カテゴリー「直木賞の発行・売上部数」の49件の記事

2017年5月21日 (日)

第48回直木賞「江分利満氏の優雅な生活」の受賞作単行本部数

第48回(昭和37年/1962年・下半期)直木賞

受賞作●山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)7万部?

※ちなみに……

第28回(昭和27年/1952年・下半期)芥川賞

受賞作●五味康祐「喪神」収録『秘剣』(新潮社/小説文庫)
10万5,000

第32回(昭和29年/1954年・下半期)芥川賞

受賞作●小島信夫「アメリカン・スクール」収録『アメリカン・スクール』(みすず書房刊)
(受賞前)3,000部→(受賞後・新書判に)2万

第37回(昭和32年/1957年・上半期)芥川賞

受賞作●菊村到「硫黄島」収録『硫黄島』(文藝春秋新社刊)
約4万

第43回(昭和35年/1960年・上半期)芥川賞

受賞作●北杜夫「夜と霧の隅で」収録『夜と霧の隅で』(新潮社刊)
4万5,000

第44回(昭和35年/1960年・下半期)芥川賞

受賞作●三浦哲郎「忍ぶ川」収録『忍ぶ川』(新潮社刊)
3万8,000(発売約1か月で)約7万(発売約半年で)12万2,500

 直木賞・芥川賞といっても、オレたちの時代はそんなに売れなかった。……っていうのが、先人たちによくある回想テンプレです。いまでも、売れ行きの悪い受賞作というのは存在するので、どこまで時代のせいなのか、はっきりしませんが、たしかに昭和50年代よりまえは、5万部も10万部も売れた受賞作をさがすほうが、難しいです。

 戦前はちょっと比較しづらいのでおいておきます。戦後、10万部を超えた受賞作として、まず最初に名前が上がるのが第28回(昭和27年/1952年・下半期)、直木賞の立野信之『叛乱』11万5,000部でしょう。「直木賞だから」そんなに売れたのかといえば、かなり疑問符がつきますが、受賞の効果も多少はあった、と見られています。

 この回、芥川賞のほうは二作授賞。どちらも本になるまで時間がかかります。1月に決定した後、のちのベストセラー作家松本清張さんの『戦国権謀』(「或る『小倉日記』伝」収録)は10月の刊行。清張さんの研究本はゴマンとありますが、これなど、まず売れたとは聞きません。いっぽう五味康祐さんの『秘剣』(「喪神」収録)となると、さらに遅く、発売は2年以上たった昭和30年/1955年7月でした。

 しかしこれが功を奏したか(いや、偶然にも)、発売当初はともかく、しばらくしたのち軽装版ブーム&剣豪小説ブームの代表とも目されるほどに、当たってしまい、

「五月に出た「新剣豪伝」(引用者注:中山義秀・著)(新潮社小説文庫)を皮切りに、下半期はいわゆる“剣豪小説ばやり”が起り、雑誌でも毎月必ず数篇が載るという盛況となった。五味康祐「秘剣」「柳生連也斎」(新潮社小説文庫)がチャンピオンぶりを示す売れ行き(引用者後略)(『日本読書新聞』昭和33年/1958年12月12日号「複雑な“活況” 書籍界一年の動き」より)

 この記事によると、『秘剣』は10万部、『柳生連也斎』8万部、中山義秀さんの『新剣豪伝』が5万部だったそうです。『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月)にも、『秘剣』は昭和30年/1955月7月発売から昭和33年/1958年4月までに10万5,000部を記録、とあって、ほとんど芥川賞とは関係ないかもしれませんが、とりあえず受賞作収録本の10万部超えをなしとげました。

 いっぽうで、オレは売れなかったよ回想の急先鋒が、以前にも紹介した安岡章太郎さん(第29回芥川賞)や吉行淳之介さん(第31回芥川賞)です。同じ時代の受賞者といってもいい小島信夫さん(第32回芥川賞)もまた、このグループのお仲間のようです。

「受賞前に三千部だけ刷っていた『アメリカン・スクール』は、受賞後、新書判で二万部ほど出したが、ほとんど返ってきて出版社がつぶれそうになった。芥川賞をもらったからといって、パッとするものではなかった」(平成8年/1996年2月・産経新聞ニュースサービス刊『戦後史開封3』所収「芥川賞・直木賞」より)

 芥川賞をもらって、パッとしない人もいるでしょう。パッとした人も、いたでしょう。当時に特有のことじゃなく、その後もずっと続いたし、いまだってそうかもしれません。……などと普通のことを言い出しても、話が進まないので、先に向かいます。

 昭和30年代、よく売れたものとして判明している受賞作を挙げていくと、芥川賞では『太陽の季節』(昭和30年/1955年下半期)22万5,000部、『硫黄島』(昭和32年/1957年上半期)4万部、『裸の王様』(昭和32年/1957年下半期)6万5,000部、『死者の奢り』(昭和33年/1958年上半期)7万部、『夜と霧の隅で』(昭和35年/1960年上半期)4万5,000部、『忍ぶ川』(昭和35年/1960年下半期)12万2,500部……といった按配。直木賞となると、ぐっと少なくなって、『花のれん』(昭和33年/1958年上半期)10万部、『落ちる』(昭和33年/1958年下半期)3万部、『雁の寺』(昭和36年/1961年上半期)9万部と、このぐらいしか、いまのところワタクシは知りません。

 こないだ引用した江崎誠致さんの文に、芥川賞受賞作は1万部刷られる、という説が載っていました。それと合わせて考えてみると、3万部いったらかなりのもので、5万部ともなれば話題のヒット作、10万部なんて、たまにしか生まれない破格のベストセラー。といった様相です。

 ところで、吉原敦子さんに『あの本にもう一度 ベストセラーとその著者たち』(平成8年/1996年7月・文藝春秋刊)という本があります。昭和22年/1947年『ノンちゃん雲に乗る』から昭和53年/1978年『日本人の脳』まで、23作の「ベストセラー」の、それぞれの著者へのインタビューをまとめたものですが、そこで取り上げられた直木賞受賞作が2つあります。佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』と、もうひとつが山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活』という、昭和30年代の作品でした。

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2017年5月14日 (日)

第16回直木賞「強情いちご」「寛容」の受賞作単行本部数

第16回(昭和17年/1942年・下半期)直木賞

受賞作●田岡典夫「強情いちご」収録『小説 武辺土佐物語』(大日本雄弁会講談社刊)
初版(受賞前)1万
受賞作●神崎武雄「寛容」収録『寛容』(大川屋書店刊)
初版(受賞後)1万

