gt;の「或る『小倉日記』伝」に対しておこなったアクロバチックな手法は、なにも永井さんの発明じゃなかったんですな（そのときは、直木賞から芥川賞へと、向きは逆でしたけど）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　実はここら辺の経緯は、「富島松五郎伝」が放つ光の、二番目の理由にも大きく関係しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　というのもこの作品、直木賞の歴史のなかではじめて、同人誌に掲載された個人作品が選考された記念すべきものなのです。しかも、かなりいい線まで評価されたっていうオマケつき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun1KK.htm&quot;&gt;菊池寛&lt;/a&gt;がブーブー言っているように、それまで直木賞っていえや、一応は商業誌に作品を発表したことのある作家たちを対象にしていました。しかし、菊池さんはともかく、他の選考委員のなかには、果たしてそんな中に新しい大衆文学の芽が埋まっているんだろうか、と疑問に思っていた人（もしくは違和感を感じていた人）が何人かいたことは事実でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　で、自分たちは純文学を書いているつもりの同人誌のなかから、大衆文学を書けそうな素質の作家や作品を見つけ出してくる。っていうのは、のちの直木賞でもけっこうひんぱんに用いられた方法です。その源が、「富島松五郎伝」にあり、またこの視点を持ち込んだのが、菊池寛でも&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun1SM.htm&quot;&gt;佐佐木茂索&lt;/a&gt;でも、直木賞の選考委員たちでもなくて、芥川賞の側にいた瀧井孝作だった、という事実がここにはあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな重要な路線を発見できたんですからね、当時、直木賞の選考を、専任委員たちだけじゃなくて、芥川賞委員も交えて行おうとの試みが数回続けられたんですが、その試みもまったくの無駄ではなかったようです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そして、『九州文學』に「富島松五郎伝」が載ったからこそ、第10回のところで、直木賞の向かう方向が変わった――いや、選ぶべき方向に一つ選択肢が増えた、と言えると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ね。この作品抜きじゃ、直木賞は語れないでしょ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、当の岩下俊作さんにとっては、甚だ迷惑なハナシだったのでしょう、たぶん。だって、『九州文學』の仲間たちはこぞって、第10回の芥川賞で予選の候補になって、矢野朗の「肉体の秋」、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun18HT.htm&quot;&gt;原田種夫&lt;/a&gt;の「風塵」、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun18RK.htm&quot;&gt;劉寒吉&lt;/a&gt;の「人間競争」、勝野ふじ子の「蝶」と、芥川賞委員・宇野浩二からはボロクソ言われているんですけど、それでも彼らの気持ちのなかでは、直木賞みたいな一段格下のところで議論されるよりマシ、と思っていたかもしれません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ただひとり、直木賞のほうに回されて、しかもソッチでも2度も落選の憂き目を合わされるなんて、なんたる屈辱。ああ、岩下さん。涙、涙。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それでも、芥川賞的でもなけりゃ直木賞的でもない、そんな概念を超えたところに位置する、ひきしまった文章のうえに読んでおもしろい、名候補作第1号の栄冠は、「富島松五郎伝」の頭上に輝いているのです。矢野朗、原田種夫、劉寒吉、勝野ふじ子のどの作品よりも、後世の多くの日本人に愛される作品を書いたという現実をもって、岩下さんの不満が少しでもおさまればよいのですが。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>これぞ名候補作</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-05-05T00:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/2_43a3.html">
<title>第2期は、あまり光の当たらない名候補作をフューチャー</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/2_43a3.html</link>
<description>　絶対に直木賞のこと以外は書きません、で押し通している本ブログも、めでたく2年目に突入です。 　ここからしばらくは、過去70余年のあいだに登場した直木賞の「候補作」に目を向けたいと思います。 　たとえば主催者（日本文学振興会）や、出版社や、マスコミのなかでは、受賞作と候補作との扱いに、格段の差があるんですが、これは賞ってやつが生まれつき持っている原理から生ずる現象ですから、しかたありません。が、直...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　絶対に直木賞のこと以外は書きません、で押し通している本ブログも、めでたく2年目に突入です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ここからしばらくは、過去70余年のあいだに登場した直木賞の「候補作」に目を向けたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　たとえば主催者（日本文学振興会）や、出版社や、マスコミのなかでは、受賞作と候補作との扱いに、格段の差があるんですが、これは賞ってやつが生まれつき持っている原理から生ずる現象ですから、しかたありません。が、直木賞オタクがいつまでもそれに追従しているようじゃ、世も末です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　オタクとは言わないまでも、読書好きのあなた。受賞作と、そのとき競った候補作と両方とも読んでみたけど、おいらは、むしろ落選したコッチの作品のほうが好きだなあ、って感想を持ったことありませんか？　そう、その感覚はぜひとも大切にしたいところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さらに「直木賞」総体のハナシで言いますと、過去の受賞作だけをざざざっと見渡して、“直木賞はね、こんな傾向の賞なんですよ”と語るのも、もちろん立派です。ただ、その論点にはどうしても限界がつきまといます。本来、候補作全体を見渡して、なおかつ受賞作を見てこその“傾向”であり“全体像の把握”ですよね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でも、受賞作だけで170作ちょい、そのうえに候補作もとらえようとすると1,000作以上の作品を対象にしなくちゃいけません。まあ、誰もやりませんわな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　正直申しますと現段階で、ワタクシ自身、全部の候補作を読み通したわけじゃありません。それでも、常識的な日本人よりは多少、多めに候補作に触れているはずなので、この場を借りまして、だいたい1週間に1作ずつ、「時の選考委員たちには受け入れられなかったけど、ぜひとも紹介しておきたい名候補作」を取り上げていきたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こんな基準で。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;[1] &lt;/strong&gt;直木賞の歴史のなかで、重要な道標となった作品。&lt;strong&gt;【歴史的重要度】&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　この賞の歴史や変節を見ていくうえでは、受賞作よりも、案外、候補作のなかに重要な道しるべが埋まっているものです。きっと。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;[2] &lt;/strong&gt;惜しいかな、今ではほとんど知られていない作家の作品。&lt;strong&gt;【一般的無名度】&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　知られていないにはそれなりの理由はあるんでしょうけど、そこに無理やりにでも光を当てる半ば空疎な作業も、また面白いじゃないですか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なので、受賞作家がそれ以前に候補になったときの作品、というのは基本的に今回の試みの対象からは外させてもらいます。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;[3] &lt;/strong&gt;何よりも、ワタクシ自身が読んでおもしろかった作品。&lt;strong&gt;【極私的推奨度】&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　歴代選考委員の方々の批評眼を信用してないわけじゃありませんよ。でも、好みってやつは、ほら、人それぞれでして。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　目安として、古い時代のことばかりでも飽き飽きするでしょうし、最近のことばかりでもナマナマしすぎるので、時期を10回分（5年分）ごとに区切り、まず第1回（昭和10年/1935年・上半期）～第10回（昭和14年/1939年・下半期）のなかから1作品に焦点を当てて、それをブログエントリーごとに徐々に現在に近づかせていきます。最後までやって全14作品。このセットを3回繰り返せば、まあ、だいたい今後1年はこのネタで持つかなと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ってことで、最初は、直木賞草創期のころの、名候補作からです。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-05-04T21:36:21+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/5219776_b693.html">
<title>直木賞事典　国文学　解釈と鑑賞　昭和52年/1977年6月臨時増刊号</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/5219776_b693.html</link>
<description>　まる1年間ひたすら歩いてまいりました。これで52冊目です。ぐるり回りまわって結局、キホンに帰ってきました。直木賞の基礎資料として、いまだにナンバー1の不動の座を維持しているのが、文藝春秋の本じゃなくて、至文堂の本だっつうのも、何だか妙なハナシですが。 『直木賞事典　国文学　解釈と鑑賞　昭和52年/1977年6月臨時増刊号』（昭和52年/1977年6月・至文堂刊） 　そうです、端から端まで直木賞の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　まる1年間ひたすら歩いてまいりました。これで52冊目です。ぐるり回りまわって結局、キホンに帰ってきました。直木賞の基礎資料として、いまだにナンバー1の不動の座を維持しているのが、文藝春秋の本じゃなくて、至文堂の本だっつうのも、何だか妙なハナシですが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080427w170&quot; alt=&quot;080427w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/27/080427w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt;&lt;strong&gt;『直木賞事典　国文学　解釈と鑑賞　昭和52年/1977年6月臨時増刊号』（昭和52年/1977年6月・至文堂刊）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そうです、端から端まで直木賞のことだらけ、しかもエラくまじめに、直木賞を斬ろうとして、時にうまくいき、時に失敗している内容はともかく、ええい、こんな本がそれまであっただろうか。と、当時の直木賞研究家たちが涙を流し、こぞって新宿の至文堂を訪れ、玄関の前で感謝の声をあげる光景が数か月間は見られた、という伝説が残っているほどです。おお、空前。しかしながら、かなしいかな絶後。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　文学研究の世界では、そりゃあ、純文学と大衆文学のこととか、文学賞やジャーナリズムのこととか、そんな切り口は、コツコツと積み上げられていました。しかし、“芥川賞”のハナシを抜きにして、直木賞だけを語る文学研究なんて、ふつうのアカデミック人は、やりません。見向きもしません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だから、『国文学　解釈と鑑賞』が昭和52年/1977年に「芥川賞事典」を出したこと、この行動はおおむね理解できます。