カテゴリー「関連の書籍」の52件の記事

2008年4月27日 (日)

直木賞事典 国文学 解釈と鑑賞 昭和52年/1977年6月臨時増刊号

 まる1年間ひたすら歩いてまいりました。これで52冊目です。ぐるり回りまわって結局、キホンに帰ってきました。直木賞の基礎資料として、いまだにナンバー1の不動の座を維持しているのが、文藝春秋の本じゃなくて、至文堂の本だっつうのも、何だか妙なハナシですが。

080427w170『直木賞事典 国文学 解釈と鑑賞 昭和52年/1977年6月臨時増刊号』(昭和52年/1977年6月・至文堂刊)

 そうです、端から端まで直木賞のことだらけ、しかもエラくまじめに、直木賞を斬ろうとして、時にうまくいき、時に失敗している内容はともかく、ええい、こんな本がそれまであっただろうか。と、当時の直木賞研究家たちが涙を流し、こぞって新宿の至文堂を訪れ、玄関の前で感謝の声をあげる光景が数か月間は見られた、という伝説が残っているほどです。おお、空前。しかしながら、かなしいかな絶後。

 文学研究の世界では、そりゃあ、純文学と大衆文学のこととか、文学賞やジャーナリズムのこととか、そんな切り口は、コツコツと積み上げられていました。しかし、“芥川賞”のハナシを抜きにして、直木賞だけを語る文学研究なんて、ふつうのアカデミック人は、やりません。見向きもしません。

 だから、『国文学 解釈と鑑賞』が昭和52年/1977年に「芥川賞事典」を出したこと、この行動はおおむね理解できます。しかしねえ、いくら兄弟賞だからって、「直木賞事典」まで出しますか、ふつう。

 そんな偉業、はたまた暴挙をやってのけた、制作担当の金内清次さん、編集代表の長谷川泉さんには、大いに賞讃の拍手を送りたいと思います。ありがとうありがとう。……ところで、ハセガワ・イズミって、どなた?

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2008年4月20日 (日)

本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語

 だれか特定の一人の作家を、一生涯追いかける、そんな情熱を自分が持てたらよかったのになあ、と思うことありませんか。ワタクシはあります。“直木賞”みたいな、ヌエそのものの、とらえどころのない研究対象を必死に追いかけている合間なんかに、ふと。

080420w170『本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語』新刊ニュース編集部・編(平成8年/1996年10月・メディアパル刊)

 62人の作家たちが、自分のデビュー作のこと、その生まれた背景やら、発表までのいきさつやらを、それぞれ3~4ページ程度の短いエッセイに書いています。収められているのは、エンタメ作家だけでなく、石坂啓さんとか、鎌田慧さん、高井有一さん、矢口高雄さん、その他幅広く顔を並べていまして、この本を通読していったいどんな感想を持てばいいのやら、迷うばかりです。

 もし一人の作家だけを執念深く追っているのだとしたら。本書のような本に、その作家が登場するだけで幸せな気分になり、たとえそれが短い文章でも、かじりつくように読めるのでしょう。しかし、こちとら、そうも参りません。

 とはいえ、作家のデビューだけに着目してみれば、また違った世界が開けてくるかも。たとえば、明治・大正・昭和・平成と時系列で分析してみたら、“昔は同人誌、今は懸賞当選”みたいな、大ざっぱすぎて、にわかに信じがたい傾向分析以上のものが、かならずや見えてくると思います。けど、今のワタクシは手をつけません。

 まあ、ここは手堅く、直木賞を軸に見ていきますか。

 本書に登場する直木賞受賞作家、候補作家は全部で21人。デビュー作(ってこの定義も、受け取る人によってマチマチですけど)が、直木賞の場で取り上げられるのって、多くはないけど、必ずしも少なくはありません。直木賞は“新人賞”と言われることもあるけど、大して“新人賞性”なんてないんだぜ、とけっこう言われます。しかしまあ、よく見てみりゃ、案外べっとりと蓋の裏のほうに、残っているもんです。

 ほら、たとえば、札幌の広告会社に勤めていた当時39歳のOL、熊谷政江さんの場合。

「中編二作をおさめた「マドンナのごとく」が発刊されたのは、一九八八年の五月十五日だった。発売元の講談社から私用にと二十冊ほどいただいた。

(引用者中略)

「これ、私の一生に一度の記念よ。トシを取ったら、この本を持って老人ホームに入居してね、で、うんとイバって自慢するの。若い頃にこうして本も出版したことがあるんだって。」」

 おそらく、熊谷さん、筆名・藤堂志津子さんの人生を変えたのは、直木賞です。

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2008年4月13日 (日)

展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」

 東北楽天ゴールデンイーグルス、祝・本拠地8連勝。まあ仮に、本拠地を西においていたとして、この球団の性格が今とちがったものになっていたかは、ちょっと疑問ですが。でも、たとえば仙台にあるというそれだけのことで強烈に支持したくなる気持ちがわいてくるのも事実です。郷土性ってやつは不思議なもんです。

080413w170 『展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」』(昭和57年/1982年10月・明窓社刊)

 世の中にはきっと、伊坂幸太郎と仙台、ってテーマだけで俺は三日三晩語れるぞ、と豪語するツワモノがおられることでしょう。熊谷達也と仙台、ってテーマでも、何人かはいそうです。さらに歴史をたどりたどって、昭和10年代にはじめて東北人で直木賞をとったのも仙台の人、でもワタクシは大池唯雄と仙台、ってテーマで何時間も語れるほどのネタは持っていません。

 そこで、仙台市で出ていた同人誌『展』のお力を借りまして、今日は、生粋の仙台人・大池唯雄さんのおハナシと行きましょう。

「大池唯雄には地方に住んでいる作家という特色があった。彼の力量を評価した大佛次郎山本周五郎は再三、中央へ出るようすすめたが、土着の作家で終った。それだけに中央と地方の問題が念頭にあり、もし彼に劣等感のようなものがあったとすれば、純文学と大衆文学、中央と地方といった問題で、それが均等の相対関係でなく、その二つの落差の中に存在していたことだろう。」(工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より)

 まさに。そして、逆からの視点、要は戦前の“東京文壇の大衆小説陣営”から見てみれば、大池さんの書くような、ずっぽり地方色で染まったガチガチの歴史小説を、果たして直木賞として引っ張り上げるべきかどうか、っていうなかなか難しい問題が浮き上がってくるわけです。

 このヤヤこしい話を考えていくときに、おっと、ぼくらの身近に、比較するのにふさわしい対照的な作家とその現象があるじゃないですか。“伊坂幸太郎”という、恰好のネタが。

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2008年4月 6日 (日)

小説家

 生活のために、あるときから大衆向け小説へ大きく舵を切った人……とはいえ中村武羅夫とか加藤武雄みたいに、“芸術性文学”への未練タラタラみたいなものが、まったくないところが、サッパリしていて気持ちいいなあ。

080406w170 『小説家』勝目梓(平成18年/2006年10月・講談社刊)

 “自伝的小説”なんだそうで、どこまで事実を写したものかは不明です。でも、芥川賞も直木賞も出てきます。スルーするわけにはいきますまい。

 勝目梓さんは、昭和50年代後半から始まった怒濤のバイオレンスの洪水とは、ほとんど関係のない昭和40年代前半に、第58回(昭和42年/1967年・下半期)芥川賞、第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞で、こっそりと候補になっています。このころを本書では、こんなふうに総括しています。

「彼の三十二歳から四十代後半あたりまでの、およそ十五年間の人生の軌跡は、迷妄の波に翻弄されて漂流する難破船さながらの有様を示している。年代でいえば昭和三十九年(一九六四年)から、昭和五十四年(一九七九年)までの時期である。

 三十二歳ではじめられた彼の文学修業は、その後の五年間のうちに芥川賞や直木賞の候補にあがるなどして、一応は順調に成果を見せてはいた。しかし彼の内心には、自分の文学活動の前途に対する不安がすでに芽生えていた。それは、書くに価するだけの文学的な意味のあるテーマが、自分の中にはないのではないか、といった疑問が根ざした不安だった。」

 直木賞候補になった「花を掲げて」は、純文芸誌『文學界』に載ったものです。これはやはり、その1年半前に『文藝首都』掲載の「マイ・カアニヴァル」が、ひょっこり芥川賞候補に挙げられたことの延長線上、つけたしみたいな出来事と見てよさそうです。きっと当時のご本人は、自分が芥川賞よりも直木賞向きであるとは、自覚されていなかったでしょう。しかしそのときすでに、文春の中には、この人は大衆向けの作家になり得る、ととらえた編集者がいたわけで、今思うと、ふうむ、なかなか鋭い候補選出だったんですね。

 昭和40年代~50年代の(株)文藝春秋編集陣の批評眼が、キラリと光っているなあと思わされるのは、こういう候補に出くわしたときだったりします。

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2008年3月30日 (日)

思い出の時代作家たち

 この本は、タイトルでかなり損をしています。いや、少なくともワタクシは損をした気分になりました。だって、この題名なら、枯れ果てた“過去の人”が、関わりのあった時代作家のことを淡々と回想する本、だと誰でも思うじゃないですか。違います。第1回第32回ごろの直木賞のことと、受賞作家・候補作家・選考委員のことについて語られる、堂々たる直木賞裏面史です。ああ、もっと早く読めばよかった。

080330w170 『思い出の時代作家たち』村上元三(平成7年/1995年3月・文藝春秋刊)

 初出は『オール讀物』連載。ってことで直木賞のことを悪しざまに描いているような記述はありません。でも、発表当時すでに80歳を過ぎていた重鎮の村上元三さん、いさめる人もなく、語り口に遠慮がありません。え、そんなこと書いちゃってだいじょうぶ? といった記述に出くわすことしばしば。真っ裸になった正直なお年寄りってのは、いやあ、怖い。そして面白く、頼もしい。

 たとえば、直木賞じゃなくて、芥川賞の関連作家を追っている人なんかも、もしかしてワクワクして読めるんじゃないでしょうか。こんな記述なんか、とくに。

(引用者注:戦時中、海軍報道班員だった)わたしといっしょに南方へ行っていた作家は、帰還してから、わたしのところへ金を借りにきた。生易しい金額ではないし、その作家はいわゆる純文学の畑の農民作家だが、戦地で生死を共にした仲だけに、返してくれとは言わずに金を渡した。それきりどちらも無沙汰で過ぎたが、ある日、新聞を見て、びっくりした。その作家が、北朝鮮の板門店から韓国についての所感を書いている。(引用者中略)つい数ヶ月前までわたしといっしょに日本の海軍の世話になり、いろいろ海軍のことを賞めていたのに、北朝鮮へ渡って向うのことを賞めるとは、変り身の早いこと、驚き入った。こういう例は、ほかにもあるかも知らないが、文学をやっている人の例では知らない。

 評論家の中島健蔵にその話をしたら、呆れ返ったように言った。

「知らなかったのか、あの男は文壇での嫌われ者でね、好きな奴はだれもいなかったろうな。そういう作家を嘱託にするとは、わが国の海軍もずぼらだったんだね。」」(「安保騒動」より)

 “好きな奴はだれもいなかったろう”などと大胆に切り捨てられたその作家、実名を隠して書いているのは、武士の情けですか。と思いきや村上さん、それより前の「海軍爆撃機」の項では、報道班員の同行作家の一人を、こんなふうに紹介しています。

「羽田から新顔が一人、加わってきた。

 農民文学をやっている間宮茂輔という作家で、わたしたちとは初対面だが、ひどく無表情な人で、」

 章を超えて、実名と匿名とを使い分ける名誉毀損スレスレの術。これって村上さんの計算ですか、はたまた天然ですか。

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2008年3月23日 (日)

花にあらしのたとえもあるぞ 辻平一の八十年

 だいたい大衆小説をここまで発展させた真の功労者はいったい誰だい。直木賞なんぞが生まれるもっと前から、丁寧に新人を発掘して、しかもそんな作家を育て上げようと努力してた大阪毎日、『サンデー毎日』、千葉亀雄じゃないかね、ね、そうでしょ。

080323w170 『花にあらしのたとえもあるぞ 辻平一の八十年』辻一郎編(昭和57年/1982年8月・辻一郎刊)

 でさあ、千葉さんの跡を継いで、『サンデー毎日』の懸賞小説の選者をやったのは木村毅だけども、実務方として働いたのは大毎(大阪毎日)社員の辻平一さんですよ。辻さんのことを、ここのブログで取り上げるのに何の不自然さがあるものですか。

 『サンデー毎日』が果たした勃興期の大衆小説界への貢献は、そりゃ計り知れないものがあります。誌面を大幅に提供するにとどまらず、定期的に懸賞小説を募集して、全国の埋もれた作家の卵たちに、そうか、“大衆文芸”を書いてみようか、とその気にさせた志がエラい。

 直木三十五がいなけりゃ直木賞もなかっただろう、というのと同じくらいの温度で、『サンデー毎日』がなけりゃ直木賞はつくられなかったんじゃないか、となかば真剣にワタクシは思っているわけです。

