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2017年9月 3日 (日)

『文学61』…流行作家になりたい? 同人雑誌ってそういうもんじゃないでしょ。と金子明彦は言う。

『文学61』

●刊行期間:昭和37年/1962年~昭和39年/1964年(2年)?

●直木賞との主な関わり

  • 金子明彦(候補1回 第47回:昭和37年/1962年上半期)

 金子明彦さんという人がいました。

 もちろんワタクシは会ったこともなく、直木賞候補作一覧のなかに出てくる、「格子の外」の作者、という程度の知識しかないんですが、残されたエッセイや文章のいくつかを拾い読みするうち、浮き世の栄華に背を向けた反骨の人、という側面がかなりあった俄然興味のわく人物だと知りました。その金子さんが、(おそらく)中心となって大阪で創刊された同人誌が、『文学61』です。

 創刊号は昭和37年/1962年4月10日発行。巻末に28人の同人氏名が掲載され、そのうち小川悟、重本利一、芝弘、加藤あき、脇田澄子、金子明彦の6人が「編集委員」となっています。発行所は、大阪市住吉区長居町東六丁目Cノ三八六号金子明彦方 文学61の会、です。

 この号には、創作として金子さんの「格子の外」のほか、加藤あき「悪意」、詩は竹信恵「海鳴」、評論・批評に重本利一「海外文学の展望 《形而上学派》の再認識」、中川喜久雄「小林秀雄私語」、小川悟「批評を歪曲するもの」、随筆に芝弘「国語問題考」、脇田澄子「団地の学校」、大島加代子「うららかな日に」が寄せられていて、執筆者紹介によれば、金子・重本・竹信・小川・芝・加藤の諸氏はみな関西大学の出身(中退も含む)ということになっています。どういうことでつながった仲間でしょうか。よくわかりません。

 金子さんはそれ以前から文筆歴があったらしく、戦中の15歳ごろには句作をはじめ、戦後、日野草城の『太陽系』、あるいは下村槐太の『金剛』に拠り、自身では林田紀音夫さんと同人誌『嶺』を発行したりしています。いっぽうでは、

「私が小説を書いたのは学生時代からのことで、小説や評論や詩を書く友人ばかりの中で、やむなく書きはじめていただけのこと(引用者後略)(『十七音詩』66号[昭和57年/1982年1月] 金子明彦「誤伝」より)

 との回想もあるように、句作と並行するかたちで小説もぼちぼち書いていたそうです。金子さんの『十七音詩』に参加していた北条沖也さんはこう書きます。

「金子明彦は切支丹弾圧を主題とする小説をはじめから書いたのではなく、はじめは日本の植民地時代の朝鮮の民族解放闘争を主題とする小説を書いていた。私はそのころの金子明彦とは会うこともなく、文通もなく没交渉であったが、金子明彦が小説を書く一作ごとに評判になったので、よくわかった。そうだ。彼の小説が発表されるごとにその同人雑誌は、新聞・雑誌の批評欄で激賞されるのが常であった。(引用者中略)

昭和三十六年の暮だったか、明彦の小説が直木賞候補にあげられているのを新聞で見て、私は驚いた。しかし驚くことではなかったのである。彼の小説はそのたびごとに朝日新聞や毎日新聞の批評欄で激賞されていたのである。」(『十七音詩』48号[昭和53年/1978年1月] 北条沖也「金子明彦覚え書ノオト(一)」より)

 その激賞された数々の小説が、いったい何というどこに載った作品なのか、いまではもはや、パッと調べることのできないのが、もう悲しさ満点なところで、なかに金達寿さんが褒めた「北漢山の雪」という小説もあるみたいなんですけど、人が褒めたことはわかっても、どこで読めばいいのかわかりません。つらいです。

 「激賞」と言えるかどうかは、賛否があるでしょうが、同人誌に書かれた金子さんの小説が、たとえば『文學界』の同人雑誌評でいくつか取り上げられたことはほんとうで、「長袴抄」(『黄土』創刊号[昭和29年/1954年12月])、それから「格子の外」は本文での言及がないままベスト5のひとつに選ばれていたりしますし、「天涯」(『文学61』3号[昭和38年/1963年11月])もベスト5になっています。

 1960年代の前半は、金子さんが林田紀音夫、堀葦男の両氏とはじめた『十七音詩』もまだ続いていましたけど、小説でもチラリと光が当てられそうになった時期にあたり、金子さん自身、小説執筆の意欲も十分にあったと思われます。