※ちなみに……

第3回(昭和11年/1936年・上半期)芥川賞

受賞作●鶴田知也「コシャマイン記」収録『コシャマイン記』(改造社刊)
初版(受賞後)約1,900

第9回(昭和14年/1939年・上半期)芥川賞

受賞作●長谷健「あさくさの子供」収録『あさくさの子供』(改造社刊)
初版(受賞後)約2,900

第14回(昭和16年/1941年・下半期)芥川賞

受賞作●芝木好子「青果の市」収録『青果の市』(文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000

第19回(昭和19年/1944年・上半期)芥川賞

受賞作●小尾十三「登攀」収録『雑巾先生』(満洲文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000部→1万

第20回(昭和19年/1944年・下半期)芥川賞

受賞作●清水基吉「雁立」収録『雁立』(鎌倉文庫刊)
約1万

第29回(昭和28年/1953年・上半期)芥川賞

受賞作●安岡章太郎「悪い仲間」「陰気な愉しみ」収録『悪い仲間』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)3,000

 戦前、第20回までの直木賞は、久米正雄さんによれば「道楽的に」決められていた、とのことです。言うよねー、って感じではありますが、道楽で文学賞を決めちゃいけない理由なんて何もありません。むしろ、直木賞は道楽的ぐらいなのが、ちょうどいいのかもしれません。

 で、戦前の受賞作は、ほとんど部数がわからない、とさんざん愚痴ってきたとおりです。ただ、まったくわからないのもナンなので、おおよその見当をつけるために、芥川賞のほうを少し見てみることにします。

 『改造社出版関係資料』(平成22年/2010年2月・慶応義塾図書館改造社資料刊行委員会・編、雄松堂出版刊)というものがあります。このなかに、新刊を各取次に何部ずつ配本したのか記された資料があり、当時の部数水準を知るためには、かなり有益なものです。

 改造社から出た芥川賞受賞作の単行本は、戦前、3冊ありました。上記の資料「4.改造社の経営にかかわる内部資料」-「新刊配本帳」を見てみますと、初版の配本総数は、次のようになっています。

  •  第1回受賞 石川達三『蒼氓』(昭和10年/1935年10月19日) 2,440
  •  第3回受賞 鶴田知也『コシャマイン記』(昭和11年/1936年10月20日) 1,890
  •  第9回受賞 長谷健『あさくさの子供』(昭和15年/1940年1月19日) 2,900

 ちなみに、新小説社から出した第1回直木賞受賞作本(のひとつ)川口松太郎『明治一代女』(昭和11年/1936年3月)は、初版2,000部を刷ったそうです。改造社の資料を見ると、他の、とくに文学賞とは関係ない文芸書でも、1,500部~3,000部ぐらいのものをよく見かけます。まず2,000部前後というのが、だいたいスタンダードだったんでしょう。

 当時の芥川賞では、受賞してはじめて本になる、というケースがほとんどでしたが、そのなかで異例中の異例、単行本が受賞対象になってしまった尾崎一雄さんの『暢気眼鏡』も、受賞後あわててつくった再版普及版は、だいたい3,000部から始めたようです(受賞対象となった昭和12年/1937年4月の初版は500部だった、とのこと)。

 戦前、21冊刊行された芥川賞受賞作本のうち、文藝春秋社4冊を上まわって、5冊の版元となったのが小山書店です。その社長、小山久二郎さんの回想に、こうあります。

「その後(引用者注:『糞尿譚』と『あらがね』の好調な売れ行き後)、同人雑誌などにも注意を向けるようになり、芥川賞の候補作なども注意ぶかく観察し、宇野浩二の力なども借りて、その後に芥川賞になったほとんどの作品は、小山書店から出たもののうちからという様になった。この為、新人作家たちは小山書店を熱心に注目するようになった。私が注目した新人の作品は、処女出版であっても、少なくとも三千部は必ず売れるような出版社にのし上った。」(昭和57年/1982年12月・六興出版刊 小山久二郎・著『ひとつの時代――小山書店私史――』より)

 受賞作がどれくらい売れたかは書いてありませんが、3,000部というのが、けっこう誇れる数字だったことは読み取れます。そういえば、こないだ引用した江崎誠致さんの「小説芥川賞」にも、『糞尿譚』(昭和13年/1938年3月・小山書店刊)の初版は3,000部だった、って書いてありましたね。

 第12回(昭和15年/1940年・下半期)の櫻田常久さん以降、勧進元の文藝春秋社が、いよいよ受賞作の単行本化に乗り出し、芥川賞の世界における小山書店の天下(?)は早くも終わってしまうのですが、そのころの部数について証言しているのが、第14回「青果の市」で受賞した芝木好子さんです。当時としては多い部数だろう、と断りながらも、初版は5,000部だったはず、と書いています(『週刊読書人』昭和39年/1964年3月9日号「はじめての本」)。

 3,000部から5,000部に若干アップした、と言えるのか。実数はけっきょく不明なので、やっぱり3,000部前後で推移した、と見るべきか。細かいハナシすぎて、どうでもいいような気もするんですが、とりあえずこの段階で、芥川賞の初版は5,000部、というのが現実的な線になった、と言っておいてもいいと思います。

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2017年5月 7日 (日)

第56回直木賞『蒼ざめた馬を見よ』の受賞作単行本部数

第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞

受賞作●五木寛之 「蒼ざめた馬を見よ」収録『蒼ざめた馬を見よ』(文藝春秋刊)
3万3,000(受賞後1年で)20万6,000(受賞後6年で)→?

※ちなみに……

第56回(昭和41年/1966年・下半期)芥川賞

受賞作●丸山健二「夏の流れ」収録『夏の流れ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)8,000部→?

