カテゴリー「直木賞の発行・売上部数」の31件の記事

2017年1月 8日 (日)

第90回直木賞『私生活』「秘伝」の単行本部数

第90回(昭和58年/1983年・下半期)直木賞

受賞作●神吉拓郎『私生活』(文藝春秋刊)
11万5,000
受賞作●高橋治「秘伝」所収『秘伝』(講談社刊)
10万部前後

※ちなみに……

第90回(昭和58年/1983年・下半期)芥川賞

受賞作●笠原淳「杢二の世界」収録『杢二の世界』(福武書店刊)
10万部前後
受賞作●高樹のぶ子「光抱く友よ」収録『光抱く友よ』(新潮社刊)
10万部前後

 第90回の直木賞は昭和59年/1984年1月に決まりました。対象期間は、昭和58年/1983年・下半期です。

 受賞したのは、芥川賞も含めて、定員いっぱいのぎっしり4人。受賞者がひとりだろうが何人だろうが、売り上げに跳ね返るわけじゃないんでしょうが、興行としては、写真や画面にうつっている人数の多いほうが、とりあえず盛り上がっている観は醸し出せます。おそらく盛り上がったんでしょう。全然おぼえていません。

 いや、単純に考えても、芥川賞はともかく、この二人が直木賞を受賞して、騒ぎや祭りになる気がまったくしません。「直木賞なんて、完全におっさんのための、時代遅れな文学賞だよな」ぐらいの感想をもたれたって、しかたないと思います。

 それで受賞した作品が、娯楽として楽しめるものなら、まだハシャギようもありますが、これがまた二作とも、途轍もなく地味すぎる小説でした。ほんとに直木賞というのは、変な賞です。

 また今回も、『出版月報』の記事から、当時の観測を引かせてもらいますが、こう言われています。

「芥川・直木賞は受賞作品は、既刊の「私生活」以外は2月新刊ですが、例年に比べてややもの足りず、各版元とも部数は慎重です。」(『出版月報』昭和59年/1984年2月号より)

 既刊だった神吉さんの『私生活』は、初版が昭和58年/1983年11月ですが、当然といおうか、重版の声がかからないなかで1月の選考会を迎え、受賞してから2刷が決まりました。

 この本が、どのくらいの部数まで行ったのか。『創』昭和62年/1987年10月号[9月]に記載されています。

 昭和58年/1983年度の、文春の単行本ベスト・ファイブで第4位にランクイン。……11万5,000部だそうです。

 地味な作品の割りには堅調な動きじゃないか、と言ってしまいましょう。この年の文芸書ベストセラ―に加わるほどの大部数ではなかったものの、10万部をわずかながら超えて、直木賞受賞作に期待されている最低ラインの責任(?)は果たしました。

 おそらくそのままなら初版(きっと1万部にも満たない部数)で終わったかもしれない、技と気品のある作品集を、これだけ売れさせるのだから、十分な効果だし、さすが直木賞ですよね。

 と、ふつうの感覚なら、そう考えると思いますが、あわよくば20万部、30万部ぐらいのベストセラーを求める貪欲な商売人たちにとっては、やはり、もの足りなかったかもしれません。要するに、よく言われるように、「直木賞・芥川賞に対する周囲の期待は、いつでも過剰」ってやつです。

 『私生活』以外の他の3作も、とくべつ爆発することなく、まあ、そこそこだったらしいです。

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2017年1月 1日 (日)

第95回直木賞『恋紅』の単行本部数

第95回(昭和61年/1986年・上半期)直木賞

受賞作●皆川博子『恋紅』(新潮社刊)
初版7,000部→7万(受賞約1年で)

 今日は正真正銘、一切、季節や時流とは関係のない直木賞のハナシに徹したいと思います。

 昭和60年代です。20万部を超える受賞作がぽつりぽつりと生まれるなかで、とくに大きく売れたというハナシを聞かない受賞作のひとつに、第95回(昭和61年/1986年・上半期)の皆川博子さん『恋紅』があります。

 このころ、芥川賞のほうは〈該当作なし〉がけっこう頻発しました。つまり受賞決定後に、直木賞だけ書店に華々しく並べられる、っていう機会が何度もあったわけです。ライバルとなる受賞作がない。直木賞にとっては、売り上げを伸ばす絶好のチャンス! だったかもしれません。

 だけど、直木賞だけしかないから直木賞が売れるのか。というと、どうやら、そんなことはないみたいです。

 『恋紅』について、まず初版の部数ですが、7,000部だったといいます。

「『恋紅』は初版が七千部。二刷二万部、三刷三万部の増刷が決定した。」(『週刊文春』昭和61年/1986年8月7日号「行くカネ来るカネ 私の体を通り過ぎたおカネ」より)

 だいたい標準的な初版刷り部数だと思います。受賞してから、すぐに2万部、さらに3万部、という増刷具合もおそらく、直木賞の通例どおりです。昭和61年/1986年7月から数か月、たった一作の「直木賞受賞作」として広く全国の書店店頭におかれましたが、販売状況は、かなりイマイチでした。

 そもそも時代小説の受賞作は、大して売れない。っていうジンクスが出版界を席巻してもおかしくないくらい、直木賞の時代小説は、(売り上げ的に)厳しいものがあります。なので、これは仕方ありません。