 早熟の異才・角田喜久雄をはじめとして、『サンデー毎日』主催の大衆文芸系の公募に入選した若き獅子たちを挙げてみますよ。木村哲二海音寺潮五郎、花田清輝、木村荘十、井上靖、村雨退二郎、北町一郎大池唯雄宇井無愁、山岡荘八、沙羅双樹大庭さち子関川周長崎謙二郎九谷桑樹稲垣一城伊藤桂一杉本苑子小田武雄新田次郎寺内大吉滝口康彦黒岩重吾南條範夫永井路子木戸織男……、もうおなかいっぱい。さらに選外佳作をもらって、のち大成した作家も挙げてたら、ベルトの穴を二個三個ぐらいゆるめなきゃなりません。

 この『サンデー毎日』の長きにわたる壮挙、大衆小説に情熱を燃やす無名の面々に、どうぞどうぞと門戸をひろげ続けた試みが、辻平一さんの力によるもの大きいことは、ほら、木村毅さんも言っているじゃないですか。

「さて、サンデー出身の諸君が千葉亀雄氏、つづいては誤って僕などの功績を説くばかりで、辻君の縁の下の力もち的功績に認識がないのは、甚だ遺憾である。

 もし辻君と云う支柱が無かったら、サンデー出身作家のまとまりも無かったろうし、あの募集も中絶されていたろう。

(引用者中略)

 とに角、辻君は熱心だ。山陰の支局長に赴任の話のあった時も、この大衆文芸募集への愛着から、それをことわって居残ったのである。」

 そこまでして、新しい大衆小説の誕生に精魂込めた辻さんは、芥川賞に比べてどうにもパッとしない船出になってしまった直木賞のことも、いろいろと記録に残しておいてくれました。

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2008年3月16日 (日)

ウエザ・リポート

 作家の書いたエッセイ集とか、お好きですか? ええと、ワタクシは日ごろ好んでエッセイを読むこと少なく、あの人の“読書日記”や、あの人の“しおり”にもまだ手を出しかねていて、『再婚生活』や『超魔球スッポぬけ!』の前すら素通りしてしまうありさまですが、お、この方のエッセイならとついつい買ってしまいました。うーん、いやはや。

080316w170 『ウエザ・リポート』宇江佐真理(平成19年/2007年12月・PHP研究所刊)

 平成9年/1997年・上半期の第117回以来、第119回第121回第123回第127回第129回の平成15年/2003年・上半期まで、6年にわたって計6度、コンスタントに直木賞候補にあがり、そのたび何のかんのと難癖つけられ、結局、東郷隆さんと並んで“平成の万年候補”の座についてしまった宇江佐真理さんの、はじめてのエッセイ集です。

 おっとっと。“ついてしまった”なんて軽々に断言してはいけないのだ諸君。彼女と同じ頃に候補で競った馳星周さんも黒川博行さんも、まだまだ直木賞の対象に入っていることが、ついこのあいだ証明されたじゃないですか。宇江佐さん驚天動地の7度目の候補だって、そりゃあり得るわな。

 収められたエッセイのうち、いちばん古いのは平成9年/1997年。というから、「幻の声」でのデビュー直後です。そうかあ、このデビュー作のタイトルと、それに続く「暁の雲」「赤い闇」って、ウィリアム・アイリッシュ=コーネル・ウールリッチの名作群の題名に由来してたのね、とかいろいろと発見をもたらしてくれる楽しい本です。函館に住み、二人の息子を育て、40歳を過ぎて雑誌の新人賞を得て、台所の片隅にワープロを据えて原稿を書き、スッピン・普段着で街のスーパーにお買い物に行く日常が、飾らず真っ正直に書いてあって、なんだか自分のお母さんがそこにいるみたい。もう親近感が沸くの沸かないのって。

 で、直木賞に対するご本人の弁をご紹介する前に、やけにリアルだなあと思わされたのが、息子さんの一言。

「彼にとっては母親が小説なんて書かなくても一向に構わないのだ。直木賞の候補になって、その発表の日の騒ぎは、彼の言葉で言えば「マジでやめてもらいたい」ということになるのだ。」(「ダーツの旅」より)

 直木賞は、おそらく大多数の人にとって心底迷惑でしかないシロモノなんだな。

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2008年3月 9日 (日)

危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判

 お行儀のいい直木賞サイトなら、きっと見て見ぬふりして通りすぎる本でも、なにしろ雑食、ゲテモノ喰い、落ちているお菓子を拾って食べては、よく叱られた人間の目から見りゃ、これも立派な“直木賞関連書籍”です。

080309w170 『危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判』斎藤道一・高崎隆治・柳田邦夫(昭和57年/1982年2月・第三文明社刊)

 月刊誌『文藝春秋』を中心として、それを発行している文藝春秋(ややこしいので、以下“文藝春秋社”と呼びます)の姿勢について、これでもかこれでもかと追及し尽くす本なんですが、要は、権力(主に国家権力)におもねり、大衆を見下し、お山の大将を気取ってエラそうなこと言っては日本人をミスリードしてきた文春よ許さじ、とかなり詳細に研究しています。

 ええと、直木賞の論述に行く前にですね、結構興味深かったのは、柳田邦夫さんが書いている「まえがき風に――」。ここに、昭和57年/1982年、というから20年以上も前の、若者が抱いていた『文藝春秋』観が紹介されています。

 柳田さんが、身近にいる若者に『文藝春秋』を読んでいるか、と聞くと、

「「いや、『文春』は、“オジン雑誌”だからさ。ボクたちとは、あんまりカンケイない感じですよ。」

 という答えが返ってくる。今のところは、これが最大公約数的な答えだと思っていい。

(引用者中略)

「でも、六〇万部も出てるっていうよ」

「だからサ、学校のセンセイとかさ、重役とか部課長とか。――要するにエリート・オジンの雑誌でしょ」」

 20年たった今、中年一歩手前のワタクシは、やっぱり疑問に思ってしまうのです。ほんと、あの活字ぎっしりで分厚い雑誌を、毎月毎月、いったい誰が必死になって読んでいるんだろうと。20年前のオジンが、初老となってそのまま部数を支えているだけなのか、それとも“オジン雑誌でしょ”とそっぽを向いていた連中が、年齢を重ねて心境に変化をきたし、ついつい読むようになったのか。創刊80年を経て今なお命脈を保っているとは、『文藝春秋』もよくよく不思議な雑誌だよなあ。

 さあさ、いまだかつて『文藝春秋』のどの号も一冊まるごと読破できたことのないワタクシなんぞは、早々と退散して、直木賞についての箇所に行きましょ。早く早く。

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2008年3月 2日 (日)

大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇

 「芸術は短く貧乏は長し」は先週の小ネタです。と思っていたら次の週に、おっと、この受賞作家にお出まし願うとは、偶然といいますか、確信犯的暴挙といいますか。

080302w170 『大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇』三田誠広・笹倉明・岳真也(平成10年/1998年5月・朝日ソノラマ刊)

 大学生の頃より30年以上、長らく友人でありつづける作家お三方が、日ごろの生活から文学についてまでを語り合う鼎談本。白眉は第一章とも言うべき「番外その1」の章、「作家生活! その悲哀と根性のすべて」(平成6年/1994年9月 吉祥寺にて収録)である、とは直木賞マニアたちの間でささやかれるもっぱらの評価です(おそらく)。

 この章のしょっぱなの小見出しが「直木賞ではメシが食えない!?」なのですから、内容は推して知るべし。

 とりあえず、第101回(平成1年/1989年・上半期)受賞の笹倉明さんの体験からいきましょう。

「卑近な例だけれど、直木賞や芥川賞をもらったというと、お金もざくざく入って左うちわだろうと世間は見る。(笑)これは本当だよ。傑作な体験談があれこれある……最近では「笹倉さん、ちょっと二千万円くらい用立ててくれないか」と言われてガク然とした。直木賞作家というと、もうざっくざっくお金が入ってくるものと世間は思ってる。最近はこっちの懐ぐあいも知らないで、やれマンション投資だ、先物取引だとうるさい電話に傷ついてます。(笑)」

 なんで、直木賞作家はイコール高額所得者の仲間入りだ、と思う人たちが、そんなにいるんでしょうね。直木賞決定の段階でのマスコミの取り上げ方が、やたら実態とのバランスを欠くぐらい異常な熱の入れようであることも、関係しているのだろうな。直木賞はエンタメ作家の世間へのお披露目イベントのひとつ、その後の活動を温かく見守ってあげようぜ、のテイストは失ってほしくないものです。

 じゃあ、まずは隗より始めよ、お前のあのサイトを閉じてみりゃいいじゃんか。だなんてキツいことをおっしゃいますか。……うーん、変人のやってる狂気の沙汰だと思って、どうか見逃してくださいまし。

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2008年2月24日 (日)

新文学史跡 富岡の家 直木三十五宅趾記念号

 逆に問いたい。今日、この方のことを取り上げずして、他にどれほど適切な選択肢があると言うのですか。

080224w170 『新文学史跡 富岡の家 直木三十五宅趾記念号』(昭和35年/1960年10月・横浜ペンクラブ刊、有隣堂発売 横浜文庫第1集)

 もちろん今日は、彼の名前のおかげで儲けさせてもらっている某出版社とか、彼の名のついた賞を授与されて仕事の幅を広げさせてもらった種々の作家たちが、彼の偉業をしのんで、盛大なイベントを開いたりしているはずです。ですのでワタクシも、インターネットの隅っこから、直木三十五さんよ、ありがとう、の意をもって本書を取り上げさせてもらいます。

 昭和9年/1934年に三十五さんが亡くなって26年目の昭和35年/1960年に、友人であり当時直木賞選考委員でもあった大佛次郎の呼びかけのもと、三十五が晩年建てた横浜市富岡の家と、彼の墓を遺跡として整備しようという計画がありました。神奈川県、横浜市、横浜商工会議所の支援をとりつけ、「直木三十五遺跡記念事業」として、次の5つを行うことにしたそうです。

 ①「直木の家」記念碑建設 ②直木三十五氏記念碑落成会 ③直木三十五氏記念講演会 ④横浜文学散歩のコースとする ⑤直木三十五氏のヨコハマ生活の資料調査

 昭和35年/1960年といえば、50年近くも昔。直木賞だって、たったの(?)43回程度しか歴史がなくて、はてさて、その頃の直木賞は関係者たちにどんなふうに見られていたのか、本書を読むとチラチラッとわかります。

「芸術は短く貧乏は長し」かれの碑銘は、あの世で直木の自嘲を呼んでいるであろう。

 それにつれても、直木賞の受賞作家は、全くこれと反対に「芸術は長く貧乏は短し」の境地をかち取っている。全く羨やましい仕儀である。」(牧野イサオ「直木と横浜スタヂオ」より)

 ふうむ。第40回を過ぎた頃で、すでに“直木賞作家は人気作家になる”といった感覚があったんだな。決してそうでない受賞作家も、何人も輩出していたのに。文壇と関わりのない人に、こう感じさせてしまうとは、よっぽど受賞作家の何人かの売れっぷりに、インパクトがあったんでしょうか。

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2008年2月17日 (日)

直木賞作家 今官一先生と私

 これほど直木賞らしくない受賞作も珍しいぞ、でおなじみの作品集『壁の花』を、思い切って復刊とか文庫化する勇気ある出版社は、きっと今はないでしょうけど、講談社文芸文庫あたりがポロッと光を当ててくれることを、ひそかに期待。

080217w170 『直木賞作家 今官一先生と私』安田保民(平成15年/2003年4月・私家版)

 純文学系のひとが直木賞をとる例はよくあることで、そのことを普通は“悩める直木賞の千鳥足”とか呼んだりするんですけど(いやいや、呼ばれていません。ワタクシが今つくったテキトーな言葉です)、『ジョン万次郎漂流記』「執行猶予」「真説石川五右衛門」「ボロ家の春秋」も、まあまあ、万民に受け入れられやすかろう、って意味ではたしかに直木賞のものでしょう。

 だけどね、今官一さんの『壁の花』を大衆文学と呼ぼうだなんて、そりゃ君、無謀すぎるぜ。

 本書の著者の安田保民さんも、冒頭でかなり地団駄ふんでいます。

「私はいまでも、今官一は芥川賞作家だと思っている。

 今官一の「旅雁の章」が、昭和十三年下半期、第八回芥川賞銓衡委員会に取り上げられていたせいもある。

 もし、宇野浩二が、二時間遅れて到着しなかったら、あるいは芥川賞の最終候補に推せんされ、受賞の可能性もあったのではないかと、私は惜しまれてならない。」

 今さんから直接の薫陶を受けた安田さんにとっては、そうですか、“惜しまれる”のですか。

 ところが、断然直木賞派のワタクシにとっては、今さんが芥川賞でなく直木賞をとったことはじつに喜ぶべき事件なのです。異色の受賞作『壁の花』に出逢えたのですから。

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2008年2月10日 (日)