 直木賞の第60回は、昭和43年/1968年・下半期です。ようやくこのごろは、一般的な芥川賞偏重主義も薄れてきて、直木賞のほうも注目されるようになってきた、なんて言われはじめた時代です。

 ワタクシから見れば、「どこがだ!」とツッコミたくなるほど、当時の文献で、直木賞に言及されたものはまだまだ少なかったと思うんですが、それまでが、よっぽどヒドかったんでしょう。50年まえの直木賞ファンたちの、せつない境遇が悲しすぎます。

 とりあえず当時、芥川賞作品はだいたい2万部から、ということを夏堀正元さんが明らかにしていましたが、直木賞がそれを上まわっていた、という話は見えません。第71回(昭和49年/1974年・上半期)の藤本義一さんが、自分の受賞作が3万部行った! ということで驚いていたくらいなので、やはり直木賞のほうも、順当に売れて2~3万部見当だったんでしょう。

 直木賞史に燦然と輝くインパクトをもって登場した五木寛之さんが、「蒼ざめた馬を見よ」で受賞したのは第56回(昭和41年/1966年・下半期)。ちょうどそんな時代です。

 受賞からわずか5年で「圧倒的五木寛之ブームを解剖する」(『週刊現代』昭和46年/1971年10月14日号)なんちゅう記事が書かれるくらいに、本が売れた人ですが、同記事によれば昭和46年/1971年での売上部数は、『ゴキブリの歌』15万部、『朱鷺の墓』(空笛の章、風花の章あわせて)18万3,000部、『対論』(野坂昭如・共著)15万部、従来の作品の再版・重版分が約82万部。まあ、ものすごいです。

 それでは、直木賞の受賞作はどのくらいだったのか。……といったことは、以前もうちのブログで取り上げたことがあります。でもワタクシも、すっかり忘れてしまったので、改めて思い出してみます。

 植田康夫さんが調べて、『新評』昭和48年/1973年8月号「白夜のエンターティナー 五木寛之ズームイン」に書き残しておいてくれた数字です。

 昭和42年/1967年4月刊行の『蒼ざめた馬を見よ』は、昭和42年/1967年:3万3,000部、昭和43年/1968年:2万7,000部、昭和44年/1969年:3万4,000部、昭和45年/1970年:4万1,000部、昭和46年/1971年:3万1,000部、昭和47年/1972年:4万部、約6年の合計が20万6,000部。

 この受賞作はその後、昭和47年/1972年10月に『五木寛之作品集1』に収められ(この本もまた相当売れたらしいです)、昭和49年/1974年7月に文春文庫となりますので、さすがに単行本の増刷ペースは落ちたんじゃないかと思いますが、ロングセラー作家を標榜する五木さんの売れ方は、こういうデータからも実証できる、と植田さんはまとめています。

「それにしても、四十二年から四十七年の六年間で約二〇万部という数字は、一年間の平均増刷部数が三三〇〇〇部ということである。これでは、ベストセラーとはいえない。

ちなみに、五木の本で年間ベストセラーに入ったのは、『にっぽん三銃士』と『青春の門』自立篇だけである。だから、五木はむしろ、ベストセラー作家というより、ロングセラー作家と呼んだ方がよい。」(『新評』昭和48年/1973年8月号より)

 ひょっとしたら、受賞作が3万部ぐらい売れた、というのは当時でも珍しくなかったかもしれません。

 しかし、そのくらいの部数で毎年増刷をつづけたうえに、『さらばモスクワ愚連隊』(講談社版、同時期までに20万1,000部)、『青年は荒野をめざす』(文藝春秋版、昭和47年/1972年上半期までで32万1,000部)、『風に吹かれて』(読売新聞社版、同時期までに19万1,000部)など、じわじわ売れて10万、20万を超すような本も、ボロボロ出す。直木賞の受賞で光が当たったのは間違いないのに、直木賞作品だけが特別に売れたわけじゃない(売れなかったわけでもない)、となると、これは直木賞の力というより、五木さんのパワーと見るしかありません。

 受賞直後から、新世代の旗手だ、新しいエンタメ文学の幕開きだ、とテレビから雑誌から、さんざん五木さんを取り上げてにぎわったのに、直木賞の力、そんな程度だったのか。ほんと、だいじょうぶかよ!? と50年前のことを心配しても始まりません。せつなさを感じながら、先に進みたいと思います。

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2017年4月30日 (日)

第61回直木賞『戦いすんで日が暮れて』の受賞作単行本部数

第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞

受賞作●佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』(講談社刊)
3万部弱(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第61回(昭和44年/1969年・上半期)芥川賞

受賞作●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社刊)
30万(受賞後半年で)45万(受賞後1年で)64万(受賞後2年で)90万

 直木賞の、文学賞としての面白さは、数えきれないほどにあります。「昔と比べてモノが言えること」なんかも、そのひとつでしょう。

 「昔はよかった、でも今では……」とか、「昔は話題にもならなかった、でも今では……」とか。昔のことを引き合いに出したくなる欲求が人間に備わっていることは、私も実体験としてよくわかります。なにしろ、こういう場面では、とくに正確さは求められません。それっぽければ、「何かいいこと言った」感に包まれ、満足できてしまいます。こんなに面白いことはないし、直木賞のまわりには、こういうものが大量に渦巻いています。ハッピー・スポットです。

 ……といって、いまから紹介するハナシが芥川賞のこと、というのがまた、直木賞の悲しいところなんですが、芥川賞も、昔と比べて言及されることの多い代表選手です。とくに部数に関しては、芥川賞のほうこそ、ポツリポツリと文献に残されてきました。

 江崎誠致さんは、もと小山書店に勤務していた経緯もあり、「小説芥川賞」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月])のなかで、火野葦平さんの『糞尿譚』の部数を記しています。

「今から考えれば嘘のような話であるが、その火野葦平の「糞尿譚」が初版はわずか三千部である。しかもはじめは返品さえあった。まもなく従軍中に書かれた名著「麦と兵隊」が改造社から出版され、空前の売行きを見せてから、「糞尿譚」も何度か版を重ねた。といっても、たしか四版までだったと記憶している。

(引用者中略)

「太陽の季節」は別としても、今日芥川賞になりさえすれば、どんな地味なものでも一万部は下らないという。芥川賞に対する一般の関心が高まったことが、こんなところにもはっきりあらわれている。」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 これが、昭和34年/1959年上半期……第41回ごろの、江崎さんの観測です。第41回の芥川賞は斯波四郎さんの「山塔」で、文藝春秋新社が単行本にしましたが、まさに「地味」そのものと言っていい受賞作で、おそらくこれも初版1万部ぐらいは刷られたんじゃないかと思います。

