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2017年11月12日 (日)

『花』…いきなりブレイクしかけた葉山修平、しかし生涯、同人誌に生きる。

『花』(第一次)

●刊行期間:昭和33年/1958年~昭和45年/1970年(12年)

●直木賞との主な関わり

  • 葉山修平(候補1回 第43回:昭和35年/1960年上半期)

 何か月か前、『文芸日本』のことを取り上げました。1950年代、榊山潤さんが親分となって、尾崎秀樹さんが編集実務を切り盛りしていた雑誌ですが、第43回(昭和35年/1960年・上半期)直木賞候補のなかに名を見せる同人誌『花』は、どうやらこれと多少の縁があったようです。

 『花』の創刊号に、尾崎さんが「ノラのゆくえ 魯迅研究ノート・I」という評論を寄せています。どうしてそこに至ったか。創刊までの経緯を少しさかのぼってみますと、もともと千葉の郷土誌に葉山修平さんが書いた小説を、『東京タイムス』で同人雑誌評を担当していた林富士馬さんが褒め、まもなく同人雑誌界の集まりの席ではじめて挨拶を交わして以来、葉山さんは林さんと意気投合。たびたび林さん宅を訪れるうち、同人誌『玻璃』の創刊から参加することになりますが、林さんの隣の家に住んでいたのが榊山潤さんです。「だれかいい新人作家がいたら紹介してくれよ」とつねづね頼まれていた林さんが、榊山さん、この人はどうですかと引き合わせたことから、おのずと葉山さんは尾崎さんとも顔なじみになりました。

 いっぽうで、『玻璃』で知り合った詩人、太田浩さんともお友だちに。やがて『玻璃』がつぶれる折りには、『文芸日本』の会に入っていながら作品を載せてもらえない人たちを誘ったりして、新しい同人誌をつくろうという機運が生まれ、宇井要子さん(直前に葉山さんと結婚)や井上清さんなどが参集、世阿弥の「風姿花伝」からとって『花』と命名されます。葉山さんが付けたそうです。

 このとき、「葉山修平」という、ひとりの無名作家にとっての順風が、明らかに吹いてきていました。葉山さんが『文芸日本』に載せた「バスケットの仔猫」は、まったく思いがけず室生犀星さんの目に留まり、直接お褒めのハガキが送られてきたりして、葉山さん大感激。褒めてくれた先輩にズブズブと心酔していく、という感情は、誰しも理解できる一般的なものだと思いますが、やはり葉山さんもその例に洩れません。室生さんを師とあおぎ、『花』を創刊するときにも室生さんに相談したそうですし、その『花』に発表した「天皇の村」(未完)を、室生さんの紹介で東西五月社から処女出版することになって、師弟の絆はいっそう強まったものと思います。

 いっぽうで葉山さんは、林富士馬という人を通じて、当時、若手の有力作家と呼ばれていた人たち、庄野潤三さんや吉行淳之介さんなどと交歓をもったと言いますし、林―榊山―尾崎というラインからは、『文芸日本』の伊藤桂一さんや大森光章さんといった面々ともつながりを持ちます。

 林さんに連れられて、佐藤春夫さんに会うことが叶ったのも、そのころのことです。会話のなかから、ふと「バスケットの仔猫」が室生さんに褒められたことが話題に出ると、すかさず佐藤さんが言ったのが、「室生君が褒めたものなら間違いないだろう、僕が芥川賞の候補に推薦しておこう」とのお言葉。文学青年として有頂天にならないはずがありません。

 しかし、結局この作品は芥川賞の予選は通らず、

「やがて芥川賞候補の作者と作品が新聞に掲載された。彼の名前はどこにもなかった。(引用者中略)太宰治が芥川賞の候補になって、ぜひ受賞したいからと選者の佐藤春夫に手紙で真情を綴った手紙を書いたが、それを佐藤春夫が公表したことのあるのを、何の脈絡もなく思い出していた。なるほど、春夫は若い人を励まし鼓舞する名人だ、と思い、しかし、なにか裏切られた気持になった。」(平成25年/2013年11月・龍書房刊 葉山修平・著『処女出版―そして室生犀星』より)

 と、人に期待をもたせてしまう佐藤さんの、巧みな人心掌握術にひっかかったらしいとわかって、少し悲しみを覚えることになったのも、この時期、葉山さんが急速に「文壇」の端っこで注目されだしていた証しでしょう。

 以来、葉山さんは、高校の先生から、千葉大学講師、駒沢短大では助教授・教授・名誉教授と進む教育者として、長年勤めをもちながら、各地のカルチャーセンターでわいわい生徒たちと文学について語らって暮らす、そんな道のりを歩んでいきます。