終戦後文壇見聞記

 どうして大衆文学は純文学より低く見られてきたんだ、そのせいで研究資料も整っていないしなあ、と日ごろお嘆きの同志たちよ。純文学だって、それほど恵まれた時代を過ごしてきたわけじゃないらしいですよ。こと、アノ出版社のなかでは。

080210w170 『終戦後文壇見聞記』大久保房男(平成18年/2006年5月・紅書房刊)

 大久保房男さんは大学卒業後、講談社に入り、『群像』編集部に配属、以後20年間編集に従事して、『群像』に大久保ありと言われるほどの存在にあった大純文学編集者です。本書は、その大久保さんの見聞きしてきた文壇内のあれこれの様子が、ふんだんに詰まっている回想本なんですけど、なんと言っても、同じ講談社出身の萱原宏一さんや大村彦次郎さんとはまったく違う道をかいくぐってきたんだな、と随所に感じさせてくれます。

 『群像』は、『文學界』や『新潮』とは違って、直木賞とは表向きほとんど縁のない雑誌です。各誌の編集方針がどれほど違うかは、もちろんワタクシなぞが語れるテーマでもないので飛ばしますが、少なくとも、『群像』掲載の小説が直木賞候補に選ばれたのは、たったの1回。第59回(昭和43年/1968年・上半期)の佐木隆三「大将とわたし」(昭和43年/1968年4月号)だけです(ちなみに『文學界』は12回、『新潮』は6回あります)。

 まあ、直木賞から見向きもされないからと言って、『群像』にとっては痛くもかゆくもないでしょうが、よし今週は一発、大衆文学と純文学の、果てなきニラミ合いっこのおハナシでいきましょう。

 って言っても、両者が繰り広げてきた白熱の攻防の歴史をご存じない方のために、まずは『群像』が創刊されて間もない昭和26年/1951年頃の、大衆文学と純文学の関係を、この方に語っていただきましょう。拍手でお迎えください。われらが直木賞受賞作家、小山いと子さんです、どうぞ。

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2008年2月 3日 (日)

黒岩重吾の世界

 ミステリー出身者でありながら、平成の世を彩ってきた数々のミステリー系の候補作に対しては、決してよき理解者ではありませんでした。そんな意味で、この方は“直木賞路線”王道とも言える方なのです。

080203w170 『黒岩重吾の世界』尾崎秀樹(昭和55年/1980年5月・泰流社刊)

 著者の尾崎秀樹さんは、若かりし頃、司馬遼太郎永井路子寺内大吉胡桃沢耕史伊藤桂一斎藤芳樹などと一緒に、『近代説話』同人だった方ですから、同人仲間の黒岩重吾のことをボロクソけなすわけもありません。まあそんなことを念頭において読まなければいけない評論集ではあります。

 ただ、21世紀に生きる読者から見た黒岩重吾論(……ってそんなのあまり見かけないけど)も面白いけど、同じ時代をかいくぐり、同じグループのなかで思いを共有した人による黒岩重吾論も、当然大切にしなきゃいけないので、四の五の言わずに、本書を取り上げてみました。

 松本清張水上勉ご両人の、売れるようになるまでの半生は、そりゃあ苦難と忍耐の歩みです。なんのなんの、社会派推理小説御三家のあと一人、黒岩重吾だって負けず劣らず、むちゃくちゃな人生をたくましく生き抜いてこられました。未熟児としての出生にはじまり、たび重なる事故・病気で生涯に何度も生死をさまよい、青春時代に学徒出陣と敗戦を経験し、戦後は職を転々……。

 直木賞受賞後の40年以上にわたる華々しい活躍は、みなさん周知のとおり(ほんとか?)だと思うので、受賞にいたるまでの黒岩青年の苦悩の歩みを、本書から追ってみます。

「『休日の断崖』は前にも述べたように、昭和三十五年五月に浪速書房から書下ろし刊行された。その前年「青い火花」が「週刊朝日―宝石」共同懸賞募集に佳作入選したが、この入選者たちに浪速書房が中島河太郎を通じて書下ろしを依頼、はじめて長篇推理を手がけたという。黒岩重吾は「この一作が駄目だったら、小説はもう止めようと決心していた」そうだが、そのとき依頼に応じた人の中で、実際に書き上げたのは彼一人だったというから、その意気ごみが推察される。」(「第2章 人生の影の部分」より)

 そうですか、話を持ちかけられたら、何が何でも最後までやりぬく胆力が重要とのことで。ああ、反省反省。

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2008年1月27日 (日)

人間・菊池寛

 三十五さんと何らか縁のある直木賞関連作家とくれば、第一に出版社経営で揉めに揉めた挙句ケンカ別れした鷲尾雨工でしょう。第二に大阪のプラトン社で一緒に働いていた川口松太郎でしょう。第三は……そうか、この方かもなあ。

080127w170 『人間・菊池寛』佐藤碧子(平成15年/2003年9月・新風舎刊)

 いや、菊池寛のほうじゃありません。直木三十五と関わりある直木賞関連作家とは、著者の佐藤碧子さんのほうです。

 佐藤さんはその昔、戦後まもなくの頃、小磯なつ子の筆名で小説を書いていた方で、夫は元・文春社員の石井英之助さん。その英之助さんが戦後に参加した六興出版部の雑誌『小説公園』に、「雪化粧」を発表して第23回直木賞の候補になりました。

 この回は、今見るとけっこうバラエティに富んだ面白い顔ぶれの候補者が揃っていて、ワタクシの好きな回のひとつなんですけど、その小磯さん、またの名を佐藤さん、果たしてご本名は石井さんが、昭和36年/1961年に新潮社から出版したのが『人間・菊池寛』。それを40年以上たって再出版したのが本書です。

 本書の復刊ごろにはいろいろあったようで、たとえば同時期に猪瀬直樹が佐藤さんへの取材成果をふんだんに盛り込んだ『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』(『文學界』平成14年/2002年4月号~平成15年/2003年12月号連載、平成16年/2004年4月・文藝春秋刊)を出したばかりでなく、本書復刊に先立つほんの数か月前、佐藤さんの甥の矢崎泰久も『口きかん わが心の菊池寛』(平成15年/2003年4月・飛鳥新社刊)なんて本を世に問うています。

 しかも、猪瀬さんは本書『人間・菊池寛』のあとがきも書いていて、佐藤さんがこの甥の作品を、

「一から十まで、ぜ~んぶ、デタラメ!」

 と全否定した、と暴露してたりするのです。猪瀬さんもまた、

「あとがきで「事実」と書き本文扉で「フィクション」と断わる矛盾。同じ扉に「死人は口きかん」ともある。菊池寛と佐藤碧子の美しい物語に対する冒涜である。」

 と怒っています。あーあ、矢崎さんももうちょっと創作っぽく仕上げればよかったのにな、とホトホト感じるのでした。

 で、本書『人間・菊池寛』のほうですけど、ワタクシまで冒涜軍団に仲間入りするのもアレなんで、なるべく菊池親分と佐藤さんとのことには触れずにいきたいと思います。あ、それと今の時期に、この出版社の本を選んだのは単なる偶然なんですよ。念のため。

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2008年1月20日 (日)

ひどい感じ――父・井上光晴

 桜、桜と浮かれていても、季節はまだ冬まっ只中だなあ。ふと手元を見ると、まさにある年の花見の日を境に、急激に病が悪化してその3年後に亡くなった方についてのこんな本があったんだけど、どれどれ、これを書いた方は、と。

080120w170 『ひどい感じ――父・井上光晴』井上荒野(平成14年/2002年8月・講談社刊)

 ああ、ごめんなさい。このブログは「直木賞のことに触れた昔の文献」を紹介してくれるんじゃなかったのか、と失望した方、ほんとごめんなさい。ミーハーめいた書籍は今回でとりあえず打ち止めにしますので。

 “○○さんの娘”のレッテルに負けずに、と前回言っておきながら、舌ぬるぬる湿っているうちにこんな本を持ってくるワタクシも、節操のない奴です。「直木賞」の文字どころか、ご尊父が第50回(昭和38年/1963年・下半期)のときに「地の群れ」で候補になった「芥川賞」のことさえまったく出てこない本書を、わざわざ引っ張り出してきて、さあて、何を語ろうと言うのでしょう。

 ご尊父の思い出を家族の視点で描いている(こっちは養父と娘の物語じゃありませんよ、念のため)、とは言ってもやはり本書には、井上荒野さんご自身の、小説観だったり小説家観だったり、そういったものが至るところに転がっています。第138回候補作の『ベーコン』を読む前にしろ、読んだ後にしろ、本書を読めばより一層、『ベーコン』も味わい深く読めそうだぞ、と思うわけです。

「私が育った家は、食べることにかんして異常に真剣な家だった。

 父がそういう家にしたのだった。

 そうして、わが家がまがりなりにも「家庭」や「家族」でありえたのは、きっと食事によるところが大きい。」

 とか言われちゃうとなあ。“私はどんなに目の前に大金を積まれても、生涯絶対に受賞作しか読まないと決めているんです”という意思の固い人はいいけど、こういう作家の書いた食にまつわる小説集が、せっかく候補作として提示されたんですもの、読んでみたって損はなかろうよ。

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2008年1月13日 (日)

このミステリーがすごい!2008年版 2007年のミステリー&エンターテインメントベスト10

 作品ベスト1 VS 作家別得票数ベスト1 の熾烈な争い、ってタイムリーな話題の他にも、この名物年刊本と直木賞の間には、輝かしい歴史が累々と横たわっているわけです。決別宣言とか本格論争とかだけじゃなくて、まあ、いろいろな歴史が。

0801132008w170 『このミステリーがすごい!2008年版』(平成19年/2007年12月・宝島社刊)

→公式サイト 「このミステリーがすごい!」大賞

 2008年版(平成18年/2006年11月~平成19年/2007年10月に刊行された作品が対象)のランキング結果を、まだ押さえていない方のために、さらっとご紹介しときますと、国内編ベスト1が、佐々木譲『警官の血』。そして、作家別得票数集計での第1位が、『赤朽葉家の伝説』『私の男』を送り出した桜庭一樹。今週水曜日に開かれる第138回(平成19年/2007年・下半期)の直木賞選考会でも、この二人の作品が軸になるだろう、だなんて誰が言っているのか知らないけど、まあそうらしいです。

 のけ者にするのも可哀相だから、その軸のなかに、「このミス」第14位にランクインした黒川博行『悪果』も入れてあげてちょうだいよ。どうかお願い。――なぬ? 「このミス」での評価と、直木賞の結果は全然関係ない、ですと? それを早く言ってよ。でも、せっかく乗りかかった船なんだから、その全然関係ない2つを、無理やりクロスさせるってのはいかがでしょう。そうさ、9作めの“「このミス」トップ20入り&直木賞受賞”作品の誕生なるか、はてまた、「このミス」で取り上げられながら直木賞に袖にされた多くの同輩たちの仲間に、この3作が加わってしまうのか。過去のデータを振り返って、ああだこうだ考えてみたいのです。

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2008年1月 6日 (日)

文蔵 2008.1(Vol.28) 特集「「直木賞」の基礎知識」

 正直なところ、さまざま意味で相当取り上げづらい文献なんですけど、ここはやっぱり思い切りまして。なにせ、この対談は、ため息が出るほど貴重です。

080106w170 『文蔵 2008.1 Vol.28』(平成20年/2008年1月・PHP研究所/PHP文庫)

 本題に入る前に、軽く解説です。『文蔵』とは、PHP研究所が平成17年/2005年10月に創刊した文庫本スタイルの月刊誌。まあ、正式な分類とすれば“雑誌”じゃないんでしょう、書店の雑誌コーナーに行っても、なかなか見かけませんが、そんなときはどうぞ、PHP文庫の文庫棚に足を運んでみてください。

 内容は連載小説、連載エッセイがてんこもりの文芸誌。えー? PHP研究所が文芸なのー? とかついつい思いがちなんですが、最近の直木賞とはなかなか縁深い出版社だったりします。この前の直木賞、受賞作は幻冬舎の本でしたが、その作家さんを10年前、小説家としてデビューさせたのは、なにを隠そうPHP研究所なんですよね。

 ん、この前の直木賞って、いったい誰がとったんだっけ、だなんて、またまたトボけちゃって。ほら、『東洲しゃらくさし』の松井今朝子さんですよ。

 さあ、その『文蔵』の最新号の特集が、「日本一有名な文学賞の素朴な「なぜ?」に答えます 「直木賞」の基礎知識」と来ました。いつものワタクシなら、いやみやツッコミの一つや二つ、たらたらつぶやくところなんですが、まあ今日は、そういう“毒”はなるべく抜きで。どうかお察しください。

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2007年12月30日 (日)

大いなる助走 (その2)

 そして、掟破りの2週連続。先週は、かなり道を踏み外し、おそらく良識ある読書好きの方々をもヒかせてしまったかもしれないので、今年最後、まじめに地道に取り組みます。

071223w170 『大いなる助走 新装版』筒井康隆(平成17年/2005年10月・文藝春秋/文春文庫)