 8月の市場概況をレポートした『出版月報』9月号では、はっきり「直木賞の「恋紅」は伸びなやみ。」と書かれ、翌年の『出版指標 年報1987』(昭和62年/1987年3月)にいたっても、部数はさほど伸びなかったことが明らかにされました。

 その数、7万部。……当時の直木賞受賞作などと比べても、ほぼ最低水準と言っていいです。

 しかし、だいたい文芸出版の住人たちは、芥川賞のことが大好きなので、わざわざ直木賞に注目して「直木賞のくせに売れないでやんの」などと口汚く攻撃する手はほとんどなく、〈芥川賞は該当なしばかりでもう駄目だ〉だの、〈選考委員に女性を入れろ〉だの、そっちばかり盛り上がって、楽しそうにしていました。

 うらやましい話です。

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2016年12月25日 (日)

第119回直木賞『赤目四十八瀧心中未遂』、同回芥川賞「ゲルマニウムの夜」「ブエノスアイレス午前零時」の単行本部数

第119回(平成10年/1998年・上半期)直木賞

受賞作●車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋刊)
9万4,000

※ちなみに……

第119回(平成10年/1998年・上半期)芥川賞

受賞作●花村萬月「ゲルマニウムの夜」収録『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋刊)
10万部→?
受賞作●藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」収録『ブエノスアイレス午前零時』(河出書房新社刊)
24万(受賞1年で)

 こないだ、せっかく新しい回の候補も発表されたことだし、何か第156回(平成28年/2016年・下半期)とからめたブログ記事にしたほうがいいんじゃないか。

 と思ったんですけど、無理やりつなげようとすると、だいたい失敗するので、いつもどおり何げない過去の受賞作の部数のことだけ調べたいと思います。

 それで第156回は、候補の段階では、なかなか「これだ!」という目玉の話題に乏しいラインナップだと思うんですが、そのなかでも強いて注目点をさがすとすれば、宮内悠介さんの芥川賞候補入り、っていうことになるでしょうか(……まあ、そこに注目するのは、こっちが直木賞偏愛者のせいだからかもしれませんけど)。

 最初、芥川賞候補だった人が、転じて直木賞のほうの候補になる例は、過去をみても腐るほどあります(いや、腐るほどはないか)。逆に、はじめは直木賞の候補だったのに、その後に芥川賞候補に、という経緯をたどった人は、長い両賞の歴史でも7人しかいません。

 そのまま芥川賞を受賞した松本清張さんや津村節子さん、けっきょく最後は直木賞に戻されて受賞した和田芳恵さんのほか、どちらも受賞できなかった4人が誰なのかは調べてもらえればすぐ出てくると思います。宮内さんで8人目です。

 8例目なんだから大して珍しくない……っていうことかもしれません。だけど、こういうことでも多少の盛り上がりのネタにしたがるのが、悲しき直木賞・芥川賞脳の思考回路ってやつで、ほんとに自分でも悲しくなるんですが、今日はこの「たった二つの文学賞にすぎない直木賞←→芥川賞の、結果の組み合わせでピーピー盛り上がった」第119回(平成10年/1998年・上半期)の、部数のハナシでいくことにします。

 ……と、けっきょく、無理やりつなげようとしてしまいました。つなぎの甘い部分は、気にせずに、先に進みますけど、まずは第119回の芥川賞です。

 二つ選ばれた受賞作のうち、いちおう話題の一端を担ったのは、「ゲルマニウムの夜」の花村萬月さんでした。

 エンタメ作家が、仕事の一環でたまたま『文學界』に短編を書いたところが、それが芥川賞になるなんて、いったい「純文学の新進作家を発掘する」という創設の理念はどこに行っちまったんだ! と気炎をあげた芥川賞マニアは、当時も少なくなかったと思います。

 文芸のボーダーレス化、ビッグバン、クロスオーバー、その他なんでもいいんですけど、第119回の受賞後に(主に直木賞・芥川賞脳をもった出版関係者界隈で)盛り上がった結果の、いっぽうは花村さんで、もういっぽうは直木賞の車谷長吉さんでした。

 何しろ、マスコミがばんばん取り上げてくれます。『ゲルマニウムの夜』の発売は9月中旬と、ちょっと遅めになりましたが、どこまで売り上げを伸ばしてくれるかと、やはり期待されたそうです。

「出版界では「大衆文学の直木賞に比べ純文学の芥川賞は売れない」というのが定説だ。ボーダレス化は作品のヒット指数も変化させるだろうか。今回の取材ではおしなべて「花村氏の今後に期待」という声が聞かれた。」(『日経エンタテインメント!』平成10年/1998年10月号「TOPICS 芥川賞は直木賞より売れるようになるか?」より)

 車谷さんの『赤目四十八瀧心中未遂』のほうも、純文芸誌への連載をまとめたものにしては、受賞前に一度、重版がかかっていて、まずまずの動きでした。こちらも、受賞効果を受けて、さらに爆発してもおかしくはなかったと思います。

 ところがです。両書とも、その後はあまり芳しい売れ行きの話題が聞かれません。

 『ゲルマニウム~』は、事前の期待感から、どっと10万部程度までは刷られたらしいですが、その後の伸びに欠き、「話題になった割りには……」という感じで収束してしまいます。