 文学研究のかたわら、自身での創作も続け、どうやら文学のジャーナリズム化や商業化に対しては抵抗感があったらしく、そういうものと距離を置いたところで活動をつづけます。あるいは、自分の書いたものが、商業出版界では受け入れられず、ほんとうは作家で食っていきたかったのに、それが果たせなかった、という面もあったのかもしれませんけど、とにかく「私がつくっては潰し、つぶしては作ってきた同人雑誌」(「わが百花譜抄」)と自分でも振り返るほどに、数々の同人誌を、息つくひまもなくつくり続けたことが、何と言っても葉山さんの、特筆していい業績です。

           ○

 その『花』に発表した「日本いそっぷ噺」が、芥川賞ではなく、おそらく葉山さんの関心とは違う直木賞のほうで、予選を通過したのは、昭和35年/1960年のことでした。

 この暗くてジメジメした題材の、爽快さや愉快さとは無縁な一篇が、候補に挙がっただけじゃなく、最終選考では池波正太郎さんの「錯乱」に伍して、受賞するかどうかのギリギリまで競った、というんですから、直木賞もやはり変な文学賞です。もちろんそこが、この賞のいいところです。

 直木賞とはいえ、いちおう誰かに認められて候補になったんですから、葉山さんとしても多少は嬉しかったとは思います。しかし、当時の文芸界隈の人たちといえば、芥川賞には「文学」を期待するけど、直木賞は読み物クズれ、程度の認識がはびこっていた……ということを表わす場面が、葉山さんが後年あらわした、林富士馬さんをモデルとする「柚木桂馬」との交流を描いた『美の使徒』に出てきます。

 林=柚木さんと、こちらはなぜか実名で登場する富士正晴さんとの、ある日の文学(文学賞)談義です。

「「A賞をもらったものたちが、読物に走っていったんじゃ、N賞のほうはどうなるのかね」

「社の営業政策として、話題になればいいんだからね」

「うん。A賞といったって、定見があるわけではないことは分かっているんだ。ほら、有馬頼義と吉行淳之介ね。社とすれば、二人にもらわせたい。それで、どちらかをA賞、どちらかをN賞にしようということになって、有馬がN賞に回された。それで二人とも受賞なんだ」と富士正晴がいった。

「へええ、それは知らなかったね。どちらでもいいんだね」

「それにしても、A賞の基準は何だろう」」(平成19年/2007年7月・龍書房刊 葉山修平・著『美の使徒』より)

 ……うんぬんと語り合っています。どうしてA賞の基準のことには興味があるのに、N賞の基準に話題が及ばないのか。不思議な頭の構造をしている人たちだよなあ、としか思えませんけど、こういう人たちに囲まれて、読み物作家から同人誌作家にまで目配りしながら年二回の予選をこなしていた直木賞が、なかなか不憫でなりません。

 直木賞の候補に挙がったことに葉山さんが触れた文章のうち、落選せざるを得なかった理由を平野謙さんが『小説新潮』の誌面で丁寧に指摘してくれたことがうれしかった、と「わが青春の街」というエッセイに書いているのは、以前うちのブログでも取り上げたことがあります。このときのエッセイでは、「直木賞」といわず「ある文学賞の候補になった」と、あえて固有名詞を避けていて、これが含羞なのか矜持なのか、よくわかりませんけど、一気に文名を挙げるチャンスだった一回きりの直木賞候補で、落選したという事実は、何がしかのシコリとして、葉山さんの胸のうちに残った可能性はあります。

 というのも、葉山さんが亡くなったおり、彼を慕った数々の生徒、同人がそれぞれに記した追悼文のなかに、金沢『あてのき』同人、島友彦さんの手による一文があり、こんな回想が出てくるからです。

 コーヒーを飲みながら話していた葉山さんが、急に「オレは駄目だ」とつぶやきながら泣き出した、と言います。

「たぶんそのとき聞いていた話は先生(引用者注:葉山のこと)の文学的履歴だったのではないか。「自分は二流作家だ」とは先生の口から聞いた。他人の偶然の手違いが誘因となっての直木賞落選だった、と語った時の先生の悔し気な表情。積もり積もった後悔が、ふとしたきっかけで激情となり、先生は泣きだしたのではないだろうか。自分は黙していることにした。」(『花粉期』261号・号外[平成28年/2016年9月] 島友彦「先生が泣きだした」より)

 はたから見れば、50年以上、多くの同人誌を取りまとめ、慕われて、そういった縁から(同人誌が中心の人にしては)本もたくさん出してもらい、文学の人として生涯をまっとうできた、という意味で、直木賞候補者のなかでも、とくに地道な成果を残した人だと讃えたいくらいです。しかし、葉山さん本人には、思うところもあったんでしょう。たしかに、こちらは黙するしかありません。

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