2008年4月27日 (日)

直木賞事典 国文学 解釈と鑑賞 昭和52年/1977年6月臨時増刊号

 まる1年間ひたすら歩いてまいりました。これで52冊目です。ぐるり回りまわって結局、キホンに帰ってきました。直木賞の基礎資料として、いまだにナンバー1の不動の座を維持しているのが、文藝春秋の本じゃなくて、至文堂の本だっつうのも、何だか妙なハナシですが。

080427w170『直木賞事典 国文学 解釈と鑑賞 昭和52年/1977年6月臨時増刊号』(昭和52年/1977年6月・至文堂刊)

 そうです、端から端まで直木賞のことだらけ、しかもエラくまじめに、直木賞を斬ろうとして、時にうまくいき、時に失敗している内容はともかく、ええい、こんな本がそれまであっただろうか。と、当時の直木賞研究家たちが涙を流し、こぞって新宿の至文堂を訪れ、玄関の前で感謝の声をあげる光景が数か月間は見られた、という伝説が残っているほどです。おお、空前。しかしながら、かなしいかな絶後。

 文学研究の世界では、そりゃあ、純文学と大衆文学のこととか、文学賞やジャーナリズムのこととか、そんな切り口は、コツコツと積み上げられていました。しかし、“芥川賞”のハナシを抜きにして、直木賞だけを語る文学研究なんて、ふつうのアカデミック人は、やりません。見向きもしません。

 だから、『国文学 解釈と鑑賞』が昭和52年/1977年に「芥川賞事典」を出したこと、この行動はおおむね理解できます。しかしねえ、いくら兄弟賞だからって、「直木賞事典」まで出しますか、ふつう。

 そんな偉業、はたまた暴挙をやってのけた、制作担当の金内清次さん、編集代表の長谷川泉さんには、大いに賞讃の拍手を送りたいと思います。ありがとうありがとう。……ところで、ハセガワ・イズミって、どなた?

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2008年4月20日 (日)

本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語

 だれか特定の一人の作家を、一生涯追いかける、そんな情熱を自分が持てたらよかったのになあ、と思うことありませんか。ワタクシはあります。“直木賞”みたいな、ヌエそのものの、とらえどころのない研究対象を必死に追いかけている合間なんかに、ふと。

080420w170『本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語』新刊ニュース編集部・編(平成8年/1996年10月・メディアパル刊)

 62人の作家たちが、自分のデビュー作のこと、その生まれた背景やら、発表までのいきさつやらを、それぞれ3~4ページ程度の短いエッセイに書いています。収められているのは、エンタメ作家だけでなく、石坂啓さんとか、鎌田慧さん、高井有一さん、矢口高雄さん、その他幅広く顔を並べていまして、この本を通読していったいどんな感想を持てばいいのやら、迷うばかりです。

 もし一人の作家だけを執念深く追っているのだとしたら。本書のような本に、その作家が登場するだけで幸せな気分になり、たとえそれが短い文章でも、かじりつくように読めるのでしょう。しかし、こちとら、そうも参りません。

 とはいえ、作家のデビューだけに着目してみれば、また違った世界が開けてくるかも。たとえば、明治・大正・昭和・平成と時系列で分析してみたら、“昔は同人誌、今は懸賞当選”みたいな、大ざっぱすぎて、にわかに信じがたい傾向分析以上のものが、かならずや見えてくると思います。けど、今のワタクシは手をつけません。

 まあ、ここは手堅く、直木賞を軸に見ていきますか。

 本書に登場する直木賞受賞作家、候補作家は全部で21人。デビュー作(ってこの定義も、受け取る人によってマチマチですけど)が、直木賞の場で取り上げられるのって、多くはないけど、必ずしも少なくはありません。直木賞は“新人賞”と言われることもあるけど、大して“新人賞性”なんてないんだぜ、とけっこう言われます。しかしまあ、よく見てみりゃ、案外べっとりと蓋の裏のほうに、残っているもんです。

 ほら、たとえば、札幌の広告会社に勤めていた当時39歳のOL、熊谷政江さんの場合。

「中編二作をおさめた「マドンナのごとく」が発刊されたのは、一九八八年の五月十五日だった。発売元の講談社から私用にと二十冊ほどいただいた。

(引用者中略)

「これ、私の一生に一度の記念よ。トシを取ったら、この本を持って老人ホームに入居してね、で、うんとイバって自慢するの。若い頃にこうして本も出版したことがあるんだって。」」

 おそらく、熊谷さん、筆名・藤堂志津子さんの人生を変えたのは、直木賞です。

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2008年4月13日 (日)

展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」

 東北楽天ゴールデンイーグルス、祝・本拠地8連勝。まあ仮に、本拠地を西においていたとして、この球団の性格が今とちがったものになっていたかは、ちょっと疑問ですが。でも、たとえば仙台にあるというそれだけのことで強烈に支持したくなる気持ちがわいてくるのも事実です。郷土性ってやつは不思議なもんです。

080413w170 『展 第三号 特集「大池唯雄・濱田隼雄 郷土に生きる」』(昭和57年/1982年10月・明窓社刊)

 世の中にはきっと、伊坂幸太郎と仙台、ってテーマだけで俺は三日三晩語れるぞ、と豪語するツワモノがおられることでしょう。熊谷達也と仙台、ってテーマでも、何人かはいそうです。さらに歴史をたどりたどって、昭和10年代にはじめて東北人で直木賞をとったのも仙台の人、でもワタクシは大池唯雄と仙台、ってテーマで何時間も語れるほどのネタは持っていません。