しかしねえ、いくら兄弟賞だからって、「直木賞事典」まで出しますか、ふつう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな偉業、はたまた暴挙をやってのけた、制作担当の金内清次さん、編集代表の長谷川泉さんには、大いに賞讃の拍手を送りたいと思います。ありがとうありがとう。……ところで、ハセガワ・イズミって、どなた？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B3%89&quot;&gt;Wikipedia&lt;/a&gt;によりますと、っていうか、おそらく小谷野敦さんの調査によりますと、長谷川泉さん、いろんな大学で講師を務めながら医学書院に勤務して、のちにその社長にまでなった方だそうです。本事典は、その長谷川さんが学習院大学講師の肩書きを得ていた頃の、編集書。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まあ、どこまで長谷川さんが編集に関与していたかは不明ですけど、少なくとも巻頭に「直木三十五と「直木賞」の風雪」の一文を寄せています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　本来、本事典に対しては、まったく無風で索莫とした荒野だった「直木賞研究」の場に、昭和52年/1977年の段階、つまりは&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran61-80.htm#list076&quot;&gt;第76回&lt;/a&gt;（昭和51年/1967年・下半期）の受賞作が&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun76MK.htm&quot;&gt;三好京三&lt;/a&gt;『子育てごっこ』と決まった段階で、ザクッと一本の旗を打ちたてた、その行為を褒めたたえるべきです。それから30年も経った今、一介のオタクがその内容をああだこうだ突っつくのは、見苦しいので差し控えたいところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　と言いつつも、長谷川さんの論稿を一部ご紹介しますと、文学は常に変質するものであって、直木賞も当然変質してきている、といったことが述べられています。作家と読者の間をつなぐもの＝マス・メディアが、多様化され多彩となってきていて、これが文学の変質に多大な影響を及ぼしている、というわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そしてハナシは、お決まりのパターン、芥川賞との関係へと流れていきます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「作家と読者とがマスコミの変化によって、野合したことは、そのことを責めてもナンセンスである。事態は起こるべくして起こったのである。とくに純文学の変質、中間小説の進行は、めだった現象であった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　そのことは、必然的に芥川賞と「直木賞」との接近を結果することになった。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;両賞の接近は、&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;文学そのものの変質という根本的な課題のところでの偏差として提起されてくるものである。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　うーん、なんだか胸にすっきり収まらないハナシだなあ。ええと、文学そのものが変質すれば、その一部の表層である直木賞・芥川賞も変質せざるをえないだろう、ってこれはわかります。でもねえ、その変質の結果、両賞の接近がもたらされた、ってところが、どうも納得できないんだよなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　直木賞と芥川賞、それぞれが受け持つ領域のことを、あたかも並立した同レベルの階層と、はなから信じ込んでハナシをすすめているんですけど、そうです、そこが納得できないんです。長谷川さんご自身だって、両賞創設のときの「規定」を引用して、こうおっしゃっているじゃないですか。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「「規定」にいう「大衆文芸」について「細目」で補足説明がある。「『大衆文芸』とあるのは題材の時代や性質（現代小説・ユーモア小説等）その他に、何等制限なき意味である。」としるされ、芥川賞の「創作」という表記に対して「直木賞」の方は、論理的には不備な点もあると思うが、制約を一切取りはずして自由であり、それを「大衆文芸」ということで表現したものであることがわかる。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　この細目を、純粋な気持ちで読んでみましょうよ。どう考えたって、両賞が並立しているとは見えないでしょ。直木賞は何ら制限がない、ってことは、芥川賞の言う「創作」だって、当然その対象に含まれるわけじゃないですか。制約を一切取りはずして自由、ってのはそういうことでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　“芥川賞エリア”があるんだとしたら、“直木賞エリア”はそれを全部含み、なおかつ垣根なく広がる広大無辺な作品群を対象にするわけでして、芥川賞が滋賀県だとすりゃ、直木賞は近畿地方だと。それが正確な両賞のとらえ方のはずです。そこを掛け違えたまま、質的な接近だの、両賞の違いがなくなってきただのと指摘するのは、はは、そりゃおかしいですわな。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　長谷川泉さんを筆頭に、本事典の巻頭には、それぞれ課題を与えられて何人かの方が小論文を書いています。瀬沼茂樹（文芸評論家）、高野斗志美（旭川大学教授）、大西貢（愛媛県立松山南高等学校教諭）、尾崎秀樹（文芸評論家）、巌谷大四（文芸評論家）、大久保典夫（東京学芸大学教授）、村松定孝（上智大学教授）、遠丸立（文芸評論家）、有山大五（読売新聞社）――カッコ内の肩書きは巻末の「執筆者一覧」にあるものを、そのまま使用しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　たしかに、この方々のおハナシも、耳を傾ける価値のあるたのしいものばかりなんですけど、本事典の偉業は、第76回までの全回の「選評の概要」「受賞作家のその後」「選評の批評」と、全受賞作の「初出」「梗概」「鑑賞」「批評」「文献」を、みんなでよってたかって手分けして、網羅したことでしょう。何と言っても。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　本ブログを読みの方なら、まず気になるのが、ほら、あの方のことがどう書かれているかでしょう。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list011&quot;&gt;第11回&lt;/a&gt;（昭和15年/1940年・上半期）で受賞した途端、態度を豹変させて周囲のひんしゅくを買ったといわれる、可愛げ満点の40代おじさん、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun11KS.htm&quot;&gt;河内仙介&lt;/a&gt;さんです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「河内仙介のその後については、多く記すべきものをもたない。明治三十一年生まれのかれは、四十代半ばに達する歳で受賞しており、あたかも戦中の多事を経験する中で、必ずしも十分な執筆活動をつづけ得なかった。「遺書」「風冴ゆる」等を代表作として、昭和二十八年二月二十一日没した。」&lt;/span&gt;（榎本隆司）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　かろうじて、「遺書」と「風冴ゆる」を代表作に挙げてはいるものの、早稲田大学教授（当時）榎本隆司さんも、苦しい筆だったことでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　河内仙介の全貌を解明し、“多く記すべきものをもつ”までに突き詰めていくのは、本事典刊行から30年を経て、これからの直木賞研究の課題です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、1年にわたり、週に一回ずつ、直木賞の関連書籍ばかりを取り上げてきましたが、キホンの文献に戻ってきたところでちょっと一息、まずは「関連書籍」シリーズは、とりあえずお休みしようかと思います（そろそろネタ切れなんじゃないの、との野次に耳をふさぎつつ）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　来週からは、また違った角度から、直木賞の一面に光を当てていく予定です。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>関連の書籍</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-04-27T21:24:26+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3550.html">
<title>本屋でぼくの本を見た　作家デビュー物語</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3550.html</link>
<description>　だれか特定の一人の作家を、一生涯追いかける、そんな情熱を自分が持てたらよかったのになあ、と思うことありませんか。ワタクシはあります。“直木賞”みたいな、ヌエそのものの、とらえどころのない研究対象を必死に追いかけている合間なんかに、ふと。 『本屋でぼくの本を見た　作家デビュー物語』新刊ニュース編集部・編（平成8年/1996年10月・メディアパル刊） 　62人の作家たちが、自分のデビュー作のこと、そ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　だれか特定の一人の作家を、一生涯追いかける、そんな情熱を自分が持てたらよかったのになあ、と思うことありませんか。ワタクシはあります。“直木賞”みたいな、ヌエそのものの、とらえどころのない研究対象を必死に追いかけている合間なんかに、ふと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080420w170&quot; alt=&quot;080420w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/20/080420w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/489610031X?ie=UTF8&amp;amp;tag=allofnaokisan-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=489610031X&quot;&gt;『本屋でぼくの本を見た　作家デビュー物語』新刊ニュース編集部・編&lt;/a&gt;（平成8年/1996年10月・メディアパル刊）&lt;/strong&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=allofnaokisan-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=489610031X&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　62人の作家たちが、自分のデビュー作のこと、その生まれた背景やら、発表までのいきさつやらを、それぞれ3～4ページ程度の短いエッセイに書いています。収められているのは、エンタメ作家だけでなく、石坂啓さんとか、鎌田慧さん、高井有一さん、矢口高雄さん、その他幅広く顔を並べていまして、この本を通読していったいどんな感想を持てばいいのやら、迷うばかりです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もし一人の作家だけを執念深く追っているのだとしたら。本書のような本に、その作家が登場するだけで幸せな気分になり、たとえそれが短い文章でも、かじりつくように読めるのでしょう。しかし、こちとら、そうも参りません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　とはいえ、作家のデビューだけに着目してみれば、また違った世界が開けてくるかも。たとえば、明治・大正・昭和・平成と時系列で分析してみたら、“昔は同人誌、今は懸賞当選”みたいな、大ざっぱすぎて、にわかに信じがたい傾向分析以上のものが、かならずや見えてくると思います。けど、今のワタクシは手をつけません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まあ、ここは手堅く、直木賞を軸に見ていきますか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　本書に登場する直木賞受賞作家、候補作家は全部で21人。デビュー作（ってこの定義も、受け取る人によってマチマチですけど）が、直木賞の場で取り上げられるのって、多くはないけど、必ずしも少なくはありません。直木賞は“新人賞”と言われることもあるけど、大して“新人賞性”なんてないんだぜ、とけっこう言われます。しかしまあ、よく見てみりゃ、案外べっとりと蓋の裏のほうに、残っているもんです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ほら、たとえば、札幌の広告会社に勤めていた当時39歳のＯＬ、熊谷政江さんの場合。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「中編二作をおさめた「マドンナのごとく」が発刊されたのは、一九八八年の五月十五日だった。