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2017年10月15日 (日)

『讃岐文学』…地方文化振興に、文学賞も利用する同人雑誌界の偉人・永田敏之。

『讃岐文学』

●刊行期間:昭和31年/1956年5月~平成14年/2002年12月(46年)

●直木賞との主な関わり

  • 新橋遊吉(候補1回→受賞 第54回:昭和40年/1965年下半期)

 昭和のころの同人雑誌を見ていると、ときどきぶつかる文章があります。

 ……同人の仲間から、たとえば芥川賞・直木賞の受賞者が出ると、とたんに人間関係がギクシャクしだし、休刊・廃刊・再編成される雑誌も多い。……

 たしかに芥川賞のほうでは、そうなのかもしれません。あんまり興味がないので、他の誰かに調べてほしいですけど、少なくとも直木賞に関しては、まずその風聞はデマです。知るかぎり、有馬頼義さんの受賞後に『文学生活』が新たな同人組織に変化した、という例があるくらいで、まあそもそも、同人誌を中心に書いていた人が受賞した例が、直木賞では少ない、ということもあるんでしょうが、仮にそういう人が受賞して華々しく商業ジャーナリズムに乗り出していっても、もといた同人誌が混乱、つぶれる、なんてことは、直木賞ではほとんどありません。

 『讃岐文学』もそうです。掲載作がそのまま直木賞受賞にまでつながった、数少ない同人誌として脚光を浴びながら、21世紀までコツコツと誌歴を重ね、四国の文学史に燦然とその名を残すことになりました。ポッと出の、同人だかどうだかもわからないぐらい怠け者だったヤツが、東京の文学賞をとったことに、嫉妬のあまり悔し涙を流す同人続出……となってもおかしくないところ、そうはならなかったのは、おそらく主宰者の器のデカさ、と言いますか、文学賞に対してうまく距離を取る主宰者がいたから、なんでしょう。おそらく。

 『讃岐文学』を主宰した永田敏之さんは昭和7年/1932年10月31日生まれ。平成15年/2003年2月23日に70歳でこの世を去りました。かたちや対象を変えながら日本にいまも綿々とつづく同人誌世界のなかで、この永田さんは、確実に偉人と言っていいと思います。とにかく身の入れかたが、ハンパじゃありません。

 まえにも紹介した昭和29年/1954年創設の大阪文学学校。永田さんはその第二期の修了生に当たります。そこを終えて、香川の高松に戻ったとき、文校在校中から胸にあたためていた同人雑誌をつくりたい、という希望をどうにかかたちにしました。昭和31年/1956年のことです。

 永田さん自身は、ほとんど創作らしい創作はせず、しかし文学に対する旺盛な情熱があふれ出て、評論や研究をもっぱらとし、仲間とともに文学を語らい、あるいは励ましたりしながら、年に1~2回のペースで『讃岐文学』を続刊。しかし、昭和35年/1960年に経営していた会社が倒産、翌年には妻と離婚、一時東京に住まいを移すことになって、以来少しのあいだ休刊しなければならないことに。

 なかなかつらい時期だったとは思うんですが、これが次なる展開を生み、永田&『讃岐文学』と直木賞とを結びつけていくのですから、不思議な縁です。創刊同人のひとり、永田さんとは高校時代の文芸部でいっしょだった亀山玲子さんという、こちらも相当に文学熱の高い女性がいて、永田さんから、しばらく『讃文』を出せないからその間、大阪の同人誌に参加してみたら? とすすめられたので『文学地帯』に参加。すると、そこで出会ったのが、病み上がりで何かほっとけない男、新橋遊吉さんだった、というところから二人は交際を深めて、結婚するにいたります。

 その後、永田さんが1年ほどのブランクを経て『讃文』を復活させると、亀山さんは『文学地帯』を抜けて『讃文』へ帰還。いっしょにダンナの新橋さんもくっついてくることになるんですが、亀山さんのほうがオール讀物新人賞の最終候補に残るぐらいには、実力ある書き手だったのに比べ、新橋さんはとくにそれまで小説を書いたことがなく、まあ、永田さんからしてみれば、有力同人といっしょになった、得体の知れないダンナ、ぐらいだったに違いありません。

 昭和39年/1964年、新橋・亀山夫妻に第一子が誕生したとの報を受けた永田さん、高松からわざわざお祝いに駆けつけます。ここで、「得体の知れないダンナ」とも一晩、文学を語り合うことになりまして、どうやらお互いに気が合ったらしく大いに盛り上がり、永田さんが「あんたも小説書いてみないか」と誘えば、新橋さん、「よーし、いっちょ大作書いてやりますか」と応じる、楽しい酒の一場面が繰り広げられたそうです。

