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2018年2月25日 (日)

『冬濤』…暗かったり重かったり、直木賞(の予選)はそういうものに目がありません。

『冬濤』

●刊行期間:昭和21年/1946年3月~昭和56年/1981年10月(35年)

●直木賞との主な関わり

  • 三好文夫(候補1回 第53回:昭和40年/1965年上半期)

●参考リンク『文學界』同人雑誌評で取り上げられた『冬濤』掲載作一覧

 「冬濤」と書いて「ふゆなみ」と読みます。北海道の中央あたりに位置する旭川で産声をあげ、コツコツとつくられるうちに、作家・評論家が続々と輩出、いっときは東京の出版社のほうにも名を轟かせたという、なかなか恐るべき雑誌です。

 佐藤喜一、高野斗志美、木野工、三好文夫……などなど、『冬濤』に所属した人たち。「まるでキラ星のごとく」と表現するのは確実に間違っていると思いますが、華やかではないけど、しっかり地に足のついた、それぞれイブシ銀の文筆的業績で、多少の名をなした面々です。

 そして、やはり、といいますか、この雑誌もまた、直木賞の世界で輝いたというよりは、芥川賞とかそっちのほうの、文学か文学もどきかの口論で刃傷騒ぎが起きるような、ちょっとオッカない世界のほうで注目された、ヤクザな……いや、マジメな同人たちの集まりでした。

 もともとは昭和21年/1946年、旭川にいた堀井更生(新川浩三)さんや吉柳元彦さんなどが『冬濤』誌を創刊、しかし同人会費の回収がままならず、経営に四苦八苦しながら、誌名を『朱塔』としてみたり『北方浪漫』としてみたり、何とか号数を継承して続けていたんですが、昭和28年/1953年に編集発行人を佐藤喜一さんとし、雑誌の名前ももとに戻して、再出発をはかります。通算第7号のときです。

 そのころから、『文學界』の同人雑誌評でちょくちょく取り上げられるなど、少しずつ知られるようになりましたが、何といっても最初の爆発は、再出発をはかったこの年の年末、『冬濤』からの代表として木野工さんが『新潮』誌の企画に投じた「粧われた心」が、掲載対象12編のうちのひとつとして選ばれ、これがそのまま芥川賞の最終候補にまで残ったことでしょう。

「この小説は小山清らと二十八年下期(30回)の芥川賞候補となり、翌年の「新潮」六月号新人小説集に長谷川四郎吉行淳之介、福永武彦らにまじって「軍艦忌」が発表されるなど、その登場は鮮やかであった。

(引用者中略)

のちに北海道新聞文学賞を得た「襤褸」も直木賞候補になったが、一時期を画した作家である。第二次「冬涛」の編集者として「冬涛」の黄金時代を築いてもいる。」(昭和57年/1982年4月・北海道新聞社刊 木原直彦・著『北海道文学史 戦後編』より)

 と、木原さんによれば、『冬濤』には黄金時代というものがあったそうで、それを牽引したのは、実作者としても一躍名を知られるようになった木野さんの、編集力があったからだと解説しています。木野さんは、直木賞で2回、芥川賞で4回候補になりましたが、作品を読むかぎり、まずもって大衆文芸に進む気はなかったと見てよく、とりあえずチャラチャラした、流行の読み物の類いは、まったく鼻にもかけなかったことでしょう。

 それで、木野さんというと、戦後まもないころから北海日日新聞で働き、やがて北海タイムス社の文化担当記者としてメキメキと出世、2度目の直木賞候補となった「襤褸」(『北方文芸』昭和45年/1970年7月号、昭和46年/1971年7月号)発表のころには、論説委員となって東京の支社に在籍し、なんだか気軽に近寄るのも憚られるような「文学しているお偉い人」となっていたんですが、「襤褸」は北海道新聞文学賞を受賞したおかげで、新潮社から単行本化の声がかかり、忙しい仕事のあいまに、改稿に励みます。