発売元の講談社から私用にと二十冊ほどいただいた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「これ、私の一生に一度の記念よ。トシを取ったら、この本を持って老人ホームに入居してね、で、うんとイバって自慢するの。若い頃にこうして本も出版したことがあるんだって。」」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　おそらく、熊谷さん、筆名・&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun100TS.htm&quot;&gt;藤堂志津子&lt;/a&gt;さんの人生を変えたのは、直木賞です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「私の生活が激変を余儀なくされたのは、その年の七月にこの本が直木賞候補&lt;/span&gt;（引用者注：&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran81-100.htm#list099&quot;&gt;第99回&lt;/a&gt;　昭和63年/1988年・上半期）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;の一冊に挙げられたときからである。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　出版界のことなど何も知らなかった私は、編集者の励ましとも脅しともつかない言葉のかずかずに、そのつど翻弄され、顔色を失い、その結果、日ごとに痩せ、体調をくずした。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　バチが当ったのだ、と痛切に思った。深い考えも自覚もないままに出版社のすすめに従って本などだしてしまったために、こんな目にあうのだ、と。苦悩の毎日がつづいた。毎晩ベッドのなかで泣いた。会社を辞めるのが怖しかった。そうした日々をへて同年の十二月末日で、私は恐怖におののき、会社に未練を残しつつ退職した。」&lt;/span&gt;（「うれしさのあとで」&#39;96・6　より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　仮に、この世に直木賞なんちゅう魔物がなかったとしたら……。出版社の編集者たちがその魔物の動向にあたふたしなくてもよい世界であったなら……。藤堂さんの『マドンナのごとく』は、熊谷おばあさんの宝もので終わっていたに違いありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まったく、直木賞のおせっかいめ。いやいや、直木賞の功名ここにあり、と言っておきましょう。藤堂さん、どうぞ年老いるまで、いましばらく自分勝手な読者たちに、おつきあいくださいませ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もう一発、ピカピカの受賞作家のエッセイを見てみます。ここにも、おせっかい野郎・直木賞君が、飄然と顔を出していますよ。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「雑文書きをしているときに知りあった編集者から、&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「小説を書いてみませんか」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　と勧められ、私がまず考えたのは短篇小説であった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「短篇集は売れないからなあ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　と、その編集者は難色を示した。これは今日でも充分に生きている鉄則であり、新人作家が短篇集でスタートをするケースは本当にめずらしい。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　さて、この短い引用のなかに二つも会話文が出てくる文体、「本当にめずらしい」などと、いったい何を根拠にそんな決めつけをしているのか、いまいち真意のつかめない、脇の甘い論調。これをもって、ああ、あの人の書いた文だなと想像できてしまった方、あなたはスルドい。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「さいわい、評判はよく、直木賞の候補にもあげられた。それまでの直木賞の傾向から言えばちょっと異端の作品集だったから意外でもあり、とてもうれしかった。このときは受賞を逸したが、引き続いて出版した同種の短篇集『ナポレオン狂』が&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran81-100.htm#list081&quot;&gt;第八十一回&lt;/a&gt;の受賞作となり、運のよいスタートとなった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　『冷蔵庫より愛をこめて』は今でもよく売れている。文庫本は三十二刷を数え、五十万部に近づいている。わが家の米びつのような存在である。」&lt;/span&gt;（「短篇から長篇へ」&#39;92・6　より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　そうですね、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun81AT.htm&quot;&gt;阿刀田高&lt;/a&gt;さん。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran61-80.htm#list080&quot;&gt;第80回&lt;/a&gt;（昭和53年/1988年・下半期）候補作の『冷蔵庫より愛をこめて』は、直木賞に新風吹く、とも言える画期的な候補選出でした。その新風を乱すことなく、つづいて1年もたたないうちに同種の作品集を出版したことが、なによりも阿刀田さん、もしくは講談社の勝利でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　デビュー1作、2作でくっきり、短篇作家・阿刀田高像、を印象づけられたのは、もちろん“運のよい”展開ではあったのでしょうが、いえいえ、もう実力のなせるわざです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もう一人、本書で語る「デビュー作」が、いきなり直木賞候補に挙げられた作家がいます。いやまあ、これこそ異色の候補作でしょうがに。日本ノンフィクション賞新人賞を受けたこの作品を、わざわざ直木賞の舞台に挙げた事務当局の勇気たるや、相当なもんです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「作家という職業に転ずる前、およそ十四年もジャーナリズムの世界に身を置いていた。この間、自分の書いた文章が活字になることはごく日常的な現象で、そうした作業をさほどの感動も感慨もおぼえずにこなしていた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　ところが、三十代のなかば近くになって、ふと思った。時には、ああ、やっと活字になった、よかった……と思えるような仕事をすべきではないかのか、と。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　平凡出版で、『平凡パンチ』『週刊平凡』『ポパイ』などの編集に携わっていた鈴木正昭さんは、こうして一念発起、北方領土を舞台に漁師、漁船のことを描こうと取材を始めます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「彼らを主人公にして、ドキュメンタリー・タッチのミステリーを書いてみたい……。そう思うともうじっとしていられなくなり、休みごとの北海道通いがはじまった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　こうして、約五年近い取材期間と、一年足らずの執筆時間を費して、わたしはデビュー作『オホーツク諜報船』を書きあげたのだった。」&lt;/span&gt;（「ぜいたくな作業」&#39;90・8　より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　作家・&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun99NM.htm&quot;&gt;西木正明&lt;/a&gt;の誕生までには、6年弱の、人知れぬ雌伏のときを要していたのだなあ。6年弱っていえや、ああ結構長いとしつきですぜ。こういう文章を読むと、ほんと尊敬の念がわいてきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そして、この作品、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran81-100.htm#list084&quot;&gt;第84回&lt;/a&gt;（昭和55年/1980年・下半期）の直木賞選考委員会では、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun39GK.htm&quot;&gt;源氏鶏太&lt;/a&gt;さんより、&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「面白過ぎる程面白かった。しかし、この面白過ぎるところが、文学的な香気を薄めているように思われた。」&lt;/span&gt;（&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/senpyo/senpyo84.htm&quot;&gt;『オール讀物』昭和56年/1981年4月号選評&lt;/a&gt;「感想」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　との、直木賞ではありがちな、褒めているのか貶しているのか、ようわからんお言葉を頂戴することになるのでした。うーん、読者の心境としては、ちょっと複雑。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ええと、せっかくなので、お一人ぐらい、受賞作家でない方の、デビュー作エピソードもご紹介しておきましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran61-80.htm#list079&quot;&gt;第79回&lt;/a&gt;（昭和53年/1978年・上半期）に「イタチ捕り」で候補になった方、どっちっかっていうと芥川賞エリアのお方ですか？　で知られる&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun79KH.htm&quot;&gt;小檜山博&lt;/a&gt;さんです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「三十代の半ば、同人誌に書いた短篇『低いままの天井』が「文學界」に転載され、その掲載誌を神棚に上げて酒を飲み、涙を流した。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　そうですか。涙を流しますか。当時の同人誌作家にとって、『文學界』の同人雑誌優秀作に選ばれることが、いかにおめでたい、天にものぼる慶事だったのかがうかがえて、胸があたたまります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そして小檜山さんは「出刃」という作品を、文學界新人賞に応募します。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「千二百編あったという応募の中で『出刃』は最後の七編に残ったようだが、編集部の予想では『子育てごっこ』という作品が受賞するだろうということで、『出刃』は書き直して次回に再応募しようと一度、返してもらった。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　またまた、なんちゅう裏バナシを暴露しているんですか、小檜山さんったら。文學界新人賞では、最終候補に残ったものを、本人の希望で途中で取り戻すことができるんですか。知らんかった。っていうより、あなた、「子育てごっこ」が受賞するだろうだなんて、編集部の分際（？）で、そんな予想して他の候補者に洩らしちゃってもいいんですか。んもう、文學界さんったら、何でもアリなんだから。やんちゃ坊主だねえ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　で、「出刃」は紆余曲折をへて、『北方文芸』の懸賞小説に応募、野間宏、吉行淳之介、井上光晴の三氏の絶賛のもと、当選して、これが芥川賞候補にもなってしまいます。さらに元・河出書房新社の編集局長、坂本一亀の目にとまり、坂本が新しく創立した構想社の、旗揚げ出版の一冊として出版され、各紙の書評に取り上げられたものだから、小檜山さんの名はメジャーなものになっていきました。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「そんなある日、吉行さんから手紙がきて「いい評がつづいて嬉しく思ってます。ただ、はしゃぎすぎないように。これらの評は坂本一亀への応援でもあるということを忘れないように」と書かれてあったのだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　ぼくは一瞬、息が詰まって宙をあおいだ。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;ぼくは腹に力を入れ、吉行さんの気づかいに深く感謝し、たしかにはしゃぎぎみだった自分を戒めた。そのことでぼくは、もの書きは謙虚であるべきだということを教わったのだった。いい人に出会えた幸せを感じた。」&lt;/span&gt;（「謙虚さを」&#39;96・3　より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　最近になって、なんだか新聞記事に、よからぬ面で取り上げられてしまって、さぞかし反省され、また気落ちなさっていることでしょう。吉行淳之介さんは、もうこの世にはいません。しかし、小檜山さん、吉行さんの励ましは今もお忘れになっていないと信じています。ぜひ今後も、たくましくご活躍のほどを。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>関連の書籍</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-04-20T21:49:25+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f6bf.html">