 そこで、仙台市で出ていた同人誌『展』のお力を借りまして、今日は、生粋の仙台人・大池唯雄さんのおハナシと行きましょう。

「大池唯雄には地方に住んでいる作家という特色があった。彼の力量を評価した大佛次郎山本周五郎は再三、中央へ出るようすすめたが、土着の作家で終った。それだけに中央と地方の問題が念頭にあり、もし彼に劣等感のようなものがあったとすれば、純文学と大衆文学、中央と地方といった問題で、それが均等の相対関係でなく、その二つの落差の中に存在していたことだろう。」(工藤幸一「大池唯雄と歴史小説」より)

 まさに。そして、逆からの視点、要は戦前の“東京文壇の大衆小説陣営”から見てみれば、大池さんの書くような、ずっぽり地方色で染まったガチガチの歴史小説を、果たして直木賞として引っ張り上げるべきかどうか、っていうなかなか難しい問題が浮き上がってくるわけです。

 このヤヤこしい話を考えていくときに、おっと、ぼくらの身近に、比較するのにふさわしい対照的な作家とその現象があるじゃないですか。“伊坂幸太郎”という、恰好のネタが。

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2008年4月 6日 (日)

小説家

 生活のために、あるときから大衆向け小説へ大きく舵を切った人……とはいえ中村武羅夫とか加藤武雄みたいに、“芸術性文学”への未練タラタラみたいなものが、まったくないところが、サッパリしていて気持ちいいなあ。

080406w170 『小説家』勝目梓(平成18年/2006年10月・講談社刊)

 “自伝的小説”なんだそうで、どこまで事実を写したものかは不明です。でも、芥川賞も直木賞も出てきます。スルーするわけにはいきますまい。

 勝目梓さんは、昭和50年代後半から始まった怒濤のバイオレンスの洪水とは、ほとんど関係のない昭和40年代前半に、第58回(昭和42年/1967年・下半期)芥川賞、第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞で、こっそりと候補になっています。このころを本書では、こんなふうに総括しています。

「彼の三十二歳から四十代後半あたりまでの、およそ十五年間の人生の軌跡は、迷妄の波に翻弄されて漂流する難破船さながらの有様を示している。年代でいえば昭和三十九年(一九六四年)から、昭和五十四年(一九七九年)までの時期である。

 三十二歳ではじめられた彼の文学修業は、その後の五年間のうちに芥川賞や直木賞の候補にあがるなどして、一応は順調に成果を見せてはいた。しかし彼の内心には、自分の文学活動の前途に対する不安がすでに芽生えていた。それは、書くに価するだけの文学的な意味のあるテーマが、自分の中にはないのではないか、といった疑問が根ざした不安だった。」

 直木賞候補になった「花を掲げて」は、純文芸誌『文學界』に載ったものです。これはやはり、その1年半前に『文藝首都』掲載の「マイ・カアニヴァル」が、ひょっこり芥川賞候補に挙げられたことの延長線上、つけたしみたいな出来事と見てよさそうです。きっと当時のご本人は、自分が芥川賞よりも直木賞向きであるとは、自覚されていなかったでしょう。しかしそのときすでに、文春の中には、この人は大衆向けの作家になり得る、ととらえた編集者がいたわけで、今思うと、ふうむ、なかなか鋭い候補選出だったんですね。

 昭和40年代~50年代の(株)文藝春秋編集陣の批評眼が、キラリと光っているなあと思わされるのは、こういう候補に出くわしたときだったりします。

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2008年3月30日 (日)

思い出の時代作家たち

 この本は、タイトルでかなり損をしています。いや、少なくともワタクシは損をした気分になりました。だって、この題名なら、枯れ果てた“過去の人”が、関わりのあった時代作家のことを淡々と回想する本、だと誰でも思うじゃないですか。違います。第1回第32回ごろの直木賞のことと、受賞作家・候補作家・選考委員のことについて語られる、堂々たる直木賞裏面史です。ああ、もっと早く読めばよかった。

080330w170 『思い出の時代作家たち』村上元三(平成7年/1995年3月・文藝春秋刊)

 初出は『オール讀物』連載。ってことで直木賞のことを悪しざまに描いているような記述はありません。でも、発表当時すでに80歳を過ぎていた重鎮の村上元三さん、いさめる人もなく、語り口に遠慮がありません。え、そんなこと書いちゃってだいじょうぶ? といった記述に出くわすことしばしば。真っ裸になった正直なお年寄りってのは、いやあ、怖い。そして面白く、頼もしい。

 たとえば、直木賞じゃなくて、芥川賞の関連作家を追っている人なんかも、もしかしてワクワクして読めるんじゃないでしょうか。こんな記述なんか、とくに。

(引用者注:戦時中、海軍報道班員だった)わたしといっしょに南方へ行っていた作家は、帰還してから、わたしのところへ金を借りにきた。生易しい金額ではないし、その作家はいわゆる純文学の畑の農民作家だが、戦地で生死を共にした仲だけに、返してくれとは言わずに金を渡した。それきりどちらも無沙汰で過ぎたが、ある日、新聞を見て、びっくりした。その作家が、北朝鮮の板門店から韓国についての所感を書いている。(引用者中略)つい数ヶ月前までわたしといっしょに日本の海軍の世話になり、いろいろ海軍のことを賞めていたのに、北朝鮮へ渡って向うのことを賞めるとは、変り身の早いこと、驚き入った。こういう例は、ほかにもあるかも知らないが、文学をやっている人の例では知らない。

 評論家の中島健蔵にその話をしたら、呆れ返ったように言った。

「知らなかったのか、あの男は文壇での嫌われ者でね、好きな奴はだれもいなかったろうな。そういう作家を嘱託にするとは、わが国の海軍もずぼらだったんだね。」」(「安保騒動」より)

 “好きな奴はだれもいなかったろう”などと大胆に切り捨てられたその作家、実名を隠して書いているのは、武士の情けですか。と思いきや村上さん、それより前の「海軍爆撃機」の項では、報道班員の同行作家の一人を、こんなふうに紹介しています。