 直木賞の候補に挙げられたのは、そんな折りのことでした。「襤褸」というのも、もうなかなかの、暗いハナシでして、旭川の遊郭で、まるで奴隷のように働かされた娼妓の世界を、ひたひたと克明に描いたもので、どこにいったいエンターテインメントの要素があるのか、これを堂々と候補に残す直木賞の、アンチ・エンタメな性格を感じ取らないわけにはいきません。

 いっぽう木野さんのほうは、直木賞だとか芥川賞だとか、そんな賞の候補に挙げられるのは、もう慣れっこさ、と余裕の顔を見せ、その当落でいちいち一喜一憂しませんよ、と回想。たしかに、こういう文学賞みたいな浅はかな制度に、公然と取り乱すイメージは、木野さんにはなさそうだなあ、と思うんですけど、しかし事態は少しおかしなことになってしまいます。

 この暗ーい「襤褸」が、あともう少しで受賞というぐらいに選考委員の一部に評価され、最終の二作にまで残ったからです。かなりの驚きです。

           ○

 あと一歩で受賞の、惜しい落選作。ということで、「襤褸」の一部が『オール讀物』に転載されることになったものですから、単行本化のための改稿に、微妙に迷いを覚えることになった。と、木野さんは愚痴っています。

「二部構成を三部に改めて筆を入れている最中に、ある賞の候補にあげられ、実はちょっと困ったことになったと思った。それは「原作」で最も大きな疵とされている軍の横暴ぶりをもっと露骨に書きこもうと考えていた矢先だったからである。(引用者中略)しかし、抄録が雑誌に掲載され、この作品のイメージがある程度は固定した感じになってしまったので、結局は、なるべく小説らしい小説を心掛ける形で筆を入れることになってしまった。」(『波』昭和47年/1972年7月号 木野工「三十年前の奴隷制度」より)

 いったい、『オール讀物』とかいう軟派な読みもの誌に、長篇のなかの一部がちょこっと載った程度で、「イメージがある程度は固定」するものだろうか。と、つい思ってしまうんですが、いやしかし、そんなことで律儀に改稿の方向性を修正するのは、木野さんの生真面目さを物語っている、と言えなくはなく、けっきょく賞を贈りもしなかったのに、「抄録」という中途半端な対応をすることで木野さんのお手を煩わせることになった直木賞の、細かいことを顧みない天然ぶりが、少し哀しいところです。

 木野さんのハナシを長々と書きすぎました。『冬濤』が生んだもうひとりの作家、三好文夫さんのことも、最後に少しだけ。

 遊郭モノは、文学的なテーマを持ちながら読者の関心をも引きつける、という条件にかないやすいのか、どうなのか、ときどき直木賞の候補に挙がります。

 対してアイヌ人のことを描いたものは(……全然「対して」いませんけど)、そうやすやすと手を染めるには外部的、精神的なハードルが高いテーマとも言え、そんなに人気があるジャンルとは言えません。そこに登場した、アイヌのことを積極的にフィクションに落とし込む『冬濤』同人の三好文夫さんが、これもいろいろ異論が噴出しそうな「重い神々の下僕」での直木賞候補入りを果たします。

 題名に「重い」と入っているぐらい、描かれていることは重い小説です。しかし、そんなこと知ったことかと、「表現が稚拙」だの何だの言って、軽々しく落選させてしまうのも、直木賞のあっさりとしたところ。同人誌作家たちの争いとなった第53回(昭和40年/1965年・上半期)、受賞は藤井重夫さんがかっさらい、候補中もっとも若かった三好さんは、三番手ぐらいの評価で終わりました。

 アイヌへの差別を声高に問題視して、みずからデモをしたり、執筆活動で広く世間にその意識を投げかけたりと、当然、尊敬されるべき行動をした作家です。そういう面倒くさい問題は、うちの賞が扱うには、荷が重すぎる、……と直木賞が直接言ったわけじゃありませんけど、ここで三好さんにあげていれば、きっと直木賞の様相も変わったと思います。それは残念です。

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