<title>展　第三号　特集「大池唯雄・濱田隼雄　郷土に生きる」</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f6bf.html</link>
<description>　東北楽天ゴールデンイーグルス、祝・本拠地8連勝。まあ仮に、本拠地を西においていたとして、この球団の性格が今とちがったものになっていたかは、ちょっと疑問ですが。でも、たとえば仙台にあるというそれだけのことで強烈に支持したくなる気持ちがわいてくるのも事実です。郷土性ってやつは不思議なもんです。 『展　第三号　特集「大池唯雄・濱田隼雄　郷土に生きる」』（昭和57年/1982年10月・明窓社刊） 　世の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　東北楽天ゴールデンイーグルス、祝・本拠地8連勝。まあ仮に、本拠地を西においていたとして、この球団の性格が今とちがったものになっていたかは、ちょっと疑問ですが。でも、たとえば仙台にあるというそれだけのことで強烈に支持したくなる気持ちがわいてくるのも事実です。郷土性ってやつは不思議なもんです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080413w170&quot; alt=&quot;080413w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/13/080413w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt; &lt;strong&gt;『展　第三号　特集「大池唯雄・濱田隼雄　郷土に生きる」』（昭和57年/1982年10月・明窓社刊）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　世の中にはきっと、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun129IK.htm&quot;&gt;伊坂幸太郎&lt;/a&gt;と仙台、ってテーマだけで俺は三日三晩語れるぞ、と豪語するツワモノがおられることでしょう。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun131KT.htm&quot;&gt;熊谷達也&lt;/a&gt;と仙台、ってテーマでも、何人かはいそうです。さらに歴史をたどりたどって、昭和10年代にはじめて東北人で直木賞をとったのも仙台の人、でもワタクシは&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun8OT.htm&quot;&gt;大池唯雄&lt;/a&gt;と仙台、ってテーマで何時間も語れるほどのネタは持っていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そこで、仙台市で出ていた同人誌『展』のお力を借りまして、今日は、生粋の仙台人・大池唯雄さんのおハナシと行きましょう。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「大池唯雄には地方に住んでいる作家という特色があった。彼の力量を評価した&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun1OJ.htm&quot;&gt;大佛次郎&lt;/a&gt;や&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun17YS.htm&quot;&gt;山本周五郎&lt;/a&gt;は再三、中央へ出るようすすめたが、土着の作家で終った。それだけに中央と地方の問題が念頭にあり、もし彼に劣等感のようなものがあったとすれば、純文学と大衆文学、中央と地方といった問題で、それが均等の相対関係でなく、その二つの落差の中に存在していたことだろう。」&lt;/span&gt;（工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　まさに。そして、逆からの視点、要は戦前の“東京文壇の大衆小説陣営”から見てみれば、大池さんの書くような、ずっぽり地方色で染まったガチガチの歴史小説を、果たして直木賞として引っ張り上げるべきかどうか、っていうなかなか難しい問題が浮き上がってくるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このヤヤこしい話を考えていくときに、おっと、ぼくらの身近に、比較するのにふさわしい対照的な作家とその現象があるじゃないですか。“伊坂幸太郎”という、恰好のネタが。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ちなみにワタクシ自身は、伊坂幸太郎さんの作品は好きで、それに対して何ら含むところはありません。念のため。今日は申し訳ないですけど、郷土の大先輩・大池唯雄さんに光を当てるために、あくまで一個の記号として、のちほど登場してもらいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さあて、そもそも、地味の上に地味を重ねたような作風の大池さんが、何ゆえ直木賞の舞台にのぼらされたのか。それは、“何でもアリ”の権化、大佛次郎さんの批評眼によります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大池さんは&lt;a href=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_2254.html&quot;&gt;以前のエントリー&lt;/a&gt;でも触れた『サンデー毎日』大衆文芸募集の入選者で、これが昭和12年/1937年第20回のことです（入選作は「おらんだ楽兵」）。ただ、実はそれより前、地元の『河北新報』夕刊に、歴史小説を発表していて、しかもその題名が「戊辰聞書秋田口の兄弟」――そう、のちに直木賞をとる「秋田口の兄弟」の原型となった作品だった、ということを、ワタクシこの『展』ではじめて知りました。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「彼が歴史小説に手を染めたのは昭和十一年八月、河北新報の夕刊に三回続きで「戊辰聞書秋田口の兄弟」を発表したのがはじまりで、それが処女作といえる。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;直木賞を受賞したのは「新青年」に発表した「秋田口の兄弟」であるが、一年半前に新聞に掲載されたものを改作した短篇である。雑誌に改めて発表するとき、原稿の長さを少しふやしたので、あとの方が丁寧に書かれている。しかし新聞にのった方が文章と構成が綿密で、処女作らしい初々しさがある。」&lt;/span&gt;（工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　昭和12年/1937年、サンデー毎日作家の仲間入りを果たして、『サンデー毎日』増刊に発表の場を与えられた大池さん、それをたまたま大佛次郎が目にします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちょうどその頃、『新青年』誌では従来の“新青年色”から脱皮するがごとく、幅広い作風の新人を紹介しようとしてか、昭和13年/1938年、著名な作家による推薦作家、というかたちの企画を催しました。その著名な作家とは、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun13KT.htm&quot;&gt;片岡鐵兵&lt;/a&gt;、大佛次郎、佐々木邦、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun1KK.htm&quot;&gt;菊池寛&lt;/a&gt;、長谷川伸、長谷川時雨です。さて大佛さん、誰を推薦するかと思えば、大池唯雄その人でした。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「大池君の作品を初めて読んだのは、去年のサンデー毎日増刊誌上であった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　その後大池君と文通の機会を得て、氏が経済学徒であり、大衆文芸を経済学的な角度から掘りさげて行こうという野心を抱いていることを知り、その野望を逞しく思い、是非恰好の舞台を見つけてあげたいものと考えていた。」&lt;/span&gt;（『新青年』昭和13年/1938年3月臨時増刊　新版大衆小説傑作集「大池君のこと」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ふうむ、大池さんに「大衆文芸を経済学的な角度から掘りさげて行こうという野心」があったとは、はじめて知りましたが、大佛さんのおかげで「三奇人の邂逅」なる作によって、『新青年』に初登場。それから一年も経たないうちにバババっと「秋田口の兄弟」「兜首」「吉原堤の仇討」と発表していきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　で、いっぽうの直木賞のほうですが、こちらは&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list001&quot;&gt;第1回&lt;/a&gt;以来、「大衆文学の世界では、ある程度、作品を発表してからでないと、賞に値するかどうか決めるのは難しい」みたいな変な空気が選考委員たちの共通認識みたいになっていて、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun1KM.htm&quot;&gt;川口松太郎&lt;/a&gt;も&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun3KC.htm&quot;&gt;海音寺潮五郎&lt;/a&gt;も&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun4KT.htm&quot;&gt;木々高太郎&lt;/a&gt;も&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun6IM.htm&quot;&gt;井伏鱒二&lt;/a&gt;も、受賞当時はすでにある程度の“有名人”だったんですが（&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list002&quot;&gt;第2回&lt;/a&gt;の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun2WU.htm&quot;&gt;鷲尾雨工&lt;/a&gt;のみ例外）、この方向性には、直木賞自身、なにかモヤモヤしたものから抜け切れない感じがありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一緒にやっている芥川賞は、毎度毎度、文壇内でも評判に上がって、ああだこうだと議論が巻き起こるのに、それに比べて直木賞は、どうにも冴えない雰囲気だったわけです。もちろん、その主なる原因は、“大衆小説”に対する差別意識にあったとはいえ、それを打破しようと始めたはずの直木賞が、ちっとも“文壇的な話題”に近づけないのは、どうにも歯がゆいぞ。と、そんな状況になっていたんじゃないかとワタクシは見ます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　かなりの“新人”“新風”だった&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list007&quot;&gt;第7回&lt;/a&gt;（昭和13年/1938年・上半期）の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun7TS.htm&quot;&gt;橘外男&lt;/a&gt;も、元をただせば『文藝春秋』出の人。なにしろ受賞作とした「ナリン殿下への回想」が、その年の『文藝春秋』本誌に載った作品だったんですからね。“ほおら、ぼくらが新しい人を見つけてきましたよ”と胸張って言えるまでには、ほど遠い始末です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大池唯雄の受賞（&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list008&quot;&gt;第8回&lt;/a&gt;　昭和13年/1938年・下半期）が、こんな流れのなかに起こった出来事であることは、直木賞史のなかでも重要な視点だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　あとあとになって、“せっかく受賞したのに、ばりばり商業誌に発表するわけでもなし、人気作家街道をひた走るわけでもなし、頑固に地方にとどまって歴史に忠実な地味な作品ばかり書きつづけた、そんな作家に賞を贈ったのは、はてはて、直木賞にとっては失敗だったんだな”なぞと言われても、確かにそんな面はありますが、それは直木賞のわがままってもんです。