「羽田から新顔が一人、加わってきた。

 農民文学をやっている間宮茂輔という作家で、わたしたちとは初対面だが、ひどく無表情な人で、」

 章を超えて、実名と匿名とを使い分ける名誉毀損スレスレの術。これって村上さんの計算ですか、はたまた天然ですか。

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2008年3月23日 (日)

花にあらしのたとえもあるぞ 辻平一の八十年

 だいたい大衆小説をここまで発展させた真の功労者はいったい誰だい。直木賞なんぞが生まれるもっと前から、丁寧に新人を発掘して、しかもそんな作家を育て上げようと努力してた大阪毎日、『サンデー毎日』、千葉亀雄じゃないかね、ね、そうでしょ。

080323w170 『花にあらしのたとえもあるぞ 辻平一の八十年』辻一郎編(昭和57年/1982年8月・辻一郎刊)

 でさあ、千葉さんの跡を継いで、『サンデー毎日』の懸賞小説の選者をやったのは木村毅だけども、実務方として働いたのは大毎(大阪毎日)社員の辻平一さんですよ。辻さんのことを、ここのブログで取り上げるのに何の不自然さがあるものですか。

 『サンデー毎日』が果たした勃興期の大衆小説界への貢献は、そりゃ計り知れないものがあります。誌面を大幅に提供するにとどまらず、定期的に懸賞小説を募集して、全国の埋もれた作家の卵たちに、そうか、“大衆文芸”を書いてみようか、とその気にさせた志がエラい。

 直木三十五がいなけりゃ直木賞もなかっただろう、というのと同じくらいの温度で、『サンデー毎日』がなけりゃ直木賞はつくられなかったんじゃないか、となかば真剣にワタクシは思っているわけです。

 早熟の異才・角田喜久雄をはじめとして、『サンデー毎日』主催の大衆文芸系の公募に入選した若き獅子たちを挙げてみますよ。木村哲二海音寺潮五郎、花田清輝、木村荘十、井上靖、村雨退二郎、北町一郎大池唯雄宇井無愁、山岡荘八、沙羅双樹大庭さち子関川周長崎謙二郎九谷桑樹稲垣一城伊藤桂一杉本苑子小田武雄新田次郎寺内大吉滝口康彦黒岩重吾南條範夫永井路子木戸織男……、もうおなかいっぱい。さらに選外佳作をもらって、のち大成した作家も挙げてたら、ベルトの穴を二個三個ぐらいゆるめなきゃなりません。

 この『サンデー毎日』の長きにわたる壮挙、大衆小説に情熱を燃やす無名の面々に、どうぞどうぞと門戸をひろげ続けた試みが、辻平一さんの力によるもの大きいことは、ほら、木村毅さんも言っているじゃないですか。

「さて、サンデー出身の諸君が千葉亀雄氏、つづいては誤って僕などの功績を説くばかりで、辻君の縁の下の力もち的功績に認識がないのは、甚だ遺憾である。

 もし辻君と云う支柱が無かったら、サンデー出身作家のまとまりも無かったろうし、あの募集も中絶されていたろう。

(引用者中略)

 とに角、辻君は熱心だ。山陰の支局長に赴任の話のあった時も、この大衆文芸募集への愛着から、それをことわって居残ったのである。」

 そこまでして、新しい大衆小説の誕生に精魂込めた辻さんは、芥川賞に比べてどうにもパッとしない船出になってしまった直木賞のことも、いろいろと記録に残しておいてくれました。

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2008年3月16日 (日)

ウエザ・リポート

 作家の書いたエッセイ集とか、お好きですか? ええと、ワタクシは日ごろ好んでエッセイを読むこと少なく、あの人の“読書日記”や、あの人の“しおり”にもまだ手を出しかねていて、『再婚生活』や『超魔球スッポぬけ!』の前すら素通りしてしまうありさまですが、お、この方のエッセイならとついつい買ってしまいました。うーん、いやはや。

080316w170 『ウエザ・リポート』宇江佐真理(平成19年/2007年12月・PHP研究所刊)

 平成9年/1997年・上半期の第117回以来、第119回第121回第123回第127回第129回の平成15年/2003年・上半期まで、6年にわたって計6度、コンスタントに直木賞候補にあがり、そのたび何のかんのと難癖つけられ、結局、東郷隆さんと並んで“平成の万年候補”の座についてしまった宇江佐真理さんの、はじめてのエッセイ集です。

 おっとっと。“ついてしまった”なんて軽々に断言してはいけないのだ諸君。彼女と同じ頃に候補で競った馳星周さんも黒川博行さんも、まだまだ直木賞の対象に入っていることが、ついこのあいだ証明されたじゃないですか。宇江佐さん驚天動地の7度目の候補だって、そりゃあり得るわな。

 収められたエッセイのうち、いちばん古いのは平成9年/1997年。というから、「幻の声」でのデビュー直後です。そうかあ、このデビュー作のタイトルと、それに続く「暁の雲」「赤い闇」って、ウィリアム・アイリッシュ=コーネル・ウールリッチの名作群の題名に由来してたのね、とかいろいろと発見をもたらしてくれる楽しい本です。函館に住み、二人の息子を育て、40歳を過ぎて雑誌の新人賞を得て、台所の片隅にワープロを据えて原稿を書き、スッピン・普段着で街のスーパーにお買い物に行く日常が、飾らず真っ正直に書いてあって、なんだか自分のお母さんがそこにいるみたい。もう親近感が沸くの沸かないのって。

 で、直木賞に対するご本人の弁をご紹介する前に、やけにリアルだなあと思わされたのが、息子さんの一言。

「彼にとっては母親が小説なんて書かなくても一向に構わないのだ。直木賞の候補になって、その発表の日の騒ぎは、彼の言葉で言えば「マジでやめてもらいたい」ということになるのだ。」(「ダーツの旅」より)