 この状況が突如、変わるのが昭和43年/1968年のこと。金子さん、もうイヤになっちゃって、小説の筆を折ってしまいます。

           ○

 昭和43年/1968年というのは、もう『文学61』はなくなっていたらしいので、ここから先は「同人誌と直木賞」のテーマからは外れていくだけなんですが、しかしおそらく金子さんが小説の筆を折った遠因には、同人雑誌に対する考え方、いや小説を書くことについての考え方が関わっていると思われるので、もう少し続けます。

 金子さんは『新潮』昭和40年/1965年2月号に、「大阪・「文学61」同人」の肩書きで「「同人雑誌評」の弊害」という文章を書きました。

 いわく、大新聞社の関西版「同人雑誌評」を担当している俳人がいるが、そのまわりには、ご機嫌とりみたいに同人雑誌編集者たちが蠢いているらしい。こちらはそういう権力的なものを認めないから、「そのせいで彼らからは徹底的な村八分にされている」と言い、だいたいが同人雑誌評に取り上げられるのが、売れっ子作家になる手段だと思う、そういう風潮がイヤだ、と表明。同人雑誌評で認められれば、直木賞・芥川賞をとるまであと少しだし、どちらかの賞さえとれば、流行作家になってお金ガッポガッポだ、うはははは、……とかその発想、悲しくない? といったようなことを書いています。

 少なくとも、有名な大部数の雑誌に声をかけられただけで有頂天になるようなのは論外だ、同人雑誌は地道に、こつこつと、しっかりとした仕事をする場であってほしい。と主張していて、これが金子さん自身の、文章を書いて発表する心構えでもあることがわかります。

 というところで、昭和37年/1962年に、思いもかけず直木賞の候補に選ばれた金子さんは、その5年後にはすっぱりと(なんでしょう)小説から手を引くことになり、商業誌に載ったり、本としてまとめられた小説は皆無、小説家としてはただただ直木賞候補一覧に名が残っている、というだけになってしまうんですが、本人によれば、こういう事情だそうです。

 熊本の花岡山で、小笠原玄也・みや夫妻ほか一家が、切支丹禁令のため処刑された、という歴史的な逸話のことに触れたエッセイで明かしています。

「私はこれ(引用者注:小笠原玄也以下の殉教)を河出書房の『文芸』という雑誌の注文で百枚ほどの小説に書いた。昭和三十七年の秋のことで、その年の上半期の直木賞候補にあげられたということがあって、『文芸』の編集長が新人育成のために、私に定期的に執筆させてやろうというお話で、私はそれを村上一郎氏に相談して受諾し、いささか張り切って書いたものであった。

それがそのまま掲載されておれば、曲りなりにも私は小説家の道を歩いていたかも知れなかった。世の中はうまく行かぬもので、河出書房は直後に倒産し、編集長更迭で、原稿はお蔵入りとなり、私は悲憤のあまり以後小説の筆を折った。」(『十七音詩』65号[昭和56年/1981年11月] 「熊本歴史散歩」より ―署名:(明彦))

 100枚の小説を書いたのが昭和37年/1962年秋で、河出の倒産が昭和43年/1968年3月。あいだが結構あいていて、「直後」というにはかなり無理を感じるわけで、ひょっとして河出の倒産がなくてもその小説を『文藝』(当時の誌名『文芸』)に載せる気が、編集部にあったのかどうなのか、つい疑ってしまうレベルですけど、まあ、そういうことらしいです。

 一作、渡した原稿が載らなかった程度のことでしょ? それで小説をやめちゃうなんて、いくらなんでもナイーブすぎるのでは。……という声が挙がる場面かもしれませんね。あるいは、商業文芸誌とはどうしたって相性が合わない、金子さん根っからの同人誌気質(金子さんいわく「野武士」のようなもの)が、ここに影響したのかもしれません。

 では直木賞とは、商業誌側、同人誌側、どちらの側に立つものか。なんてことは言わずもがなのことですけど、金子さんの信念からすれば、おそらくですが、べつに好んで直木賞をとろうという気はなかったはずです。どちらがよくて、どちらが悪いか、というハナシでもないので、直木賞に選ばれずとも、構いやしませんが、とりあえず発表されるたびに激賞されていたという金子さんの小説が、まったく手軽に読めないいまの状況は、残念でしかありません。

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