大池さんに何の罪も責任もありません。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「昭和十四年二月、彼は周知のとおり、直木賞を受けた。三十歳の若さであった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　賞が内定した時、まだその資格はない。とかたくなに拒みつづけ、ついに辞退の電報をうっている。」&lt;/span&gt;（菊地庄一「一本のシャンペン」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　そうですよ、一度は辞退（おそらく固辞）までした人に、強引に賞を押しつけたのは直木賞の勝手であって、それでのちのちの、その人の歩みをとやかく言うのはお門違いでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大池さんの固辞の姿勢を、“謙虚”とかから一歩すすめて、こんなふうに見る方もいます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「「史談　セント・ヘレナの日本人」のあとがきに「&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;その当時病床にあった私は、ただむやみにはずかしいばかりで、出版を申し出られたかたもあったが、おことわりした次第であった。私にはとうてい印刷する価値があるものとは思われなかった」とある。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;この辺りを宮崎泰二郎氏は「芸術家特有のはにかみからだとか、謙虚さといえばよいが自信のなさからか、などと推察する読者がいたら、彼の心意は永久に『シヤイ』の悲喜劇に終ることになる。ブリーダーである彼のいっていることは、菊池寛ならびにジャーナリズムの軽薄さに対する心底からの文学者的抗議であったのだ」（「大池唯雄追悼詞華」昭和四十五年十一月刊）と解説している。」&lt;/span&gt;（牛島富美二「戦乱の系譜―「兜首」「秋田口の兄弟」を読む―」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　さあ、きましたよ、刺激的なキーワードが。「ジャーナリズムの軽薄さ」……まさに、大池唯雄という存在は、それとは対極にあったんだろうな、と思います。あなたは、大池さんの作品、読んだことがありますか？　その作品を手軽に読める環境にない現実そのものからも、すでにその対極さがわかりますけど、なんとか努力して探し出してきて読んでみれば、大池作品のもつ学究的な重厚さが、身にしみてわかることでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ワタクシは重厚さも好きです。しかしながら、軽薄さも好きです（直木賞に関心を持っていることからおわかりのとおり）。そもそも、大衆向けの小説から「ジャーナリズムの軽薄さ」をまったく剥ぎ取り、なお大衆向けでありつづけることは、相当厳しいです。ほとんど無謀な要求です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　たとえば、伊坂幸太郎と、大池唯雄を読み比べて、どちらも面白く読める作品なんですが、じゃあ、本屋さんにつとめる若いニイちゃんネエちゃんたちが、こぞって大池唯雄をすすめるかというと、そんな異様な状況、想像もできません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　で、大池唯雄さんを「ジャーナリズムの軽薄さ」と対置して見ざるをえない痛々しさを感じるのと同じように、伊坂幸太郎さんのほうにも、「ジャーナリズムの軽薄さ」を組み込んで見ざるをえない痛々しさが、伴っています。ええと、要はですね、実際に多くの読者に支持されて本が売れているだけで十分報いられているのに、そこから先、何々賞をとった、何々賞がとれない、などと煽ってまでもさらに売り上げを伸ばしたいぜ、もっと売れろ売れろ、と絶叫する経済市場の姿が、見ていて何とも痛々しくないですか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　○&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今回の『展　第三号』は、拙サイトをご覧いただいて知り合った方から、「こんな本もあるんですよ」と教えていただき、ぜひ手元に置いておきたく譲っていただいたものです。ありがとうございました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>関連の書籍</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-04-13T19:52:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_9b0e.html">
<title>小説家</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_9b0e.html</link>
<description>　生活のために、あるときから大衆向け小説へ大きく舵を切った人……とはいえ中村武羅夫とか加藤武雄みたいに、“芸術性文学”への未練タラタラみたいなものが、まったくないところが、サッパリしていて気持ちいいなあ。 『小説家』勝目梓（平成18年/2006年10月・講談社刊） 　“自伝的小説”なんだそうで、どこまで事実を写したものかは不明です。でも、芥川賞も直木賞も出てきます。スルーするわけにはいきますまい。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　生活のために、あるときから大衆向け小説へ大きく舵を切った人……とはいえ中村武羅夫とか加藤武雄みたいに、“芸術性文学”への未練タラタラみたいなものが、まったくないところが、サッパリしていて気持ちいいなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080406w170&quot; alt=&quot;080406w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/06/080406w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt; &lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062136252?ie=UTF8&amp;amp;tag=allofnaokisan-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4062136252&quot;&gt;『小説家』勝目梓&lt;/a&gt;（平成18年/2006年10月・講談社刊）&lt;/strong&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=allofnaokisan-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4062136252&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　“自伝的小説”なんだそうで、どこまで事実を写したものかは不明です。でも、芥川賞も直木賞も出てきます。スルーするわけにはいきますまい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun61KA.htm&quot;&gt;勝目梓&lt;/a&gt;さんは、昭和50年代後半から始まった怒濤のバイオレンスの洪水とは、ほとんど関係のない昭和40年代前半に、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/ichiran41-60.htm#list058&quot;&gt;第58回&lt;/a&gt;（昭和42年/1967年・下半期）芥川賞、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran61-80.htm#list061&quot;&gt;第61回&lt;/a&gt;（昭和44年/1969年・上半期）直木賞で、こっそりと候補になっています。このころを本書では、こんなふうに総括しています。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「彼の三十二歳から四十代後半あたりまでの、およそ十五年間の人生の軌跡は、迷妄の波に翻弄されて漂流する難破船さながらの有様を示している。年代でいえば昭和三十九年（一九六四年）から、昭和五十四年（一九七九年）までの時期である。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　三十二歳ではじめられた彼の文学修業は、その後の五年間のうちに芥川賞や直木賞の候補にあがるなどして、一応は順調に成果を見せてはいた。しかし彼の内心には、自分の文学活動の前途に対する不安がすでに芽生えていた。それは、書くに価するだけの文学的な意味のあるテーマが、自分の中にはないのではないか、といった疑問が根ざした不安だった。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　直木賞候補になった「花を掲げて」は、純文芸誌『文學界』に載ったものです。これはやはり、その1年半前に『文藝首都』掲載の「マイ・カアニヴァル」が、ひょっこり芥川賞候補に挙げられたことの延長線上、つけたしみたいな出来事と見てよさそうです。きっと当時のご本人は、自分が芥川賞よりも直木賞向きであるとは、自覚されていなかったでしょう。しかしそのときすでに、文春の中には、この人は大衆向けの作家になり得る、ととらえた編集者がいたわけで、今思うと、ふうむ、なかなか鋭い候補選出だったんですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　昭和40年代～50年代の（株）文藝春秋編集陣の批評眼が、キラリと光っているなあと思わされるのは、こういう候補に出くわしたときだったりします。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　さて、その頃の“彼”にとっての、文学上で最も大きな存在として二人の作家が登場します。ひとりが『文藝首都』同人仲間の中上健次、もうひとりが同人誌『茫』の合評会で出会った森敦です。へえ、芥川賞の最年長受賞タイトルホルダー、森敦さんは、ほんといろんな作家に影響を及ぼしているんですねえ。たとえば直木賞畑でいえば、なんといっても&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun58MT.htm&quot;&gt;三好徹&lt;/a&gt;。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「直木賞を受けている三好徹も、無名時代の森敦に出会って、その独得の文学理論に大きな影響を受けた一人である。彼はその話を当事者の双方から直接聞いている。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　三好さんの&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran41-60.htm#list058&quot;&gt;第58回&lt;/a&gt;（昭和42年/1967年・下半期）直木賞受賞作「聖少女」は、原稿の段階ですでに森敦さんに批評を請うていたそうですし、さらに、この題名は森さんのアドバイスによるものなんだとか。っていうのは、以前メディアファクトリーの直木賞アンソロジー『消えた受賞作　男たちの足音編』にも書かせてもらったネタです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　本書『小説家』と、直木賞との奇妙な関わりは、それだけじゃありません。直木賞が顔を出すのは、主人公の“彼”と結婚して子供を生み、小説を書くようになって、離婚したＣ女と、“彼”との、出会いの場にまで及んでいます。そこで仲介役を果たすのは、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun61SA.htm&quot;&gt;佐藤愛子&lt;/a&gt;の直木賞受賞作（のうちの表題作）「戦いすんで日が暮れて」です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「失職した彼は、その後しばらくしてから、企業の社員教育用の教材として使われる、スライドの台本を書く仕事に就いた。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;そのころすでに特異な作風の作家として知られていた田畑麦彦も、そのような教育スライドの制作と販売に当たる会社を経営していた。田畑麦彦も同人誌の『文藝首都』の同人ＯＢであり、その会社には同じ『文藝首都』同人であったＭも、役員の一人として身を置いていた。また、当時は田畑麦彦は、作家の佐藤愛子と結婚していた。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「「戦いすんで日が暮れて」の中には、前述の田畑麦彦が経営していた会社の役員であったＭも、モデルの一人として登場している。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;Ｍは田畑麦彦の会社の倒産後（あるいはその前だったのか、彼の記憶は曖昧になっている）に、独立して同種の教育スライド制作販売会社を起こした。そうして、そのときたまたま失業中だった彼にＭが声をかけてくれて、教育スライドの台本書きの仕事を勧めてくれたのだった。