 直木賞は、おそらく大多数の人にとって心底迷惑でしかないシロモノなんだな。

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2008年3月 9日 (日)

危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判

 お行儀のいい直木賞サイトなら、きっと見て見ぬふりして通りすぎる本でも、なにしろ雑食、ゲテモノ喰い、落ちているお菓子を拾って食べては、よく叱られた人間の目から見りゃ、これも立派な“直木賞関連書籍”です。

080309w170 『危うし!?文藝春秋 「文春ジャーナリズム」全批判』斎藤道一・高崎隆治・柳田邦夫(昭和57年/1982年2月・第三文明社刊)

 月刊誌『文藝春秋』を中心として、それを発行している文藝春秋(ややこしいので、以下“文藝春秋社”と呼びます)の姿勢について、これでもかこれでもかと追及し尽くす本なんですが、要は、権力(主に国家権力)におもねり、大衆を見下し、お山の大将を気取ってエラそうなこと言っては日本人をミスリードしてきた文春よ許さじ、とかなり詳細に研究しています。

 ええと、直木賞の論述に行く前にですね、結構興味深かったのは、柳田邦夫さんが書いている「まえがき風に――」。ここに、昭和57年/1982年、というから20年以上も前の、若者が抱いていた『文藝春秋』観が紹介されています。

 柳田さんが、身近にいる若者に『文藝春秋』を読んでいるか、と聞くと、

「「いや、『文春』は、“オジン雑誌”だからさ。ボクたちとは、あんまりカンケイない感じですよ。」

 という答えが返ってくる。今のところは、これが最大公約数的な答えだと思っていい。

(引用者中略)

「でも、六〇万部も出てるっていうよ」

「だからサ、学校のセンセイとかさ、重役とか部課長とか。――要するにエリート・オジンの雑誌でしょ」」

 20年たった今、中年一歩手前のワタクシは、やっぱり疑問に思ってしまうのです。ほんと、あの活字ぎっしりで分厚い雑誌を、毎月毎月、いったい誰が必死になって読んでいるんだろうと。20年前のオジンが、初老となってそのまま部数を支えているだけなのか、それとも“オジン雑誌でしょ”とそっぽを向いていた連中が、年齢を重ねて心境に変化をきたし、ついつい読むようになったのか。創刊80年を経て今なお命脈を保っているとは、『文藝春秋』もよくよく不思議な雑誌だよなあ。

 さあさ、いまだかつて『文藝春秋』のどの号も一冊まるごと読破できたことのないワタクシなんぞは、早々と退散して、直木賞についての箇所に行きましょ。早く早く。

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2008年3月 2日 (日)

大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇

 「芸術は短く貧乏は長し」は先週の小ネタです。と思っていたら次の週に、おっと、この受賞作家にお出まし願うとは、偶然といいますか、確信犯的暴挙といいますか。

080302w170 『大鼎談(Dai-Tei-Dan) W大学文芸科創作教室番外篇』三田誠広・笹倉明・岳真也(平成10年/1998年5月・朝日ソノラマ刊)

 大学生の頃より30年以上、長らく友人でありつづける作家お三方が、日ごろの生活から文学についてまでを語り合う鼎談本。白眉は第一章とも言うべき「番外その1」の章、「作家生活! その悲哀と根性のすべて」(平成6年/1994年9月 吉祥寺にて収録)である、とは直木賞マニアたちの間でささやかれるもっぱらの評価です(おそらく)。

 この章のしょっぱなの小見出しが「直木賞ではメシが食えない!?」なのですから、内容は推して知るべし。

 とりあえず、第101回(平成1年/1989年・上半期)受賞の笹倉明さんの体験からいきましょう。

「卑近な例だけれど、直木賞や芥川賞をもらったというと、お金もざくざく入って左うちわだろうと世間は見る。(笑)これは本当だよ。傑作な体験談があれこれある……最近では「笹倉さん、ちょっと二千万円くらい用立ててくれないか」と言われてガク然とした。直木賞作家というと、もうざっくざっくお金が入ってくるものと世間は思ってる。最近はこっちの懐ぐあいも知らないで、やれマンション投資だ、先物取引だとうるさい電話に傷ついてます。(笑)」

 なんで、直木賞作家はイコール高額所得者の仲間入りだ、と思う人たちが、そんなにいるんでしょうね。直木賞決定の段階でのマスコミの取り上げ方が、やたら実態とのバランスを欠くぐらい異常な熱の入れようであることも、関係しているのだろうな。直木賞はエンタメ作家の世間へのお披露目イベントのひとつ、その後の活動を温かく見守ってあげようぜ、のテイストは失ってほしくないものです。

 じゃあ、まずは隗より始めよ、お前のあのサイトを閉じてみりゃいいじゃんか。だなんてキツいことをおっしゃいますか。……うーん、変人のやってる狂気の沙汰だと思って、どうか見逃してくださいまし。

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2008年2月24日 (日)

新文学史跡 富岡の家 直木三十五宅趾記念号

 逆に問いたい。今日、この方のことを取り上げずして、他にどれほど適切な選択肢があると言うのですか。

080224w170 『新文学史跡 富岡の家 直木三十五宅趾記念号』(昭和35年/1960年10月・横浜ペンクラブ刊、有隣堂発売 横浜文庫第1集)

 もちろん今日は、彼の名前のおかげで儲けさせてもらっている某出版社とか、彼の名のついた賞を授与されて仕事の幅を広げさせてもらった種々の作家たちが、彼の偉業をしのんで、盛大なイベントを開いたりしているはずです。ですのでワタクシも、インターネットの隅っこから、直木三十五さんよ、ありがとう、の意をもって本書を取り上げさせてもらいます。

