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2017年9月10日 (日)

『下界』…商業誌じゃなく、あえて、あえて同人誌をつくったつもりが、直木賞の餌食に。

『下界』

●刊行期間:昭和29年/1954年5月~昭和45年/1970年5月(16年)

●直木賞との主な関わり

  • 草川俊(候補3回 第39回~第51回:昭和33年/1958年上半期~昭和39年/1964年上半期)
    ※ただし第39回以外は別のところで発表した作品

※直木賞を受賞した同人:

  • 榛葉英治(受賞 第39回:昭和33年/1958年上半期)
  • 渡辺喜恵子(受賞 第41回:昭和34年/1959年上半期)
  • 杉森久英(候補1回→受賞 第42回~第47回:昭和35年/1960年下半期~昭和37年/1962年上半期)
  • 和田芳恵(候補2回→受賞 第27回~第50回:昭和27年/1952年上半期~昭和38年/1963年下半期)

 文壇の人たちから愛され、また文壇を愛した文芸編集者、和田芳恵さんは、どうにも儲からない雑誌をつくったり、とても儲かるわけもない小説を書いたりしました。それでもめげず、ひたむきに打ち込むけなげな姿勢が、さらに周囲の人に好感を抱かせる一因となったものと思います。

 大地書房で『日本小説』を編集、しかし小出版社の悲しさか、はてまた読者の好みを誌面に反映する才に欠けていたのか、よくわかりませんが、けっきょく志半ばで廃刊に。借金を抱えて、かなり精神的に傷を負ったはずのところ、そんなことで沈み込まないタフな和田さんは、またいっちょ、雑誌をつくってやろうかと意欲を燃やしていたそうです。

 その雑誌の名前が『下界』。武田麟太郎さんの小説『下界の眺め』の題名を気に入っていた和田さんが、そこから拝借したものだということです。

 発刊に関わった竹内良夫さんが回想しています。

「この雑誌(引用者注:『日本小説』)がつぶれると、(引用者注:和田芳恵は)小説上手なのに未だ書こうとせず、さらに雑誌発刊をたくらんでいた。「下界」という名前が気に入って、資金調達に奔走していた頃、私はかなり和田と親しくなり、

「和田さん、その下界という雑誌を同人誌にして、和田さんも書きなさい。それが一番よろしい」

ともちかけた。(引用者中略)

「うん、しかしこれは営業雑誌にして出したいからな」

「和田さんは小説の名人と皆さん言ってる。雑誌を出すよりも小説を書きなさい、それが一番いいんだ」

私は若くて気が早くて、和田が迷っているうちに、ついに同人誌「下界」発刊を急ピッチに他の連中とも相談して、出す運びにしてしまった。」(昭和54年/1979年4月・講談社刊 竹内良夫・著『文壇資料 春の日の會』より)

 いっぽう和田さんが回想しているところでは、『日本小説』がつぶれたあとに、同人誌を出そうと話し合っていた「下界の会」という集まりがあり、海音寺潮五郎さんの家に行ったり、「文学論争」と呼ばれる殴り合いをしたり、いいオジさんたちが、たぎる情熱を発散していたような会があって、その「下界の会」は「波の会」へと変わりながら、野村尚吾、杉森久英、榛葉英治、八木義徳、野口冨士男、進藤純孝などの面々との、親睦がつづいてきた、と言っています。

 ともかくも、発足からしてセミプロ文学者たちがウジャウジャと蠢くなかで出てきた同人誌『下界』。昭和20年代から30年代は、こういう同人誌も続々と生まれました。

 すると、中年にさしかかった売文ライターたちの、文学に賭けたいという強い思いを受け止めようとした直木賞が、プロの読み物作家、あるいは無名の素人作家などに紛れ込ませるかたちで、彼らの作品も候補のなかにぶち込むことになりまして、鮮やかというか渾沌としたというか、どうにも整理のつかないムチャクチャな状況が、直木賞のなかに展開することになります。

 そのなかで、とくに『下界』のメンバーが直木賞の場に召喚されたのは、やはり選考委員の海音寺潮五郎さんの存在が、大きかったことでしょう。『下界』がつくられるに当たっても、それはいいことだと、ポンと援助資金を提供。普段から、いっしょに同人たちと語らったりしていたことが、彼らを光の当たるところに押し上げたい、という気持ちに直結するだろうことは、容易に想像ができます。