 本書の単行本版は、昭和54年/1979年3月15日第一刷。オビに書かれた言葉は、こんな感じです。

○オモテ筒井康隆が文壇を恐慌に陥れた今世紀最大の問題作」

○ウラ「これまでの筒井康隆は単なる〈天才〉だった。ところがこの、言語道断の傑作「大いなる助走」によって紙一重をとびこえ、とうとう〈狂人〉の域に達してしまった。文学デーモンの仕業だ。――山藤章二」

 作品のインパクトを考えると、案外おだやかなオビです。おだやか、っていうのは、つまり直木賞(もしくは直廾賞)とか落選とか選考委員殺しとか、そういう具体的キーワードを一切出さず、いかにも景気づきそうな言葉のみを並べている、って意味です。

 ご本人の回想によりますと、この本、当時8万部売れたのだとか。

 ってことで、しばらくは、その回想「「大いなる助走」騒動」(平成1年/1989年7月・中央公論社刊『ダンヌンツィオに夢中』所収)から、つまみ食いさせてもらいます。

「あのう、文藝春秋がこの作品を単行本にした時はですね、さすが文藝春秋、文壇批判の作品も堂堂本にしたといって褒める声が多く、文藝春秋は株をあげたんですよね。まあ、その裏では今は亡き某重役が自粛を命じ、部数を抑えた、などということもあったらしい。「ふつうに売ってりゃ十万部は越えてる作品だったんだけどねー。ひっひっひー」とある人に語ったことを、そのある人が教えてくれた。」

 10万部を軽く越えるはずのところ、それでも8万部。でね、その後平然と文庫化されて、もっと売れ、世紀を超え30年経とうっつう今もなお、平然と売っちゃっていることを考えると、ああ、某重役の“自粛”っていったい何だったんでしょうかねー。組織人の悲哀が、しみじみと伝わってくるなー。

 さすがの文藝春秋といえども、話題性+売上と、文壇長老への気兼ねを天秤にかけて、思い切って単行本にしたのは、英断だったことでしょう。いや、そもそも『別冊文藝春秋』で連載を始める段階でも、相当の勇気が要ったことだろうな。となれば、初出誌もチェックしなけりゃ年は越せませんよ。

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2007年12月23日 (日)

大いなる助走

 お待たせしました。直木賞の関連書を紹介するブログのくせして、筒井康隆の本を一冊も出さないとは、何様のつもりだ。しかも、この小説のことを一度も語らないとは、断じて許さん! との雨あられの非難をスルリとかわすためにも。

071223w170 『大いなる助走』筒井康隆(昭和54年/1979年3月・文藝春秋刊)

 おそらく『巨船ベラス・レトラス』の話題性をもっと煽るために、文春文庫版の『大いなる助走』が23年ぶりに新装版として再び書店にあらわれたのが、平成17年/2005年のこと。なんだかんだ言っても、本書で描かれる大作家たちのモデルとなった、アノ人やコノ人の小説が、書籍の流通から抹消されて久しいこの時期、しぶとく本書が生き残っているのは、頼もしい限りです。

 で、本書をどんな切り口から取り上げましょうか。

 たとえば、候補者の青年にぶっ殺される「直廾賞」選考委員の面々が、実際のどの作家をモデルにしているか、なんてのは、すでに発表直後の昭和54年/1979年、平石滋さんが詳細に論じているしなあ。さらに、その論稿「『大いなる助走』と直木賞の“事実部分”」が収められている『筒井康隆はこう読め』(昭和56年/1981年2月・CBS・ソニー出版刊)では、平岡正明さんが、

「落ちた、怒った、殺(ルビ:バ)ラした。これでなければ筒井ではない。」

 と筒井ファンとしての正しい読み方を規定しちゃっているしなあ。

 まあ、こちとら純正ツツイストじゃないんだから、やっぱり、直木賞専門サイトにふさわしい見方を採りたいと思うわけです。

 つまりは、これ。「「大企業の群狼」は、現実の直木賞でもやはり落選するか」。

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2007年12月16日 (日)

文壇資料 十五日会と「文学者」

 困ったときには、定番の書籍を。定番といったって、決して万民向けでないことは承知していますが、同人誌『文学者』の存在はやっぱり、直木賞に興味があるなら、ぜひ押さえておきたいところですもの。

W170 『文壇資料 十五日会と「文学者」』中村八朗(昭和56年/1981年1月・講談社刊)

 そう、何が困ったといって、今日、急にワタクシの使っているPCの外付けハードディスクがぶっ壊れてしまい、このブログのためにいろいろ準備していたファイルが、まったく取り出せなくなってしまったこと。こんなときは、基礎資料中の基礎資料で、お茶を濁させてもらおう、ってわけです。

 お茶を濁すだなんて失礼な。丹羽文雄御大ひきいる一大文学集団『文学者』は、その関わった人びとのなかから、直木賞の歴史を彩るさまざまな作家を輩出している、重要な同人誌なんですぞ。とくに、そのほとんどが、直木賞受賞者群、というより、候補者群のなかに名を刻んだ人たちですが。

 野村尚吾小田仁二郎榛葉英治瓜生卓造小泉譲峰雪栄小沼丹瀬戸内晴美津村節子武田芳一林青梧……、と本書の途中までで登場する人名を並べてみても、シブい名前がずらずらずら。

 いやいや、何といっても、これを書いた中村八朗さんその人こそ、直木賞マニアにとっては、師匠格の丹羽文雄よりもずっと、重要人物としてマークしなきゃいけない人なんです。“ほぼ受賞作家”として名高い長谷川幸延と並んで、直木賞候補回数7度、そのわりに、今手に入る作品の、なんと少ないこと。

 ハチロー君、誰かれがみんなあなたのことを忘れてしまおうとも、ワタクシだけは絶対、あなたのことを忘れやしません。きっといつか、7度の候補に挙がった8つの作品、読ませていただきます。

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2007年12月 9日 (日)

書店風雲録

 言うまでもなく、直木賞と書店とは、切っても切れない関係にあります。受賞作家やら文壇内部のおハナシはひとまずお休みして、今日は書店員の方のご高説を拝聴いたしましょう。

071209w170 『書店風雲録』田口久美子(平成19年1月・筑摩書房/ちくま文庫)

 田口さんは、昭和48年/1973年にキディランド八重洲店の書店員となり、昭和51年/1976年~平成9年/1997年まで、西武百貨店の本屋さん「リブロ」に勤め、現在でもジュンク堂池袋本店の要職に就かれている方です。

 リブロといえば、書店文化の一時代を築き上げた重要な本屋さんだそうですが、その一端すら触れていないワタクシにとっては、本書に登場する小川道明さんも今泉正光さんも中村文孝さんも、まったく存じ上げない遠い存在です。70年代~90年代の書店を取り巻く状況など、本書ではじめて教えてもらうことが多く、大変勉強になりました。

 書店そのものと直木賞の関係については、あとで触れるとして、リブロ×直木賞と掛け合わせて、はじき出される答えのうち、最も妥当なキーワードが「車谷長吉」なのだということも、本書ではじめて知りました。

「「ところで、セゾングループで一番印象的だった人物は? 堤さん以外で」「そりゃあ、車谷さんだろう」今泉に尋ねると、即座に返事があった。一九九八年の直木賞作家・車谷長吉は中川と同様に数奇な経歴を持つが、それは彼の著作を読んでいただくとして、当時は西武百貨店の社員であった。」

 堤さんとは西武百貨店のドン堤清二、またの名を辻井喬。今泉、中川とは、リブロ池袋店の店長を務めた書店員さんです。

 車谷さんが第119回(平成10年/1998年・上半期)で直木賞をとる5年前、平成5年/1993年に三島由紀夫賞を『鹽壺の匙』で受賞した後の、書店員とのバトルのエピソードは、やはり面白い。

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2007年12月 2日 (日)

翔んでる人生

 そうです、あなたこそ、直木賞受賞者のなかの直木賞受賞者。とるまでの経緯も、とってからの歩みも、最も“直木賞らしさ”を体現した人でありました。

071202w170 『翔んでる人生』胡桃沢耕史(平成3年/1991年4月・廣済堂出版刊)

 亡くなった平成6年/1994年以降、数年間は新しく文庫化された作品があったものの、21世紀に入ってからはパッタリとやみ、胡桃沢耕史の名は急速に書店の店頭から消えていっています。おお、まさしく「そんな作家名、今じゃ誰も知らないよ」とそこかしこで言われるようになった直木三十五の運命、そのまんまじゃないですか。

 直木賞がとりたいんだと、辺り憚らず日頃から公言して、3度候補になりながら落選。4度目にして、決して彼の作風をフルパワーで発揮したとはいえない、“お行儀のいい”小説で受賞するところもまた、ははは、“直木賞っぽい”ですし。

 まだ受賞する前のこと、横浜にある直木三十五の墓が豪雨で流されたとき、資金集めに奔走して立派な墓を再建した中心人物が、この人でした。さらに、その隣に自分の墓をたてるための土地を買って、「今度落ちたらね、自分の墓には“万斛のうらみを飲んでここに眠る あえて名を記さず”と墓碑銘を刻むつもりだったんですよ」と、受賞後の各週刊誌のグラビアページを飾ったのも、また有名なハナシ。

 どんなことしてでも直木賞をとりたいんだ、と強く希望している諸兄は、ぜひ胡桃沢さんの遺した数々の文章を読んでみてください。感化される部分がきっとあるはずです。

 こんな凄絶な生き方を真似したいかどうかは、別問題でしょうけど。

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2007年11月25日 (日)

町工場で、本を読む

 唯一無二、と言うとオーバーかもしれないけど、ともかくこの方が現代文学のなかで得難い存在であることは間違いないでしょう。さらに我田引水すれば、直木賞史のなかでも大変珍しい存在だったりします。

071125w170 『町工場で、本を読む』小関智弘(平成18年/2006年11月・現代書館刊)

 現役の旋盤工として51年間勤められ、その間に小説・エッセイ・ルポなど多くの著作をものにしてきた経歴が、もちろん小関智弘さんを、他に類をみない存在として輝かせているんですが、“大変珍しい存在”とワタクシが言うのには別の理由があります。

 先に芥川賞の候補になって落ちた人が、後年、直木賞の候補に挙げられるケースはたくさんあります。古くは劉寒吉小泉譲などから、木山捷平田宮虎彦小田仁二郎有吉佐和子津田信林青梧勝目梓飯尾憲士森瑤子内海隆一郎など、この他にもまだまだいます。ところが、逆のケースはほんとに少ない。松本清張津村節子、新しめのところで内田春菊などがいますが、その少ないうちの一人が、小関さんなのです。

 第78回(昭和52年/1977年・下半期)と第80回(昭和53年/1978年・下半期)で2度直木賞候補、つづいて第82回(昭和54年/1979年・下半期)と第85回(昭和56年/1981年・上半期)で2度芥川賞候補。

「わたしは最初が直木賞候補でそのあとが芥川賞候補で、四度とも落ちましたけれども、その賞の候補作品になったものを文藝春秋から『羽田浦地図』という表題で出してもらいました。」

 さらっとおっしゃってますが、“最初が直木賞候補”、コレなかなかできることじゃありませんよ。

 第80回だけが『別冊文藝春秋』掲載作で、ほか3度は『文學界』発表の小説でした。『別冊文春』に載ったものなど口が裂けても純文学と呼んでたまるかい、と粋がる芥川賞に比べて、『文學界』? それでもけっこう、読んで面白い小説ならみんなウェルカムさ、と直木賞の、なんとおおらかなこと。

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2007年11月18日 (日)

芥川賞・直木賞100回記念展

 最近だんだん何のブログかわからなくなってきたので、微妙に軌道修正。時はバブルの真っ只中、2つの財団法人が強力タッグを組んで、とある展観を景気よく開催したんですが、そのときの図録を熟読してみます。

071118100w170 『芥川賞・直木賞100回記念展』(平成1年3月・日本近代文学館・日本文学振興会刊)

 奥付によると、開催日程は次のとおり。

■仙台会場 藤崎 平成1年/1989年3月10日~22日

■大阪会場 梅田・大丸 平成1年/1989年4月5日~17日

■東京会場 新宿・伊勢丹 平成1年/1989年6月15日~26日

 表紙まわりを合わせて全100ページ、菊池寛による賞創設のいきさつから、全受賞作の初版本の書影、いくつかの肉筆原稿、作家の愛蔵品や日常生活の写真、全候補作リスト、データをまとめたコラムなどなど、何とまあ充実して、きらびやかなることよ。

 巻頭を見ると、日本近代文学館理事長の小田切進さんがこんなこと書いています。

「豊富な、多種多様な資料による本展から、二つの賞の〈魔力〉とまでいわれる魅力、その秘密をさぐっていただければ幸いです。」

 ははは。魔力、と来ましたか。芥川賞のほうは知らんけど、少なくとも直木賞に関しては、ワタクシもその魔力に人生を狂わされた一人なんでしょうな。

 なにしろ“魔”ですからね、ほんと、すんなり一筋縄ではいかんヤツなんです。直木賞ってヤツは。

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2007年11月11日 (日)