 昭和9年/1934年に三十五さんが亡くなって26年目の昭和35年/1960年に、友人であり当時直木賞選考委員でもあった大佛次郎の呼びかけのもと、三十五が晩年建てた横浜市富岡の家と、彼の墓を遺跡として整備しようという計画がありました。神奈川県、横浜市、横浜商工会議所の支援をとりつけ、「直木三十五遺跡記念事業」として、次の5つを行うことにしたそうです。

 ①「直木の家」記念碑建設 ②直木三十五氏記念碑落成会 ③直木三十五氏記念講演会 ④横浜文学散歩のコースとする ⑤直木三十五氏のヨコハマ生活の資料調査

 昭和35年/1960年といえば、50年近くも昔。直木賞だって、たったの(?)43回程度しか歴史がなくて、はてさて、その頃の直木賞は関係者たちにどんなふうに見られていたのか、本書を読むとチラチラッとわかります。

「芸術は短く貧乏は長し」かれの碑銘は、あの世で直木の自嘲を呼んでいるであろう。

 それにつれても、直木賞の受賞作家は、全くこれと反対に「芸術は長く貧乏は短し」の境地をかち取っている。全く羨やましい仕儀である。」(牧野イサオ「直木と横浜スタヂオ」より)

 ふうむ。第40回を過ぎた頃で、すでに“直木賞作家は人気作家になる”といった感覚があったんだな。決してそうでない受賞作家も、何人も輩出していたのに。文壇と関わりのない人に、こう感じさせてしまうとは、よっぽど受賞作家の何人かの売れっぷりに、インパクトがあったんでしょうか。

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2008年2月17日 (日)

直木賞作家 今官一先生と私

 これほど直木賞らしくない受賞作も珍しいぞ、でおなじみの作品集『壁の花』を、思い切って復刊とか文庫化する勇気ある出版社は、きっと今はないでしょうけど、講談社文芸文庫あたりがポロッと光を当ててくれることを、ひそかに期待。

080217w170 『直木賞作家 今官一先生と私』安田保民(平成15年/2003年4月・私家版)

 純文学系のひとが直木賞をとる例はよくあることで、そのことを普通は“悩める直木賞の千鳥足”とか呼んだりするんですけど(いやいや、呼ばれていません。ワタクシが今つくったテキトーな言葉です)、『ジョン万次郎漂流記』「執行猶予」「真説石川五右衛門」「ボロ家の春秋」も、まあまあ、万民に受け入れられやすかろう、って意味ではたしかに直木賞のものでしょう。

 だけどね、今官一さんの『壁の花』を大衆文学と呼ぼうだなんて、そりゃ君、無謀すぎるぜ。

 本書の著者の安田保民さんも、冒頭でかなり地団駄ふんでいます。

「私はいまでも、今官一は芥川賞作家だと思っている。

 今官一の「旅雁の章」が、昭和十三年下半期、第八回芥川賞銓衡委員会に取り上げられていたせいもある。

 もし、宇野浩二が、二時間遅れて到着しなかったら、あるいは芥川賞の最終候補に推せんされ、受賞の可能性もあったのではないかと、私は惜しまれてならない。」

 今さんから直接の薫陶を受けた安田さんにとっては、そうですか、“惜しまれる”のですか。

 ところが、断然直木賞派のワタクシにとっては、今さんが芥川賞でなく直木賞をとったことはじつに喜ぶべき事件なのです。異色の受賞作『壁の花』に出逢えたのですから。

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2008年2月10日 (日)

終戦後文壇見聞記

 どうして大衆文学は純文学より低く見られてきたんだ、そのせいで研究資料も整っていないしなあ、と日ごろお嘆きの同志たちよ。純文学だって、それほど恵まれた時代を過ごしてきたわけじゃないらしいですよ。こと、アノ出版社のなかでは。

080210w170 『終戦後文壇見聞記』大久保房男(平成18年/2006年5月・紅書房刊)

 大久保房男さんは大学卒業後、講談社に入り、『群像』編集部に配属、以後20年間編集に従事して、『群像』に大久保ありと言われるほどの存在にあった大純文学編集者です。本書は、その大久保さんの見聞きしてきた文壇内のあれこれの様子が、ふんだんに詰まっている回想本なんですけど、なんと言っても、同じ講談社出身の萱原宏一さんや大村彦次郎さんとはまったく違う道をかいくぐってきたんだな、と随所に感じさせてくれます。

 『群像』は、『文學界』や『新潮』とは違って、直木賞とは表向きほとんど縁のない雑誌です。各誌の編集方針がどれほど違うかは、もちろんワタクシなぞが語れるテーマでもないので飛ばしますが、少なくとも、『群像』掲載の小説が直木賞候補に選ばれたのは、たったの1回。第59回(昭和43年/1968年・上半期)の佐木隆三「大将とわたし」(昭和43年/1968年4月号)だけです(ちなみに『文學界』は12回、『新潮』は6回あります)。

 まあ、直木賞から見向きもされないからと言って、『群像』にとっては痛くもかゆくもないでしょうが、よし今週は一発、大衆文学と純文学の、果てなきニラミ合いっこのおハナシでいきましょう。

 って言っても、両者が繰り広げてきた白熱の攻防の歴史をご存じない方のために、まずは『群像』が創刊されて間もない昭和26年/1951年頃の、大衆文学と純文学の関係を、この方に語っていただきましょう。拍手でお迎えください。われらが直木賞受賞作家、小山いと子さんです、どうぞ。

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2008年2月 3日 (日)

黒岩重吾の世界

 ミステリー出身者でありながら、平成の世を彩ってきた数々のミステリー系の候補作に対しては、決してよき理解者ではありませんでした。そんな意味で、この方は“直木賞路線”王道とも言える方なのです。

