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2017年12月31日 (日)

『集団55』…注目を浴びたほとぼりが覚めるまで、創作から離れる相見とし子。

『集団55』

●刊行期間:昭和30年/1955年5月~昭和42年/1967年?(12年)

●直木賞との主な関わり

  • 相見とし子(候補1回 第37回:昭和32年/1957年上半期)

 ひとつの作品が、直木賞と芥川賞の同時候補。というハナシが出ると、いつもワタクシは北川荘平さんのことにばかり触れますが、一般的には柴田錬三郎さんのことを引き合いに出すのが自然だと思います。

 しかし考えてみると、同時候補の経験者のなかで、ただひとりの女性である相見とし子さん(当時32歳)にも、もう少し光が当たってもいい気がします。

 どうして相見さん、地味な存在なのか。ひとつには候補に挙がった「魔法瓶」が、文章が難解だ、稚拙だ、と言われ、とくにこれを強く推す委員もおらず、そこまでハネる要素がなかったこと。と同時に、何といっても相見さんの、「注目されぎらい」と言いますか、たかだか候補に残っただけで、スゴいの何だのと、作品を読まずに持ち上げようとする一般の声に、かなりの嫌悪感をもっていました。

 こういう人ですので、はじめて書いた小説が、二つの賞の候補になり、その事実だけをもって騒ごうとする風潮に、はっきり背を向けます。その精神の根っこには、同人雑誌に書く人ならだいたいそなえ持っている「ギャーギャー騒ぐ軽薄さがイヤ」という感覚があったものでしょう。「魔法瓶」以降、相見さんはじっと息をひそめて、小説の発表を控えた、と言うのです。

 10年経って、こんな文章を書きました。

「全く迷惑至極な話だった。芥川賞も直木賞も応募賞ではない。こちらの意志によらず、ことわりもなしに人前にひっぱり出すのは、傲慢といわれるかもしれないが、正直いって私を困憊させた。(引用者中略)「ここでばたばたと出なければ忘れられる」と、骨折ろうとしてくれた人もいた。「金がほしいから書くということはいやしいことではない」と忠告した人気作家の好意も憶えている。しかし、「作品」を書ける地点への距離は、いっこう縮まるものではなかった。私には私の歩き方よりない。それらは、何処か遠い場の声であった。」(『新潮』昭和43年/1968年6月号 相見とし子「異路回帰」より)

 慎ましやかさ、もしくは、地道なものへの親愛の情が、やはり相見さんの身上です。そもそも、芥川賞はともかく、どうしてこれが直木賞の候補にもなったのか、何かの手違いか間違いだった、という資料が発見されても、驚きません。

 相見さんはその後、京都にいる、ほんのちょっと有名な3人の女性作家……折目博子、田中阿里子、梁雅子といっしょに「華」の会を結成、同人誌『華』を発刊するわけですが、人選といいますか、いっしょのお仲間になった顔ぶれがもう、全国的に知られていそうで、知らない人も多そうな、絶妙なメンバーだと思います。

 さらに晩年に参加した『人魚』は、やはり田中阿里子さんや松本徹さんなど、昔からの(そしてプロと言ってもいい)書き手たちが揃っており、かなりすっきりとした体裁の、立派な同人雑誌です。

 今日は、年の最後の日でもあり、だらだらこれ以上書く気も起こらず、さらっと終わりにしたいと思います。

 だいたい、「二つの賞の同時候補」だからといって、無理に話題にしようとするほうが、変なんですよね。そんなことで注目されることを嫌がったという、相見さんの姿勢が、多くのことを物語っていると思います。

 さっさと終わります。

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