井手雅人 人とシナリオ

 今、本屋に行っても、小説の著作をまったく見つけることができない、そんな作家のことを取り上げて、何の意味があり誰の役に立つのでしょうか。自問自答を続けつつも、懲りずに今回は、この人。

071111w170 『井手雅人 人とシナリオ』シナリオ作家協会 出版委員会・編(平成3年9月・日本シナリオ作家協会刊)

→編者の公式サイト 協同組合日本シナリオ作家協会

 井手雅人の小説には、まずお目にかかることはないけども、この人が脚本を書いた映画なら、いくらでも観る機会はあります。『点と線』(昭和33年/1958年・東映)、『五瓣の椿』(昭和39年/1964年・松竹)、『証人の椅子』(昭和40年/1965年・大映)、『鬼畜』(昭和53年/1978年・松竹)といった単独脚本の他にも、黒澤明らとの共作で『赤ひげ』(昭和40年/1965年・東宝)、『影武者』(昭和55年/1980年・東宝)、『乱』(昭和60年/1985年・東宝)などなど、畏れ多いほど、名作めじろおしです。

 ってことで、本書は、直木賞マニアがこぞって買い求めるような内容じゃありません。シナリオ「点と線」「妻は告白する」「五瓣の椿」「証人の椅子」「きつね」の5本と、それぞれに山形勲、下飯坂菊馬、岩下志麻、伊藤武郎、三村晴彦の短いエッセイが付いている構成で、やっぱり井手さんの小説が読めるわけではないのです。

 そんななかで、映画オンチのワタクシでも、どうにも打ち捨てられないのが巻末の年譜。

「なお、編集に当っては、作品以外に年譜の意味を重視し、出来るだけ正確な一代記を作成した。」(下飯坂菊馬)

 と「あとがき」にあるように、32ページにわたる充実の年譜は、読み甲斐たっぷりで、故人に対する思い入れのこめられたこういう年譜を読むと、ほんと、作成した方への尊敬の念が自然と沸き上がってきますよね。

 だって、井手さんが昭和28年/1953年に直木賞候補になる前、新人シナリオライターでありながら、けっこうたくさんの大衆雑誌に小説を発表していたなんて、この年譜以外のいったい誰が教えてくれると言うのですか。列挙された作品の発表誌を見てみても、『小説サロン』『小説の華』『新文庫』『実話講談の泉』『娯楽雑誌』『サンデー毎日』『読切時代小説』……ううむ、なかなかツウ好み(ゲテモノ好み?)のラインナップだよなあ。

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2007年11月 4日 (日)

ととまじり

 若手の作家が、お年を召した選考委員に公然と楯突いたりすると、にわかに事件として扱われます。直木賞を受賞した後に、それをやらかしたのが、土佐の魂を体現する男、このお方です。

071104w170 『ととまじり』田岡典夫(昭和56年/1981年2月・平凡社刊)

 その事件に登場するのは、若手側、田岡典夫。パチパチパチ。対する先輩側、小島政二郎。パチパチパチ。と、今ではご両人ともあまり聞きなじみのない存在になってしまったので、ゴシップ好きが飛びつくようなニュースでもないでしょうが、直木賞史、はてまた大衆文芸史ではたいてい取り上げられる事件なんで、いちおうおさらいしておきます。

 小島のおじさんといえば、純文芸を志して、どうにか文壇の仲間入りをしたものの、意に沿わないながら大衆文芸の道を歩むことになり、“純文芸>大衆文芸”の構図のなかで、いつまでももがき苦しんだ人として有名ですが(言い過ぎたかな)、昭和28年/1953年、『毎日新聞』に自伝的な小説「甘肌」を連載します。そこで日頃の思いを吐露したものか、経済上の理由から大衆文芸を書くようになった主人公の作家が、ああおれも堕落してしまったな、早くこんなトコから抜け出したいな、と煩悶する様子を描いたわけです。

 それを読んでカッとなったのが田岡君。ちょっと待ちなよ、おれはあんたの推挙も受けて直木賞をもらい、今でも一生懸命大衆文芸道を歩いているんだ。そのあんたが、大衆文芸とは堕落の文学だみたいなこと書くなんて、どういうことだよ、そこら辺ちゃんと説明しろよ、と『毎日新聞』に公開質問状を載せたのでした(念のため、じっさいの田岡さんの文章は、こんなに荒っぽくありません。もっと紳士的で謙虚です)。

 しかし小島おじさん、結局黙して語らず。この対決は、まるっきり田岡さんの一方的な質問だけで終わってしまいます。

「しかし、これは私個人の問題ではない。大衆小説イコール通俗小説であるか、そうでないか、という問題である。そして、それに対する小島さんのお考え、つまり権威ある大家の御意見を承わりたいので、敢えて公開状の形をとったのである。それだから、黙殺されたということは、お情けとわかっていても残念であった。

(引用者中略)

 このとき、ただ一つの反響は、ある新聞記者が「あれは田岡の売名だと言っている人がありますよ」と、教えてくれたことであった。私はニガ笑いするよりほかはなかった。なるほど、そういう売名の手段も、あるにはある。また、作家たるものは「名を売る」ということが、ある意味において必要だとも思う。けれども、私は作品によって名を売ることには努力するが、その他の手段によって売名しようとは、ゆめにも思ったことはないのだ。」

 小島おじさんもさ、何か言えばよかったのに。

 “まあ言いたい奴には言わせておけ”と知らんぷりを決め込む態度は、なんとなしに“直木賞っぽく”もありますが、それ以外のところでも、事実、昭和40年/1965年頃までの直木賞と、小島おじさんとの関係は、似た者同士、飼い犬は飼い主に似る、と言いますか、どうもその生き筋や考え方がオーバーラップするんですよね。その意味で、小島政二郎にせまることが、昔の直木賞の実像に近づく一つの策になるとワタクシは思っています。

 ちなみに、おじさんおじさん、とワタクシは失礼な呼び方をしていますが、小島さんの年は田岡さんより14しか上回っていないのでした。勝手にご老体扱いして、ホントすみません。

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2007年10月28日 (日)

ダカーポ 平成18年/2006年7月19日号(587号)

 マガジンハウス。とお題を出されて、即座に、『蛇鏡』『肩ごしの恋人』『非道、行ずべからず』のことを思い浮かべるワタクシは、完治不能の直木賞病ですけど、結局この3人の女性作家は全員、直木賞作家になってしまったのですから、おお、おそるべしマガジンハウス。

071028w170 『ダカーポ 平成18年/2006年7月19日号(587号)』(平成18年/2006年7月・マガジンハウス刊)

 第135回(平成18年/2006年・上半期)が決定する直前、『ダカーポ』誌が4~39ページを使って大々的に特集を組みました。その名も「芥川賞、直木賞を徹底的に楽しむ」。

 最初に褒めさせてもらいます。一般の読者が知りたくても知ることのできない、話を聞きたくてもわざわざアポとって会いに行ったりしない、主催者の日本文学振興会とか、選考会場の新喜楽とか、選考委員の北方謙三さんとか、受賞作を発売している各出版社とかに取材してくれていて、貴重も貴重、マニア必読の内容になっています。すばらしい。

 “東野圭吾が受賞したのは7度目の候補じゃなくて6度目でしょ”だの、“作家人気ランキングというのがあって、宮部みゆきや東野圭吾を押さえて第1位に江國香織が選ばれているけど、アンケート回答者2,370人中、男女比が24:76って、異常なほど女性に偏ってないかい?”だの、“古川薫が初候補から受賞までにかかった年数は〈35年〉じゃないでしょ”だの、ツッコみどころが結構あるとはいえ、まあ、いずれも些末なことなので、『ダカーポ』誌がそんなクダらん間違いなど気にする必要はありません。これからも『ダカーポ』らしく、ガンガン先に突き進んでください。

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2007年10月21日 (日)

『新青年』読本全一巻―昭和グラフィティ

 現在進行形の直木賞も面白いけど、五里霧中でさまよっていた頃の、いたいけな直木賞の姿にも惹かれますよね。とくに戦前の直木賞は、調べれば調べるほど、どこから何が飛び出すかわからない魔境の感すらあります。

071021w170 『『新青年』読本全一巻―昭和グラフィティ』『新青年』研究会・編(昭和63年/1988年2月・作品社刊)

→著者の公式サイト Pub Antiqurian

 小説好きのワタクシにとって、ネット上のフリー百科事典Wikipediaは、知らないことを教えてもらったり、自分の知識の誤りに気づかされたり、大変ありがたいサイトなんですけど、「新青年(日本)」の項目を見て、あなたは思わずニンマリしてしまいませんでしたか。

 平成19年/2007年10月21日現在、『新青年』の項で主な掲載作品に挙げられているのは、たったの3つ。江戸川乱歩「探偵小説四十年」、横溝正史「八つ墓村」、うん、これは文句のつけようがないでしょう。もう一つが、なんと、立川賢「桑港けし飛ぶ」。いやあ、視界外からの思わぬ奇襲にたじろがされました。

 さて、戦前の直木賞は、選考するに当たってどんな小説を議論の俎上に乗せるのか、その点で試行錯誤の道を歩みました。そうするうちに次第に4つの雑誌に、多く候補作を求めるようになっていきます。文藝春秋社の『オール讀物』、新小説社の『大衆文藝』、大阪毎日新聞社の『サンデー毎日』、そして博文館の『新青年』です。

 大衆文学にとっての『新青年』といえば、海外探偵小説の翻訳・紹介とか、乱歩の「二銭銅貨」から始まる国産探偵小説の胎動・発展といった、探偵小説の牙城としてのとらえ方が一般的だと思うんですけど、本書の偉いのは、さらに幅広く、同誌をにぎわせた科学小説、時代小説、国際小説、冒険小説、戦争小説と、まんべんなく取り上げてくれているところです。直木賞に現れる『新青年』作品は、探偵小説なんかほとんどなく、たいていそれ以外のジャンルの作品なんですもの。はじめて同誌の作品で受賞したのは、大池唯雄の歴史小説だったわけですし。

 なにぬかす、それより前に、木々高太郎が探偵小説の「人生の阿呆」で受賞してるじゃないか、とかツッコもうとされました? さすが目ざとい。

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2007年10月14日 (日)

文壇

 うっかり2度続けて候補作家のことを取り上げてしまったので、今回は正真正銘、有名受賞作家の方にご登場願いましょう。強烈な文体をひっさげて直木賞を射止めてしまったチョイ悪(わる)ならぬバリ悪オヤジ、ふふ、表紙カバーでも酒をかっくらっているんですな。

071014w170 『文壇』野坂昭如(平成17年/2005年4月・文藝春秋/文春文庫)

 直木賞関連書としては他に比べて段違いに有名な本ですので、この場で内容をなぞる必要もないでしょう。昭和36年/1961年~昭和45年/1970年、野坂昭如さんの小説家デビュー前後の自伝(的小説?)で、そのかたわらには常に“直木賞”の存在が並走しています。

 この人の作品が芥川賞でなく直木賞をとってしまうところに、昭和42年/1967年当時の大衆文学、というか中間小説誌が抱えていた百花繚乱ぶり、はたまた混乱ぶりが表れていると思うんですけど、選考委員の面々も、とうてい大衆向きとは思えない野坂さんの読みづらい文体にヤられちゃった感がありますよね。第133回(平成17年/2005年・上半期)のとき、古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』を、「あまりにも読みづらく、読者にかなりの努力を強いる」と評したアノ人なら、「火垂るの墓」をどんなふうに読むんでしょうか。

 古川さんといえば、新潮社でやっている三島由紀夫賞は、創設当時からずっと不思議な賞ですけど、あの賞の間口の広さを見るにつけ、往年の直木賞の姿を思い出してしまうのは、そうですか、ワタクシだけですか。

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2007年10月 7日 (日)

もうなつかしい平成の年表

 もうなつかしいパスティーシュの旗手、誕生のころ。あれから20年ぐらいたつんだなあ。ワタクシも青春時代、よくこの方の本を読んだものです。

071007w170 『もうなつかしい平成の年表』清水義範(平成12年/2000年5月・講談社刊)

 すみません、私的な回想はなるべく控えます。SF界に以前から突如として出現している新しい星((c)半村良)、清水義範が本格的にその名を知られるようになったのは、たぶん『蕎麦ときしめん』(昭和61年/1986年)とか『国語入試問題必勝法』(昭和62年/1987年)のころからです。

 その当時をちょっとイジ悪く振り返ると、どっかから仕入れてきた新しめの言葉“パスティーシュ”と銘打って、『小説現代』にガンガン短篇を書かせ、早々に吉川英治文学新人賞も受賞させてしまったりして、講談社め本気こいて売り出しをはかりやがったな、なんて思うわけです。まあ、そんな穿った見方を蹴飛ばすくらいに、SF界から飛び出した奇才は、小説からエッセイ、読み物、教育論などなど、幅広いジャンルを、旺盛な執筆力でこなす人気作家になっていったのですから、手放しで拍手拍手です。