080203w170 『黒岩重吾の世界』尾崎秀樹(昭和55年/1980年5月・泰流社刊)

 著者の尾崎秀樹さんは、若かりし頃、司馬遼太郎永井路子寺内大吉胡桃沢耕史伊藤桂一斎藤芳樹などと一緒に、『近代説話』同人だった方ですから、同人仲間の黒岩重吾のことをボロクソけなすわけもありません。まあそんなことを念頭において読まなければいけない評論集ではあります。

 ただ、21世紀に生きる読者から見た黒岩重吾論(……ってそんなのあまり見かけないけど)も面白いけど、同じ時代をかいくぐり、同じグループのなかで思いを共有した人による黒岩重吾論も、当然大切にしなきゃいけないので、四の五の言わずに、本書を取り上げてみました。

 松本清張水上勉ご両人の、売れるようになるまでの半生は、そりゃあ苦難と忍耐の歩みです。なんのなんの、社会派推理小説御三家のあと一人、黒岩重吾だって負けず劣らず、むちゃくちゃな人生をたくましく生き抜いてこられました。未熟児としての出生にはじまり、たび重なる事故・病気で生涯に何度も生死をさまよい、青春時代に学徒出陣と敗戦を経験し、戦後は職を転々……。

 直木賞受賞後の40年以上にわたる華々しい活躍は、みなさん周知のとおり(ほんとか?)だと思うので、受賞にいたるまでの黒岩青年の苦悩の歩みを、本書から追ってみます。

「『休日の断崖』は前にも述べたように、昭和三十五年五月に浪速書房から書下ろし刊行された。その前年「青い火花」が「週刊朝日―宝石」共同懸賞募集に佳作入選したが、この入選者たちに浪速書房が中島河太郎を通じて書下ろしを依頼、はじめて長篇推理を手がけたという。黒岩重吾は「この一作が駄目だったら、小説はもう止めようと決心していた」そうだが、そのとき依頼に応じた人の中で、実際に書き上げたのは彼一人だったというから、その意気ごみが推察される。」(「第2章 人生の影の部分」より)

 そうですか、話を持ちかけられたら、何が何でも最後までやりぬく胆力が重要とのことで。ああ、反省反省。

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2008年1月27日 (日)

人間・菊池寛

 三十五さんと何らか縁のある直木賞関連作家とくれば、第一に出版社経営で揉めに揉めた挙句ケンカ別れした鷲尾雨工でしょう。第二に大阪のプラトン社で一緒に働いていた川口松太郎でしょう。第三は……そうか、この方かもなあ。

080127w170 『人間・菊池寛』佐藤碧子(平成15年/2003年9月・新風舎刊)

 いや、菊池寛のほうじゃありません。直木三十五と関わりある直木賞関連作家とは、著者の佐藤碧子さんのほうです。

 佐藤さんはその昔、戦後まもなくの頃、小磯なつ子の筆名で小説を書いていた方で、夫は元・文春社員の石井英之助さん。その英之助さんが戦後に参加した六興出版部の雑誌『小説公園』に、「雪化粧」を発表して第23回直木賞の候補になりました。

 この回は、今見るとけっこうバラエティに富んだ面白い顔ぶれの候補者が揃っていて、ワタクシの好きな回のひとつなんですけど、その小磯さん、またの名を佐藤さん、果たしてご本名は石井さんが、昭和36年/1961年に新潮社から出版したのが『人間・菊池寛』。それを40年以上たって再出版したのが本書です。

 本書の復刊ごろにはいろいろあったようで、たとえば同時期に猪瀬直樹が佐藤さんへの取材成果をふんだんに盛り込んだ『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』(『文學界』平成14年/2002年4月号~平成15年/2003年12月号連載、平成16年/2004年4月・文藝春秋刊)を出したばかりでなく、本書復刊に先立つほんの数か月前、佐藤さんの甥の矢崎泰久も『口きかん わが心の菊池寛』(平成15年/2003年4月・飛鳥新社刊)なんて本を世に問うています。

 しかも、猪瀬さんは本書『人間・菊池寛』のあとがきも書いていて、佐藤さんがこの甥の作品を、

「一から十まで、ぜ~んぶ、デタラメ!」

 と全否定した、と暴露してたりするのです。猪瀬さんもまた、

「あとがきで「事実」と書き本文扉で「フィクション」と断わる矛盾。同じ扉に「死人は口きかん」ともある。菊池寛と佐藤碧子の美しい物語に対する冒涜である。」

 と怒っています。あーあ、矢崎さんももうちょっと創作っぽく仕上げればよかったのにな、とホトホト感じるのでした。

 で、本書『人間・菊池寛』のほうですけど、ワタクシまで冒涜軍団に仲間入りするのもアレなんで、なるべく菊池親分と佐藤さんとのことには触れずにいきたいと思います。あ、それと今の時期に、この出版社の本を選んだのは単なる偶然なんですよ。念のため。

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2008年1月20日 (日)

ひどい感じ――父・井上光晴

 桜、桜と浮かれていても、季節はまだ冬まっ只中だなあ。ふと手元を見ると、まさにある年の花見の日を境に、急激に病が悪化してその3年後に亡くなった方についてのこんな本があったんだけど、どれどれ、これを書いた方は、と。

080120w170 『ひどい感じ――父・井上光晴』井上荒野(平成14年/2002年8月・講談社刊)

 ああ、ごめんなさい。このブログは「直木賞のことに触れた昔の文献」を紹介してくれるんじゃなかったのか、と失望した方、ほんとごめんなさい。ミーハーめいた書籍は今回でとりあえず打ち止めにしますので。