 まあ、現に榛葉英治さんの書下ろし小説『赤い雪』の版元を、海音寺さんが紹介してあげたりしていたそうですし。……ってことは、前にもうちのブログで触れましたね。

 文筆歴は古いけど、いまいちパッとしない書き手が、同人雑誌で改めて修業に励むうちに、直木賞の威光の恩恵を受けて、ひとり、またひとりと表舞台へと上げられていく。苦労が実ってよかったですね。と、つい言いたいところではあります。だけど、単純に「よかった」と言って終わってしまっていいのか。ここが、同人誌という多面的な性質をもった存在をとらえるときの、難しいところに違いありません。

 『下界』にしてもそうです。結果的に、同人から直木賞の受賞者が次々と生まれましたけど、いや、そもそもそういうために発刊した雑誌じゃなかったでしょ? と疑義を投げかける人もいました。池田岬さんです。

           ○

 池田岬さんという方も、これは相当なベテラン作家で、戦前の昭和11年/1936年、九州で仲間たちと『文学会議』をつくり、自分の書いた作品を載せる順番のところ、戦地に出征する友人の小説を先に載せてあげようと、その席を譲ってあげたら、何とそれが東京のほうで芥川賞なんちゅうものに選ばれてしまい、火野葦平さんが世に出るきっかけをつくったという、なかなかに伝説的な人です。

 戦後になって池田さんは『文学生活』に関わるいっぽう、『下界』の創刊にも参加。和田芳恵さんが「雀いろの空」という短篇に、池田さんのことを書いています。

「火野葦平にゆずったことが、その後の池田岬の生き方に癖のように残ったらしい。『下界』をはじめてから、池田は編集の実務を担当して、影の力になった。『下界』へ作品は発表しないで、印刷所へ通ったり、同人費の滞納取りたてなどしていた。」(昭和53年/1978年4月・中央公論社刊 和田芳惠・著『雀いろの空』所収「雀いろの空」より)

 和田さんぐらいの経験豊富な人となれば、数々の同人誌とその同人たちの姿を、いろいろと目にしてきたことでしょう。世に出るとか、賞をもらうとか、そんなものは逆に願い下げだと言いながら、ただ無償の文学的営為に没頭する類いの、同人誌の尊さもよく理解していたとは思うんですが、しかしほんとうはもっと認められてしかるべき、と思う人が、仕事や家庭の苦しいなかで、なかなか日の目を見ないままに死んでいく、その無念さも身に染みてわかっていたはずです。

 『下界』でいえば、吉富利通さんという同人がいて、この人のことはワタクシは、加藤一郎さんの『文壇史料 戦後・有楽町界隈』(昭和53年/1978年7月・講談社刊)で知りました。まったく埋もれたまま亡くなった、とは言えないようなんですけど、しかし加藤さんは「吉富が文学での名声を欲しなかったといえば嘘になろう。芥川賞か直木賞をどうしてもとりたかったのだ。」(同書)と見ています。何つっても、同人の仲間たちが、どんどん直木賞をとっちゃって、「名声」っぽい受け取られ方で活躍したりしましたからね。よけいに、これを欲しただろう同人がいたって不思議じゃありません。

 ところが、池田岬さんはどうも違うようです。自分の関わった『下界』が、文学賞とかそこら辺の文壇些事に荒らされて(?)しまったことを受けて、「理想の挫折」と表現しました。

「創刊号(昭和二十九年三月)の後記に、和田芳恵はつぎのように書いた。

「……商業的な雑誌が一方にあっても、同人雑誌は必要なのではないか。もっとはっきり言えば、商業的なものがあって、そういう強引な軌道に乗ってばかりの発想に疲れ果てることは堪え難いことでもあるので、こういう柵のない荒漠とした空間地が必要になってくる。(引用者中略)」と。

考え方からすれば、これこそが同人雑誌の正道ともいえる。(引用者中略)だが「下界」も、間もなく選手交替して性格が変ってしまった。

まず主宰者の和田芳恵に藝術院賞が授与されて、にわかに身辺多忙となり、榛葉英治、渡辺喜恵子は直木賞でカムバックした。(引用者中略)とても「荒漠とした空間地」などであそんでいられるヒマはなくなった。おかげで折角な下界の理想も挫折せざるを得ない仕儀となった。」(『新潮』昭和37年/1962年2月号 池田岬「同人雑誌三十年」より)

 うーむ。たしかにそういう考えかたはありそうです。

 商業性に倦み疲れたと言ってつくったはずの同人誌に、直木賞がちょっかいを出してしまったせいで、せっかくの場を乱してしまった。……という面は、ええ、やはりありますとも。どうにも直木賞のことを心から賞賛、敬服できないのは、こういうところがあるからかもしれません。

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