 『赤目~』のほうもやはり、話題ばかりが先行といった観は否めず、9万部ぐらいまで行ってピタッと頭打ち。『読売新聞』平成28年/2016年2月1日夕刊の「ロングセラーの周辺」で紹介された折りにも、単行本は9万4,000部だった、ということなので、はっきりいえば、直木賞受賞作のなかでも、そんなに売れなかった部類に属します。

 どちらも、売り上げの面では、かなり盛り下がる結果に終わりました。

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2016年12月18日 (日)

第96回直木賞『カディスの赤い星』『遠いアメリカ』の単行本部数

第96回(昭和61年/1986年・下半期)直木賞

受賞作●逢坂剛『カディスの赤い星』(講談社刊)
初版7,000部→12万(受賞約1年で)
受賞作●常盤新平『遠いアメリカ』(講談社刊)
11万(受賞約1年で)

 のちに直木賞をとることになる単行本は、はじめ初版でどのくらい刷られたものだったのか。

 これをすべて調べて並べるだけでも、すごく面白いリストができるはずです。でも、ほとんど実現は不可能に近いので、ちょっとやる気が起きません。

 穴だらけで何の参考にもなりゃしないですけど、昭和60年代からの、ここ30年ぐらいの数字であれば、初版部数が何となくわかっている作品もあります。

昭和60年/1985年 9月刊 森田誠吾『魚河岸ものがたり』 7,000部
昭和63年/1988年11月刊 藤堂志津子『熟れてゆく夏』 8,000部
平成 4年/1992年 5月刊 伊集院静『受け月』 1万5,000部
平成 7年/1995年 5月刊 赤瀬川隼『白球残映』 7,000部
平成11年/1999年11月刊 なかにし礼『長崎ぶらぶら節』 8,000部
平成19年/2007年 3月刊 松井今朝子『吉原手引草』 8,000部
平成21年/2009年 7月刊 佐々木譲『廃墟に乞う』 2万0,000部
平成22年/2010年11月刊 池井戸潤『下町ロケット』 1万8,000部
平成26年/2014年 9月刊 姫野カオルコ『昭和の犬』 6,000部
平成28年/2016年 3月刊 荻原浩『海の見える理髪店』 1万0,000部

 出版業界全体では、初版部数って徐々に少なくなっている、とよく聞きます。だけど、これだけじゃその傾向は見えません。ほんと何の参考にもなりませんでした、すみません。

 それで今日は、ちょうど30年前の第96回(昭和61年/1986年・下半期)のことですが、急激に勢いをもちはじめた冒険小説界から、はじめて直木賞をとった逢坂剛さんが、当時の出版部数の状況を、こんなふうに回想してくれています。

「版元の講談社がその(引用者注:昭和56年/1981年より)少し前に当時無名の作家、船戸与一の『非合法員』をハードカバーで出し、みごとに失敗して懲りたいきさつから、『裏切りの日日』はお手軽なソフトカバーで、出版されることになった。初版部数も、今のような出版不況とは無縁の時代だったのに、わずか六千部にとどまった。そしてみごとに、初版で絶版という結果に終わる。」(平成24年/2012年2月・理想社刊、逢坂剛・著『小説家・逢坂剛』所収「私がデビューしたころ」より ―初出『ミステリーズ!』2号[平成15年/2003年])

 どうも逢坂さんの口ぶりでは、80年代での初版6,000部は少なかった、と言っているようです。だけど、意欲作とはいえ新人の本だから、当時でもそのぐらいが妥当じゃなかったんじゃないでしょうか。

 じっさい、出版不況とは無縁の時代ではあったでしょうが、そのわりに直木賞の受賞作の売り上げを見ると、いまとあんまり変わりません。

 『裏切りの日日』から5年後の昭和61年/1986年、『百舌の叫ぶ夜』ではじめて増刷を経験し、それから間もなく刊行された『カディスの赤い星』は、〈いまノッている作家〉×〈でもむちゃくちゃ分厚くて定価も高い〉という判断があったんでしょう、『裏切りの日日』よりも多少上積みされた程度で、初版は7,000部だったと言います。

 ちなみに同じ時代の候補作家、と言っていい森田誠吾さんの場合、『曲亭馬琴遺稿』(昭和56年/1981年3月)と『魚河岸ものがたり』(昭和60年/1985年9月)がともに、初版7,000部だったらしいです。いやいや、そんな、はなから売れそうもない地味な本と冒険小説をいっしょにするな! という気もしますが、新人の小説としては、驚くほど少ない部数でもなかったんでしょう。

 『カディス~』は、昭和61年/1986年7月に発売されたあと、なかなか好調な動きを見せたらしく、翌年1月の直木賞選考会までに、四刷までは行ったと推測されます。それで受賞が決まって一気に増刷、1月末~2月上旬にかけて全国の書店に一斉に配本、となったうえに、さらには、推理作家協会賞だの冒険小説協会大賞だのも受賞してしまう追い打ちがかかりました。

 『出版月報』によれば、直木賞から約1か月で11万部程度まで上昇。ところが、その後はパッタリ勢いがなくなったそうです。

 『出版指標 年報1988』(昭和63年/1988年3月)では、「文学賞受賞作の売れ行きは低調」という小見出しのもとで、『カディス~』12万部と紹介されています。

 出版不況と縁があろうがなかろうが、直木賞パワーっつうのは、どうも爆発力が稀薄なようです。

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2016年12月11日 (日)

第97回直木賞『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『海狼伝』の単行本部数

第97回(昭和62年/1987年・上半期)直木賞

受賞作●山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』(角川書店刊)
9万(受賞決定後)20万(受賞半年で)
受賞作●白石一郎『海狼伝』(文藝春秋刊)
11万3,000部→?