 “○○さんの娘”のレッテルに負けずに、と前回言っておきながら、舌ぬるぬる湿っているうちにこんな本を持ってくるワタクシも、節操のない奴です。「直木賞」の文字どころか、ご尊父が第50回(昭和38年/1963年・下半期)のときに「地の群れ」で候補になった「芥川賞」のことさえまったく出てこない本書を、わざわざ引っ張り出してきて、さあて、何を語ろうと言うのでしょう。

 ご尊父の思い出を家族の視点で描いている(こっちは養父と娘の物語じゃありませんよ、念のため)、とは言ってもやはり本書には、井上荒野さんご自身の、小説観だったり小説家観だったり、そういったものが至るところに転がっています。第138回候補作の『ベーコン』を読む前にしろ、読んだ後にしろ、本書を読めばより一層、『ベーコン』も味わい深く読めそうだぞ、と思うわけです。

「私が育った家は、食べることにかんして異常に真剣な家だった。

 父がそういう家にしたのだった。

 そうして、わが家がまがりなりにも「家庭」や「家族」でありえたのは、きっと食事によるところが大きい。」

 とか言われちゃうとなあ。“私はどんなに目の前に大金を積まれても、生涯絶対に受賞作しか読まないと決めているんです”という意思の固い人はいいけど、こういう作家の書いた食にまつわる小説集が、せっかく候補作として提示されたんですもの、読んでみたって損はなかろうよ。

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2008年1月13日 (日)

このミステリーがすごい!2008年版 2007年のミステリー&エンターテインメントベスト10

 作品ベスト1 VS 作家別得票数ベスト1 の熾烈な争い、ってタイムリーな話題の他にも、この名物年刊本と直木賞の間には、輝かしい歴史が累々と横たわっているわけです。決別宣言とか本格論争とかだけじゃなくて、まあ、いろいろな歴史が。

0801132008w170 『このミステリーがすごい!2008年版』(平成19年/2007年12月・宝島社刊)

→公式サイト 「このミステリーがすごい!」大賞

 2008年版(平成18年/2006年11月~平成19年/2007年10月に刊行された作品が対象)のランキング結果を、まだ押さえていない方のために、さらっとご紹介しときますと、国内編ベスト1が、佐々木譲『警官の血』。そして、作家別得票数集計での第1位が、『赤朽葉家の伝説』『私の男』を送り出した桜庭一樹。今週水曜日に開かれる第138回(平成19年/2007年・下半期)の直木賞選考会でも、この二人の作品が軸になるだろう、だなんて誰が言っているのか知らないけど、まあそうらしいです。

 のけ者にするのも可哀相だから、その軸のなかに、「このミス」第14位にランクインした黒川博行『悪果』も入れてあげてちょうだいよ。どうかお願い。――なぬ? 「このミス」での評価と、直木賞の結果は全然関係ない、ですと? それを早く言ってよ。でも、せっかく乗りかかった船なんだから、その全然関係ない2つを、無理やりクロスさせるってのはいかがでしょう。そうさ、9作めの“「このミス」トップ20入り&直木賞受賞”作品の誕生なるか、はてまた、「このミス」で取り上げられながら直木賞に袖にされた多くの同輩たちの仲間に、この3作が加わってしまうのか。過去のデータを振り返って、ああだこうだ考えてみたいのです。

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2008年1月 6日 (日)

文蔵 2008.1(Vol.28) 特集「「直木賞」の基礎知識」

 正直なところ、さまざま意味で相当取り上げづらい文献なんですけど、ここはやっぱり思い切りまして。なにせ、この対談は、ため息が出るほど貴重です。

080106w170 『文蔵 2008.1 Vol.28』(平成20年/2008年1月・PHP研究所/PHP文庫)

 本題に入る前に、軽く解説です。『文蔵』とは、PHP研究所が平成17年/2005年10月に創刊した文庫本スタイルの月刊誌。まあ、正式な分類とすれば“雑誌”じゃないんでしょう、書店の雑誌コーナーに行っても、なかなか見かけませんが、そんなときはどうぞ、PHP文庫の文庫棚に足を運んでみてください。

 内容は連載小説、連載エッセイがてんこもりの文芸誌。えー? PHP研究所が文芸なのー? とかついつい思いがちなんですが、最近の直木賞とはなかなか縁深い出版社だったりします。この前の直木賞、受賞作は幻冬舎の本でしたが、その作家さんを10年前、小説家としてデビューさせたのは、なにを隠そうPHP研究所なんですよね。

 ん、この前の直木賞って、いったい誰がとったんだっけ、だなんて、またまたトボけちゃって。ほら、『東洲しゃらくさし』の松井今朝子さんですよ。

 さあ、その『文蔵』の最新号の特集が、「日本一有名な文学賞の素朴な「なぜ?」に答えます 「直木賞」の基礎知識」と来ました。いつものワタクシなら、いやみやツッコミの一つや二つ、たらたらつぶやくところなんですが、まあ今日は、そういう“毒”はなるべく抜きで。どうかお察しください。

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2007年12月30日 (日)

大いなる助走 (その2)

 そして、掟破りの2週連続。先週は、かなり道を踏み外し、おそらく良識ある読書好きの方々をもヒかせてしまったかもしれないので、今年最後、まじめに地道に取り組みます。

071223w170 『大いなる助走 新装版』筒井康隆(平成17年/2005年10月・文藝春秋/文春文庫)

 本書の単行本版は、昭和54年/1979年3月15日第一刷。オビに書かれた言葉は、こんな感じです。

○オモテ筒井康隆が文壇を恐慌に陥れた今世紀最大の問題作」

○ウラ「これまでの筒井康隆は単なる〈天才〉だった。ところがこの、言語道断の傑作「大いなる助走」によって紙一重をとびこえ、とうとう〈狂人〉の域に達してしまった。文学デーモンの仕業だ。――山藤章二」

