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2018年7月 1日 (日)

昭和29年/1954年・「幹事長と女秘書」事件で佐藤栄作から訴えられた宮本幹也。

判決

(引用者中略)文筆業 宮本幹也こと 宮本正勝

大正二年三月二十日生

(引用者中略)会社員 丸尾文六

明治四十二年八月三日生

右両名に対する名誉毀損被告事件について、次のとおり判決する。

主文

被告人宮本正勝を罰金五万円に処する。(引用者中略)

被告人丸尾文六を罰金五万円に処する。

――『判例時報』昭和32年/1957年8月11日号「判例特報(1) モデル小説と名誉毀損罪の成立」より

 とりあえず直木賞は、文学の賞を名乗っています。文学にまつわる犯罪といって、やはりひとつの軸となるのは、発表された作品をめぐる抗議、告発、難癖などが引き起こす訴訟・判決でしょう。

 直木賞も80年以上やっていますから、受賞者や候補者の書いた小説が、道義的もしくは法的に非難され、告訴にまで至った例は、数多く見受けられます。せっかくいま、芥川賞のほうが盗作関係のハナシで盛り上がっているので、直木賞の、過去の盗作エピソードを振り返ってみるのも悪くないかな。とは思いましたが、準備もできておらず、それはまた後日、時機を見てからということにして、今日は盗用・盗作と並ぶ、「文学上の二大犯罪」のひとつ、モデル小説による権利侵害の話題でいきたいと思います。

 さかのぼってみますと、直木賞の受賞作や候補作で、特定の人物をモデルにしたと言われる小説は、古くからけっこうありますが、そのことが実在の相手や周辺人物たちに問題視され、異議を唱えられた一例が、有馬頼義さんの「終身未決囚」事件です。

 「終身未決囚」は、はじめは同人誌『文学生活』に発表されました。そのときは何の話題にもなりませんでしたが、これを表題作とした短篇集が、第31回(昭和29年/1954年上半期)直木賞を受賞。実際に目にする読者がにわかに増えたことで、早速、口を挟んでくるクレーマーが現われます。評論家の津久井龍雄さんです。

 本作で描かれた登場人物〈宮原基〉は、どう読んでも大川周明がモデルである。歴然と明確なモデルのある小説で、事実と異なるストーリーを都合よく並べたうえ、戦犯の容疑で法廷に立たされた彼が、精神病者と認定されて釈放されたのは、ウソの発狂を装ったからだ、などと大川氏を貶めるような内容を堂々と展開しているのは、大川氏本人や彼を尊敬する多くの人を冒涜するものだ。うんぬん。

 ……という、ヤフーコメントに載っていてもおかしくないような言いがかりを、『出版ニュース』昭和29年/1954年10月上旬号が掲載。同号で有馬さんは、モデルがあったことは事実だが何も大川周明のことを書いた小説ではない、と反論に打って出て、これが他の文学賞だったら議論の盛り上がり方も多少違ったかもしれません。しかし、他ならぬ直木賞をとった作品でもあり、それだけで文学的には数等落ちる、と本気で信じられていた時代です。とくに犯罪認定されることもなく、収束していきます。

 けっきょく直木賞が騒動にさらされることはありませんでしたが、昭和29年/1954年のこの年は、「小説のモデル」問題が、ついに文壇のせせこましい枠を超え、裁判で争われることになった重要な年です。その経緯は、直木賞とは直接の関係がなく、このブログで扱うには不適なんですけど、しかしそこには「純文芸の人たちによる大衆文芸差別」という、直木賞の置かれた当時の文芸状況が密接にからんでいて、その後の直木賞関係の、小説モデル事件を見るうえでも欠かせない歴史的な事件だった、と思います。俗に「幹事長と女秘書」事件と言われる一件です。

 光文社の出していた大衆小説誌『面白倶楽部』に、宮本幹也さん作「幹事長と女秘書」が田代光さんの挿絵付きで載ったのが、昭和29年/1954年11月号のこと。主人公は、疑獄事件の渦中にあり、自民党幹事長の職を辞す決意をかためた代議士、後藤大作と、彼のもとに突如現われた20歳前後の若い女性、若月ミチコで、ミチコの自由奔放な言動にふりまわされる後藤と、彼の実兄で同じく代議士の岸井新介や、古田総理とのやりとりをはじめ、後藤がかつて愛した赤坂の芸者とのあいだには美しい娘がいる、といった逸話を、巧みに入れ込んで読ませる楽しい小説なんですが、なにしろ田代さんの描いた挿絵の人物が、実在の政治家と瓜二つ。だれが何を言わなくてもこれが、当時自由党幹事長を辞めたばかりの佐藤栄作さんをモデルにしていることは、明らかでした。