※ちなみに……

第94回(昭和60年/1985年・下半期)芥川賞

候補作●山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社刊)
18万

第97回(昭和62年/1987年・上半期)芥川賞

受賞作●村田喜代子「鍋の中」収録『鍋の中』(文藝春秋刊)
10万

 直木賞の報道史に燦然とかがやく山田詠美さんの、「これは作家というより芸能人だ!」と巷間言われた大騒ぎの受賞会見は、いまであれば、もっと大変なことになっていたかと思います。

 じっさい、当時も大変なことにはなったはずですが、いったいどの程度の売れ行きだったのか。これがなかなか謎のなかです。

 担当編集者の石原正康さんは、いまでもヒットメイカーで名を馳せていますから、担当した△△が何十万部、××が何十万部と、生み出した本の具体的な部数とともに、その経歴が紹介される場面をよく目にします。だけど、山田さんの『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』が何十万部行ったのか、そういうところには顔を出しません。

 昭和62年/1987年の年間ベストセラーランキングでも、上位には上がらず。その後の山田さんの仕事ぶりのあったおかげで、コツコツと増刷されていったんでしょうけど、あれだけ騒ぎになった受賞の割りには、「受賞したから売れた」感じが稀薄です。

 ああ、これが芥川賞だったら、50万とか100万とかも夢ではなかったのに。

 ……と、いつもながらの直木賞ひがみ節を吐いたところで、受賞した年の部数動向のハナシですが、『毎日新聞』紙上の広告を見ると、8月28日に「大増刷出来! 20万部突破!」とありました。しかし9月22日夕刊では「増刷 ベストセラー」と、トーンダウンしていて、部数で煽るやり方をやめています。

 『出版月報』での記述などでも、やはり、受賞直後に一気に勢いがつきそうだったのに、すぐに失速した様子がうかがえます。

 8月号の「出版傾向Q&A」では順調に9万部、9月号では好調に16万部、と伸ばしているんですが、10月号では「夏期の芥川賞・直木賞作品は売れ行きが伸びず、」と伸び悩みが指摘され、『出版指標 年報1988』(昭和63年/1988年3月)ではけっきょく、20万部、と記録されました。

 ほかの直木賞受賞作に比べたら、健闘した部類でしょう。だけど、1年前の山田さんの超話題作『ベッドタイムアイズ』は、『出版指標 年報1987』によれば、18万部まで伸びたと紹介されています。加えて、アノ派手な受賞まわりの騒がしさ。……もっととんでもない売り上げが残っても、おかしくなかったと思います。

 ほんとに直木賞というのは、これほどの好条件が揃っても、そうやすやすとは爆発しないという。期待どおりと言いますか、期待外れと言いますか、直木賞という賞に、もうちょっとのカリスマ的人気があればよかったのになあ。

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2016年12月 4日 (日)

第98回直木賞『それぞれの終楽章』の単行本部数

第98回(昭和62年/1987年・下半期)直木賞

受賞作●阿部牧郎『それぞれの終楽章』(講談社刊)
8万

※ちなみに……

第98回(昭和62年/1987年・下半期)芥川賞

受賞作●池澤夏樹「スティル・ライフ」収録『スティル・ライフ』(中央公論社刊)
初版3万部→9万
受賞作●三浦清宏「長男の出家」収録『長男の出家』(福武書店刊)
初版4万部→9万

 直木賞史のなかの地味回のひとつ、第98回(昭和62年/1987年・下半期)です。

 何ということもない回かもしれません。

 ちょうど、山田詠美さんの受賞会見があった第97回と、人気者・景山民夫さんの受賞した第99回、そのあいだに挟まれているのも、地味さを際立たせている要因なんだと思います。

 いや、阿部牧郎さんってそんなに地味な作家か。といえば、特別そんなことはないと思いますけど、この回候補になった8人の顔ぶれが、最年少は40歳(小杉健治さん)で、他はアラフィフ、アラカンのおじさんがずらりと揃い踏み。となれば、落ち着いた大人の品格といいますか、突飛で目立ったことをしてくれそうな気配は、微塵もありません。そんなに印象に残るような回にならなかったのも、当然な気がします。

 受賞作の『それぞれの終楽章』も、これもまた、きらびやかさとは縁遠い、たぶん50歳、60歳にならないと魅力がわからない類いの作品。なんじゃないかと推測します。残念ながらワタクシには、まだちょっとピンとこないので、推測です。

 さて、部数のハナシですけど、また今回も『出版月報』を参照しました。

 昭和63年/1988年3月号では、10万部突破、という記事も見えましたが、翌月には、

「芥川賞・直木賞はいずれも地味な動きで仲々底辺が拡がらない。」(『出版月報』昭和63年/1988年4月号)