思えばいずれも『文藝首都』を軸にした奇縁というべきいきさつだった。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　で、そのＭが、新しく女性社員を採用することにしたとき、“彼”も面接官の一人になるよう依頼されるのですが、そこで応募してきたＣ女と出会うことになるのでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちなみに、「戦いすんで日が暮れて」に出てくるという、Ｍをモデルとした人物は、引用するのも憚られるくらい、まあ、相当な悪役みたいな書かれ方をされています。と言いつつ引用しちゃいますと、こんな感じです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「森口はもと夫の会社の営業部長だった。営業部の社員の怨嗟の声がたえず上り、部長がいる限り、我々は全員、社をやめるという決議が夫のもとに来たことが何度かあった。それを夫がどうにも出来ないでいるうちに、森口は会社をやめて自分で下請けの仕事をはじめた。夫は森口と取引きをした。そして森口は夫の会社の大口債権者となったのだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「たった二年の間に二億三千万もの負債が生じるとは、常識では考えられませんな。これは背任横領の疑いがあります。私は彼を告訴することを提案します」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　森口は債権者会議でそういう発言をしたというのだ。そのことを私は何人かの債権者から聞いた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「そうでしょう、そうでしょう。そういう男ですよ、あの男は……」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　私は又もや勝ちほこって夫にいった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「だからあたしがいったでしょう。あの顔はエゴイストの顔ですよ。耳の後から声出してペラペラしゃべるあのクツベラみたいな顔には酷薄の看板がぶら下がっているわ……」」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　そりゃあね、「戦いすんで日が暮れて」は『小説家』と同様、いやそれ以上に小説なのであって、かなり虚構で味付けされているものと思います。とはいえ、『文藝首都』同人から生まれたカップル（田畑＆佐藤）や、それを通じて知り合った仲間たちを巻き込んだ企業運営とその破産、といったことがあったのは事実でしょう。長い歴史のなかで『文藝首都』誌からは、直接、直木賞作品に選ばれるものはなかったけれど、『文藝首都』余波から、こんな爆弾を積んだ直木賞受賞作がポーンと飛び出しちゃったのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ああ、創設者の保高徳蔵さんよ、その妻みさ子さんよ、『文藝首都』誌が直木賞に果たした貢献度も、そうそう低いものではなかったのですよ。まあ、あんまり喜ぶべき展開じゃなかったかもしれませんけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そしてまた、これも推測ですけど、まさか『文藝首都』から勝目梓さんみたいな作風で流行作家に躍り出るような人が誕生するとは、保高さん夫妻は想定していなかっただろうなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　個人的に言いますと、ワタクシも勝目作品にはほとんど馴染みがありません。けど、本書にも登場する『獣たちの熱い眠り』、これは仕事の注文が殺到するきっかけとなった作品だそうですけど、これは遠い昔、読んだことがあります。あのストーリーテリングぶりに、すっかり幻惑された記憶があるなあ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　直木賞は、お高くとまっているから、絶対に採り上げようとしないだろうけど、もし機会があれば勝目さんの作品にも、何かの賞が贈られてもいいんじゃないかなあ。本書『小説家』は、吉川英治文学賞で候補にまではなったみたいですけど、そうじゃなくて、やっぱりバイオレンス系のやつ、どれか。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「彼の書くものが読者の人気を呼びはじめたころには、官能作家とか、バイオレンス作家などのレッテルが定着すると小説家としては一段下に見られるから、別の境地も開拓したらどうかとか、また、作家としての存在を大きなものにしていくために、新人賞の上位に格付けされている文学賞を狙う作品を書いたほうがよい、というような温い助言と励ましを親身になって彼に与えてくれる編集者たちもいた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　だが、彼の心の底に棲みついている謂れの定かでない拗ね者が、官能作家、バイオレンス作家が一段下に見られるのなら、あえて下に見られてやろうじゃないかとうそぶいて、折角の助言を受け入れようとはしないのだった。小説の世界の“下住人”でいるほうが、自分は性に合っている、と彼は思うのだ。小説家としての自分を大きな存在にしたいといった切実な志や欲望は、彼の中にはほとんど見当たらなかった。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　下かどうかは、ワタクシには疑問です。でも、少なくとも直木賞ってやつは、一段下、二段下、といったそういった序列の意識を確固として維持し、下のものをズバズバ切り捨てていく、という志向をもった賞だからなあ。バイオレンス小説、大いに結構。この方の小説に、ぜひ何か賞を差し上げてください。&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-04-06T21:58:46+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_6863.html">
<title>思い出の時代作家たち</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_6863.html</link>
<description>　この本は、タイトルでかなり損をしています。いや、少なくともワタクシは損をした気分になりました。だって、この題名なら、枯れ果てた“過去の人”が、関わりのあった時代作家のことを淡々と回想する本、だと誰でも思うじゃないですか。違います。第1回～第32回ごろの直木賞のことと、受賞作家・候補作家・選考委員のことについて語られる、堂々たる直木賞裏面史です。ああ、もっと早く読めばよかった。 『思い出の時代作家...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　この本は、タイトルでかなり損をしています。いや、少なくともワタクシは損をした気分になりました。だって、この題名なら、枯れ果てた“過去の人”が、関わりのあった時代作家のことを淡々と回想する本、だと誰でも思うじゃないですか。違います。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list001&quot;&gt;第1回&lt;/a&gt;～&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list032&quot;&gt;第32回&lt;/a&gt;ごろの直木賞のことと、受賞作家・候補作家・選考委員のことについて語られる、堂々たる直木賞裏面史です。ああ、もっと早く読めばよかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080330w170&quot; alt=&quot;080330w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/03/29/080330w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt; &lt;strong&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163500200?ie=UTF8&amp;amp;tag=allofnaokisan-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=4163500200&quot;&gt;『思い出の時代作家たち』村上元三&lt;/a&gt;（平成7年/1995年3月・文藝春秋刊）&lt;/strong&gt;&lt;img height=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=allofnaokisan-22&amp;amp;l=as2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4163500200&quot; width=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;BORDER-RIGHT: medium none; BORDER-TOP: medium none; MARGIN: 0px; BORDER-LEFT: medium none; BORDER-BOTTOM: medium none&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　初出は『オール讀物』連載。ってことで直木賞のことを悪しざまに描いているような記述はありません。でも、発表当時すでに80歳を過ぎていた重鎮の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun12MG.htm&quot;&gt;村上元三&lt;/a&gt;さん、いさめる人もなく、語り口に遠慮がありません。え、そんなこと書いちゃってだいじょうぶ？　といった記述に出くわすことしばしば。真っ裸になった正直なお年寄りってのは、いやあ、怖い。そして面白く、頼もしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　たとえば、直木賞じゃなくて、芥川賞の関連作家を追っている人なんかも、もしかしてワクワクして読めるんじゃないでしょうか。こんな記述なんか、とくに。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;（引用者注：戦時中、海軍報道班員だった）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;わたしといっしょに南方へ行っていた作家は、帰還してから、わたしのところへ金を借りにきた。生易しい金額ではないし、その作家はいわゆる純文学の畑の農民作家だが、戦地で生死を共にした仲だけに、返してくれとは言わずに金を渡した。それきりどちらも無沙汰で過ぎたが、ある日、新聞を見て、びっくりした。その作家が、北朝鮮の板門店から韓国についての所感を書いている。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;つい数ヶ月前までわたしといっしょに日本の海軍の世話になり、いろいろ海軍のことを賞めていたのに、北朝鮮へ渡って向うのことを賞めるとは、変り身の早いこと、驚き入った。こういう例は、ほかにもあるかも知らないが、文学をやっている人の例では知らない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　評論家の中島健蔵にその話をしたら、呆れ返ったように言った。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「知らなかったのか、あの男は文壇での嫌われ者でね、好きな奴はだれもいなかったろうな。そういう作家を嘱託にするとは、わが国の海軍もずぼらだったんだね。」」&lt;/span&gt;（「安保騒動」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　“好きな奴はだれもいなかったろう”などと大胆に切り捨てられたその作家、実名を隠して書いているのは、武士の情けですか。と思いきや村上さん、それより前の「海軍爆撃機」の項では、報道班員の同行作家の一人を、こんなふうに紹介しています。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「羽田から新顔が一人、加わってきた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　農民文学をやっている間宮茂輔という作家で、わたしたちとは初対面だが、ひどく無表情な人で、」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　章を超えて、実名と匿名とを使い分ける名誉毀損スレスレの術。これって村上さんの計算ですか、はたまた天然ですか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　村上翁はまだまだ語ります。時代作家にとどまらない直木賞関連作家についての、歯に衣着せぬ逸話、そして人物紹介のオンパレード。ドドッっと行ってみますか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun1MK.htm&quot;&gt;湊邦三&lt;/a&gt;――第一次から『大衆文藝』に参加。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list001&quot;&gt;第1回&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list002&quot;&gt;第2回&lt;/a&gt;直木賞候補。