 それから約10年後。今度は、夏堀正元さんが芥川賞の歴史を書かされる羽目になりまして、たぶん江崎さんの文章も参考にしたことでしょう。こんなふうに記録しました。

「この型破りの評判作「糞尿譚」も、初版はわずかに三千部だったということだ。そのうち、従軍中に火野が書いた「麦と兵隊」が改造社から出版されて、空前のベストセラーになってから、それにひきずられるようにして「糞尿譚」も売れたが、四版をかさねたにすぎなかった。その点、芥川賞作品は二万部はかたいといわれる現在とは、比較にならない。」(『文藝春秋臨時増刊 明治・大正・昭和 日本の作家100人』[昭和46年/1971年12月]「ドキュメント芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 江崎さんのころより増えて、2万部になっています。

 昭和45年/1970年下半期……ちょうど前週のエントリーで触れた古井由吉さん(第64回)や古山高麗雄・吉田知子(第63回)ごろのハナシです。そこから40年~50年たって、いまでは芥川賞受賞作の初版が5万部平均になったのは、増えたといえるのかどうなのか、よくわかりませんが、江崎さんや夏堀さんには、直木賞作品の部数状況も書き残しておいてほしかったなあ、と心から悔やまれます。

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2017年4月23日 (日)

第63回直木賞『軍旗はためく下に』の受賞作単行本部数

第63回(昭和45年/1970年・上半期)直木賞

受賞作●結城昌治『軍旗はためく下に』(中央公論社刊)
5万(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第62回(昭和44年/1969年・下半期)芥川賞

受賞作●清岡卓行「アカシヤの大連」収録『アカシヤの大連』(講談社刊)
17万5,000

第64回(昭和45年/1970年・下半期)芥川賞

受賞作●古井由吉「杳子」収録『杳子・妻隠』(河出書房新社刊)
21万

第66回(昭和46年/1971年・下半期)芥川賞

受賞作●東峰夫「オキナワの少年」収録『オキナワの少年』(文藝春秋刊)
約7万

 なかなか部数にまつわるネタもなくなってきました。今日は、昭和40年代後半ごろ、1970年前後の受賞作を、サラッとさらってみたいと思います。

 いまからだいたい50年ぐらい前に当たりますが、このあたりはもう、荒涼・閑散としていると言いますか、部数の不明な受賞作ばかりです。

 ベストセラー作家として(も)知られるようになった渡辺淳一さんは、そのころ(第63回 昭和45年/1970年・上半期)の受賞者です。本が売れ出したのは直木賞をとってしばらくしてからなのかと思っていましたが、意外にすぐに売れっ子になったらしく、直木賞をとった昭和45年/1970年には、早くもベストセラーリストに名前が挙がっています。

 しかし、売れたのは受賞前から準備していたという書き下ろし『花埋み』(昭和45年/1970年8月・河出書房新社刊)。受賞作(を収録した)『光と影』(昭和45年/1970年10月・文藝春秋刊)も、さすがに売れなかったわけじゃないと思いますが、どの程度の好調ぶりだったのかはわかりません。

 『出版年鑑』に書かれた『花埋み』についての解説を見ますと、

直木賞受賞作品の出版である。9月期からベストメンバーとなり、下半期から'71年はじめにかけて好調な成績である。芥川賞とともに直木賞もまた受賞によって作品の価値を一挙に高め、その出版は売れるというところにも権威があるようだ。」(昭和46年/1971年5月・出版ニュース社刊『出版年鑑1971年版』より ―下線太字は引用者によるもの)

 と、かなりのウソッパチが書いてあって、ついズッコケてしまいますけど、このぐらいのゆるい見方が、直木賞には合っているのかもしれません。「直木賞をとったその小説じゃなきゃ、絶対買いたくない」という感覚のほうがズレている、と言われれば、そうかもなあと思ってしまいます。

 ところで「芥川賞ととも直木賞もまた」という表現が出てきました。このころは、売れる文学賞といえば筆頭は芥川賞、みたいなイメージがあったことは、どうやら言わずもがなで、この年も清岡卓行さんの『アカシヤの大連』がよく売れたそうです。おそらく年内だけでも10万部近くは記録したんじゃないかと推定され、最終的に17万5,000部まで行ったと伝えられています。

 じっさい、直木賞の渡辺さんは、『出版年鑑』と同じところが発行している『出版ニュース』のほうでも、芥川賞の清岡さんとセットでのくくり。

「相変らず芥川、直木受賞作品は売れる。『アカシヤの大連』『花埋み』がそれである。」(『出版ニュース』昭和46年/1971年1月中・下旬号「1970年度全国ベスト・セラーズ調査」より)

 ううむ、ここで(おそらく)誰もツッコまなかったところが、直木賞のもつフトコロの深さ、もしくはゆるい部分なのかもしれません。『光と影』の細かい数字は、残念ながら不明です。

 何だかんだで芥川賞作品はよく売れる。というのは、昭和43年/1968年の『三匹の蟹』、昭和44年/1969年『赤頭巾ちゃん気をつけて』、昭和45年/1970年『アカシヤの大連』ときての、昭和46年/1971年『杳子・妻隠』。……と、ここらあたりの良好なセールスが培った風評だと思われます。しかし、やはりすべてがそんなに売れたわけじゃありません。

 ベストセラーに対する「売れなかったほう受賞作」もいくつもあり、そのことをずっと持ちネタにしているのが、おそらく吉田知子さんです。

 「持ちネタ」というほど、たくさん披露されているわけじゃありませんでしたね、すみません。ほんとうに吉田さんの本は売れたことがないのだと思いますけど、第63回(昭和45年/1970年・上半期)の『無明長夜』(新潮社刊)は、史上二番目に売れなかった芥川賞受賞作だと編集者から聞かされた、とのことです。

 さすがに戦前には、何千(もしくは何百)といった単位の受賞作はあったはずですし、よほどの少部数でないかぎり史上二番目に食い込むのは難しいと思いますが、ひょっとしてすべての受賞作の部数を調べあげた編集者が、吉田さんのまわりに、いなかったともかぎりません。そういった調査結果が、内輪のおしゃべりに使われるだけでなく、少しでも公になることを、ただ願うばかりです。

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2017年4月16日 (日)

第130回直木賞『号泣する準備はできていた』『後巷説百物語』の受賞作単行本部数

第130回(平成15年/2003年・下半期)直木賞

受賞作●江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社刊)
初版5万部→受賞後+10万部→32万
受賞作●京極夏彦『後巷説百物語』(角川書店刊)
初版7万~10万部→14万

※ちなみに……

第130回(平成15年/2003年・下半期)芥川賞

受賞作●金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社刊)
初版7,000部→受賞後+5万部→53万1,500
受賞作●綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社刊)
受賞前10万部以上→35万(受賞後半月で)127万