 酒のうえでのハナシかと思っていたら、ここが『讃文』発行に賭ける永田さんの情熱だと思いますが、高松に帰ってからも、毎週のように新橋さんに手紙を送り、また電話もかけるなどして、催促を切らしません。毎日、町工場で旋盤工の仕事をしていた新橋さんは、その永田さんの思いを受けて気合いが入り、仕事から帰ってきては夜な夜な、小説を書きつづけて、原稿用紙100枚強、だいたい10日間ほどで完成させました。

「今度の受賞に関する限り、はっきり断言出来るのは、「讃岐文学」の主宰者である永田敏之氏の暖たかい理解と協力なくしては、実現しなかったことであろう。(引用者中略)

他の同人雑誌の主宰者なら、おそらくあの「八百長」という作品を掲載してはくれなかったであろう。(引用者中略)私も熱意を以って書き上げた「八百長」を讃岐文学以外に載せたくはなかったし、兄貴分の永田氏だからこそ安心して託したのである。」(『讃岐文学』14号[昭和41年/1966年5月] 新橋遊吉「直木賞を受けて」より)

 と、新橋さんが書いているのは、『讃文』に寄稿する受賞エッセイだからそのくらいのリップサービスはしますよね、というのをさっぴいても、しかし苦しい私生活を経てもなおこの雑誌だけは刊行しつづけようと努力する永田さんの、熱心さに打たれた新橋さんが、正直な思いを吐露したひとつかと思います。

           ○

 同人から直木賞の受賞者が出た、ということが『讃岐文学』にとってメデたいことだったのは、疑いがありません。文学賞は、決して煙たがるべき存在じゃなく、人の目が向く、人が興味をもって寄ってきてくれる要素のひとつなんだから、これをうまく利用すればいいじゃないか。……と思っていたのかどうなのか、永田さんはしたたかに、文学賞と向き合います。

 地元・高松は、菊池寛さんの生まれ故郷。菊池寛顕彰会というのができて、昭和40年/1965年から香川菊池寛賞という公募の文学賞が始まりましたが、『讃文』からも同人がぞくぞくと応募し、数多くの受賞者を生みました。

 昭和63年/1988年には同人のひとり、坂谷照美さんが「四日間」で文學界新人賞を受賞し、それがそのまま第99回芥川賞(昭和63年/1988年・上半期)の候補になったりして、またひと盛り上がり。永田さん自身は、『ふるさと文学館 香川』の、自分の作家紹介欄のなかで、

「昭和三十一年四月「讃岐文学」を創設して主宰する。これまでに直木賞作家と芥川賞候補、そのほかの文学賞受賞者が同人から出ているが、この同人雑誌は賞を獲ることが目的ではなく“生活に文学を”と提唱している。」(平成6年/1994年8月・ぎょうせい刊『ふるさと文学館 第四十三巻 香川』より)

 と書き、「人生に、文学を。」とのスローガンをぶっぱなす、どこぞの団体に先んじて、文学賞もひとつの生活のなかに取り込んでの、同人雑誌活動を続けます。

 同人雑誌活動とひとくちに言っても、ひとつの雑誌をコツコツ編集して出すだけではなく、永田さんはほうぼうに働きかけ、動きまわり、あるいは資料を集め、讃岐文学館を設立(昭和49年/1974年)。あるいは、高松市に対して菊池寛記念館を開設せよと提唱しつづけ、市政百年の平成4年/1992年にそれを実現させちゃうなど、スゴい人です。

 もはや夢はとどまらず、永田さん、こんなことまで口走っていました。

「こうなってみると次の欲望が私の胸を打つ。高松市に芥川賞・直木賞、菊池寛賞館を建設することである。芥川・直木賞は百回を数えた。寛賞も35回になる。これらの経緯と資料を高松に集めるのである。これら全て菊池寛の発想のもとで今日に至っている事業である。寛の出身地・高松に置くべきだと思う。」(『讃岐文学』42号[平成1年/1989年2月] 永田敏之「編集のあと」より)

 文学賞に関する資料だけを集めても、文学そのものに寄与するものは、さほどない……からなのか、とりあえずその機能は、菊池寛記念館が受け持とうとしているみたいですけど、「直木賞・芥川賞・菊池寛賞館」なんて、聞くだけでワクワクしますね。

 そのワクワク感を、おそらく理解していたはずの永田さんが亡くなるとともに、同人誌『讃岐文学』もなくなってしまいましたが、文学賞だけの資料館、ほんといつか、つくられないかなあ。

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