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「湊邦三は長谷川一門でのわれわれの先輩だが、どうも何かというと、こう言って自慢をする癖があった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「ぼくが『花骨牌』を書いたときは」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　しかし、もう時代が経っているし、いまさら感服するような後輩はいなかった。」&lt;/span&gt;（「大衆文藝のこと」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ああ、センパイよ。後輩は心の隅でこんなこと思ってたんですぜ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun28HM.htm&quot;&gt;北条誠&lt;/a&gt;――戦前、早稲田大学在学中から同人誌で注目され、戦後は劇作、ラジオドラマ脚本などでも活躍した人。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list028&quot;&gt;第28回&lt;/a&gt;直木賞候補。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;（引用者注：戦後、数々の雑誌が誕生して）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;作家も忙しくなったが、筆の早い、原稿をすぐ渡す作家が重宝され、北条誠のような売れっ子は、書いたものは次々と活字になって世に出た。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　北条誠については、伝説的な話が残っている。雑誌の原稿が間に合わない作家がいると、編集者は北条のところへ飛んで行った。今日の何時までに、三十枚ほどの原稿を入れないと穴があく、と泣きつかれると、北条から今日の何時までに原稿を取りに来い、そのあいだ、近くで映画でも観て時間をつぶせ、と言われて、その日の約束の時間になると、北条誠のところへ駈け戻る。北条家では、ちゃんと三十枚の原稿が出来ている。」&lt;/span&gt;（「大池唯雄と北条誠」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun12TI.htm&quot;&gt;玉川一郎&lt;/a&gt;――博文館の宣伝担当でありながら、長谷川門下、『文学建設』同人など、多くのグループに参加。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list012&quot;&gt;第12回&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list023&quot;&gt;第23回&lt;/a&gt;直木賞候補。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「あとになってわかったのだが、昭和二十年代の直木賞の候補の中に、玉川一郎の名がずいぶん数多く見られる。二度や三度ではなく、候補になった数から言えば、西の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun12HK.htm&quot;&gt;長谷川幸延&lt;/a&gt;と双璧と言えるだろう。どちらも礫々会の会員であり、新鷹会にも加わっていた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「どうせおれのはユーモア小説だから、直木賞には軽すぎるんだよ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　ひがみっぽい言いかたではなく、からりとした口調で言って、玉川一郎は笑った。」&lt;/span&gt;（「書き直し賞」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun1KOM.htm&quot;&gt;小島政二郎&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list001&quot;&gt;第1回&lt;/a&gt;創設からの、直木賞と芥川賞両方の選考委員。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「直木賞選考委員の中でも、小島政二郎氏のように、さかんに長谷川幸延を推す人もいたという。だが、わたしたちがそんなことを知るよしもない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　東京と関西の違いはあっても、長谷川幸延はいかにも小島さん好みの作家であったように思う。小島さんは、人の好き嫌いの度が強すぎる人だったが、これは、といったんねらいを定めると、人の反対を押し切っても強情にその作家を推した。」&lt;/span&gt;（「書き直し賞」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　“人の好き嫌いの度が強すぎる”って表現が、ミソでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun32TY.htm&quot;&gt;戸川幸夫&lt;/a&gt;――戦前から毎日新聞社員。そのころから南方従軍の村上と知り合い、戦後、村上の紹介で新鷹会に参加。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list032&quot;&gt;第32回&lt;/a&gt;直木賞受賞。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「新鷹会へ入って会員と認められた新人は、先ず会の席上で自作を朗読する義務があった。朗読といっても、なにも節をつけて朗々と読む必要はないが、正面には長谷川伸先生がきちんと膝も崩さずに坐っている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　そういう雰囲気の中で、戸川幸夫が初めて読んだ小説が、自作の「高安犬物語」であった。山形県の一地方にしか住んでいない、絶滅に近くなった高安犬と、飼主の話を書いた小説で、戸川は少しもあがらず、堂々と朗読をした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　終ってから、座にいた会員たちは期せずして、一せいに拍手をした。会員の作品に拍手を送るなど、めったにあることではない。」&lt;/span&gt;（「戸川幸夫と高安犬」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun1KM.htm&quot;&gt;川口松太郎&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list001&quot;&gt;第1回&lt;/a&gt;直木賞受賞。妻は女優の三益愛子。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「時として、文士劇の楽屋で夫婦喧嘩が起きそうになることもある。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　「三人吉三」大川端の場で、幕のあく前、われわれは三階の大部屋へ入れられて、出を待っていた。そこへ、真白に塗った町娘のなりで、お嬢吉三に扮した川口松太郎があがってきた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　ご亭主を見るなり、三益愛子さんが、けたたましい声を立てた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「あら、パパの顔、エテ公みたい」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　楽屋中は、静まり返った。」&lt;/span&gt;（「吉屋さんのこと」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　川口さんのお写真をかたわらに、この文章を読むと、さらに爆笑必至です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun26SR.htm&quot;&gt;柴田錬三郎&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list026&quot;&gt;第26回&lt;/a&gt;直木賞受賞。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;（引用者注：文士劇で、柴田錬三郎は）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;わたしの相手役は二度やってくれた。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;二度目は、「荒神山」で、柴錬は敵方の用心棒になり、わたしと立廻りを演じた。そのとき眠狂四郎の編み出した円月殺法を舞台で見せるのか、と思ったが、照れたのかどうか、その気配もない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「円月殺法をどうして見せないんだ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　と訊くと、柴錬はあの苦虫を噛みつぶしたような笑いを浮べた。当人は笑ったつもりだろうが、どうもそうは見えない。こちらもあの笑顔には慣れている。そういえば、柴錬が声を出して笑ったのを見たことがない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　家庭でも、笑声を立てたことはないのではなかろうか。しかしあの笑顔には、柴錬にしかない魅力があったのだと思う。」&lt;/span&gt;（「二人の作家」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　柴田さんのお写真をかたわらに、この文章を読むと、さらに微苦笑必至です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun23KH.htm&quot;&gt;今日出海&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list023&quot;&gt;第23回&lt;/a&gt;直木賞受賞。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;（引用者注：文士劇の稽古のとき）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「先代萩」床下の場で、洋服の上から長袴をはいた今日出海が、鳴物の太鼓につれて、ゆっくり歩き出した。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;稽古机を前に坐った猿之助が、今さんに何か言った。歩き方についての心得だったのだろう。訊き返したとき仁木弾正の口から、巻物ごと何か白いものが畳へ落ちた。いそいで弾正は、それを拾って口へ押し込んだ。今さんの入れ歯であった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　初日に「先代萩」の幕があくと、仁木弾正がまだ舞台に姿も見せていないのに、大向うから声がかかった。「入れ歯やあっ」」&lt;/span&gt;（「最後の文士劇」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun37AS.htm&quot;&gt;有吉佐和子&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list037&quot;&gt;第37回&lt;/a&gt;直木賞候補。昭和59年/1984年、亡くなる2か月前に出演した『笑っていいとも！』での言動は、もはや語り草。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「&lt;/span&gt;（引用者注：文士劇の）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「修善寺」では、姉娘のかつらは女学生時代からこの役は得意だ、と称する有吉佐和子が扮して、なるほど動きもせりふも鮮やかであった。それはいいが、ひとりではしゃいで、はた迷惑なところがあった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　これは有吉佐和子最後の舞台になった昭和五十二年の「ヴェニスの商人」のときには頂点に達して、いささか奇矯と思われる振舞があった。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;見かねたわたしの女房が、楽屋でたしなめた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「有吉さん、あなた、少しおかしいわよ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　それへ有吉君は、平気で答えた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「ええ、あたし、どうもおかしいのよ」」&lt;/span&gt;（「最後の文士劇」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun16KT.htm&quot;&gt;神崎武雄&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list016&quot;&gt;第16回&lt;/a&gt;直木賞受賞。南方従軍中に帰らぬ人に。