 作品のインパクトを考えると、案外おだやかなオビです。おだやか、っていうのは、つまり直木賞(もしくは直廾賞)とか落選とか選考委員殺しとか、そういう具体的キーワードを一切出さず、いかにも景気づきそうな言葉のみを並べている、って意味です。

 ご本人の回想によりますと、この本、当時8万部売れたのだとか。

 ってことで、しばらくは、その回想「「大いなる助走」騒動」(平成1年/1989年7月・中央公論社刊『ダンヌンツィオに夢中』所収)から、つまみ食いさせてもらいます。

「あのう、文藝春秋がこの作品を単行本にした時はですね、さすが文藝春秋、文壇批判の作品も堂堂本にしたといって褒める声が多く、文藝春秋は株をあげたんですよね。まあ、その裏では今は亡き某重役が自粛を命じ、部数を抑えた、などということもあったらしい。「ふつうに売ってりゃ十万部は越えてる作品だったんだけどねー。ひっひっひー」とある人に語ったことを、そのある人が教えてくれた。」

 10万部を軽く越えるはずのところ、それでも8万部。でね、その後平然と文庫化されて、もっと売れ、世紀を超え30年経とうっつう今もなお、平然と売っちゃっていることを考えると、ああ、某重役の“自粛”っていったい何だったんでしょうかねー。組織人の悲哀が、しみじみと伝わってくるなー。

 さすがの文藝春秋といえども、話題性+売上と、文壇長老への気兼ねを天秤にかけて、思い切って単行本にしたのは、英断だったことでしょう。いや、そもそも『別冊文藝春秋』で連載を始める段階でも、相当の勇気が要ったことだろうな。となれば、初出誌もチェックしなけりゃ年は越せませんよ。

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2007年12月23日 (日)

大いなる助走

 お待たせしました。直木賞の関連書を紹介するブログのくせして、筒井康隆の本を一冊も出さないとは、何様のつもりだ。しかも、この小説のことを一度も語らないとは、断じて許さん! との雨あられの非難をスルリとかわすためにも。

071223w170 『大いなる助走』筒井康隆(昭和54年/1979年3月・文藝春秋刊)

 おそらく『巨船ベラス・レトラス』の話題性をもっと煽るために、文春文庫版の『大いなる助走』が23年ぶりに新装版として再び書店にあらわれたのが、平成17年/2005年のこと。なんだかんだ言っても、本書で描かれる大作家たちのモデルとなった、アノ人やコノ人の小説が、書籍の流通から抹消されて久しいこの時期、しぶとく本書が生き残っているのは、頼もしい限りです。

 で、本書をどんな切り口から取り上げましょうか。

 たとえば、候補者の青年にぶっ殺される「直廾賞」選考委員の面々が、実際のどの作家をモデルにしているか、なんてのは、すでに発表直後の昭和54年/1979年、平石滋さんが詳細に論じているしなあ。さらに、その論稿「『大いなる助走』と直木賞の“事実部分”」が収められている『筒井康隆はこう読め』(昭和56年/1981年2月・CBS・ソニー出版刊)では、平岡正明さんが、

「落ちた、怒った、殺(ルビ:バ)ラした。これでなければ筒井ではない。」

 と筒井ファンとしての正しい読み方を規定しちゃっているしなあ。

 まあ、こちとら純正ツツイストじゃないんだから、やっぱり、直木賞専門サイトにふさわしい見方を採りたいと思うわけです。

 つまりは、これ。「「大企業の群狼」は、現実の直木賞でもやはり落選するか」。

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2007年12月16日 (日)

文壇資料 十五日会と「文学者」

 困ったときには、定番の書籍を。定番といったって、決して万民向けでないことは承知していますが、同人誌『文学者』の存在はやっぱり、直木賞に興味があるなら、ぜひ押さえておきたいところですもの。

W170 『文壇資料 十五日会と「文学者」』中村八朗(昭和56年/1981年1月・講談社刊)

 そう、何が困ったといって、今日、急にワタクシの使っているPCの外付けハードディスクがぶっ壊れてしまい、このブログのためにいろいろ準備していたファイルが、まったく取り出せなくなってしまったこと。こんなときは、基礎資料中の基礎資料で、お茶を濁させてもらおう、ってわけです。

 お茶を濁すだなんて失礼な。丹羽文雄御大ひきいる一大文学集団『文学者』は、その関わった人びとのなかから、直木賞の歴史を彩るさまざまな作家を輩出している、重要な同人誌なんですぞ。とくに、そのほとんどが、直木賞受賞者群、というより、候補者群のなかに名を刻んだ人たちですが。

 野村尚吾小田仁二郎榛葉英治瓜生卓造小泉譲峰雪栄小沼丹瀬戸内晴美津村節子武田芳一林青梧……、と本書の途中までで登場する人名を並べてみても、シブい名前がずらずらずら。

 いやいや、何といっても、これを書いた中村八朗さんその人こそ、直木賞マニアにとっては、師匠格の丹羽文雄よりもずっと、重要人物としてマークしなきゃいけない人なんです。“ほぼ受賞作家”として名高い長谷川幸延と並んで、直木賞候補回数7度、そのわりに、今手に入る作品の、なんと少ないこと。

 ハチロー君、誰かれがみんなあなたのことを忘れてしまおうとも、ワタクシだけは絶対、あなたのことを忘れやしません。きっといつか、7度の候補に挙がった8つの作品、読ませていただきます。

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2007年12月 9日 (日)

書店風雲録

 言うまでもなく、直木賞と書店とは、切っても切れない関係にあります。受賞作家やら文壇内部のおハナシはひとまずお休みして、今日は書店員の方のご高説を拝聴いたしましょう。

071209w170 『書店風雲録』田口久美子(平成19年1月・筑摩書房/ちくま文庫)