 そりゃ清水さんは、どんな事象でも自分のテリトリーにひっぱり込んで、小説みたいで読み物みたいな作品に仕上げてしまうでしょ、直木賞のことだって、パスティーシュしていてもおかしくないんだけどな。どなたか、直木賞をテーマにした清水さんの小説、ご存じでしたら教えていただけませんか。本気で探しています。

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2007年9月30日 (日)

小林久三展―社会派推理作家の軌跡―

 直木賞候補になった一人の作家がいたとします。その作家のことを直木賞史のなかに置いてみると、結構さまざまな切り口が思いつくものですが、この方もまた、きっと多方面から検証可能な人なのです。

070930w170 『小林久三展―社会派推理作家の軌跡―』(平成14年/2002年10月・古河文学館刊)

 平成14年/2002年10月19日~11月24日に茨城県古河市の古河文学館で、小林久三の特別展が開かれました。本書はその際につくられた同館の刊行物です。当時まだご本人は存命中でしたが、年譜の末尾に、

「また、犯罪研究家としても、ロス疑惑事件、オウム事件等にも精力的に取り組む。この間、心筋梗塞と二度の脳梗塞を乗り越え、現在、次作に向け英気を養っている。」

 とあり、昨年平成18年/2006年にあの世に旅立たれてしまいました。

 たとえば久三さんを直木賞史のなかで見るのであれば、こんな軸が思い浮かびます。

 いやあ、興味ぶかいテーマの数々だなあ。だけど、よおし、これでバシバシ語ってやろうじゃないか、などと無謀な宣言をする勇気は、今のワタクシにはありません。いつか準備万端整う時期がくることがあれば、ぜひとも考察してみたいよな。

 ところで小林久三って誰だっけ? だなんて、んもう、水を差さないでくださいよ。

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2007年9月23日 (日)

時代小説盛衰史

 直木賞の関連書籍を語る場ならば、この方の著作を一度も紹介しないなんて、チャンチャラおかしいぜい、との内なる声に応えまして。そして、筑摩書房よ、ありがとう、との意もチラッとこめまして。

070923w170 『時代小説盛衰史』大村彦次郎(平成17年/2005年11月・筑摩書房刊)

 講談社の元編集者にして取締役、大村彦次郎さんの業績でいえば、もちろん『文壇うたかた物語』(平成7年/1995年5月・筑摩書房刊)、『文壇栄華物語』(平成10年/1998年12月・筑摩書房刊)、『文壇挽歌物語』(平成13年/2001年5月・筑摩書房刊)は3つとも取り上げるべきだし、最新刊の『万太郎松太郎正太郎 東京生まれの文人たち』(平成19年/2007年7月・筑摩書房刊)だって見逃せないわけですけど、ここはひとつ、直木賞の成立と草創期にポイントを絞りたくて、本書を選んでみました。

 “直木三十五って誰よ、そんなに活躍した作家だったの?”とか、“なんで直木賞はバリバリの新人じゃなくて、けっこう名前の知られた人にばかり贈られるの?”とか、そんな疑問をお持ちの向きには、全523ページ、ぶ厚くて読みがいのある本書に目を通すことを、おすすめします。その疑問はきっと氷解……いや、ますます深まることになるかも。

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2007年9月16日 (日)

芥川賞の研究 芥川賞のウラオモテ

 検索サイトから「芥川賞」で探してこのページにたどりつかれた方、お疲れでしょうからゆっくりご逗留いただきたいのはやまやまなんですが、申し訳ございません。芥川賞を深くお知りになりたければ、ぜひ、よそを当たってください。ご無事で旅を続けられることをお祈りいたします。ごきげんよう。

070916w170 『芥川賞の研究 芥川賞のウラオモテ』永井龍男・佐佐木茂索・他(昭和54年/1979年8月・日本ジャーナリスト専門学院出版部刊、みき書房発売)

 え? 芥川賞じゃない、直木賞のことを知りたいんだとおっしゃる。なんとまあ、ご奇特なことで。

 本書は全305ページ、雑誌等に発表された芥川賞に関する対談、回顧談、裏話、エッセイ、研究のたぐいをぎっしりと再掲していて、たとえば直木賞と芥川賞の関係性を考えるときなどは基本文献のひとつになるんでしょうけど、まあ、そんな小難しいテーマは除けておいて、ここから直木賞にまつわることだけ掬い上げてみます。

 それでもよろしければ、さあ一緒に参りましょう。

 もう一度、お断りしておきます。「芥川賞」の情報をお求めの方々、この先をお読みになっても時間の無駄ですよ。

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2007年9月 9日 (日)

SF奇書天外

 書評ブログでもないくせに、ぴかぴかの新刊を取り上げるのは、自らの情熱のみを武器にしてただひたすらマニア道を突き進む北原尚彦さんに、心より敬意を表するため、でもあります。

070909sfw170 『SF奇書天外』北原尚彦(平成19年/2007年8月・東京創元社刊)

→著者の公式サイト 北原尚彦の書物的日常

 終戦後の1940年代後半から90年代までに日本で出版された、奇異で奇妙で奇天烈で珍奇なSFの数々が、そのあらすじや、出版の背景や、作家のことなどを含めて、次から次へと紹介されています。そもそも早川書房『SFマガジン』に連載されていたものを、増補して東京創元社から発行したかたちになっていて、“よくやったぞ東創社”と称賛されるべき本でもあります(ん?)。

 で、ワタクシお気に入りの箇所を挙げるとすると、一つには、明治生まれの作家・高垣眸が宇宙戦艦ヤマトのノヴェライズ本を出していて、

「基本的なストーリーラインはアニメとそう変わらないが、作家が明治生まれなので形容や登場人物の台詞回しがスゴイ。(引用者中略)古代進が森雪に人工呼吸するシーンなぞ「(前略)童貞の進は恋人森雪の体に跨ることは、なんとなく性交(ルビ:ラーゲ)の体位に似た気がして面映ゆく」と書いてあって、一人で腹を抱えて笑ってしまった。」(「書店にはないが新古書店にはある『少年エスパー鬼無里へとぶ』」より)

 二つには、ロバート・ムーア・ウイリアムス著、清水谷漫歩訳の『21世紀の顔』について、

「これがすさまじい。どうすさまじいのかというと、翻訳の文章が滅茶苦茶で、全く意味が取れないのである。(引用者中略)一文一文はなんとか意味が判っても、文章が連なると前後でまるで意味不明になるのだ。横田順彌氏は全部読んだけど判らないよとおっしゃるし、牧眞司氏も原書をアメリカの古書店に注文して取り寄せて原文で読んでも日本語で読むより早いよとのことだった。」(「全く意味不明の滅茶苦茶翻訳SF『21世紀の顔』」より)

 三つには、2025年にタレント出身議員が首相となったことで、タレント政権が成立するさまを書いた瀬田龍造『ポリティア・タレンティ』という書があり、実在の有名人をモデルにした奇々怪々な名前をもつ人物がいろいろと登場してきて、

「SF的背景は、JHK(NHKのこと)が民営化されてるとか、日本に大量に外国人が流入したとか、円安で一ドル二百二十円になっているとかは説明されるが、肝心のストーリーはというと、延々と内閣メンバーを決めているばかりなのだ。これを奇書と言わずして、なんと言おう。」(「有名人の人名もじりの嵐! 政治SF『ポリティア・タレンティ』」より)

 とか、他にもいくつもあるのですが、やっぱりワタクシの場合、直木賞の受賞作家や候補作家についての記述を、最もワクワクして読んだわけです。

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2007年9月 2日 (日)

快楽と救済

 よくぞこれほどパワフルで読み応えのある作品をぬけぬけと落としたものよ、と後世にまで語り継がれるはずの『血と骨』落選劇が、アノ第119回だったというのも、何かのご縁に違いありますまい。

070902w170 『快楽と救済』梁石日・高村薫(平成10年/1998年12月・日本放送出版協会刊)

 何が“アノ”なのかと言えば、第119回(平成10年/1998年・上半期)は、直木賞に車谷長吉が、芥川賞に花村萬月が選ばれたことから、二人のそれまでの文学活動などに注目して、こりゃ純文学と大衆文学の境目があいまいになった表れか、なんぞと新聞やらで書かれたアノ回なのです。

 でもまあ、だいたい、直木賞と芥川賞の動きだけをもって、大衆文学や純文学を語ろうだなんて、強烈に乱暴なハナシですがな。“境界あいまい化”説も、話半分ぐらいに聞いといたほうが身のためです。

 さて、本書はその回に直木賞候補になっていた梁石日さんと、それより5年前の第109回(平成5年/1993年・上半期)に受賞していた高村薫さんとの対談本なのですが、お二人はこんなことおっしゃっています。

高村 ついこの間の直木賞と芥川賞では、周りの皆さんは、「それらの境目がなくなってきた」と、盛んにおっしゃっています。本来、芥川賞に行くべき人が直木賞へ行かれて、もともとエンタテインメント系の人が芥川賞へ行かれた。そのことによって、差がなくなってきていると言われているんですけども、梁さんはどう思われますか。私は違うと思うんですが。

 あれは一種の術策、トリックですよ、はっきり言って。そんなことで、簡単に、その境目がなくなるわけじゃないですよ。」

 トリック――。おお、しっくりくるぞ、この表現。

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2007年8月26日 (日)

勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛

 いつもの書籍紹介とは違って、今回は、逆の目線でいきます。つまり、この本に何が書いてあるかを取り上げるのではありません。何が書かれていないかを掘り下げてみたいと思います。

070819w170 『勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛』浅田次郎(平成12年/2000年3月・講談社/講談社文庫)

 浅田次郎―直木賞―エッセイ、とからませれば、「勇気凛凛ルリの色」シリーズのなかでも、3巻目の『福音について』に注目するものと、昔から相場が決まっています。第117回(平成9年/1997年・上半期)の受賞の周辺などを知りたい向きには、同書所収「栄光について」「出陣について」「パニックについて」「天使について」の4回分が、断然、必読です。

 だけど、ちょっと待ってください。浅田さんは初候補でいきなり受賞したわけじゃないんですよね。それより1年前の第115回(平成8年/1996年・上半期)で、落選の経験をしているんだもの、週刊誌に連載されていたこのシリーズのどこかで、当然その貴重なる経験にも触れているんじゃなかろうか、と思わず読み返したくなるのが普通です(はい、あくまで、直木賞マニアの普通です)。

 と書いてきて、じつはワタクシ、ここから先に筆を進めていいものやら妙な不安を感じています。書きかたを誤ると、浅田さんご本人のみならず、講談社の方々、浅田作品(とりわけ「勇気凛凛」シリーズ)のファンの方々の、気分を害するような地雷に、うっかり足を乗っけてしまうのじゃないか、と思うので怖いのです。

 どうしても抜け切れぬ生来の性格のせいで、ふざけたような文体でしか書けないのですけど、ワタクシ、いたって真面目です。真面目に直木賞周辺の事柄を調べている、何の権力も後ろ盾もない一オタクです。そこのところ、どうかひとつ、ご理解のうえで、さあさ先にお進みください。

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2007年8月19日 (日)

想い出の作家たち―雑誌編集50年―

 前回、野原一夫さんを取り上げたので、大衆文芸畑の編集者からもどなたかお一人、いらっしゃいませんか。お、そこにおられるのは『新青年』最後の編集長、元・博文館、博友社の編集者だった高森栄次さん、ま、ま、そんなに後ろに下がってないで、どうぞ前にお出でください。

070819w170 『想い出の作家たち―雑誌編集50年―』高森栄次(昭和63年/1988年5月・博文館新社刊)

 往年の大出版社、博文館で名編集者として活躍した影の人、高森栄次さんは、明治35年/1902年石川県生まれ、昭和3年/1928年に早稲田大学英文科ご卒業ののち、博文館入社、『新少年』や『譚海』などの少年少女雑誌の編集に携わり、戦後は博友社を設立、昭和23年/1948年~昭和25年/1950年には『新青年』最後の編集長を務め、その後も長きにわたって編集者生活を送り、82歳で退陣、平成6年/1994年にこの世を去られました。

 博文館の少年少女雑誌というのは、のちの大作家たちがまだ駆け出しの頃、数多く寄稿していた原石の宝庫だったそうで、直木賞につながるお名前だけでも、山本周五郎山手樹一郎村上元三富田常雄大林清鹿島孝二梶野悳三といったお歴々。そのほかにも本書には、玉川一郎三橋一夫獅子文六久生十蘭橘外男なんていう方々の思い出話も繰り広げられていて、このくそ暑い季節に読むとなおさら、作家と編集者のあいだに結ばれた厚い絆みたいなものが、むんむん伝わってくるのです。