第1回(平成16年/2004年度)本屋大賞

受賞作●小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社刊)
初版1万部→受賞前約10万部→35万(受賞後約8か月で)50万

 先日は、直木賞をしのぐ一年の一度のお祭りがありました。なので今年も、直木賞をしのぐ(……って何かくどい)本屋大賞のネタで、一週分、埋めたいと思います。

 本屋大賞がはじまったのは平成16年/2004年です。奇しくもこの年、直木賞は、けっこうな中堅どころが取りましたねよかったですね、っていういつもどおりの「お茶濁し」的な授賞だったので、世間一般にとくに波風は立たなかったんですが、芥川賞のほうが大変な賑わいとなり、受賞作の売り上げが大爆発した年に当たります。

 とくにブレイクしたのが、金原ひとみさんの『蛇のピアス』『蛇にピアス』でした。

 「すばる文学賞受賞作」という、売れそうなのかどうなのか、よくわからない話題性を加味しての初版7,000部。というスタートだったものが、芥川賞を受賞して注文が殺到。集英社の担当者も「あれっ、芥川賞作品ってどのくらい刷ればいいんだっけ」と相当戸惑ったと思うんですけど、すぐに5万部を増刷し、約1か月の2月中旬には計35万部、3月中旬に50万部突破。と急激な伸びをみせます。

 で、もうひとりの受賞者、綿矢りささんほうですが、すでに平成13年/2001年から翌年にかけて、デビュー作の文藝賞受賞作『インストール』(平成13年/2001年11月刊)がいきなり売れてしまい、直木賞の『あかね空』『肩ごしの恋人』と並んで、20万部を突破してしまった、という立派なベストセラー作家。2作目の『蹴りたい背中』もまた、発売直後から、新人の文芸書としては異例なほどに好調な売り上げをみせ、受賞するまでに10万部を軽く超えていた、とも言います。

 ここから芥川賞を経て増刷が加速し、1月中には35万部、2月中には倍増の78万8,000部、3月中旬に100万部を突破して、「『限りなく~』以来の快挙だ!」と、芥川賞売れ行きマニアたちを喜ばせ、5月中旬までに112万部弱、7月中旬までに126万部、そして最終的に現在伝えられている単行本での売り上げ127万部、というところまで行きました。明らかに「人は見た目がナントヤラ」っていう感じでしょうが、文学賞は売れるぞ伝説にまたひとつ新たな薪をくべた尊い現象だったと思います。

 いつまでも芥川賞のハナシをしていても仕方ないので、直木賞に移りたいんですけど、この年の4月、本を売るために始まった本屋大賞が、話題をかっさらっていきました。

「『数式』(引用者注:『博士の愛した数式』)は昨年中に読売文学賞を、今年になって「全国書店員が選んだいちばん! 売りたい本 本屋大賞」(通称、本屋大賞)を受賞し、直後に増刷を重ねるなど賞の影響も少なくない。とりわけ本屋大賞は、現場の書店員たちが選ぶ賞というだけあって、多くの書店には印刷物ではない手書きのPOP(書棚広告)が飾られ、「何を読んだらよいか分からない」層の心を温かく揺さぶった。『ブラフマン』(引用者注:『ブラフマンの埋葬』)もあやかるべく本来のオビ(腰巻き)に「祝!本屋大賞」のオビを重ね、異例の二枚オビにしたくらいだ。」(『産経新聞』平成16年/2004年6月28日「ベストセラーを斬る 『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』」より ―署名:稲垣真澄)

 平成13年/2001年8月に発売された、芥川賞受賞者・小川洋子さんの『博士の愛した数式』は初版1万部からスタートしたそうです。じわじわと部数を増やしていき、明けて1月に本屋大賞ノミネート10作に入ってから、本を売るために働いている書店員たちがまたせっせと売ってくれたおかげで、4月までに約10万部。

 そして、本屋大賞を受賞してから、一段二段とギアが入って、4月下旬までに14万2,000部、5月下旬までに17万9,000部、6月に24万部、7月に29万部、8月に32万部と増やし、年内には35万部まで達した、と言われています。

 この成績をみて本屋大賞の力を確信した書店員や出版社の人たちが、さらに本を売るために準備したうえで第2回にのぞむようになって、歴史を重ねていき……というその出発点に、『博士の愛した数式』というそこそこ売れていた本が選ばれたことが、結果として本屋大賞の繁栄につながったのですから、本屋さんたちの投票も馬鹿にはできません。

 ここで馬鹿にできないことがもうひとつあります。直木賞の存在です。

 今年の本屋大賞が決まって以来の、関連ニュースを見るにつけ、ほんとみんな直木賞のことを語るのが好きなんだなー、と同好の人間としてニヤニヤしちゃいますが、浜本茂さんの「打倒・直木賞!」の大ギャグはさておいても、とにかく平成14年/2002年に始まった段階から、直木賞以上だ、直木賞を超えている、とさんざん言われたのが、本屋大賞です。

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2017年4月 9日 (日)

第67回直木賞『斬(ざん)』の受賞作単行本(だいたいの)部数

第67回(昭和47年/1972年・上半期)直木賞

受賞作●綱淵謙錠『斬(ざん)』(河出書房新社刊)
13万部前後→?

 直木賞も芥川賞も、とりあえずは「なんちゃって新人賞」ですので、これをとった人が、のちに数々のベストセラーを生み出していくかどうかが、販売面ではメインの題目です。受賞作そのものが売れるかどうかは、長らく、さしたる注目点じゃありませんでした。

 この様相を一変させたのが、昭和51年/1976年の『限りなく透明に近いブルー』だった。ってわけですけど、注目点じゃなかったとはいえ、じゃあそれ以前は、どのくらいの販売力があったのかは、やはり興味があります

 昭和50年代前半より以前については、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡はなく、実態がほとんどわかりません。言わずもがなですけど、直木賞の記録なんか、さらに乏しくて、どうにも悲しみが抑えきれません。

 で、その空隙を多少は埋めてくれるのが、東販・日販の年間(または上半期)ベストセラー一覧、かなあと思います。

 歴史の古い出版ニュース社のベストセラー一覧に比べて、なにしろ、取次のそれは、格段に部数の多寡が反映されている、と言われているらしく、たとえばフィクション部門のおよそトップ20を並べたリストのなかから、「Aは、Bよりも上だが、Cよりは下」という感じで、Aの部数が不明でも、BとCがわかれば、だいたいの水準はつかめる仕組みになっています(だいたい、しかわかりませんけど)。