 とあって、部数のほうも8万部ほどだ、とガクッと下方修正報道されています。

 その直後に、直木賞(と芥川賞)のライバルとして創設された山周賞と三島賞の、第1回発表がありました。もしもそっちの受賞作がド派手に売れまくったりしていたら、一年目から「山周賞は直木賞を超えた!」などと煽られていたんじゃないかと思います。しかし、山周賞の『異人たちとの夏』もそれほど動かず(7万部ぐらいで止まったようです)、両者痛み分けに終わりました。

 これが他の直木賞に比べてどのくらいの水準だったのか。同じころの受賞作部数を見てみますと、一年半後の第101回、「売れなかった受賞作」と言われる『遠い国からの殺人者』が、推定部数7万部です。

 こうなってくると、『遠い国から~』だけをことさら「売れなかった」扱いしていいのか、ちょっと考えを改めなきゃいけませんが、阿部さんの場合はもう、長いあいだ直木賞をとらせる/とらせないで不愉快な思いをしてきただろうなあ、という思いが先に立ってしまうので、それが10万部届かなかったとしても、そんなに悲惨な感じはしません。

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2016年11月27日 (日)

第40回直木賞『落ちる』と第38回芥川賞「裸の王様」、第39回「飼育」の単行本部数

第40回(昭和33年/1958年・下半期)直木賞

受賞作●多岐川恭『落ちる』(河出書房新社刊)
3万

※ちなみに……

第38回(昭和32年/1957年・下半期)芥川賞

受賞作●開高健「裸の王様」収録『裸の王様』(文藝春秋新社刊)
6万5,000

第38回(昭和32年/1957年・下半期)、第39回(昭和33年/1958年・上半期)芥川賞

候補作・受賞作●大江健三郎「死者の奢り」「飼育」収録『死者の奢り』(文藝春秋新社刊)
5万(受賞前まで)7万

 直木賞の(いや、芥川賞の)部数の世界で、『太陽の季節』22万5千部が強烈な存在感を示したことは、これはもう動かしがたいと思います。

 じゃあ、同じ回(第34回 昭和30年/1955年・下半期)に受賞した新田次郎『強力伝』とか邱永漢『香港』は、どのくらい部数が出たのか。知りたくてしかたないんですが、よくわかりません。……わからないので、『太陽の季節』のすぐあと、部数の件で(も)大いに世間をにぎわした、と思われる芥川賞のハナシでお茶を濁すことにします。

 石原慎太郎さんの場合は、受賞の瞬間はそれほどでもなく、それから後に一気に騒がれたっていう代表的な受賞例ですが、いまワタクシたちの目の前にあるような、選考前から多くのひとに注目されて受賞と同時にどっと騒がれる、っていう芥川賞の姿は、おそらく石原さんから2年後、昭和32年/1957年・下半期から始まったようです。開高健 VS 大江健三郎の世紀の大決戦、ってやつです。

 世紀の、というほど大げさなもんじゃありませんが、とりあえず選考前からわんわん報道陣がやってきて大変なもんだったよ、と開高さんがいろんなところで証言しているので、大変なもんだったのだと思います。

 そんなマスコミの盛り上がりのなか、昭和33年/1958年1月20日に受賞が決定。すると2月下旬から3月上旬にかけて、開高さんの『裸の王様』(受賞作収録)と、大江さんの『死者の奢り』(落選作収録)が、同じ文藝春秋新社から相次いで発売されるという、〈ライバル対決〉を単行本のほうでも実現させる文春の、なかなかの宣伝戦略が繰り出されました。

 まず『裸の王様』ですけど、これがかなり売れたのはたしからしいです。

「私の最初の本は文藝春秋新社からでた『裸の王様』である。昭和三十三年だった。これはたまたま芥川賞について大江君と競争することとなり、マス・コミが宣伝してくれたので、よく売れた。」(平成5年/1993年9月・新潮社刊『開高健全集 第22巻』所収「『裸の王様』」より ―初出:『本の手帖』昭和36年/1963年11月号)

 『出版年鑑1959年版』(昭和34年/1959年5月)を見ると、昭和33年/1958年のベストセラーランキングで第14位。松本清張さんの『点と線』(第19位)とか、山崎豊子さんの『花のれん』(第20位)よりも上です。

 具体的には何万部だったのか。と探していたところ、当時の『週刊読書人』や『日本読書新聞』に、それぞれの書評紙調べで部数が報道されていることがわかりました。

「こんどの芥川賞を最後まで競った開高健「裸の王様」と大江健三郎「死者の奢り」は二月下旬、三月上旬と相前後して発売(ともに文芸春秋新社)売行きの面でも競り合い、前者が五万、後者が三万五千というところだが一週間早くでた「裸の王様」がスタートのよさもあろうが受賞作の貫禄を示した。(引用者中略)しかし両書とも前宣伝は相当なものだったがその割に伸びなかったようだ。」(『日本読書新聞』944号[昭和33年/1958年3月31日号]「出版界レポート」より)