 逸話、逸話、またまた逸話のオンパレードなわけですが、ゆったり語られる牧歌的な大衆文芸界のおハナシに、しばし身をゆだねて暑い夏をボーッと過ごすのも、また一興。

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2007年8月12日 (日)

人間 檀一雄

 超のつくほどの有名人ですから、この方に関する評伝・評論・回顧本のたぐいもそこらじゅうに氾濫し、おそらく日本国中で専門家を名乗る人が何十人もいそうなので、怪我しない程度に、静かにご紹介します。

070812w170 『人間 檀一雄』野原一夫(昭和61年/1986年1月・新潮社刊)

 この本とて、檀一雄研究者のあいだでは主要文献のひとつなのかもしれないんですけど、あくまで直木賞の角度からちょっとだけ、檀一雄に近しい方にとっての檀一雄(なんか複雑な表現だな)を、垣間見ようって試みですから、檀一雄をまじめに研究されている方々、“おれたちの穢れなき聖域に、うすよごれた大衆文芸マニアもどきが、ずかずか入り込んでくるない”なんて怒らないでください。さっさとズラかりますので。

 さらに、ほんと素人ですみません、萱原宏一は知っていても野原一夫って誰なのか全然知らないもので、ちょっとおさらいさせてください。なになに大正11年/1922年のお生まれ、昭和18年/1943年に東京帝国大学独文科をご卒業、戦後は新潮社、角川書店、月曜書房、筑摩書房にお勤めになり、昭和53年/1978年筑摩の倒産以降はフリーとなって、平成11年/1999年に他界された名編集者でいらっしゃったと。

 それで、本書は単に、有名作家と親交の深かった元編集者が、その思い出を書きつづったなんていう軽々しいものじゃなくて、伝説と化した檀一雄の生きざまを、関係者への取材を挟みながら丹念に追っていて、どっしりと重たい作品になっているわけです。ご本人いわく、

「檀一雄の人間像を、その生誕から死に至るまでの全人生のなかで見詰めたいという思いが、私のなかでふくらんできた。そう思い直させるに十分な魅力を、たとえば幼少の日の、あるいは青春の時代の檀一雄の生き方のなかに、私はあらためて感じた。構想を変え、その結果が、このような回想を織り込んだ評伝ふうの文章となった。」

 檀一雄といえば、太宰治が第1回芥川賞に選ばれずに落ち込んでいたとき、「直木賞を貰えよ、直木賞を」となぐさめたあの友情厚き男、という逸話ぐらいしか知らない人間にとっては、うわあ、やっぱり重いかな。

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2007年8月 5日 (日)

日本ミステリー進化論 この傑作を見逃すな

 “ミステリーだと直木賞のとりにくい時代があっただなんて、いつのハナシしてんだよ、ジジくせえな”と、今から14年前ですら、すでに煙たがられていたはずの、そんな古くさい、推理小説と直木賞の関係について、です。

070805w170 『日本ミステリー進化論 この傑作を見逃すな』長谷部史親(平成5年/1993年8月・日本経済新聞社刊)

 なんでこの本が、うちの書棚にあるのか、今となっては全然思い出せないんだけど、直木賞関連書として買ったのでないことは確かです。それでも久しぶりに目に留まったので、ぱらぱら見ていたら、しっかり直木賞のことにも触れられていて、14年も前の本ですけど、この場にお出で願いました。ようこそ。

 記憶に新しいところを持ってくるとすると、推理小説と直木賞、このネタで滔々と一席ぶったのは、第134回(平成17年/2005年・下半期)で東野圭吾の授賞に反対した選考委員、渡辺淳一の、そのときの選評です。

「以前、とくに一九七〇年代ころから、推理小説の文学性について否定的な意見が強く、直木賞の候補として挙げられることもきわめて少なかった。その理由は、推理小説が謎解きに主眼をおきすぎ、その結果、人物造形が手薄になり、人間を描き、その本質に迫る姿勢が弱かったからである。」(『オール讀物』平成18年/2006年3月号「トリックか人間描写か」より)

 アノ渡辺淳一さんが推理小説の歴史を語ってくださっているだけでも貴重な文献なんですが、しかし、この論って無条件に信じちゃっていいんでしょうかね。1970年代とは、だいたい第63回(昭和45年/1970年・上半期)前後――要は渡辺淳一さんご本人が直木賞を受賞した辺りからのみ、振り返っているわけでしょう、それ以前のことはオレは知らんぜ、ということですか。うーん、ここはひとつ、もっと本気に推理小説の歴史を研究している長谷部史親さんのほうを信用させてください。

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2007年7月29日 (日)

ちょっとまった!青島だァ

 夜遅くまで働くことになる選挙管理委員会のスタッフの方々に、ワタクシなりに感謝の気持ちをあらわすためにも、今日はひとつ、参議院ネタで行ってみます。

070729w170 『ちょっとまった!青島だァ』青島幸男(平成18年/2006年12月・岩波書店/双書 時代のカルテ)

 参議院選挙の日にどうしても取り上げなければ収まりがつかない直木賞関連の人といえば、第85回(昭和56年/1981年・上半期)受賞の青島幸男、これ王道です。

 作家であり政治家でもある、とまとめれば、石原シンさんとか田中ヤスさんとかが現在ご活躍中ですけど、彼らと青島さんの歴然たる違いは、彼らは芥川賞の受賞者または候補者、いっぽう青島さんは直木賞の受賞者であること、まあそれもあります。でも、それをいえば、かつて直木賞作家の今東光野坂昭如だって議員やってたじゃないか、はい、そうなんです。

 いやいや、やっぱりいちばんの違いは、青島さん以外は、みな作家として名が売れ顔が売れ、その後に立候補して票を集めたのに対して、青島さんただひとり、議員をやっていたときに小説を書いて、それが直木賞をとっちゃった点でしょう。芥川賞は突き詰めて調査していないので知りませんが、直木賞作家161人のうち、受賞時に国会議員だったのは、青島幸男さん、あなただけです。

 テレビの放送作家(兼タレント)→参議院議員→直木賞作家→東京都知事→ハテナ、という遍歴は、もう華々しいと言おうか激動と言おうか、投げかける言葉が見つかりません。没後半年以上もたって、ナンですけど、追悼の意も込めまして、本書を読んでみます。

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2007年7月22日 (日)

文士風狂録 青山光二が語る昭和の作家たち

 祭りが終わったあとは平常運転に戻って、直木賞の関連書籍を地道にひもといていくのが、ワタクシに課せられた使命だと、ひとり敢然と胸を張って歩きつづける直木賞オタクなのでした。

070722w170 『文士風狂録 青山光二が語る昭和の作家たち』大川渉(平成17年/2005年12月・筑摩書房刊)

 本書と出会ったのは、直木賞候補作家・青山光二のことを調べているときではなくて、知られざる直木賞候補作家・吉井栄治に関心をもち、少しでもその情報をかき集めたくて右往左往しているときでした。吉井栄治については、調査の模様を親サイトで書いたので、そちらをご参照願うとして、やはり本書のことも、もっとくわしくご紹介せねばなるまいと、ずっと気にかかっていたので、ここで取り上げます。

 候補に挙げられながら受賞しなかった作家が、リアルタイムで、またはのちのちになって、直木賞のことを語った文献は、けっこう多そうで少なく、少なそうで多いのですが(どっちなんだ)、こういうものばかり探して楽しんでいる人間は、ひとの不幸な過去ばかりほじくり返しやがって、ひとでなしめ、と軽蔑されたりします。

 青山光二が候補になったのは、第35回(昭和31年/1956年・上半期)、第54回(昭和40年/1965年・下半期)、第77回(昭和52年/1977年・上半期)の3回。初候補から最終候補まで21年も経た作家は、直木賞史上いちばんではないけど、相当長い部類に入ります。

(ちなみにその上をゆく最長“飼い殺し”記録といえば、古川薫の第53回~第104回の25年半、深田祐介の第40回~第87回の23年半、滝口康彦の第38回~第81回の21年半があります)

 まあ、無粋な興味本位の第三者がだらだら紹介するよりも、ここはバシリと、老年の星、青山光二さんに語っていただきましょう。なにしろ90歳を過ぎてなお現役ばりばり、もう怖いものなんかありません。

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2007年7月15日 (日)

小説新潮 平成19年/2007年7月号〈第20回山本周五郎賞決定発表号〉

 直木三十五よりも今でははるかに名前を知られている(と思われる)山本周五郎の名を冠した賞が、“プレ直木賞”みたいに扱われるのは、冥途の周五郎さんには心外かとも思いますが、どうかひとつ、新潮社の顔に免じて許してやってくださいまし。

070715200707w170 『小説新潮』平成19年/2007年7月号(平成19年/2007年7月・新潮社刊)

 山本周五郎賞は、今年の5月15日で第20回を迎え、晴れて公の場でお酒をのめるお年頃になりました。受賞作は、恩田陸『中庭の出来事』と、森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』の2作。それから2か月たった今、あらためてそのことを蒸し返す理由はもちろん、あさって(7月17日)にせまった第137回直木賞選考会に、候補作として『夜は短し~』が挙がっているからです。さらに山周賞の選考委員、北村薫の小説『玻璃の天』も、なぜか候補になっているからです。そして、同僚選考委員、浅田次郎が直木賞の選考会には初出陣となるから、です。

 どうでもいいことですけど、山本周五郎賞って、なんか略しにくい賞名なんですよね。山本賞もしくは山周賞。どっちもピンとこないんだよなあ。賞名を決めた新潮文芸振興会お偉方、一生の不覚か。ほらな、文学賞なんておいらの嫌いなこと勝手にしやがるから、そんなことになるんだ、他のやつの名前を使えやよかったんだ、と周五郎さんが雲の上で仏頂面をしているとか、いないとか。さすが周五郎さん、おのれの筆名でも、文学賞とは相容れないところをお示しになっておられる。感服いたしました。

 で、第20回の選考会。選考委員は、浅田次郎北村薫小池真理子重松清篠田節子の5名、年齢順でいえば下は44歳の重松さんから、篠田さん(51歳)、小池さん(54歳)、浅田さん(55歳)ときて最年長は、57歳の北村さん……って、え?

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2007年7月 8日 (日)

小説現代 平成19年/2007年4月号〈第28回吉川英治文学新人賞決定発表号〉

 今週、来週は、なにせ半年に一度の特別な期間ですから、それなりの本を取り上げようと思ったんだけど、どうにも思いつかずに苦肉の策。まあ、ゆっくり“プレ直木賞”でも回顧してみませんか。

070708200704w170 『小説現代』平成19年/2007年4月号(平成19年/2007年4月・講談社刊)

 吉川英治文学新人賞は、昭和55年度/1980年度から始まった、主に新人のエンターテインメント系小説に対して贈られる文学賞です。今年3月で第28回。けっこう長く頑張って続けてくれています。主催は財団法人吉川英治国民文化振興会ですが、バックに講談社がついていて、文春の芥川賞/直木賞、新潮社の三島賞/山周賞、講談社の野間文芸新人賞/吉川英治文学新人賞のラインは、外から見ている方も、そしておそらくやっている方も、それぞれを意識して存在する“ライバル”文学賞なわけです(こんなザックリした紹介文で、ほんとにいいのかな)。

 第28回の吉川英治文学新人賞(長いので吉川新人賞と略します)は、ご存知のとおり、佐藤多佳子『一瞬の風になれ』が受賞しました。本号にはその「受賞の言葉」と「選考委員の言葉」(選評)が載っています。月刊誌のはかない定め、すでに書店の店頭からは、おそらく、きれいサッパリ抹殺されていますので、お持ちでない向きは、図書館に行くか、バックナンバーを取り寄せましょう。

 これを今さら取り上げて、いったい何の御利益があるのか。――ありませんよ。露ほどもありませんけど、桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』が、このときの候補になっているんですもの、第137回直木賞の選考会の前に、吉川新人賞の5人の選考委員がどんなふうに読んだか、思い起こしておいてもバチは当たりますまい。

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2007年7月 1日 (日)

芥川直木賞のとり方 あこがれが“勝利の女神に”!今

 刺激的なタイトル、ほとんど名前を聞いたことのない著者と出版社、こういった本が存在することも、直木賞の周辺世界を形成する、見過ごせない一要素でしょう。

070630w170 『芥川直木賞のとり方 あこがれが“勝利の女神”に!今』百々由紀男(平成5年/1993年7月・出版館ブック・クラブ刊)

 そんなこと言ったって百々さん、あなた、芥川賞も直木賞もとってないじゃないですか。などという子供じみた素朴なツッコミをきっと何万遍も受けていると思いますので、あえてワタクシはそんな意地悪いことは申しません。

 本書の内容を真に受ける人がいたとしても、社会的に害はないので構わないんですが、もしかしたら文壇版“トンデモ本”と言ってもいいかもしれない、バンバン繰り出される驚異のフレーズが、たまらなく面白いのです。

「もちろん、三島由紀夫、大岡昇平、筒井康隆といった例外もあるが、文壇でいう“作家”とは通常、両賞の受賞作家である。」

 え?