 本文末尾に「この小説にはモデルはありません」の断りが付けられていましたが、そんな言い訳に何の効果もなく、雑誌発売直後の9月末に、当の佐藤さんが名誉毀損だとして告訴。その直前、光文社の編集部に抗議に乗り込んできたのが、「佐藤氏から世話になっている者だ」という殉国青年隊顧問の男とその部下たち、いわゆるそのスジの、右翼ったコワい人たちだったこともあり、創作の自由をこういう威圧的な手法で封じようというのはおかしいじゃないか、と『面白倶楽部』編集長の丸尾文六さん、作者の宮本幹也さんともに、徹底抗戦の構えを見せます。

 それまで、モデル小説で告訴された平林たい子さん「栄誉夫人」、由起しげ子さん「警視総監の笑い」などは、当事者間の話し合いや、金銭の授受で示談になっていましたが、当案件は被告側が示談を拒否。ついに起訴されるに至り、法廷で争うことになります。

 しかし、このとき文学関係者が見せた反応は、かなり鈍いものでした。

          ○

 宮本さんと個人的な交流のある大衆文芸の作家たちは、当然のように宮本さんを支持。海音寺潮五郎さんをはじめ、牧野吉晴、山岡荘八、富沢有為男、中沢巠夫、岩崎栄など〈捕物作家クラブ〉所属の作家や、あるいは法曹ペン・クラブの弁護士たちが話し合い、佐藤氏の告訴は文筆活動と編集権を圧迫するものだ、との結論を得て、文芸家協会に正式提訴することにします。表現の自由をおかされてなるものか、とその鼻息は相当荒いものがありました。

 ところが、立場が違うとここまで熱さも変わるのか、と思うほどに、文芸家協会は冷静かつ冷酷な態度に終始、協会としては、この案件に強く関与しないことを、正式に決めてしまうのです。

 まったくもって『面白倶楽部』などという、興味本位の読者を相手にしたパサパサの雑誌に、低俗な内容の小説を載せたほうが悪い。確実に個人の基本的人権をおかした、文芸作品とは呼べないシロモノじゃないか。文芸家協会に支援を要請してくるなんて、迷惑このうえない。どうやら宮本幹也なる三文作家の、売名行為の疑いもあるし、とうてい味方できるものではない。……などなど、言いたい放題で突き放します。

 最終的には、起訴されてから2年半、昭和32年/1957年5月31日に、東京地裁で論告求刑公判が開かれ、検察側は禁固8か月を求刑。同年7月13日午前10時半から浦辺裁判官係で開かれた判決公判で、被告の宮本さん、丸尾さんともに罰金5万円、と言い渡され、被告側はいったんただちに控訴しましたが、まもなくこれは取り下げられ、有罪が確定しました。

 文芸家協会員のひとり、評論家の亀井勝一郎さんが、こんなコメントを残しています。

「文芸家協会としてはこういう種類の事件をいきなり刑事事件として取上げた役人の考え方には反対だが、協会が一致して擁護するには、作品の価値がどうも、ということだった。真に優れた作品を守り、正しい表現の自由が圧迫されることを防ぐためには、協会はそれだけ慎重に行動すべきだと考えている。」(『朝日新聞』昭和32年/1957年7月13日夕刊「筆者らに罰金刑 「幹事長と女秘書」モデル小説に判決」より)

 「真に優れた作品を守り」という表現に、一抹の恐ろしさがひそんでいます。

 ちなみに、大衆作家のひとり山岡荘八さんが、〈特別弁護人〉という名目で、宮本・丸尾の両人を昔からよく知る人間として出廷したときの弁論が、『大衆文芸』昭和32年/1957年7月号に載っていますが、ここで山岡さんが指摘しているのが、大衆文芸と見るとすぐに低俗だと見下す輩が文壇に根強く残っている、という当時の状況です。見下すだけならまだしも、有罪となるかどうか法的な争いをしているときに、文芸作品としての高級さ・低俗さ、などという、あやふや極まりない感覚的な判断で、大衆文芸を邪魔モノ扱いしてくる。やりきれません。

 と、直木賞の話題からズレっぱなしになってしまいましたが、実在の人物を描くことで、いくばくかの「大衆的興味」を喚起させる、そういう小説は直木賞にとってもヒトゴトではありません。おそらくまた、直木賞に関連した他の事件に触れる機会もあるでしょう。

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