 発売1か月足らずで5万部とか3万5000部も行っているのに、「その割に伸びなかったようだ」と言ってしまう感覚がよくわかりません。やはり発売後一気に10万部とか15万部まで売れたとかいう『太陽の季節』の記憶が、まだ生々しく残っていたんでしょうか。

 両書はその後も、順調に部数を伸ばして、4月半ばで『裸の王様』5万8000部、『死者の奢り』4万7000部(『日本読書新聞』948号[4月28日号])、6月までで前者6万5000部、後者5万部(『週刊読書人』232号[7月7日号])ということになっています。

 しかし年末の年間回顧では、もう書名は挙がっていないので、おそらくどちらも10万部を超えることはなかった模様です。『裸の王様』6万5000部前後だった、と見るのが妥当なんでしょう。

 ちなみに直木賞のほうでは、山崎さんの『花のれん』が、『週刊読書人』254号[12月15日号]「今年の出版界」の記事で、「一〇万部のラインには達しなかったが、(引用者中略)目立った」文芸書のひとつとして挙げられていました。『出版年鑑』の順位では、『裸の王様』のほうが上でしたけれど、部数としてはたぶん、こちらのほうが多かったんじゃないかと思われます。

 で、ここまで引き立て役にまわってきた大江さんの『死者の奢り』。上半期は〈受賞作の貫禄〉ってやつに負けて、ずっと後塵を拝しましたが、7月の芥川賞で、同書収録の「飼育」が受賞することになってしまいます。

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2016年11月20日 (日)

第115回直木賞『凍える牙』、第116回『山妣』、第117回『女たちのジハード』『鉄道員』の単行本部数

第115回(平成8年/1996年・上半期)直木賞

受賞作●乃南アサ『凍える牙』(新潮社刊)
16万(受賞半年で)17万

第116回(平成8年/1996年・下半期)直木賞

受賞作●坂東眞砂子『山妣』(新潮社刊)
約2万(受賞前まで)+7万(受賞した月)10万8,000

第117回(平成9年/1997年・上半期)直木賞

受賞作●篠田節子『女たちのジハード』(集英社刊)
約2万(受賞前まで)+5万(受賞した月)23万7,000(受賞半年で)25万
受賞作●浅田次郎『鉄道員』(集英社刊)
約8万(受賞前まで)+10万(受賞した月)69万(受賞半年で)101万(受賞1年半で)155万

※ちなみに……

第115回(平成8年/1996年・上半期)芥川賞

受賞作●川上弘美「蛇を踏む」収録『蛇を踏む』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→11万

第116回(平成8年/1996年・下半期)芥川賞

受賞作●柳美里「家族シネマ」収録『家族シネマ』(講談社刊)
27万
受賞作●辻仁成『海峡の光』(新潮社刊)
22万

第117回(平成9年/1997年・上半期)芥川賞

受賞作●目取真俊「水滴」収録『水滴』(文藝春秋刊)
8万

 直木賞の部数をテーマにしてから、だいたい半年。いちおう折り返し地点なんですが、うーん、なかなか難しいです。

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 調べやすい1990年代あたりを、小出しに取り上げながら、そのあいだにもっと昔のハナシも調べていこう。と思っているんですけど、どうもうまく行きません。

 歴代受賞作が190冊ちょっとあるうち、これまで触れることのできたのは、60冊弱。まだ3分の1も達成できていません。この分だと、だいたい1年が終わるときには、半分も超えていれば御の字、という感じです。

 来週からは(かなり心が痛いですけど)「芥川賞だけを取り上げる週」っていうのも交えながら、少しずつ直木賞のほうも埋めていこうかと思っています。

 それで今週は、前半のしめくくりとして、「直木賞のほうが芥川賞よりも売れるようになった」時期に当たる、第99回(昭和63年/1988年・上半期)からの分を並べてみました。

 ちなみにこのあと、直木賞は、第115回乃南アサ『凍える牙』が17万部、第116回坂東眞砂子『山妣』が10万8,000部、とつづき、そして第117回には、直木賞史上最大の単行本売り上げを記録する浅田次郎『鉄道員』の155万部、篠田節子『女たちのジハード』の25万部、という流れになります。

 ……なります、といいますか、流れなんかないかもしれません。部数はけっこうデコボコしています。

 受賞作の40%程度は10万部までいったかどうか疑わしく、地味めの作品であれば、そのぐらいが当たり前だった、というのはたしかだと思います。それでも過半数が10万部を超えてしまうのが「腐っても直木賞」と言われるゆえんかもしれませんが、20万部、30万部まで伸びる作品は、かなり限られています。

 こういったなかで、いきなり100万部以上の世界にまで飛び出した『鉄道員』のスゴさが光りますけど、アレはほんとに特例中の特例。とうてい基準にはならないので、今回のグラフにも入れませんでした。『鉄道員』抜きでも、直木賞の部数はほんとうに順調で、そのあとも、ほとんど不調の影は見られません。

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2016年11月13日 (日)

第114回直木賞『恋』『テロリストのパラソル』の単行本部数

第114回(平成7年/1995年・下半期)直木賞

受賞作●小池真理子『恋』(早川書房刊)
2万~3万(受賞前まで)+8万(受賞した月)29万(受賞約1年で)32万
受賞作●藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社刊)
初版5万部→25万(受賞前まで)+2万(受賞した月)35万