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「昭和十七年下半期の「寛容」で受賞した神崎武雄も新鷹会へ入っていたが、亡父は古い新派の役者で、母は門司で芸者屋をやっていた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「女ばかりに取り囲まれて、うらやましいね」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　などと言うと、神崎はむきになった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「とんでもない、お袋がきびしいので、抱えの芸者と内緒話も出来ないのだよ」」&lt;/span&gt;（「東西両長谷川」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;○&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun26HJ.htm&quot;&gt;久生十蘭&lt;/a&gt;――&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list026&quot;&gt;第26回&lt;/a&gt;直木賞受賞。村上さんとは何のかんのと、妙なところで縁があって、海軍の報道班員でアンボンに赴任するのも、『朝日新聞』への連載小説も、村上→久生のバトンタッチでした。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「わたしと交代で&lt;/span&gt;（引用者注：海軍の報道班員として）&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;アンボンへ行くのは、久生十蘭と報道部で教えられた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　面識はあったが、まだ久生十蘭は直木賞を受ける前で、わたしが「朝日新聞」に「佐々木小次郎」を連載したあと、朝日に小説を書くことになった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　わたしは朝日の学芸部に手数をかけることもなく、十回以上は書きためていたし、連載を担当する門馬義久君に迷惑はかけなかった。あとを受け持った久生十蘭は原稿がおそい、というのは定評になっていた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　その反対の噂も耳にした。戦前でも博文館の雑誌に作品を書くとき、締切ぎりぎりになったので久生十蘭を社の応接間に閉じこめ、速記者をつけておくと、久生君は応接間の中を歩きながら、すらすらと口述をする。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　たちまち四十枚から五十枚の作品が出来あがる、というのだが、その現場を見ていたわけではない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　しかし、久生十蘭口述説は、戦前戦後を通じて編集者のあいだでは有名になっていたらしい。」&lt;/span&gt;（「久生十蘭」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　おそらく『オール讀物』編集部からのリクエストがあったのかどうか、やたら直木賞のこと、受賞作家のことが、端ばしに触れられています。その中でも、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun1KM.htm&quot;&gt;川口松太郎&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun3KC.htm&quot;&gt;海音寺潮五郎&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun8OT.htm&quot;&gt;大池唯雄&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun16KT.htm&quot;&gt;神崎武雄&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun21TT.htm&quot;&gt;富田常雄&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun24DK.htm&quot;&gt;檀一雄&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun26HJ.htm&quot;&gt;久生十蘭&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun26SR.htm&quot;&gt;柴田錬三郎&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun32TY.htm&quot;&gt;戸川幸夫&lt;/a&gt;、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun36HM.htm&quot;&gt;穂積驚&lt;/a&gt;のことにはけっこうな枚数が割かれていて、へえ、そうだったんだあと新たな発見しきり。候補作家についても、新鷹会の作家を中心にいろいろ出てきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でも、ほんとに本書で忘れちゃならないのは、新鷹会の二人の作家。村上さんが“関西弁の漫才を聴いているよう”と評している大阪人コンビ、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun11KS.htm&quot;&gt;河内仙介&lt;/a&gt;と&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun12HK.htm&quot;&gt;長谷川幸延&lt;/a&gt;についての回想なんです。そうなんですが、とくに河内仙介については、思うところあって別途いろいろ調べ中なので、どこかでまとめて取り上げたいと思います。ここでは、その一端だけチョロリと引用。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「河内仙介は、「軍事郵便」という作品で第十一回昭和十五年上半期の直木賞を受けると、とたんに仲間を見下すようになり、態度も横柄になった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　温泉場へ行って仕事をする、などと言って、みんなをうらやましがらせようとしたが、そのころは温泉場で仕事をするからと言って、うらやましがるような仲間はいない。」&lt;/span&gt;（「書き直し賞」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　最後はやっぱり、本書の著者、村上元三さんのことで締めましょう。&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran1-20.htm#list012&quot;&gt;第12回&lt;/a&gt;の直木賞受賞者。そして&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran21-40.htm#list032&quot;&gt;第32回&lt;/a&gt;～&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/ichiran/ichiran101-120.htm#list102&quot;&gt;第102回&lt;/a&gt;、35年間も直木賞選考委員を務めた方です。その選評の折りおりで、自身、推理小説やＳＦが大好きだと公言しているんですが、候補になった日本ＳＦの諸作品を、ほとんど認めることがなかった方としても知られています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな村上さんの、夢と現実のへだたり、って言うべきくだりです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「戦後、自由に物を書ける時代になって、わたしは長年の夢を果そうと考えた。若いころから、わたしは探偵小説を書くという夢を見ていた。&lt;/span&gt;（引用者中略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;　わたしは、江戸川乱歩の主宰していた雑誌に、こちらから現代物の小説を売りこんだ。どうも短篇一回で夢は果されず、勝手に二回の連載にして、なんとか結末をつけた。自分ではまあまあの出来だと思っていたが、江戸川乱歩はわたしに会うなり、いきなり言った。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #990033;&quot;&gt;「君には現代物は無理だね。捕物帳を書いているほうが無事だよ」」&lt;/span&gt;（「初舞台」より）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　乱歩さん、よう言うた。そして、「君には現代物の選考は無理だね。捕物帳の選考をしているほうが無事だよ」と言葉を変えてみると、村上さん35年の選考ぶりも、スッキリ読めたりして。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのほかにも、村上さんが駆け出しの頃、博文館の『譚海』編集長、&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun15YK.htm&quot;&gt;山手樹一郎&lt;/a&gt;に紹介してくれたのが、『サンデー毎日』出身仲間の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun13KS.htm&quot;&gt;木村荘十&lt;/a&gt;だったとか、お互いに人見知り同士の&lt;a href=&quot;http://homepage1.nifty.com/naokiaward/sengun/sengun10SH.htm&quot;&gt;佐藤春夫&lt;/a&gt;と、仙台の講演会で一緒になったことがあって、佐藤が講演の前に壇上で、聴衆を前にして、煙草をゆっくり半分ほど吸ってから、やおら講演を始めたとか、面白い話満載で、何も書名に“時代作家”と付けることなかったんじゃないか、それでどれだけの読者を失っているか、と残念でなりません。『思い出の直木賞作家たち　そしてわが師と仲間たち』とか付けといてくれたら、もうちょっと早く手にとる機会もあったのに。ああ、今まで読まずに過ごして損をした。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>関連の書籍</dc:subject>

<dc:creator>P.L.B.</dc:creator>
<dc:date>2008-03-30T21:02:45+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_2254.html">
<title>花にあらしのたとえもあるぞ　辻平一の八十年</title>
<link>http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_2254.html</link>
<description>　だいたい大衆小説をここまで発展させた真の功労者はいったい誰だい。直木賞なんぞが生まれるもっと前から、丁寧に新人を発掘して、しかもそんな作家を育て上げようと努力してた大阪毎日、『サンデー毎日』、千葉亀雄じゃないかね、ね、そうでしょ。 『花にあらしのたとえもあるぞ　辻平一の八十年』辻一郎編（昭和57年/1982年8月・辻一郎刊） 　でさあ、千葉さんの跡を継いで、『サンデー毎日』の懸賞小説の選者をやっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　だいたい大衆小説をここまで発展させた真の功労者はいったい誰だい。直木賞なんぞが生まれるもっと前から、丁寧に新人を発掘して、しかもそんな作家を育て上げようと努力してた大阪毎日、『サンデー毎日』、千葉亀雄じゃないかね、ね、そうでしょ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img title=&quot;080323w170&quot; alt=&quot;080323w170&quot; src=&quot;http://naokiaward.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/03/23/080323w170.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px&quot; /&gt; &lt;strong&gt;『花にあらしのたとえもあるぞ　辻平一の八十年』辻一郎編（昭和57年/1982年8月・辻一郎刊）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　でさあ、千葉さんの跡を継いで、『サンデー毎日』の懸賞小説の選者をやったのは木村毅だけども、実務方として働いたのは大毎（大阪毎日）社員の辻平一さんですよ。辻さんのことを、ここのブログで取り上げるのに何の不自然さがあるものですか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　『サンデー毎日』が果たした勃興期の大衆小説界への貢献は、そりゃ計り知れないものがあります。誌面を大幅に提供するにとどまらず、定期的に懸賞小説を募集して、全国の埋もれた作家の卵たちに、そうか、“大衆文芸”を書いてみようか、とその気にさせた志がエラい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　直木三十五がいなけりゃ直木賞もなかっただろう、というのと同じくらいの温度で、『サンデー毎日』がなけりゃ直木賞はつ