 そこで昭和51年/1976年のベストセラー、佐木隆三『復讐するは我にあり』(上)(下)(第74回受賞)からさかのぼってみますと、まずこのリストに登場するのが、一年前の第72回受賞、半村良さんの『雨やどり 新宿馬鹿物語一』(「雨やどり」所収)となります。

 半村さんの場合、その前後から半村さん自身が「売れっ子作家」扱いされていました。

「いま森村誠一、半村良氏は増刷をふくめて二十万部は下らず、西村寿行氏も平均十五万部というシュアなバッティングを誇る。」(『サンデー毎日』昭和53年/1978年3月19日号「森村誠一・半村良・西村寿行 人呼んで文壇三村時代」より)

 なんちゅう記事も見えるくらいですので、10万部、20万部の作品もざらにあったことでしょう。そういうのに埋没して、じゃあ『雨やどり』がどのくらい売れたのかは、よくわかりません。

 いまのところ手もとにリストのあるのが日販調べのフィクション部門ベストセラー、なので、それをもとに眺めてみます。

 『雨やどり』は、昭和50年/1975年上半期の12位にランクインしました(年間ではトップ20圏外)。前後の作品を挙げると、7位・清水一行『動脈列島』、8位・フォーサイス『戦争の犬たち』、9位・小峰元『ソクラテス最期の弁明』、10位・渡辺淳一『野わけ』、11位・五木寛之『青春の門』(全6冊)、13位・曾野綾子『いま日は海に』、14位・アダムス『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』、15位・斎藤栄『徒然草殺人事件』、16位・吉野せい『洟をたらした神』、17位・古井由吉『櫛の火』……だそうです。

 このあたりの部数について、わかる方がいれば教えてほしいなあ、と思うんですが、7位の『動脈列島』(前年昭和49年/1974年12月刊)はカッパ軍団の一冊でもあり、また好調に売り上げたことから、新聞広告に部数表記が見えます。3月7日付で「11万部」、9月5日付で「16万部突破」とのことです(ともに『読売新聞』)。

 広告宣伝の水増し分や、まだ上半期だけの成績であること、15位に付けている同じカッパの『徒然草殺人事件』が、広告上では部数で煽ったりされていないこと、などなど勘案して、『雨やどり』はこのときで5万部~7万部、最終的に10万部まで行ったかどうかは、微妙な線だと思います。

 となれば、同時に受賞した井出孫六さん『アトラス伝説』とか、芥川賞のほうの2作、阪田寛夫さん『土の器』、日野啓三さん『あの夕陽』がどのくらいの部数に達したか、闇のなかに埋められて当然でしょう。ざっくりとした想像で、初版が3,000~5,000部、受賞したことで2万~3万部、という感じだったんじゃないか、……とこれは、その一回前の藤本義一さん『鬼の詩』(初版が5,000部、1か月で3万部も売れたという本人の証言)などを見ての、あくまで想像でしかなく、けっきょくは闇のなかです。

 さらに前の受賞作はと、日販ベストセラー(フィクション部門)をたどっていくと、芥川賞受賞作がポツリポツリと目につきます。

 昭和49年/1974年の年間13位・森敦『月山』(周辺の順位のものを3つずつ挙げると、10位・渡辺淳一『氷紋』、11位・松本清張『告訴せず』、12位・小峰元『ピタゴラス豆畑に死す』、14位・新田次郎『アラスカ物語』、15位・城山三郎『落日燃ゆ』、16位・森村誠一『悪夢の設計者』)。

 昭和48年/1973年の上半期で10位・郷静子『れくいえむ』、13位・山本道子『ベティさんの庭』(ともに年間では20位圏外。上半期の他のランクイン作品は、7位・『司馬遼太郎全集 国盗り物語』(上)(下)、8位・角川書店刊『日本の民話』(第一回配本)、9位・山崎豊子『華麗なる一族』(上)(中)(下)、11位・大藪春彦『獣たちの墓標』、12位・水上勉『風を見た人』(上)(中)(下)、14位・日本テレビ放送網刊『冬物語』、15位・三浦綾子『残像』、16位・古山高麗雄『小さな市街図』)。

 なあんだ、直木賞の受賞作は、もうこれ以前は出てこないのか、と失望していたところ、昭和47年/1972年のベストセラーに意外な(?)やつが出てきます。

 綱淵謙錠さんの『斬(ざん)』です。

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2017年4月 2日 (日)

第120回直木賞『理由』、第121回『柔らかな頬』『王妃の離婚』の受賞作単行本部数

第120回(平成10年/1998年・下半期)直木賞

受賞作●宮部みゆき『理由』(朝日新聞社刊)
22万5,000(受賞前まで)35万(受賞直後)45万(受賞約半年で)→?

第121回(平成11年/1999年・上半期)直木賞

受賞作●桐野夏生『柔らかな頬』(講談社刊)
18万(受賞半月で)39万
受賞作●佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社刊)
11万2,000(受賞半月で)18万2,000部部→?

※ちなみに……

第120回(平成10年/1998年・下半期)芥川賞

受賞作●平野啓一郎『日蝕』(新潮社刊)
35万(受賞約1か月で)43万部?

 昭和51年/1976年に起きた『限りなく透明に近いブルー』ショック。売れるといってもたかが知れていた芥川賞の受賞作が、一挙に売れまくった現象として多くの人の記憶に刻まれた出来事です。

 じっさい、売り上げ部数の記録の世界でも、『限りなく~』以前か・以後か、がひとつの分岐点になっています。

 言い換えると、これ以前は、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡がなく、実態がほとんどわかりません。当然、言わずもがなですけど、直木賞の記録はさらに乏しいです。

 ともかく昭和51年/1976年と昭和52年/1977年は、直木賞と芥川賞の受賞作が、1年程度のあいだに軒並み20万部ラインを突破してしまう、というそれ以前にはなかった盛り上がりをみせた2年間だったんですが、その後を見ていっても、1作や2作売れない受賞作が含まれているのがふつうで、受賞作すべてが好調だった期間は、なかなか見当たりません。

 「直木賞・芥川賞といえども話題性がなければ売れない」っていう格言(?)は、何か特定の時代性に依存したものじゃなく、いつだってそうです。まあ、当たり前のことを確認して、年表をたどっていきますと、次に受賞作が全作いい売れ行きを見せた時代は、村上龍さん以来の現役学生の受賞……をきっかけとした、平成11年/1999年の、第120回(平成10年/1998年・下半期)第121回(平成11年/1999年・上半期)かもしれません。