※ちなみに……

第114回(平成7年/1995年・下半期)芥川賞

受賞作●又吉栄喜「豚の報い」収録『豚の報い』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)4万部→13万

 芥川賞の特徴のひとつに、「こいつさえ叩いておけば、当座すっきりする」という性質があります。「昔はよかったなあ」式のことを言っておけば、だいたい気も晴れるし、うまくやれば「権威に縛られないカッコいいオレ」も演出できちゃう。ほんとに手頃なサンドバッグです。ということで(どういうことだ)、第113回(平成7年/1995年・上半期)が終わった頃にも、深刻がっている人がたくさんいました。

 それで、第114回(平成7年/1995年・下半期)の選考会がもうじき開かれるという直前のタイミングで出たのが、『AERA』が放った最強の煽り記事「芥川賞がつまらない」(目次では「特集3純文学 芥川賞の落日」、平成8年/1996年1月1日・8日号)です。

 この特集は4つのパートで構成され、「純文学の落日」「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」「今様作家養成マニュアル 家事も育児も格闘技もやる」「欧米の文学賞 「純」と「大衆」区別しない」と、いずれも速水由紀子さんの署名記事ですけど、どこを読んでも直木賞が果たしてきた・果たしている機能はガン無視され、とにかく芥川賞は芥川賞はと、芥川賞愛の強すぎる論調ばかり。読み進むにつれて気分が悪くなってしまったのは、こちらが直木賞ファンだからでしょう。おそらく。

 それはともかく、この記事の煽り具合が際立っているのは、何といっても冒頭にあります。芥川賞の落日を表現するのに、本の部数のハナシから始めているんです。「歴代芥川賞作品売り上げランキング」という、当時21位までの受賞作と部数のリストを載せたうえで、こう解説しています。

「歴代の部数上位ランキングを見ると、現在の停滞状況がよく分かる(次ページの表)。

ベスト4は村上龍『限りなく透明に近いブルー』、柴田翔『されどわれらが日々――』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、石原慎太郎『太陽の季節』。

四作は五~十年の間隔で登場、どれも時代の空気を凝縮させ幅広く関心を集め、文学の活性化に大きな貢献を果たした。

が、一九八〇年あたりから、こうした時代性、話題性を兼ね備えて売れ行きも抜群、というビッグな作品が見当たらなくなった。代わって村上春樹、吉本ばななといった芥川賞には選ばれなかった「無冠の帝王」が、その位置にいる。」(『AERA』平成7年/1995年1月1日・8日号「純文学の落日」より)

 おー、芥川賞をとらなかったら即「無冠」認定かよ、思い切った煽りするねー。というのはいいとしても、やっぱりこの切り口には無理があると思います。まず、他はすべて単行本のみの部数なのに、『太陽の季節』だけ文庫本部数(85万6000部)を使っているので、フェアじゃない。それと『されどわれらが日々――』の107万部は、発売以来、コツコツと20~30年にわたって達成したもので、他の二作とは大部数の意味合いが、けっこう違います。

 いや、そもそも、受賞作の売れた部数がそんなに重要か? 石川達三とか井上靖とか五味康祐とか松本清張とか開高健とか、第三の新人グループとか、昔の受賞者は、まるまるまとめて無視して。「芥川賞を叩きたい」という、もわっとした結論が先にあって、どうにかそこに結びつけるためにデータを都合よく並べただけじゃないの? と思う人がいても不思議じゃありません。

 ……不思議じゃない、と言いますか、じっさいにこれにケチをつけた人がいます。『エーゲ海に捧ぐ』の単行本を47万5千部売ったというツワモノ、池田満寿夫さんです。えーっ、やだー、あたしの受賞作がリストから抜けているじゃないのー、という可愛らしい(?)入りから、徐々に喉元を締め上げています。

「AERAの特集記事のなかには「エーゲ海に捧ぐ」の一行も出て来ない。レポーターの速水氏がいかにこの作品に対して無関心だったかは個人の評価の自由だが、統計リストとなると違う。何よりも統計は筆者の文学的評価とは無関係に客観的、かつ正確でなければならない。(引用者中略)しかもこのリストは公平ではないのだ。(引用者中略)何故か石原慎太郎の「太陽の季節」だけは文庫本部数になっているのである。当時「太陽族」なる流行語まで生んだ原作だったが、今日の基準から見ると単行本の発行部数が意外に少なかったのかもしれない。

当時大物新人として評価の高かった大江健三郎や、中上健次にしても、ランキングの二十一位内にも入っていないのである。純文学は文学的評価とは違って、芥川賞作家とはいえ本来何十万部も売れるものではないのだ。」(『文學界』平成8年/1996年4月号 池田満寿夫「芥川賞売り上げランキング」より)

 それでもまあ、芥川賞受賞作の売り上げ、っつうのはwikipediaにも載っているくらいですから、たぶん重要なんでしょう。直木賞の売り上げと違って。

 とりあえず、直木賞のことを取り上げる姿勢のない記事に、これ以上かかずらっても仕方がありません。盛り上がっていてうらやましいなあ、と思いながらスゴスゴと退散しますが、『AERA』のなかでこの部分だけは、紹介しておきたいと思います。