「作家もまた人間、そこで理想的な文壇デビューの年齢というと……
 芥川賞~35歳
 直木賞~45歳
 ここらが“適齢期”といっていい。」

 なに?

「特に小説が書けなくなった作家にとり、選考委員の座は文壇内の自分の存在を証明するものであり、権威である。そこで、
「選考委員に逆らったら芥川・直木賞はとれない」
 との恐怖が、新人作家にはいつもつきまとっている。」

 ふふふ、この断言口調が、えもいわれぬ、いい味をかもし出しているのです。

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2007年6月24日 (日)

文藝別冊 半村良 SF伝奇ロマンそして…

 直木賞では作家の業績をも評価対象に含めてしまうので、何度も候補になった末に受賞する例は、あくまで普通のことです。ただ、そのなかでもこの作家の場合は、より劇的な受賞のひとつに数えられていいと思います。

070623w170 『文藝別冊 半村良 SF伝奇ロマンそして…』(平成19年/2007年4月・河出書房新社/KAWADE夢ムック)

 候補に挙げられること3度目で受賞にいたった人といえば、古くは海音寺潮五郎とか、源氏鶏太水上勉、最近では重松清藤田宜永石田衣良京極夏彦なんかがいるんだけど、前2回の候補作から一変それまでとがらりと違うジャンル・作風でもって、はじめて選考委員をうなずかせたとなると、やっぱり第72回(昭和49年/1974年・下半期)の半村良かなってことになります。あと、三好徹陳舜臣結城昌治。ここらあたりが、「推理小説じゃ直木賞はとれないんだよね」「SFじゃ認められないんだよね」という風評の、大きな源になっていたりするわけです。

 なんたって、半村良の最初の候補作は『黄金伝説』(第69回 昭和48年/1973年・上半期)で、本書のサブタイトルにも使われているような、ど直球の“SF伝奇ロマン”でしょ。次が、テレパシーを筋立ての中核に置いた「不可触領域」(第71回 昭和49年/1974年・上半期)でしょ。3度目に候補になって受賞にこぎつけたのが、新宿界隈のバーテンダーとホステスを描いた「雨やどり」……って、え、なんでよ? と思うわけじゃないですか。

 あ、そうだ、最近、伊坂幸太郎の『砂漠』が候補になったとき、誰かが選評で書いていたっけな。「こういう小説もちゃんと書くことができる作家としての幅を感じると同時に、あれ、伊坂さんってこんな作家だったっけ、と、肩すかしをくらったような気がした。」……この選評の主はかつて、『石の血脈』をはじめとする半村良のSF伝奇ロマンを大絶賛なさっていたんだよなあ。なんだか奇縁。

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2007年6月17日 (日)

中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件

 関連の書籍というより、これは直木賞受賞作が収録されている本そのものなのですが、東京創元社お得意の、マニア心をぎゅっと鷲づかみにする充実の編集ぶりで、思わず「関連の書籍」に分類してしまいました。

070617w170 『中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件』戸板康二・著、日下三蔵・編(平成19年/2007年2月・東京創元社/創元推理文庫)

 あれはワタクシが読書の楽しみをおぼえて間もない頃でしたか、書店の文庫棚を見ていて目にとまった、創元推理文庫の『日本探偵小説全集』各巻のぶ厚さに度肝を抜かれ、なんじゃこりゃ、手軽さを一切無視したこのページ数でしれっと文庫を名乗るか!? と思ったのも今は昔、作品に関する貴重な資料類まで探し出してきてまとめて収録してしまうぶ厚い創元推理文庫の、すっかりファンになってしまったワタクシではあります。

 本書の偉さは、中村雅楽シリーズを一気にまとめて全集化してしまおう(全5冊になる予定)という壮挙はもちろんですが、オビに書かれているこの一文が、その価値を伝えてくれています。

江戸川乱歩の旧「宝石」掲載時の各編解説等、豊富な資料も併録

 そもそも戸板康二第42回(昭和34年/1959年・下半期)直木賞受賞作は、「團十郎切腹事件」じゃないんですもの、「團十郎切腹事件」その他、なんですから、その意味からも本書はぜひとも手元に置きたい一冊ですよね。

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2007年6月10日 (日)

大衆文学への誘い 新鷹会の文士たち

 『九州文学』『近代説話』『作家』『文学者』ナドナド、直木賞の歴史に大いなる足跡を残した非商業雑誌(半商業、と言ってもいいかな)はいくつも思いつくところですが、絶対に外せないのが『大衆文藝』です。

070610w170 『大衆文学への誘い 新鷹会の文士たち』中谷治夫(平成18年/2006年5月・文芸社刊)

 直木賞にとっての『大衆文藝』といえば、昭和14年/1939年3月に新小説社(社主・島源四郎)から創刊された第三次『大衆文藝』のことです。この創刊が実現したのは、島の義兄・長谷川伸が、毎月の資金援助と稿料なしの原稿執筆のかたちで全面協力したからこそでした。長谷川伸アニキは新人作家の育成にも熱心で、彼のもとには作家もしくはその卵たちが多く集まり、昭和14年/1939年秋ごろから小説勉強会の「十五日会」が開かれ、翌年9月に「新鷹会(しんようかい)」と名付けられます。彼らの修業の場でもあった『大衆文藝』からは無数の作家――数えようと思えば数えられるのでしょうが、まあサボらせてもらいまして――が育てられ、鍛えられ、巣立ち、大活躍していくことになるのです。

 過去の直木賞の候補作(戦前の一次候補等を含む)を、今度はちゃんと、コツコツ数えてみますってえと、いまだ発表誌不明の作品もいくつかあるんですけど、掲載数の多い雑誌は、第1位『オール讀物』103作、第2位『別冊文藝春秋』57作。ううむ、文春系が圧倒する中で、さあ第3位は、御三家の『小説新潮』でも『小説現代』でもなく、おっとびっくり『大衆文藝』の38作。文春びいきとか商売っけとか、そういうもの度外視して、『大衆文藝』みたいなところからもきちんと候補作を探そうとしていた頃の直木賞が、ワタクシは好きです。

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2007年6月 3日 (日)

芥川賞・直木賞―受賞者総覧―

 ちまたに直木賞受賞一覧は数あれど、それぞれ微妙に違っていたりなどして、それらをいくつも見ているうちに、さあいったいどれが正解でしょうとクイズを解かされている気分になるものです。

070603w170 『芥川賞・直木賞―受賞者総覧―』(平成2年/1990年3月・教育社刊、教育社出版サービス販売)

 この書名は同書奥付の記述に拠りました。表紙カバーでは、左のとおり「芥川・直木賞」となっています。内容は第1回から第102回までの両賞受賞者の生年月日・経歴・著書や、選評の一部、受賞後の活動が簡単にまとめられています。

 たとえば、おい山田君、過去の直木賞の受賞者を一覧にしといてくれたまえ、と突然上司に言われた新入社員山田君などは、昔ならば図書館に出向いてこういう本を探し出し、一生懸命複写したりしていたんでしょうが、今ではインターネットを使ってどっかに出ている一覧表をサクッとコピペするんだと思います。

 インターネットで直木賞一覧を調べる山田君が、容易に行き着くだろうと思うのは、文藝春秋内日本文学振興会か、Wikipediaでしょう。でもね、この2つのサイトにある受賞者受賞作一覧は、細かい点で違いがあるんです。さあどうする、山田君。

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2007年5月27日 (日)

文学賞メッタ斬り!2007年版 受賞作はありません編

 真正面から直木賞そのものを批評して、しかも継続的にそれをやっている点で、メッタ斬り!は絶対外せませんよなあ、ということで遅まきながら、関連書籍として取り上げさせてもらいます。

0705273w170 『文学賞メッタ斬り!2007年版 受賞作はありません編』大森望・豊崎由美(平成19年/2007年5月・PARCO出版刊)

→著者(大森望)の公式サイト 大森望のSFページ

 事の発端は、平成15年/2003年6月、ポータルサイト「エキサイト」の一コンテンツ、エキサイトブックスに「文学賞メッタ斬り!」なる討論企画が掲載されます。これが好評だったらしく、内容を大いにふくらませて平成16年/2004年に書籍化したところ、増刷増刷で売れに売れたそうで、つづいて2年後、芥川賞落選6度を誇る(?)島田雅彦との鼎談もおさめた『リターンズ』ときて、つい先ごろ年度版を意図して3冊めとなる『2007年版』が発売されました。

 継続性という点では、エキサイトブックスから日経BPネットに場所を移して今でも、毎回、芥川賞・直木賞の選考会直前には、全候補作に対する評論と、受賞予想が続けられています(こちらがバックナンバー一覧)。これを読まなければ直木賞の選考日を迎えられないんだよとヤミツキになる人間が続出の、恒例行事と化しているところが、いやあ素晴らしい。

 何事もね、やめたらあかん、夜明けまで。たとえば直木賞そのものの偉さの一つは、とにかく、何いわれようが半年に1回のペースで、何十年もやめずに延々と続けていることにあると思っているワタクシとしては、「メッタ斬り!」も、ぜひぜひ末永く続けてくださいと応援したくなるわけです。

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2007年5月20日 (日)

たぶん最後の御挨拶

 受賞作家が受賞の周辺について語っている文献は数々あって、今後もいろいろと取り上げていきたいところですが、まずは、新しげなものから。

070520w170 『たぶん最後の御挨拶』東野圭吾(平成19年/2007年1月・文藝春秋刊)

 まったく個人的なハナシですが、東野圭吾という作家は、ワタクシにとって思い入れのある作家のひとりです。彼がはじめて直木賞候補になったのは平成11年/1999年はじめ(第120回 平成10年/1998年・下半期)。ちょうどこのころ、ワタクシは「直木賞のすべて」という、直木賞のことばっか取り扱ったサイトをつくろうと思い始めて準備にとりかかっていました。

 その後、彼は7年の間に6度も候補に挙がります。うちのサイトでは、サイト訪問者に直木賞をとりそうな作品・とってほしい作品を投票してもらう「大衆選考会」なる企画を順次開催していて、東野圭吾の名は常にたくさんの人から挙げられました。いやあ、東野さんって人気あるんだなあ、と再確認させられたものです。

 インターネット上で交わされる評価がそのまま実際の読書人たちの嗜好と一致するとは限らないとはいえ、「こんなに多くの人から支持されてるのに、なんで直木賞とれないんだろ」と思うことのできた根拠は、ブログを含め、無数の個人が自分の思いを発信しているインターネットなるものがあったからこそ。ちょうどワタクシのサイトの歴史と、その候補歴が同じ時期に重なった点で、東野圭吾に思い入れが深くなった次第です。

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2007年5月13日 (日)

50冊の本 昭和53年/1978年5月号(創刊号)

 これまで直木賞は、一般的にどのような存在として受け止められてきたのでしょう。『文藝春秋』や『オール讀物』のバックナンバーばかり追いかけていてはわからない部分を、とある書評誌に見てみます。

070513w170 『50冊の本』昭和53年/1978年5月号(創刊号)(昭和53年/1978年5月・玄海出版刊、冬樹社発売)

 この『50冊の本』なる雑誌を、ワタクシは一冊しか持っていないので他にどんな記事が載ったかはくわしく知らないのだけど、昭和53年/1978年5月号創刊、昭和56年/1981年3月号をもって休刊となった月刊書評誌です。創刊号の編集人・発行人は、千家紀彦。ミステリー畑での小説も書いていた方らしいです。まあ、それはそれとして。

 「創刊特別座談会」と銘打って、「芥川賞・直木賞のゆくえ」なる記事が12ページにわたって掲載されています。この座談会タイトルを見て、にわかにイヤな予感に襲われる直木賞マニアは、少なくないはずです。いや、少ないか。

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2007年5月 7日 (月)

星新一 一〇〇一話をつくった人

 ここしばらくは、直木賞について多少なりとも触れられている関連書籍を、ワタクシ自身の備忘録がわりにアップしていく予定です。

070506w170

『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月(平成19年/2007年3月・新潮社刊)

 日本のショートショート界に燦然と輝くただひとつの一等星、ミスター・ショートショート、星新一の本格的評伝としてたった今おそらく話題の書なわけです。

 SFでは直木賞をとれない、直木賞はSFを長い間評価してこなかった、ナドナド言われつづけ、小松左京だの筒井康隆だの半村良のSF作品(『黄金伝説』「不可触領域」)だの広瀬正だの田中光二だの山田正紀だの新しいところでは三崎亜記だのと、まあ見事なほどSFを落とし続けてきた直木賞ではあるのですが、ほんの一点だけ救われていることがあるとすれば、とうてい直木賞とは縁のなさそうな星新一のショートショートを、第44回(昭和35年/1960年・下半期)で、ちゃんと候補として取り上げていることじゃないでしょうか。完全黙殺のほうがよかったか、取り上げておいて落とし続けているほうがよいのか、それはそれで諸論ありそうですが。

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