(そんなはずはない! という意見もあるでしょう、ぜひデータをもとにした反論を待っています)

 第119回の大衆文学←→純文学の文芸ビックバンが、騒ぎだけは威勢がよくてそれが売り上げには結びつかなかった。と以前、触れました。しかし、その興奮が残っていたおかげか、いちおう次の第120回は、話題性抜群の芥川賞受賞者が出たおかげで、売り上げへと跳ね返った様子です。

 茶髪にピアスの現役京大生、平野啓一郎さんの『日蝕』が、とにかく煽りに煽られて、調子にのった新潮社が、受賞から半月足らずで約17万部を増刷。そこから続伸して2月の段階で早くも35万部を超えたと言われましたが、残念ながら伸びを欠き、上半期のうちに40万部(平成12年/2000年4月の『出版指標・年報2000年版』では35万部のまま)。3年後の『スポーツ報知』では、

「99年の受賞作で、当時、現役京大生だった平野啓一郎の「日蝕」は43万部のベストセラーに。他の受賞者も受賞前に比べ「本の売り上げが1けた伸びる」(同(引用者注:純文学)関係者)とされる。」(『スポーツ報知』平成15年/2003年8月10日「文学賞からみる本の選び方」より ―署名:勝田成紀)

 と、昭和51年/1976年に起きた伝説の『限りなく~』130万部超えには、遠く及びませんでした。ただ、30万だか40万だかというのは、芥川賞にとっては相当売れた部類に入り、これはこれで、インパクトがあったというしかありません。

 いっぽうこの回の直木賞のほうも、単行本では『日蝕』と同じくらいの部数を叩き出します。この辺が、20数年前との違いかもしれません。

 宮部みゆきさんの『理由』は、平成10年/1998年6月に発行され、翌年の1月に直木賞受賞。のちに朝日文庫に入り、また新潮文庫になって相当部数を増やしたようで、単行本としてどのくらいまで行っていたのか、確実なことはわかりませんが、平成11年/1999年7月の段階で、『朝日新聞』が45万部だと紹介しています(平成11年/1999年7月10日「一からわかる芥川賞・直木賞」)。

 ほぼ『日蝕』と同格のヒット、という感じですけど、これを直木賞の力と見るのは、ちょっと躊躇してしまいます。

 というのも『理由』は、直木賞をとる前にすでにベストセラーになっていて、平成11年/1999年4月刊行の『出版指標・年報1999年版』が、受賞前の数字として挙げたのが「累計22.5万部」。直木賞受賞作でもそうは叩き出せないレベルの部数です。

 こんな売れ筋商品を、2倍にしか伸ばせなかったのが、直木賞のもつインパクト力の限界か。……という感じですけど、20万部も売れている作品に賞を与えるなんて、70年代の直木賞では考えられないことですから、そこにもまた、時代の変化が現われているんだろうな、と思います。

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2017年3月26日 (日)

第76回直木賞『子育てごっこ』の受賞作単行本部数

第76回(昭和51年/1976年・下半期)直木賞

受賞作●三好京三『子育てごっこ』(文藝春秋刊)
初版5,000部→5万(受賞直後)25万5,000(受賞約1年半で)→?

※ちなみに……

第75回(昭和51年/1976年・上半期)芥川賞

受賞作●村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社刊)
初版2万(初回配本5万部)30万(受賞約3週間で)100万(受賞約4か月で)130万(受賞約半年で)131万6,000

第77回(昭和52年/1977年・上半期)芥川賞

受賞作●三田誠広『僕って何』(河出書房新社刊)
33万
受賞作●池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」収録『エーゲ海に捧ぐ』(角川書店刊)
初版7,000部→20万(受賞前まで)47万5,000

 けっきょく、売上部数のテーマでも、その転換点は昭和51年/1976年にたどりつくっぽいです。

 第74回(昭和50年/1975年・下半期)の『復讐するは我にあり』が、それまでの直木賞史上、話題性も売上でも、まず体験したことのないほどにスパークして、昭和51年/1976年に入って10万部を軽く突破、おそらく20万部にせまるほどに売れてしまった。

 ……というのが、直木賞のほうで起きた大ニュースだったんですが、世間一般の人びとがゆさぶられるのは、直木賞によってではなく、いつも芥川賞です。この場面でも、当然その格言は生きていて、昭和51年/1976年に「直木賞・芥川賞は売れるものだ!」のインパクトを、世に広めたのは、直木賞ではなく、あきらかに芥川賞のほうでした。

「近頃の芥川賞の狂騒ぶりは、「文藝春秋」としては一億円の宣伝にも該当する。その時の作品の内容によるが、受賞作品は十万部以上五、六十万部までは売れ、村上龍氏の「限りなく透明に近いブルー」の如きは、百数万部売りつくした。」(『季刊藝術』昭和54年/1979年冬号 丸山泰司「昭和の作家3 ―編集者からの素描として―」より)

 と、高城修三『榧の木祭り』やら高橋揆一郎『伸予』がほんとに10万部以上売れたのか? という疑問など蹴散らされてしまう、「芥川賞=売れる」という風聞が見事、誕生します。

 それまでの直木賞・芥川賞に、けっして売れないイメージがあったわけじゃないと思うんですが、なにしろ『限りなく~』の登場は、両賞の売上にたいする見方を大きく変えたのは、たしかです。

「特色として言えることは ここ2~3ヵ月のベストセラー等の動きの良いものは小説の分野に戻って来ていることです。それと各種の文学賞受賞作品が全部活況を呈していることです。今迄受賞作品は余り振わなかったと言われて来ましたが 最近の受賞作品は5万10万20万部と伸び 時には百万部を越えるように 受賞ものが強気になって来ています。」(『出版月報』昭和51年/1976年11月号付録「出版月報11月号Q&A」より ―太字下線は引用者によるもの)

(引用者注:今年の特徴として)従来販売力としては強くなかった文学賞受賞作品群の売れ行き増加が目立ちました。」(『出版月報』昭和51年/1976年12月号付録「出版月報12月号Q&A」より ―太字下線は引用者によるもの)