「集英社の加藤康男氏は、(引用者注:芥川賞の)改善策として『スキップ』(北村薫)や、江戸川乱歩賞『テロリストのパラソル』(藤原伊織)のようにエンターテインメント性のあるものまで文学のカテゴリーを広めて芥川賞候補にすべきだ、と提案する。」(『AERA』「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」より)

 文学性と大衆性の融合体(をめざしている)直木賞の、長年やってきた悪戦苦闘を、コケにしているとしか思えない提案です。どんだけ愛されているんだ芥川賞。そして、どんだけ無視されているんだ直木賞。と、哀しくなるところではあるんですが、その『テロリストのパラソル』、このあと直木賞の受賞作になりまして、やっぱり当然のように売れました。

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2016年11月 6日 (日)

第113回直木賞『白球残映』の単行本部数

第113回(平成7年/1995年・上半期)直木賞

受賞作●赤瀬川隼『白球残映』(文藝春秋刊)
初版7,000部→(受賞後)+4万部→7万

※ちなみに……

第111回(平成6年/1994年・上半期)芥川賞

受賞作●室井光広『おどるでく』(講談社刊)
初版(受賞後)4万部→?

第113回(平成7年/1995年・上半期)芥川賞

受賞作●保坂和志『この人の閾』(新潮社刊)
3万

 もう一回ハナシを戻して、今週はまた、平成初期の「直木賞、売れねー」大合唱のころのことです。……あっと、まちがえました、「芥川賞、売れねー」大合唱のころですね。

 平成6年/1994年7月の、第111回(平成6年/1994年・上半期)は、直木賞と芥川賞を合わせて受賞者4人。受賞作も4つあって、さあみなさん、よりどりみどりだ好きなの選んでちょうだい、という感じだったんですが、どれひとつベストセラー上位をうかがうような売れ行きは出ませんでした。

 直木賞は、既刊の海老沢泰久さん『帰郷』と、受賞後に単行本された中村彰彦さん『二つの山河』。2冊とも文藝春秋です。たしかに歴代受賞作のなかでもかなりシブめの、しっとりとした大人向けの小説で、何しろ売れれば「○○万部」というニュースも出てくるはずですが、この2冊はいったいどれだけ売れたものか、よくわからない、というくらいに地味な動きをして終わりました。まず、直木賞平均水準の10万部には届かなかったと思われます。

 いっぽう芥川賞のほうは、室井光広さんの『おどるでく』と、笙野頼子さんの『タイムスリップ・コンビナート』です。前者は、『出版月報』によれば、受賞決定後に初版4万部で緊急発売、その後、2刷目までは行ったようですけど、おそらく5万部前後といったところ。後者は、「売れないから純文芸はダメ、だとか、おいおい馬鹿も休み休み言えよ!」というテーマで本を出してしまう笙野さんの、「難解な芥川賞」の代名詞のような作品で、これもまず、ほかの3冊と同様、ベストセラーまとめ記事には登場しません。

 まあ、売れない、って言ったって、たとえば2000部と2万部じゃ10倍も違いがあり、直木賞や芥川賞の受賞作はすくなくとも、「万部」のほうの世界です。そこまで「売れない、売れない」と言われる筋合いはないんですが、とりあえず賞モノというより文芸書そのものが売れない、とやたら危機感を煽りたい人たちがいたせいで、この両賞は、かっこうの獲物となってしまいます。

 次の第112回(平成6年/1994年・下半期)には偶然、両賞とも授賞作なし、と決まったものですから、小説全般が売れないこととからめて、前期に4人も授賞させたことが皮肉られたりする始末です。

「小説が売れないと言われる今、受賞作が即ベストセラーとなり、時には何十万部も売れるきっかけになる両賞に出版社側の期待が高いのは当然。そのため、賞がやや「バブル気味」になり、それが前回の四人受賞に象徴された。」(『読売新聞』平成7年/1995年1月13日「芥川・直木賞該当作なし “バブル的受賞”に反省も 育たない大物新人」より ―署名:文化部 尾崎真理子、石田汗太)

 この記事の冒頭には、「これは現代文学の停滞を意味するのだろうか。」という文章もあります。いやあ、文芸記者の反応っつうのは、ほんと期待を裏切らないっすねえ、と感心しますけど、1期に1人ずつの授賞、というルールのなかでやっている行事で、4人授賞の次が0人なら、ちょうどいいじゃん、正常ですよね、と思うのが普通の感覚でしょう。それを、盛況の陰でやせ細ってきただの、停滞だの、よくもまあ人を不安に陥れる表現を、上手に使うもんだと思います。

 しかも最後には、しれっと、

「両賞を主催する日本文学振興会の田中健五理事長(文芸春秋社長)は、「こういうこともある。むしろ両賞の権威を高めるとしたら結構なこと」と語ったが、読者のためにも、本当にそうなることを願いたい。」(同)

 と書いてある。思わず、ウソつけ! と笑ってしまいました。どっちに転んだってどうせ、最近のこの賞には問題がある、と指をさしながら楽しむくせに。そもそも、なんで両賞の権威が高まることが、読者のためになるんですか。読者にとってはべつに、直木賞や芥川賞の授賞の有り無しなんて、喜びでも悲しみでもありませんよ。当たり前じゃないですか。

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