 まあ、ミリオンセラーですからね。人の意識を変えるこのくらいの影響力は、あって当然かもしれません。

 芥川賞は第75回の『限りなく~』以降、たしかにその注目度が本の売り上げに結びつく例がつづきました。第77回は『エーゲ海に捧ぐ』『僕って何』ともに、正真正銘のベストセラーに(『エーゲ海~』は受賞前からずいぶん売れていた、とも言われますけど)。第78回は『螢川』、第79回は『九月の空』と、いずれも20万部超を達成します。

 その後、「芥川賞だっていうのに、たいして売れなくなった」と発言する人たちの比較対象は、ほぼその数年の芥川賞好調期にある、と見てもあながち間違っていないと思います。あるいは、「芥川賞といえば軒並み売れていた時代があった」みたいな、みずからの脳内でつくりだした幻想をもとにしているかの、どちらかです。

 しかし、受賞作が飛ぶように売れる先鞭をつけたのは、昭和51年/1976年前半に、大衆文芸の砦・直木賞だっつうのに〈ノンフィクション〉ノベルが受賞したんだってさ、文芸の世界もいろいろ煮詰まってきちゃって大変だよね、という素晴らしい反応を生み出した『復讐するは我にあり』でした。……とか言うと、どうせ直木賞のほうが好きだからそっちの肩をもっているだけだろ、とスカされるので、やめときます。

 ともかく、まれにみる受賞作好調時代だったんですけど、直木賞のほうは、第75回該当なし、第77回と第78回も連続該当なし。煮詰まりのドン詰まりぶりは相当なもんでした。

 そのなかで、絞り出すがごとくに生まれた受賞作が、第76回(昭和51年/1976年・下半期)三好京三さんの『子育てごっこ』です。

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2017年3月19日 (日)

第78回芥川賞「螢川」「榧の木祭り」、第79回「九月の空」の受賞作単行本部数

第78回(昭和52年/1977年・下半期)芥川賞

受賞作●宮本輝「螢川」収録『螢川』(筑摩書房刊)
初版(受賞後)10万部→23万4,500
受賞作●高城修三「榧の木祭り」収録『榧の木祭り』(新潮社刊)
6万(受賞1か月で)8万

第79回(昭和53年/1978年・上半期)芥川賞

受賞作●高橋三千綱「九月の空」収録『九月の空』(河出書房新社刊)
24万

 昭和50年代と今とで、おそらく文芸出版もいろいろ変わりました。変わらないことがあるとしたら、文芸書に対する悲観論が、わんさか書かれている、ってことかもしれません。

 直木賞(と芥川賞)と出版概況、みたいな文章ばかり見ていると、とにかくまず「最近の文芸は不振だ!」という認識(思い込み?)が前提になっています。うんざりします。

 ということで、不振だ不振だ言われていた昭和50年代ですけど、前週からのつづきで、時間を巻き戻していきます。第80回(昭和53年/1978年・下半期)、直木賞は2作の受賞作が出ましたが、芥川賞はなし、です。

 そのうち、宮尾登美子さん『一絃の琴』が最終的に32万部と、それまでの直木賞の水準から考えれば大ベストセラーとなったことは、以前に取り上げました。同時に受賞した有明夏夫さんの『大浪花諸人往来』のほうは、角川書店のイメージに似合わず(?)衝撃度のうすい小説だったので、売り上げ面では、ほぼ話題にならず。部数はよくわかりません。

 では、ほかの文芸書を含めて、この頃の一般的な部数水準はどのくらいと見られていたのか。ということだけでも確認しておこうと、『朝日新聞』学芸部のじゃじゃ馬こと、百目鬼恭三郎さんの見解を引いておきたいと思います。

「普通でしたら、本というのは三万部も出れば上出来だというのが以前までの常識です。十万以上となれば、みんなが読んでいるからとか、評判だからという要素がほとんどではないでしょうか。」(『日販通信』昭和53年/1978年1月号 昭和52年/1977年出版回顧の座談会より)

 それと、それよりちょっとあとの文献ですが、『週刊読書人』の植田康夫さんによる概説も、ついでに。

(引用者注:ノンフィクションの)刺激剤として大きな役割を果たしたのは、昭和四十五年に設定された大宅壮一ノンフィクション賞である。この賞は、芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めているのに対し、大きな力を持ってきている。」(昭和57年/1982年9月・東京書店刊 植田康夫・著『出版界コンフィデンシャルPARTI』「第II章 現代出版の諸相 [1]ベストセラー&ロングセラー」より)

 これが昭和55年/1980年(第82回~第83回ごろ)に書かれた文章です。「芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めている」という、もう現在のわれわれにとってはおなじみの、とにかく感覚値オンリーによる直木賞・芥川賞観が、すでに堂々と開陳されていて、つい微笑みを誘います。

 「以前」というのがいつの時代を指しているのかを明確にしない、……っつうところも、またおなじみのアレすぎてアレなんですけど、ほんとうに両賞(とくに直木賞)が、売れ行きの点で力を弱めていたとは、とうてい考えられません。

 全史を見渡したとき、昭和55年/1980年より「以前」に、これらの賞の受賞作の売り上げが、おしなべて好調だったピークは、どう見たって、昭和51年/1976年~昭和53年/1978年にありました。

 さすがに、それから1~2年しかたっていない段階で、「以前と比べて力を弱めている」と言うのは、大げさ以外の何モノでもありません。また、じっさい、その後に受賞作の部数が落ち込んだかというと、そんな気配もないんですよね。直&芥が大っキライで、これらを馬鹿にしたい人たちにとっては、残念な事実でしょうが。

 要するに、昭和40年代まで、微妙に上下しながら、徐々に部数が増えてきていたのが(もちろんこれは、両賞の受賞作に特有のことではなく、文芸出版全体の動きに乗ったもの)、昭和50年代に入って、いきなりドーンと力を増して以降、そのラインがいまのいままで、ずーっと続いてきている。と見るのが、もっとも適切なんだと思います。

 昭和56年/1981年には『人間万事塞翁が丙午』『思い出トランプ』(ともに直木賞)『小さな貴婦人』(芥川賞)が大当たり、昭和55年/1980年は一年飛ばして、昭和54年/1979年は『一絃の琴』(直木賞)のヒット。そして昭和53年/1978年は、第78回と第79回、計6つある受賞作のうち、2つが「よく売れる文学賞」の波を引き継ぎました。

 それらが直木賞でないのは、つらいところなんですけど、「売れ線」の牙城を守った2つ、芥川賞の『螢川』(第78回)と『九月の空』(第79回)です。

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